2015年04月06日

川村壮志、2014,「謝るなら、いつでもおいで」




謝るなら、いつでもおいで -
謝るなら、いつでもおいで -




カワサキでの中1男子殺人事件に対するメディアやTwitterをはじめとしたネットでの扱い、あるいはISISに囚われた日本人捕虜の殺害に関するメディアの扱い方、自分たちの受け止め方について少し考えてみたくなり関連の本としたうちの一冊。

この本に期待/興味をもったのは事件報道の偏向、事件として型にはめる際にこぼれていくこととその取材→編集の実際をあらためて現場レベル(裏側)から見たい、というのもあったのだけれど、タイトルにもあるように被害者親族の赦し、そして赦しを通じた喪失という心的外傷からの回復がどのような心理過程を経て成されたのか読んでみたいと思ったから。


 ひとつの事件が終わると、僕たちはまた次の痛ましい事件へと心を奪われてしまう。活きの良い「ネタ」に目移りする割には、そのまなざしは判で押したようで、あらかじめ手垢にまみれている。
 成熟した大人も、未熟な子どもも、むごい事件という視点のみで切り出して、同じような出来合いの「被害者」像に押し込める。加害者像へのアプローチの仕方だって同じだ。ためらいもせずに「加害者」というグロテスクな鋳型にはめこみ、ジャンクな情報に紛れ込ませてしまう。
 そして、時が経てば、僕たちはそんなことすら、跡形もなく忘れてしまう。

 でも、残された側には、このまま事件をお仕舞いにできないわだかまりが残る。
 御手洗さんはその後、佐世保支局にたまに顔を出すことはあったが、復職することなく春になると福岡に転勤した。加害少女の父親は無言を貫いたまま。中学生だった怜美ちゃんのお兄ちゃんとも、結局まともな会話もできず、さよならさえ言わずに別れてしまった。






結論から言うとそれは赦しというわけでもなく、回復というのともすこし違った。被害者の父親である御手洗さんの言葉にもあったように「謝られたからといって簡単に許せるものでもない。むしろもっと別の感情が出てきてしまうかもしれない」というようなものだった。「謝って済む問題でもないし、ただそこにあるのは『怜美を返してくれ』という気持ちだけ。でもそれは取り返しがつかない。。やり直せないことなんてないとはいうけれどこの世には本当に取り返せないことがあるのだと知った」「だからといって加害者に、あるいは加害者親族にずっと謝り続けてくれというのとも違う。。その謝罪のナルシシズムのなかで罪を風化させるのではなく、それを抱えつつふつうに生きてほしい」。前者は御手洗さんのお父さんの言葉で、後者はお兄ちゃんの言葉。言葉にすれば簡単なものに感じられるけれど、この言葉が出てくるまでの、この心情に至るまでの経緯や時間は一過性のニュースとして消費されるそれからすると深く重く、こういった事件が関係者全員の人生を巻き込んでいくものなのだなと認識できた。


「謝るなら、いつでもおいで」はこういった経緯からのお兄ちゃんの言葉になる。



「少年事件は楽に数字を取れる」が招いたこと:日経ビジネスオンライン
http://nkbp.jp/19XILrT


池上:まずタイトルがいいなと思って、手にとりました。『謝るなら、いつでもおいで』。最初は被害者のお父さんの言葉だろうと思いました。事件当時、お父さんがテレビに出ていたけれど、取り乱している感じがあまりなくて、きちんと事件を受け止めていらっしゃる印象があったからです。「あのお父さんだったらこう言うかもしれない」と思って手に取ったんですが、読んでみたら「ああ、こっちか」という驚きがありました。

川名:最初にタネ明かししてしまうんですが、この言葉を発したのは、被害者の怜美(さとみ)ちゃんの3歳上のお兄ちゃんです。本の題字もお兄ちゃんに書いてもらいました。



池上:ある意味、川名さんも当事者ですよね。こういう本を出していいのか、という思いはありませんでしたか?

川名:事件後、僕は新聞記者として、被害者の遺族にも、加害者の家族にも、学校の先生にも何度も取材して、新聞記事はたくさん書いていました。だけど一方で、取材すればするほど、新聞記事の断片的な情報ではどうしても抜け落ちてしまうものがあることも痛感していました。

 ある程度まとまった形で伝えられたらとずっと思っていたけれど、池上さんが指摘するように、僕はあの事件を語るのに、マスコミという立場には徹しきれないんです。マスコミという立場を少し離れて語ろうと思ったときに、じゃあ僕が勝手に書いていいのだろうかという迷いはありました。迷いながら、取材は続けていたんです。

 お兄ちゃんに対しては、彼が20歳になったら取材をしようと決めていました。彼は怜美ちゃんと本当に仲が良かった。初めて取材した時にお兄ちゃんが語った言葉が「謝るなら、いつでもおいで」なんです。加害少女に向けたその言葉を聞いたとき、迷いが消えました。

川名:池上さんはよく「報道しないことは存在しないことだ」とおっしゃっていますが、報じなければ、この言葉は存在しなかったことになってしまう。残酷な事件ノンフィクションではなく、娘や妹を失った家族の物語として伝えなければいけないと強く思いました。

池上:この本には、14歳から20歳までの6年間のお兄ちゃんの苦悩や葛藤、心の軌跡も書かれています。本になって初めて、私にも読者にも伝わったわけですね。

川名:お兄ちゃんにインタビューをしながら録音をしていたんですが、後で文字に起こしたものを彼に渡しました。昨年、お兄ちゃんが事件後10年経って初めてマスコミの前に出たことがニュースになっていましたが、彼は「そのインタビューが救いになった」と話していたんです。自分の思いをマグマのようにずっと溜めていたけれど、僕の取材を受けたことで初めて吐き出せた。1歩前に踏み出すきっかけになった、と。



池上:「取材するとは一体どういうことだろうか」と、私もいまでも悩むことがあります。事件が起こると現場に殺到して、被害者の家族に「今のお気持ちは?」と聞いたり、人の心に土足で踏むこむバカな記者がいます。一方で、川名さんのように、相手の話をただじっくり聴くというのも取材なんですよね。取材することが、結果的に相手のつらさを減らすことにつながることもある。それはいい取材だと思うし、記者としてうれしいですよね。

 少年犯罪が起こると、メディアはすぐに「心の闇」とか書くでしょう?「心の闇」ってキャッチーなフレーズだから何か説明されたみたいな気になるけれど、よく考えたら何のことか分からない。何も言ってないんですよね。






事件当時は加害少女が11歳で少年法的にかなり守られた立場にいたため詳細な情報が記者たちにも回ってこなかった。そのため「加害少女はインターネットが得意で」といった断片情報から『専門家』にコメントが依頼され編集し都合よく飾られていった。

 すこし乱暴な言い方かもしれないが、一部のメディアにとって、犯罪報道は、たとえそれが憶測混じりの情報だとしても、「とった者勝ち」「書いた者勝ち」だ。真偽も中身も二の次なのである。
 それはたとえば、些細なエピソードを寄せ集めて、雑に固めただけの、まがまがしい異形の物語、あるいは、被害者の無念の断片をつぎはぎにして紡ぎだす、みじめな復讐譚。どっちにしても、谷底に突き落とされた両者に対する高みの見物。そんなものは雰囲気だけで空っぽの社会正義だ。

 加害者の肩を持つ気持ちはさらさらないのだけれど、僕としても、そうしたアプローチの仕方に釈然としない気持ちもあった。


「加害少女はクラブ活動のバスケットボールに熱中していたが、それを禁じられたフラストレーションが」→「親の過度の抑圧が」などもその一環としてあった。

じっさいは教育熱心な親による抑圧ではなく、学校までの通学に1時間に1本のバスに乗る必要があるような人里離れた山奥に住み、バスケットボールの帰りには暗い夜道を帰らなければならないことを親が心配したからだった。


「加害者の親は子供に目が行き届いていなかった」「子供に愛情をそそいでいなかった」ということについては上記の様な感じで、印象としては世間並みの、あるいはそれ以上の心配を子供にかけていた親だったように感じられた。「子供が理解できていなかった」という点では被害者親族のそれと同等なぐらいの。そして被害者親族も世間並み、あるいはそれ以上に子どもとコミュニケーションができていたように感じられた。もちろんこの年頃の女の子のプライバシーな部分にはなかなか踏み込み難かったけれど。


「なぜこのようなことが起きたか?」「なにに原因があったか?」ということについては本書を読んだ限りではけっきょくはっきりとしたことはわからなくて、印象としては「だれでも少なからず持っているもの、例えば友人との関係におけるフラストレーションと悪い感情、環境による孤独、そのはけ口や幻想の結びつきなどが偶然に重なり、ガス抜きの方法のないまま膨らんでいってしまった」ということ。

「たすけて、怜美ちゃんが死んじゃう」

という言葉は現実遊離的なもの、他人然とした異常さを想わせるのだけれど、背景としてはこのコも抗えない流れのようなものに流されて気づいたらそういうことになっていたのかもしれない。


「どこにでもある子どものけんか、常軌を逸したレベルではないんだよ。それにもかかわらず、あの子は自分の報復に屈しない相手への憎悪を膨らませて、精神的に自分を追い込んでいっちゃったんだ――」



実際のところはわからないしこの本を自分が読んだことからの印象にすぎないのだけれど。そして、過度に加害者弁護になるのは避けたいという気持ちもある。




大人たちはそういったボタンの掛け違え的なものも感じていて「だからこそ自分があのときもうちょっとなんとかできなかったか、、」「あのときの笑顔のうらにそういうことがあったのか(だったらあのときもっと言葉をかけ、そのときの心情を導き出せなかったのだろうか?)」と悔やむ。


でも、それもタラレバ論の取り返しの付かないことであることをわかりつつも




「さっちゃん。今どこにいるんだ。母さんには、もう会えたかい。どこで遊んでいるんだい。

 さっちゃん。さとみ。思い出さなきゃ、泣かなきゃ、とすると、喉仏が飛び出しそうになる。お腹のなかで熱いボールがゴロゴロ回る。気がついたら歯を噛みしめている。言葉がうまくしゃべれなくなる。何も考えられなくなる。


 もう嫌だ。母さんが死んだ後も、父さんはおかしくなったけれど。それ以上おかしくなるのか。

 あの日。さっちゃんを学校に送り出した時の言葉が最後だったね。洗濯物を洗濯機から取り出していた父さんの横を、風のように走っていった、さっちゃん。顔は見てないけど、確か、左手に給食当番が着る服を入れた白い袋を持っていたのは覚えている。

「体操服は要らないのか」「イラナーイ」
「忘れ物ないなー」「ナーイ」

 うちの、いつもの、朝のやりとりだったね。

 5人で、いろんな所に遊びに行ったね。東京ディズニーランドでのことは今でも忘れない。シンデレラ城に入ってすぐ、泣き出したから父さんと二人で先に外に出たよな。父さんは最後まで行きたかったのに。なんてね。
 でも、本当にさっちゃんは、すぐに友達ができたよな。これはもう、父さんにはできなこと。母さん譲りの才能だった。だから、だから、父さんは勝手に安心していた。いや、安心したかった。転校後のさっちゃんを見て。
 母さんがいなくなった寂しさで何かの拍子に落ち込む父さんは、弱音を吐いてばかりだった。

「ポジティブじゃなきゃ駄目よ、父さん」「くよくよしたって仕方ないじゃない」。何度言われたことか。
 それと家事をしないことに爆発した。ひどい父さんだな。許してくれ。
 家の中にはさっちゃん愛用のマグカップ。ご飯とおつゆの茶碗、箸、他にもたくさん、ある。でも、さっちゃんはいない。
 ふと我に返ると時間が過ぎている。俺は今、一体何をしているんだ、としばらく考え込む。いつもなら今日の晩飯何にしようか、と考えているはずなのに、何もしていない。ニコニコしながら「今日の晩御飯なあに」と聞いてくるさっちゃんは、いない。
 なぜ「いない」のか。それが「分からない」。新聞やテレビのニュースに父さんや、さっちゃんの名前が出ている。それが、なぜ出ているのか、飲み込めない。
 頭が回らないっていうことは、こういうことなのか。さっちゃんがいないことを受け止められないってことは、こういうことなのか。これを書いている時は冷静なつもりだけど、書き終えたら元に戻るんだろうな、と思う。
 
 さっちゃん、ごめんな。もう家の事はしなくていいから。遊んでいいよ、遊んで。

 お菓子もアイスも、いっぱい食べていいから」





 あの子がどういう風に生きていくのかということを、僕は被害者側から求めるべきではないとも思っているんです。本人が考えて、本人が生き方を選ぶしかない。僕にとって不満になることもあるかもしれない。でもそれは、そういうものなんだと思う。
 僕としては、相手がこちら側の苦しみをわかっているってことを、見せてほしいというか。そういう言い回ししかできないんだよね。何をしたら僕が納得するかというのは、僕自身もわからない。彼女がどんな生き方をしようと、納得しないんじゃないかとすら思う。そんなに人間できてないし。

 つまりね、今のこの社会の触法少年の処遇のあり方でいえば、あの子は自分の過去から逃げようと思えば逃げられるんです。それは、被害を受けた側からすれば、悔しいけれど、受け入れるしかない。そうあってほしくないな、と思うだけ。それが今の社会の合意であるし、安易な厳罰化に走っても、何も解決されないと思っている。
 あの子にも、生きていれば楽しいことや嬉しい事があると思う。それを否定する気はないんです。背負ってほしいけど、でも人生そのものは全うしてほしいというか。あの子への思いを聞かれると、それはいつも僕にとって、自己矛盾なんです。
 だから、僕が最後、死ぬ間際に、あの子も怜美の死を悼んでくれたんだな、と思えればいい。そういうことなんですよ。たぶんその直前までずっと、そういうふうに思い続けると思うんですよ。





被害者のお父さんは事件当初から心が虚ろになり、止まってしまうとコワレてしまうことを避けるように事件の話題を避け、事件からはなるべく身を引いて普段の生活をおくるようにしていた。それは被害者のお兄ちやんも同じで当初から事件を受け止めらなかったのは同じだったのだけれど、母親がいない家庭でお兄ちゃんが母親代わり的な位置をこなしていたのもあって感情を素直に発散する/悲しみや怒りとして発散することができないような状態にあった。事件後は事件から目を背けるように部活や受験勉強に没頭していたけれど、それが終わった高校生活からそのショックが襲ってきた。お兄ちゃんはPTSD的に鬱になっていき、とうとう学校に通えなくなり、進学校を退学し、しばらくしてドロップアウトした子たちが通う学校に通うようになり、そこでもまだトラウマを引きずっていたこともあってギリギリの単位でなんとか卒業した。加害者のおとうさんとおかあさんは狭い街のなかで職を終われ、けっきょく離婚し、それでもお父さんは加害者の女の子が帰ってくる場所、更生施設から出てきた時に施設に通っていたことがわかりにくいようにするために住所を変えずに留まった。ずっと被害者や被害者の家族に申し訳ないと手紙を送りつつ(あの子が謝りたくなった時に手紙が途絶えていたら謝るきっかけをうしなってしまうかもしれないから)。


 怜美が死んでからの親父さんは、今まで見たことのないような親父さんで、やっぱり堪えました。
 それを見たら「自分がこの先どうなるか」より、「親父さんがどうかなっちゃうんじゃないか」の方が心配でした。「怜美の後を追うんじゃないか」って思いましたから。
 最初のホテルで会ったときも、完全に目の焦点が合ってなくて、僕を見ているのか見ていないのかわかりませんでした。生気が抜けている。マスコミの前では遺族の会見なんてやってたけど、自分たちといるときは、そんな感じでした。正常な状態じゃない。
 だから、逆に僕は極端に冷静になっていた。「さて、どうしようか」と思う自分がいました。親父さんとホテルで会ったときから、僕は感情を殺しちゃった。


 親父さんは、二人でいるときはダメでしたね。ほとんど上の空。声をかけるまで、僕の存在にも気づいてもらえない。あのころ親父さんは、僕に全然気づいていなかったと思います。
 今思えば、僕は当時、14歳ですよね。やっぱりかなり子どもでした。まだまだガキ。それなのに、不必要に大人になってしまった。親父さんを見て、「余計な負担をかけてはいけない」と思いこんでしまったところがありました。変に落ち着いていて、取り乱すことができなかった。



 怒りは少なからずあっても、相手の両親に対して、何を思えばいいのかわからないという感じでした。だって、やったのは女の子。女の子に対しては怒りがあるのはわかるんです。怜美を殺しちゃってるから。でも、親に対しては、どういうふうに怒りをぶつけていいのかわからない。
 それでも、何かイライラするんです。何に対して怒っているのか、ぶつけるべき怒りが何なのか、自分でもわかっていなかったです。怒るのは間違いなく怒っている。でも、それをぶつけるところがわからなかった。
 
 親父さんについての思いは……。親父さんには、怒るに怒れない。相手の親と一緒で、何に対して怒ればいいのかわからない。


 もし彼女が謝罪に来るのなら、「会うのが怖い」という感情は僕にはない。きちんと会うべきだと思う。僕も相手も、対等な関係で。もう小学生と違って、責任が生じてくる年齢ですから。自分のしたことをまったく理解できいない当時に謝られても、どう思えばいいのかわからないけれど、自分がやったことがわかっているはずの今、きちんと謝ってほしい。その方が、スッキリする。
 逆に「会わせられる状態にない」というのなら、それは「国が再教育に失敗したんだ」ってぐらいには僕は思っています。
 あの子を憎んでも仕方がない。なんというか、こっちが疲れるだけですから。親父さんも軽々しく復讐とかは言わないですよね。
 相手にウジウジと悩まれるのも嫌なんですよ。お互いにひきずりたくないというか。こちらも、今までのことを断ち切って前に進みたいという思いがある。諦めじゃなくて、結果として僕が前に進めるから、一回謝ってほしい。謝るならいつでもおいで、って。それだけ。
 結局、僕、あの子に同じ社会で生きていてほしいと思っていますから。僕がいるところできちんと生きろ、と。

 彼女には、普通に生きてほしい。
 波瀾万丈なものは僕自身がいらないというのもあるし、一回の謝罪があれば、あとは、それなりの人生を歩んでほしいです。こっちはこっちで普通に生きていくつもりだから。相手もまだまだ何十年も生きなきゃいけないし、ずーっと謝られても、こっちが困る。特に危ないことをせずに、普段の生活を大切にして生きてほしいということです。


 彼女とは、ある程度、かかわりが切れた状態のまま、平行線で進んだ方がいいと思う。逆に近づけば近づくほど摩擦が起きて、自分のなかにも葛藤が起きる。離れれば、それもまたおかしな話です。お互いがお互いのことを考えてはいるけれど、それだけを見続けることはできない。それでも、相手にちゃんと眼は向けられている、という関係がいいと思います。
 相手が近づいて、一度きちんと謝る。謝ってもらった後は、お互い自分の生活に戻る。
 「あなたはあなたの人生を好きに歩みなさい。僕も好きに歩む」ってこと。忘れてはいけないけれど、頭のどこかに入れておく。(手を30センチぐらい広げて)こういう距離。平行線のまま。その結果が普通に生きる。僕にとって、いま一番の理想かな。
 それはやっぱり、忘れることとは違う。手を合わせる時間はつくってほしいなとは思います。一年に一回、命日のときだけでもいいから。










--
熊倉伸宏、2000、「死の欲動  臨床人間学ノート」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/415586919.html





posted by m_um_u at 21:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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