2007年05月15日

例のよもぎ餅について

 極東ブログのエントリ経由でF.Nakajimaさんのエントリを見てなんかいろいろ納得。というかそれなりに思うところがあったのでメモっとこう。


極東ブログ: [書評]フューチャリスト宣言(梅田望夫、茂木健一郎)


F.Nakajimaさんのブログ-「フューチャリスト宣言」におけるマーケティング


 小飼さんの書評もあったけど、こちらは書評というよりも外面の印象にとどまっていて情報量がほとんどない。


404 Blog Not Found:書評 - フューチャリスト宣言


 「新刊ネタバレ」というのを気にされたのだろうか? これよりは極東ブログからリンクされているこちらのエントリのほうが参考になるな。


404 Blog Not Found:「偶有」整理法




 んで、まぁ、なんというか、ぼくはこの本自体にはなんの関心もない。茂木さんがアレなことについては多くの人が知ってることと思うし、某所で書いたことなので詳しくは語らない。

 いちおそれなりに匂わせるとこんな感じだが


ハコフグマン: 結論ありきの強引取材


ゴールデンタイムにオーラやら前世やら、本気ですか?



 いまさら殊更にいうことでもないのでリンクに留めておく。(表であんまり言い過ぎるのもアレだし)



 んで、本題に戻ると、なにやらこの本で茂木さんが使用した「偶有性」という言葉が問題になってるみたい。

 初めてみる言葉なのでナンジャラホイって感じだけど、finalventさんとかF.Nakajimaさんの解説によるとcontingencyのことらしい。

 単語の意味をそのままとれば「偶然性」「偶発性」「不慮の出来事」ってことになるけど、finalventさん評によるとどうも茂木さんはこの言葉になんらかの含みを持たそうとしているみたい。

 「偶然の中の必然、必然の中の偶然」とかそんな感じの。

 これってあれだ。東っくす言うところの「郵便的誤配」ってやつだ。


tidの日記 - たまには現代思想にふれてみる


it1127の日記 : 【気儘に】セレンディピティとか不確実性とか感情システムとか



 っつーか、そんなに難しげな用語をわざわざ濫造しなくても、この手の話題って技術思想関連ではよく出てくるのだが。


 文脈としては、<ITの受容においてはイノベーションを中心としたハコ型プロモーションよりも、ユーザー個々人の使用動態に注目するほうが重要>、ってやつ。

 けっこうなお金をかけて新しいイノベーション(ハイテク)を作り上げそれをプロモーションでばら撒くよりも、ローテクでもユーザー側が偶然に見つけて創意工夫、自分たちで盛り上げていったサービスのほうが根付く、って話。

 例としてはcaptainシステムよりも「ポケベル - ケータイ」のほうが根付いた、ってのがある。最近だと情報大航海プロジェクト(だっけ?)とかいう日の丸検索エンジンプロジェクトとか、「地デジ移行ってどうなの?」とかそんなの。




 これをもうちょっと大きな文脈で見ると、<「簡単・便利」的に最適化、商業化されていく中で人の生活は自動化され何も考えないで支配される人が増えてくるように思われてるけど、限定された環境の中で人々はそれなりの工夫(ブリコラージュ)をし、創造性を枯渇させていないんじゃないか? (創発の萌芽はあるのではないか?)>、って感じになる。


 つまり、こういうことだけど

muse-A-muse 2nd: スマート化する社会(可能性と課題について)



 ポイントは「創発の余地を残しておくこと」のように思う。企業側がやりたいこと(イノベーション)主体でいろんな使い方を固定されたサービスってのはそんなに伸びないんじゃないか?

 「消費者はなにをしたらいいのか分からないだろうからオレたちが需要(欲望)を作り出すんだよ」みたいな感じなのかもしれないけど、なんかユーザーなめすぎって感じがする。

 もちろんそんな感じで全部パッケージになってるサービスを望む人もいるのだろうけど、ローコストで自由度の高いサービスを望む人がけっこういるのも確かで、新しいサービスってのはむしろそこから生まれていくもののように思う。


(ところでこの辺の話って一つ前のエントリの「社会の木鐸」ってやつとも似てますね)



 で、


 技術思想、あるいはITマーケティングの根っこの部分な文脈では「偶有性」の議論ってのはそういう方向性が望ましいということになると思うんだけど、件の茂木・梅田本ではその辺のところはどのように扱っていたのだろうか?

 極東ブログ的にはこの辺が関わるか


茂木の言う「偶有性」には、ネットワークを統制する機能とは別に恣意的ともいえる機能が隠されているという含みがあるだろう。その恣意性は、おそらく、表向きの統制と、見えない統制の二系に分かれ、その見えない部分は、見える部分からは偶然性となるのだろう。見えない統制が見える統制をどう乗り越えていくのかということに、茂木の「偶有性」の重点があるはずだ。


 
 「表向きの統制」とはイノベーションを中心とした商業的な意味付与(使用の提案)みたいなもの、「見えない統制」の部分がユーザーの自由な使用の開発(ブリコラージュ)に相当するか。(でも、finalventさん的にはそれ自体も「統制」ということで、「なんらかのプログラムに乗ったもの」、ということなのだろうけど、まぁ、置く)

 んで、そういった「見えない統制」(ブリコラージュへの志向)の可能性について茂木さんはどう言っているかというと、


 ・・serendipityがどうとか言ってるだけでよく分からんな。「セレンディピティは良いものをたまたま見いだす偶然性を指している」ってことなんだけど、これは創発可能性のことかな?

 だったらそういう風に言えばいいのに。(「脳科学者」なんだし)


 つーか、それだと個人の受容体の話にとどまって、創発(この文脈では技術やそれに付随するサービスに対するブリコラージュ)の社会的意義については全然かたられてない感じ、・・なのかな?



 読んでないからわかんないんだけど、誰か知ってたらこの辺について教えていただけるとありがたい(この本はあまり読む気がしないので)



 そういや、serendipity関連でJ.D.Lasicaのとこにもエントリあがってたな。twitterと絡めてなんか書くかも(・・・・かもかもかもかも)




 ってか、冒頭でも言った通りこの本の内容自体には興味ないんですよ。


 中身としてはこんな感じで、用語の翻訳さえしてしまえばありふれた議論なのだろうし、ある程度慣れてる人にとってはそれほどの意味があるものではないのでしょう。


 問題はこの本を読む層、おそらくはそれほど本を読むことに慣れていない人たちへの影響ということです。


 議論の方向性としては(なんとなくだけど)表層的なかっこいい言葉の羅列にとどまり、それほど突っ込んだ話はしてないのでしょう。


 読む人になんとなく、「ぐーゆーせいいいじゃん?」、って感じのアハ体験を起こさせたら御の字って感じではないでしょうか。


 んで、「内容自体に新規性はない」というのは梅田さんの一連の本にも言えるみたいです。


 でも、梅田さんの本というのはそういうのを分かっていてわざとやっている(パフォーマティブな)面があるみたい。


「文化系大新年会 朝まで生Life Part2」 - 「文化系トークラジオ Life」まとめWiki - livedoor Wiki(ウィキ) 


佐々木:最近梅田さんが平野啓一郎と『ウェブ人間論』って出したじゃないですか。あれを読んでると、一読者としては梅田さんの言説は、意図的に楽観的になってると思う。反発する人も賛成する人もいると思うけど。

津田:梅田本を解説書だと思って細かいところに突っ込みを入れる人もいるけど、思想書だと思えば、書き方の問題。

柳瀬:思想書というかオルグですよね。

津田:ネット時代の共産党宣言なんですよ。

鈴木:そこまで言い切るか。




 梅田本というのはほんとにITのことが分からない石頭親父の「だからあいてぃーなんかやってると非人間的な冷たい人間になるんだぁ。やっぱ仕事ははーとだぜ、はぁと(根性)」ってイデオロギーに対抗するためのちょっと強めのオルグ(イデオロギー)みたいなんですね。


 部下が何度論理的に説得しても通らなかった議案が、あの本のおかげで通るようになったとかなんとかいう話があったり(なかったり)。


 共産党宣言があの内容自体はそれほどの意味がなかったけど矛盾に苦しむ労働者たちの心の支えとなったのと同じように、梅田本というのは現代におけるIT従事者(あるいは合理的プロトコルをまとった若者たち)を応援するオルグのようなものみたいなんです。


 そして、リンク先にもあるように、梅田さん自身がそれを分かっていてそういう風に振舞っている側面があるみたい、と。



 そういう観点から見ると茂木さんの本とか言説にもそういう意義があるのかなぁとか思ったりするんだけど、阪大の菊池センセも言っておられたようにその辺はびみょーっぽいっすね。


 あと、小飼さんのエントリの中にあったprophetという言葉が印象的でした。「茂木さんはprophet(預言者)になりたがっている」、ってやつ。


 なんとなくSonyにおける茂木さんの位置なんかを想起しますね。象徴的ラスプーチンって感じの。茂木さん自身が技術開発とかこれからの企業戦略について提案をすることはないのだろうし、提案しても受け入れられないのだろうけど、なんとなく茂木さんを入れた時期とSonyの落日が重なるように思うのは気のせいだろうか・・・。




 っつーか、ラスプーチンっていうほどご大層なものではなくて、個人的には「脳科学」界における蛭子さんって感じでほのぼの見てますが。





 ・・そんな感じではないでしょうか?



 ところでクオリアって某海の妖精みたいで可愛いですよね(海の悪魔とも言うw)



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追記:
ちょうど切込隊長のとこにもエントリ上がってたのでトラバ送っとこう


切込隊長BLOG(ブログ): 或るアルファブロガー批判における実在と虚像


 翻って、フューチャリスト宣言@梅田氏の今回の著作は、いままでの梅田的世界観からすると風呂敷の右から左まで辻褄がぴっしりと合ってきていて、げっぷが出るほどポジティブで、輝いた眼をした若いころは私もきっと梅田万歳とか確かに言ってただろうなと思う点で、非常に考えさせられた本だった。


 それゆえ、birdwing氏が自力で書いちゃってるように、己の価値観が「ポジティブに未来を考えようとしているエヴァンジェリストやフューチャリストのような方たちの言葉が参考になる」のであれば、dankogai氏を含めポジティブかネガティブかよりも、実現可能な未来を実証的に語るかどうかで判断する人間の書評は相容れないだろうと思う。



って部分が「共産党宣言」ということに相当するのだと思う(読んじゃいないが)





posted by m_um_u at 07:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会このエントリーを含むはてなブックマーク
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