2015年03月14日

熊倉伸宏、2000、「死の欲動  臨床人間学ノート」




あんたが

もういないってことが

ゆっくりと重なっていく


その重さが  ずっと願わせる


あんたのような人も

その周りの人達も

どうか


やさしい 自分で


いられるように













死の欲動―臨床人間学ノート -
死の欲動―臨床人間学ノート -



死の欲動についてちゃんと読んでみようと想ったのはどういうきっかけだったか。

ついったのTLほかで死にたいという人という人たちを気にして「だいじょうぶだよ」と慰めるためか、現代人一般に共通するテーマとして一度しっかりと理解してみたいと思ったからか、それとも、自分が抱えてきたそれをもう一度俯瞰し相対化するためか。


直近ではリビドーとの関連でタナトスを思い、そのあたりへの心理学的位置づけ、理解をもう少し眺めたく思ったからだった。


愛はさだめ、さだめは死?: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414133706.html

性的唯幻論序説メモ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414217494.html


結論から言えばそれは心理学的にきちんと位置づけされてない。

死の欲動というテーマはフロイドの設定であり「人にはもともと死の欲動があるのではないか?」という視角から始めれば説明がしがたいだけで、もっと別の切り口からなら死の欲動も現状で理解されている心理構造全般のひとつとして措定できるということなのかもだけど。



基本的に、フロイドがなぜ死の欲動というテーマ設定を行い、それに関心をもつようになったか。

それはあまたの臨床を通じて快感原則を基本にすると理解しづらい事例が出てきて、それらの多くは近代化による価値観の変化、多くは性行動の様式変化に起因するところがあったようなのでリビドーの問題として片付けられていったのだけれど、そのリビドーの問題でも解けない謎として自殺願望が残っていったから。

あるいは、フロイド自身の問題としてそれが切実に残っていった。

後期フロイドが死の欲動に関心をもったのは、娘の死という遠因もあるかもだが、喉頭がんという病を得たというところが大きかったみたい。1923年に喉頭がんであることが発覚してからモルヒネによる積極的安楽死を選んだ1939年までの闘病生活はフロイドが死の考察をはじめ終えるまでの期間と一致する。病を通じて、自身のリアルな問題として、あるいは人間観や人生観の変化を通じてそのようなテーマが見つめられていったのだろう。


岸田秀によるフロイド理解などでは死の欲動は攻撃衝動(cf.アドラー)と区別がつきにくく、サディステックな破壊衝動の原因は乳幼児期の全能感の喪失 → 不全感からの逃走にあるとする。つまり母との一体における全能感を失う痛みから逃れるために、その痛み・自信喪失を外部を攻撃することによって逸らした。


そのようにしてできあがっていったのがヘテロ男性の群れ的セクシャリティに基づいた男根的権威社会とされるのだけれど。


フロイド - 熊倉の理解では死の欲動は破壊衝動とは直接に結びついていない。

「それは人に元からあるものではないか?」「人には元に戻ろうとする性質があり、無機物としてのそれに戻ろうとしているのではないか?」「普段は我々は生の幻想にドライブされているが、ふとした瞬間こちらが思い出される」

「死は人とともにいつもある」「死を忘れるな」というとなにやら耽美的な甘い誘惑の香りがするのだけれど、そういった人文・雰囲気なはなしでもなく、「死」というはっきりとした概念以前のカオスとしてそういったものがあるのではないか?というのが現時点での、あるいは熊倉を通じた自分の認識としてある。

これは本書の全体の説明としては話が長くなって逸れるので後述しよう。


本書の構成は前半は臨床、中盤は理論・死ぬ権利についての医学的位置づけと処置などのまとめ、後半は臨床に際してのエッセイとなる。


理論的な位置づけが気になって読み始めたのだけれど結果的にエッセイ部分がいちばん読み応えがありエントリとして残しておきたくなった。復習(暗黙知→明示化)的なお勉強にもなるだろし。



そのいちばんの誘因としては「治療者として客観的な立ち位置、他人ごととして振る舞うのではなく自ら患者と同じ位置に立って考えていく(痛みをその都度引き受けて一緒に考えていく)」という姿勢に誠実と真摯を感じたから。よくいる単に理知を振りかざして対象を分析したつもりになってズタズタに切り裂くような安っぽい精神分析医を想うとこういうのには救われる。


精神科医は傷つかない、死に対する耐性が人より優れていると想われがちだがきちんと患者と向き合う場合、その死と生、出会いは個別の一回性をもつものでありその一回一回で精神を消耗していく。


私たちは人間の無限性をみすえ、それを有限な言葉でかたる技術を求められる。衝撃的体験を生きた言葉に結晶化することなしに、治療は進行しない。精神科医は衝撃にたいする感性と耐性、さらに、それを言葉に表現する技術をもたなくてはならない。この不可能に思える要求に、なぜ私以外の精神科医は耐えられるのだろうか。なぜ限られた存在である私たちが、単に精神科医であるという事実だけで、ある時、ある人に対して、その死を語り合えるのだろうか。治療者の何が、自殺念慮をもつ人と話し合うことを可能にするのか、すでに底なしの沼のような人間研究が、はじまっている。




良い臨床家はおおきな理論で上から患者を引き裂き、ピンで止めて観察・収集するために存在するのではなく、患者とともに寄り添い、同じ痛み・問題を共有してすこしでも患者の重みを減らしていくことを旨とする。



治療者は「死の願望」と「生きる意思」の過酷で危険な戦いの、共感的な目撃者となる。そして「生きる意志」の強さを患者が自覚したとき、はじめて退院が積極的な治療的意義をもつに至る。その時、「もし死にたい気持ちを抑えられなくなったら、必ず助けを求めるように」と念を押して退院させることが可能になる。上記の精神療法的なサポートで不十分と思えば、私はさらにケア・マネージャーの役割を負い、保健婦や福祉のワーカーによる援助など、サポート体制の確立に精を出せばよい。「死の願望」への恐怖を治療者一人で支えるのが不安ならば、多数で共有すればよい。






死の欲動 - 自己破壊衝動と攻撃衝動の違いを明確化することの意義について、熊倉は以下のように記している。



「死の欲動」論の業績は、自殺を単に「攻撃性の内向」と理解することに満足せず、人間心理の深部に、底知れぬ破壊性が潜むことを白日の下に暴いたことにあった。しかも、そのような死の欲動は人間一般に根強く存在するとされた。それこそが快楽原則の彼岸に、彼が見いだしたものであった。その結果、自殺を、一時的な死の欲動の反復強迫によって、なす術もなく圧倒された自我から理解することが可能になった。つまりFreudは精神療法において死を主題化し得たのであり、これだけでも貴重な業績であった。



自殺衝動に憑かれたとき、それは自殺の意志というよりも心のなかに反復してくる「死ネバイイノニ」という言葉の強迫で、それをもってだんだんと精神をすり減らせていくところがある。それを自身の本当に望むことと錯覚して。

しかし、この「死ネバイイノニ」という言葉が自分とは別個のナニカが自身の内部から発しているもの、と考えればどうだろうか?


自分 - 自我は理性の産物で人が現代的な日常生活を送るときに必要なものではありコンピュータで言えばOSのようなものだと想う。しかし、OSはひと- コンピュータ全体ではなくあくまで基本ソフトとして駆動されてるだけで、OSとは別の部分がコンピュータの内部にはある。同様に人の深部には自分でも制御できないナニカがある。それをフロイドは「Es(それ)」と名付け保留した。


熊倉はそれを「自然」と呼ぶ。人間理性の内部に残された、人工のなかに残された自然。あるいは混沌とされるもの。


そういうのは普段だとあまり意識されないのだけれど、たとえば夢を見て、普段の自分が思ってもないような行動 - 欲をもって行動しているとき、他人を破壊したり殺害したりすることに積極的な自分をして自分を疑うというようなことがある。あるいは吹っ切れたはずの恋愛、かつての恋人や友人が夢の中に現れることで夢から覚めたあとに「ほんとは自分は彼(女)と復縁したいのではないか?」と煩悶したり。



それらはおそらく理性 - 言葉のシステムと自然 - 身体のシステムの齟齬で生じるもので、夢で映るそれは鏡に映るそれのようにソレソノモノではないのだろう。鏡や光の屈折のようなもの。なので、理性がソレソノモノをそのまま受け取ってしまうとズレてしまう。もちろん理性が誤謬を抱えていることもあるだろうけど。


人は自らのうちなる自然 - 混沌、あるいは自らの外部の混沌に無力さを感じたとき確固たるなにかを求めるようになる。


近代以前はそれは神であったが、神無き時代、あるいは神を求めることが非理性的であると現代的常識から批判される時代、宗教を信仰することはナンセンスとされ迷える人々の安易な救済を妨げる。

熊倉はそこで「なぜ現代人はこのような無力さに平気でいられるのだろうか?」「無力さ、絶望を感じられないほど鈍感なのだろうか?」と説く。それ自体が反語を含んでいるのだろうけど、ひとつには彼らは強烈な祝祭空間の光の中で、自らの闇を見いだせなくなっているのだろう。

銀色シート|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n8cb362101020


「心の闇」という言葉で片付けるとなんだかわかったような気持ちになる簡単さがあるけれど、それは闇というより混沌で、だれでも抱えている自然であり邪悪なのだろう。


銀座ギャラリー巡り|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/n00593a950050


生は悪を抱えている。

そこに悪意と悪の様式が紐付けば社会に対する悪となるだけで、人は最初から悪を抱えている。あるいは「悪」と名付けられる以前のナニカ気味の悪いもの(es)を。「邪悪」「悪」とわれわれの狭い倫理で解釈される以前の歪なものが「性」 - 「生」-「生きる」ということなのだ。


「寄生獣」では人間がガイアに対する寄生虫であるというところから出発していたけれど、岩明均の眼は人の深部にあるこの部分を見つめていた(その意味で寄生獣 - ミギーはesの表象だった)。




それを自覚したとき、自暴自棄になって悪の様式に走らないように、人としてうつくしく生きるために内部に夫々の格律、流儀が必要となる。





熊倉 - 土居はそれを信仰といった。光であり信仰と。


私は精神療法を、主に、「甘えの構造」の著書で知られた土居健郎先生から学んだ。彼は何年も前のこと、ある論文に「治療の場を照らしだす光があると信じる」と書いた。それは彼の治療を基底で支える信仰告白のようであった。治療者が「隠れた信仰」を持たなければ、患者の示す真実に立ち向かうことができない、と彼は書いた。若い頃、私はこの言葉に強く反撥した。臨床実践に「光」などという宗教的表現をもちこむことを、ひどく嫌ったのである。医学は、そのようなものから独立した方法と論理を保たなくてはならない、と素朴に思ったのである。それにもかかわらず、彼の問いかけは私の心から離れることはなかった。そして本書は、人と人との出会いを支える未知なもの、私自身すら自覚していない自己、人間を照らし出す「光」への私なりの探求の試みとなった。




そして、熊倉は自らがやっていることを臨床心理学ではなく臨床人間学と呼ぶ。



本書は主に二人の自殺願望を抱えた患者、フユコとヒカリとの対話を通じて編まれていった。一人は旅立ち、一人は遺った。

「先生は残酷です」という言葉に込められた患者の思い、自身の無理解への鈍感と無力さを熊倉は抱え続け、ヒカリとの対話を通じて再生していった。


ハイデガーを専攻した哲学徒であるヒカリとの対話は自身も生の哲学ほか現代思想への知見を持った熊倉のそれも刺激的なものであったはずだけれど、熊倉は自身の言葉を本書に残していない。しかし、ヒカリの「先生は尊敬できる人」という態度から、その内容の濃さと誠実さが想像できる。





見えないもの / 描かれていないものを敢えて想像させるために配置すること。それは熊倉が不確実なものの例として引いた鍋島焼きの皿の図柄そのものだったのかと想える。円形の白磁一杯に満開の桜を配しつつ中心に真空の円を遺すそれは人の生と死のエニグマ、コップの底に溶けずに残った角砂糖の断片のようなものかもしれない。




















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ヤサシイワタシ(1) (アフタヌーンKC) -
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ヤサシイワタシ(2)<完> (アフタヌーンKC) -
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説得ゲーム (Next comics) -
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不思議な少年(1) (モーニング KC) -
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「甘え」の構造 [増補普及版] -
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夜を愛し、余すところなく死んで、三位を統べる: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/200174686.html

posted by m_um_u at 11:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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