2015年04月24日

美術手帖3月号から「現代アートの文脈」「現代アートは流通である」あたり




美術手帖 2015年 03月号
美術手帖 2015年 03月号
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美術出版社 (2015-02-17)










美術手帖3月号「世界の新世代アーティスト100人」なインデックス企画。あまり期待しないで見たし、作品実物で見てみないとやっぱピンと来ないだろうなあって感じだったんだけど東京都現代美術館と森美術館のチーフキュレーターの対談がおもったよりおもろかったのでメモ的に。自分的にはこれに関連する書籍(ラッセン本とか村上隆本、あるいはアートとビジネス・流通・プロモート本を[読むもの]として積ん読ぶくまする用のエントリ)。


対談の主題があきらかにされてないまま日本語でおk的なカタカナ語連発されていくのでなんとなくつかみにくいところはあるのだけど、半ば過ぎた辺りに主旨としてわかりやすく言及されていた箇所があったのでそこから引用する。


日本でも現代アートの愛好家やオーディエンスがこの10年ほどすごく増えたと思いますが、いまオーディエンスに投げかけようとしているコンテンツは、実はものすごく複雑で、様々な文脈から紐づけをしていかないと理解しきれないものです。私は従来、美術館の教育普及活動が担ってきた、アーティストの非常に深度のあるプラクティスを見る側に伝えていく作業、義務教育でシェアされていないここ100年以上の世界の美術の潮流を、いかに増加しつつあるオーディエンスに知識と体験を通して接続していくのか、といった課題は急務だと思っています。アメリカでは日本よりも多様な人種、宗教、経済的環境のなか、それぞれ異なるコミュニティーがあります。イギリスでも移民、人種問題は大きな課題です。そうしたなかでオーディエンス・エンゲージメントも発展してきました。日本でも、こうした観点を今後ますます強化していかないと、世界から届けられる現代アートの批評性とエンターテインメントに近いものとして現代アートを愉しみたいファンの間の溝は埋まらない。現代アートが単にエンタテインメントとして定着してしまうことによって、誰もが理解しうる人間の根源的な部分を扱っていることが伝わらないまま日々過ぎ去っていく。そこに大きな意識改革が必要だと考えています。




要約すれば、「現代アートの扱っている題材は生活のリアリティ的な問題として重要な部分なのにあまり関心を持たれてない、関心を持たれたとしてもスノビズムのなかで特に理解もされずに消費されている。そういうのがくやしい」、てことでサードウェーブうんたらとかロハスとか「これが上質な暮らし?」「m9(^Д^)」とか想わせる。そういった態度はちょっと啓蒙主義的傲慢を感じさせ警戒するとこでもあるわけだけど、そのあたりについては「上からの教育(Education)ではなく下からのLearningな動きとなってる。

例えばイギリス全体でも」とかいってて、まあcivic journalismと同じ文脈のように想う。つまり「教条的に一定の考え方を叩き込むのではなく、それらを解釈するための文脈を受講者と一緒になって学び、インストしていく」というあれ。新聞社でそれをやるのは「あらたな持続的購読者を自らの手で作り上げていく」てことでもあったんだけど、実際こういうのをやってるNewYorkTimesとかは時間とお金がかかるばっかでそれほど収益には貢献されないてことで半ば社会慈善事業的な趣きもあった。そういった文脈も背景にあるためか話の流れとして美術館だけが中心となるのではなくギャラリー、美術マーケットと連動してやっていく必要がある、みたいなことになっていたけど。地域コミュニティのボランタリーなアート活動との接続あたりにまでは話は流れてなかった。

この手の話は教育方面だとけっこうあって、もうちょっと広い文脈で言うと大学の経営とその内容の問題に属する。そこで問題になるのは就職予備機関としての大学の性格 ― 「優秀な人材を輩出する必要がある」という大学の生産性問題で、そうすると「就職に役に立つ知識」てことで大学教育の醍醐味(自由7芸につながるへん)がスポイルされて行ったり…。

美術館とアートの普及の話に具体すれば、「世界で起こっている美術モメント、それを反映した現代アートの作品メッセージを『正しく』読み解くための教育がかえって自由なアートの可能性を狭めていってしまうんど絵はないか?」という懸念が生じる。なので「だったら学芸員が『ただしい』作品の読み方を解説すればいいじゃん?(ガイドツアー的に)」て拙速出来ないのだろう。まあ「テクストの自由な読みを阻害するから」という以外に「ガイドツアーとかイチイチしてたら学芸員の仕事増えて人員・予算足りなくなるよ。。実際そんな金ない」てのがあるだろうけど(あと学芸員の読みが正しいかどうかびみょーだろうし、すべての作家がフレンドリーに作品メッセージを解説してくれるわけではない(現在MOTで開かれてる展覧会の作家さんはアプリインストするとそこで自ら解説してくれるようだけど)。


そういう問題があるとして、では「現代アートが扱っている題材」とはなんなのか?


作家や作品によって異なるところはあるだろうけど、今回の対談だと主に「近代(モダニズム)による画一化と画一化の暴力から自由になるための方法の一つとしての現代アート」ということが当然にされているようだった。つまり少し前にエントリした李禹煥のいってた内容と同期なわけだけど。


李禹煥、2000、「余白の芸術」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/417115007.html


あるいは観察者の系譜とそれの前提としてのフーコー的な文脈。

ジョナサン・クレーリー、1999、「観察者の系譜」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/417357248.html


そういった文脈なので必然として現代思想や文化人類学におけるポストコロニアル、マルチカルチュラリズム的なテーマと同期してくる。なので、それらの文脈に親しんでいれば現代アートに親しんでなくてもイマキタしやすい。自分が仲良くお話してるアート界隈な人とのお話的には逆にアートな人たちが現代思想とか社会学とか文化人類学、表象文化、メディア論、生の哲学的な文脈に接続しにくい(接続したとしてもスノッブなものかどうか見分けがつきづらい)というのはあるみたいだけど、、まあ話がすごくそれるだろうから置く。白田さんなんかがムサビでそのへんの講義とかしてるみたいだけど。以下はそういうのはじめた当初のムサビ講義の様子が垣間見られる。いかに美大生が自分たちの作品の背景的一般常識・学問知識に疎いかということについてなどなど。

白田秀彰の「網言録」 - 2007年5月 | WIRED VISION
http://bit.ly/1DGC70F



この対談巻頭でオルターモダンがどうとかいっていたけど、そういう文脈な感じ。オルターモダンという言葉はあるキュレーターが最近作った造語だから浸透してないけど。


ニコラ・ブリオーが2009年に提示した「オルターモダン」という概念が面白かったのは、主体というのは常に移動していて、その移動する主体の地理主体(ジオカルチュラル)的な位置、地政学的な位置、生産のプロセスによって作品の生産(プロダクション)というのは示されるべきで、どこかの国に帰属するモダニズムではなくて、移動する主体におけるモダニズムという考え方そのものそのものに言及した、というところです。主体の移動やノマドの問題というのは1990年代からずっと言われてきたことで、旅する作家のなかで起こる様々な文化的混濁性(ハイブリディティー)、情報、記号や形式が、作家の解釈、翻訳によって横断的に変化し、生成される。それをオルターモダンという形で語ったのが新しい部分かなと思います。よく似た言葉にマルチ・モダニズムズという言葉があります。そこにはそれぞれの地域が独自の個性を持ってモダニズムを形成してきたので、それらを欧米的なモダニズムという同じ言葉でひとつにくくることができない、というモダニズム普遍主義への批評があったと思います。

そういったモダニズムズという複数のモダニズムに関心が向いたとき、それぞれの地域でこれまで十分に評価されてこなかった活動や個々のアーティストについて、今日的な視点から見直す「再読」の行為が大きく広がってきたと思います。ちょうどこの5年くらいでしょうか。具体的には、今回の特集で選んでいるような若い世代ではなくて、1930〜1940年代生まれの方たちの仕事をいまのグローバルな文脈にのせてみたときにどう見えてくるのか、という「再読」です。アートシーンがこれほどグローバルに拡大した今日、国際展や雑誌の特集などで、もっとも注目すべき100人の作家を選ぶという行為はあくまでも主観的にならざるを得ません。今回の企画を長谷川さんや私が選んだら、また全然違う100人になったと思います。そうした意味で、長谷川さんが東京都現代美術館(以下、MOT)で企画された「新たな系譜学をもとめて 跳躍/痕跡/身体」(2014)や、私が森美術館で企画した「リー・ミンウェイとその関係」展(2014〜2015)なども、それぞれにある文脈を見せようとしています。系譜や文脈を検証するために、まずは自分の立ち位置を決め、そこからおり広範な関係性を俯瞰してみる、評価の基軸を見出すという必要性が世界中のあらゆる場所で起きている気がします。



欧米によって帝国主義的に敷衍していった近代ー文明とはべつにそれぞれの地域にそれぞれのやり方で育ってきたモダニズムがあり、それらは近代的な文明の便利を享受しつつ、それとは別にローカルなリアリティも保っているため欧米とは異なったモダニティとして発露し、そこでのモダニズムなリアリティも異なってくる。それらと世界的に共通する「現代のアクチュアルな問題」の視点をどのように同期・接合させていくか?、ということ。


ニコラ・ブリオーというキュレーター(@テート・ブリテン・ロンドン)が提案したオルターモダンという視座や態度は端的に解釈すれば「ローカルって言ってもテレビやネットを通じて共通し、混ざり合ってる近代人(あるいは後期近代人)があって、でもそれは完全に混ざるというよりはそれぞれのポイントに配置されてるような感じ」ということなのだとおもう。そういう意味ではちょっと展示みてみたかったなあとおもうんだけど。

そういったリアリティに対して、ひとつの学問分野・視野からだと捉えきれないところがあるので分野・方法(ディシプリン)横断的な方法が必要となり、そこで「新たな系譜学をもとめて」や「リー・ミンウェイ」的な企画が提示されていく。一部で好評だった「うさぎスマッシュ」なんかもそういった流れのように想う(サブカル的なリアリティも混濁してくし)。これらも見そびれたのでこの対談みてて「見とけばよかったかなあ。。」とかちょっとおもった。



新たな系譜学を求めて |東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/seekingnewgenealogy.html



リー・ミンウェイとその関係展:参加するアート―見る、話す、贈る、書く、食べる、そして世界とつながる | 森美術館
http://www.mori.art.museum/contents/lee_mingwei/about/

リー・ミンウェイさんの、アートのかたち - ほぼ日刊イトイ新聞
http://www.1101.com/lee_mingwei/2014-11-13.html



うさぎスマッシュ展|東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/148.html

2013.10.13 うさぎスマッシュ展 - 東京都現代美術館 - always one step forward
http://masagrant55.hatenablog.com/entry/2013/10/20/235648



現代アートの系譜、あるいは世界共通のテーマの共有ということではドイツのドクメンタなんかが紹介されつつ


ドクメンタ - Wikipedia http://bit.ly/1bA884P

ドクメンタ | 現代美術用語辞典ver.2.0 http://bit.ly/1bA8ng0




現代アートの最前線がニューヨーク現代美術館(MoMA)とテート周辺だということを再認識させられる。あとドイツ(cf.グッゲンハイム)。このへんの「最前線」とか「中心」とかの意味合いは「二本の学術では東大がどうしても中心になるからねえ。。」程度。もちろんブランドで芸の良し悪しが決まるわけではないので地方や各私立にも鉄人はいる。けど、まあ平均的な意味での中心みたいなのはあるよね、ぐらいの。



「1930〜1940年代生まれの方たちの仕事をいまのグローバルな文脈にのせてみたときに」な話題だともの派とアルテ・ポーヴェラの関わり、「具体」の世界的認知なんかが語られている。「もの派を語るときにはアルテ・ポーヴェラと関連して、その違いについてから語るよね」みたいなの。具体とアンフォルメルの関わりとか。


世界が注目する日本発アート「具体」とは? 具体作家・松谷武判さんに聞く - Excite Bit
http://exci.to/1bA8iJf

アルテ・ポーヴェラ - Wikipedia http://bit.ly/1bA8oAE

アンフォルメル | 現代美術用語辞典ver.2.0 http://bit.ly/1bA8Sa3



グローバルとローカル(日本)をつなげるということでいうと現在よりも1970年代の日本のほうが「進んでた」みたい。そのへんは例えば1970年の東京ビエンナーレ、当時の美術手帖の様子から伺える。そういった文脈をMoMAやグッゲンハイムが現在紹介してるとか。
そういったマルチカルチュラル(トランスカルチャー)的な方法にたいして、それらを提示する方法、あるいはかんがえる方法としてアートをポリティクス-アクティビティ、ライフの一環として捉える向きがある。政治的な問題を生活・人生の一環としてアートで表したり、そのまま言葉にすると問題なことをアートを通じて表現したり。たとえば身体芸術を含んだそれなんかはトランスディシプリンな試みと言え、ドイツやイギリス(テートのタンクスとか)などはすでに美術館の中でダンスも介してアートのメッセージを伝える試みがされている(TL的にはパリなんかでもそうみたい)。MOTで少し前に行われた「新たな系譜学」の企画展はそういった文脈だったみたい。

ブラジルの例、あるいはNYやイギリスなどもそういったシーン、アクチュアルなものを表現するためにトランスディシプリンな方法を採用することに追随/同期してるようだけれど日本はどうしてもそこが遅れてしまっている。それはたとえばデュシャンの「泉」(例のレディメイド便器の展示)がどういった文脈でどういった意義をもっていたのが共通認識されていなかったり、会田誠の「あぜ道」が東山魁夷の「道」を引用しずら(差延)した作品であることが理解されずたんに「トリックアート」として教科書で紹介されてしまっているところにも表れている。ちなみにいうとこの「あぜ道」はHALCALIのアルバムジャケットに無断パクりされたらしく問題になっていたらしい(そんでTLのそれ系女史が「あの文脈がまったく理解されてないことが貧困。。」みたいに嘆いていた)。



「現代の世界のアートシーンに日本をつなげる」「もう少しレベルアップしたい」が問題意識であるとするとその具体的方法としての流通、キュレーションのあり方が本対談の中盤の見どころになる。

具体的には美術館だけでは骨が折れるので世界のアートマーケット/ギャラリーの動向ともっと連絡・リンクする形でこういった活動を拡げて行きたい、というもの。この辺もおもしろかったので引用しておく。



NYの美術史家、室井玲子さんが、もの派展の際にマーケットと美術館の活動とアカデミックな研究が三位一体であること重要性を指摘していました。もの派のアカデミックな研究や展覧会があっても、それにマーケットがともなわなければ、現在のような国際的な認知には至らなかったかもしれない。アルテ・ポーヴェラなどを収集しているコレクターが、もの派に接続点を見出しつつ、だんだん購入可能な作品も減り、価格も高騰してきたアルテ・ポーヴェラの作品に比べて、まったくアクセシブルなもの派に手をつけていくというような経緯でマーケットにも火がついた。昨年秋、ロンドンのフリーズ・マスターズではすでに韓国のギャラリーが、韓国モノクローム絵画世代の作家や、1960〜1970年代のパフォーマンス・アーティストも市場に強力に紹介していました。こうした方法論をいかに日本のアートシーンにも当てはめていくのか、もし日本のアート・コミュニティーに欠けていることがあるとすれば、戦略的な市場への介入と文脈的な裏付け、そして美術館の活動という3つの軸の連動を意識することなのかもしれません。


コンテンポラリー・アートがコンテンポラリーたりうる要素は、文脈や方法論だけではなく、それを支える流通のシステムですよね。コンテンポラリー・アートの存在やこれにかかわるアクティビティー ―アートフェア、ビエンナーレ、オークション、フォーラムなど― が、多様な文化や現れてくる表現をお互いに交流させたり、機能させたりすることの助けになっています。さらに、展覧会を開催することは、他者と作品体験を共有して、アートについて語り始めるということ。では、それをどうやって評価するのか?展示され、評された時点で議論の対象になっていくじゃないですか。私はそのシステムについてはいまアジアでかなりうまく機能していると思っています。


例えば、テートは2012年にアジア太平洋リサーチセンターを設立しましたし、MoMAは09年頃から内部のスタディーグループC-MAPをつくっています。世界の近現代美術館の代表格であるファーストクラスの美術館が、世界中の国や地域のインスティテューションとパートナーシップを組みながら、いかにグローバルに拡大した近現代美術の全貌を掌握しようとしてるか。若干、帝国主義的にみえなくもないですが、テートとMoMAという2大巨頭ではその方向性は明らかです。ただ、いくらテートやMoMAでも、座っていて情報や知識が集まるものではない。アーティストや作品が多様な文脈や系譜のなかにいるのと同じように、美術館というインスティテューションもパートナーシップによってしか成立し得ない時代だと思っています。単独で何かをするのではなく、自分たちが根ざしてる文脈が何で、相手が根ざしている文脈がどこにあって、それをつなぐことによって何が見えてくるのか。そういう意味で本当に「関係性」の時代で、そこに意識をシフトしていかないと全貌は見えないな、という気がしますね。


私もアジア太平洋リサーチセンターに、短期間ですけれどフェローとして在籍して、それがどのように機能しているのかというのを見てきました。スタッフの数は少ないですが、テートがやっているコレクションの取得委員会(委員会は、北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアパシフィックなど、いくつかの地域に分かれていて、それぞれ地元のコレクターを中心にした人たちがメンバーを構成し、美術館に対して助言と寄付金を与える)というのがあります。そこを介して、世界中から情報も作品も集まってきます。そしてアカデミックなリサーチは自分たちが現地に赴いて行うという、すごくよく出来たシステムです。つまり、モダニムズムという新しい考え方の中で、いかに共通点と差異を議論し、また同時にそれらを展覧会や書籍、コレクションといった形でまとめていくのかということですね。






「現代アートがコンテンポラリーたりうる要素は、文脈や方法論だけではなく、それを支える流通のシステムである」「もの派が世界的に認識されたのも美術館の展覧会に加えてマーケットの動向が伴っていたから」「現代アートにおける世界の2大巨頭美術館はそのような背景で帝国主義的に各地に網羅的にリサーチを張り巡らせている」


示唆に富む箇所でいろいろと連想させる。「世界で認知されれば持続する」みたいなのは映画のシーンやシステムにも同じくするし、映画というのがけっきょくは内容ではなく流通システムをメインとしているということも(もちろん内容も重要だしインディーズ的な展開もあるけど)。帝国主義的なリサーチの網目、そこからの各地のアートの網羅的な狩猟のあたりは帝国主義時代の博物学的な狩猟・蒐集、そこから文化人類学という学問が立ち上がっていったこと、それらが実際的な機能としてはアメリカの安全保障のリサーチ(エリアスタディー)として予算を受けて育っていったことなんかが連想されここでも上記してきた啓蒙の暴力と同じ懸念がもたげる。


その辺りは人文社会科学の興味関心の持続が「金・ビジネスとの関わりないと―」「でも金金いってたらけっきょく金に染まって内容二の次になってくじゃん?」な話と同じくなって循環論するので置くとして。最後にこれらの話での注意点というかびみょーなところとしてもう一点だけ書き遺してこのエントリを閉じよう。


この対談は「意識の高い」エリートキュレーター同士の対談ということでどうしてもイヤミっぽいというか、なんかいけ好かないところがあり、それはたとえば「実際の作品やアーティストを差し置いて女衒・アート転がしがいばるんじゃねえm9(^Д^)」的なことに集約される。

んでもこの対談自体はその辺りを踏まえつつ、日本のアートシーン、あるいは普段の生活、一般的な認知とアートとの関わりがあまりにも貧困で文脈が理解されていないということに対する問題意識・提起・解決法の提示であったように思う。

なので「作品やアーティストを差し置いて」というほどでもなく、それらを紹介するプロとして、彼女たちキュレーターがこれから先どのような問題意識を持って努力していくべきか?という対談のように思えた。それはたとえば旧来の似非文化人的なひとたちがゲージツや「文化」をてけとーにスノッブしてごまかして偉そがるのとは異なるだろう。


もちろんそういった文脈とは関わりなく自らのそのとき想ったもの、感じた色やモティーフをそのまま表しただけって作家もいるだろうし、そういった作品もあるように思う。あるいは作家でさえ自身の作品がどういう意味を持っているのかということを精確には言語化できなかったりするので。

今回の話はそういうのとはまた別の、キュレーションというアート、プロの技の話のように思えおもしろかった。今後のMOTや森美術館、それらを受けた横浜美術館、原美術館ほか日本の現代アート系美術館の流れ、現在企画展示されているものがどういった文脈に属しているかもなんとなく推測されるし。




以下はそのようなキュレーターの意識から横浜トリエンナーレをくやしがった箇所としておもしろかったので最後に引用しておしまいとする。「アーティストやキュレーターにとっても網羅的なものだけではない深度が必要」「表層的な情報はいくらでもあるけれど深度がなければ凡庸な追随に終わる」という話から。




そういえば、2014年にはアーティストによるキュレーションが何件かありましたね。例えば「メディア・シティ・ソウル2014」のアーティスティック・ディレクター、パク・チャンギョンも映画出身で映画製作の仕事も高く評価されている人です。彼も数年来知っていますが、それこそ韓国のシャーマニズム、不可視のエネルギー、アニミズムなど、あの展覧会で扱われていることはずっと彼が探求してきたことです。森村泰昌さんがディレクターを務めた「横浜トリエンナーレ2014」でも同様に、彼らがある意味何十年かかけて掘り下げてきたリサーチをもとにあのような展覧会を開催されたら、何年も繰り返し展覧会を作り続ける職業上のキュレーターは太刀打ちできない。アーティストのヘギュ・ヤンは「アーティストはこれまで自分の興味のあるとkろおを掘り下げてきたから、それに関するアーティストを集めて展覧会をつくることは一回はできるけれども、それ以上はできないわよ」と慰めてくれましたけどね。ただそれは展覧会としては、彼らのアーティスティックな文脈やストーリーの構築が読み取れて、実に興味深い。深度の必要性はこうした事例からも感じられます。


















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韓国のアートを活性化させ、政府も支援する「多元芸術」とは? - 舞台・演劇インタビュー : CINRA.NET
http://www.cinra.net/interview/201410-seohyunsuk


「韓国や中国のほうがエッジに進んでる」みたいなことはなかよしのあーてすとのひとも言ってた(ので今度の横浜美術館の次の展覧会とか気になってる)

蔡國強展:帰去来 | 開催中の展覧会・予告 | 展覧会 | 横浜美術館
http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20150711-449.html




東京に対する、緩やかでシリアスな危機感 羊屋白玉インタビュー - アート・デザインインタビュー : CINRA.NET
http://www.cinra.net/interview/201411-hitsujiyashirotama





踊りに行くぜ!!vol.1〜10 アーカイブ
http://odorini.jcdn.org/modules/odorini9/


index - 「踊りに行くぜ!!」IIセカンド
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