2015年02月17日

性的唯幻論序説メモ



ちゃんと文章にするのもめんどくさいので箇条書き的なメモ。


性的唯幻論序説―「やられる」セックスはもういらない (文春文庫) -
性的唯幻論序説―「やられる」セックスはもういらない (文春文庫) -


「読みつつ思った」みたいなのはtogetterにもまとめたんだけど。


性欲以前の性欲的なもの、と、人の「知的」好奇心 - リビドーについて - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/780707


こっちのほうはよりレジュメぽく(んじゃ以下はそういうメモ)












胎内回帰願望が生じたとき、女の性欲も男と同じように形成されるがペニスがないこと→逆転して膣にペニスを受け入れる形に変わらなければならないことからある日おとこの性欲を諦めて不承不承、女になることを承認させられる。これがいわゆる「去勢コンプレックス」といわれるものである。


動物は発情してないメスに発情しない。強姦があるのは人間だけである。また、人間は発情を人工的にうながすための性幻想によって始終発情していることになる。

強姦問題において勘違い男(性幻想の病に憑かれた痴漢など)が「あの女が誘った」「スキがあった」などというのはセカンドレイプ的な言いがかりということが往々だが、実際わざとスキを見せて誘う女も居る。なぜそんな周りくどいことをするかというと男性中心の性幻想において女の性が取引される社会、恋愛市場→結婚市場が女の身体という商品を巡った取引市場である社会において「すぐにセックスさせる女」=「安い女」と見られて値が下がるから。

以下は女が「スキ」を見せることのメリット



(1)女から積極的にセックスを求めれば、淫乱女・安っぽい女と見られ、女としての商品価値が下がる

(2)自分から求めたのではなく、男に強いられ「やられてしまった」のであれ、控えめで清らかなつつましい女というイメージを自分に対しても人に対しても維持できる。

(3)とくに女の性欲をいやらしいとする文化のなかで、自分の性欲を自覚しないで済む。

(4)セックスの責任・関係が始まった責任を全面的に男に押し付けることができる。したがって、男との関係を続けるとすれば、そのなかで気楽で無責任でいられる。関係が破綻したとしても、男のせいにしておけばいい。

(5)自分はやりたくなかったのに「やられてしまった」、すなわち、セックスが男の一方的な満足のために行われ、その男のセックスも男だけが満足して自分は嫌なのにがまんさせられているという被害者意識を根拠にして、男に罪悪感を抱かせるとか、男より優位に立てるとか、男に何らかの要求をするとかができる。

(6)「スキ」を見せて男が襲ってくるかどうかを試してみる。襲ってくれば、男に対する自分の性的魅力を確認することができ、自信がもてる。自分に対する男の今後の長続きする関心が期待できる。

(7)女から積極的にセックスを求めて拒否されれば恥をかくことになるが、「スキ」を見せるだけなら、男が引っかかってこなくても、大して恥をかかずに済む。

(8)男と別れたくなったときには、関係が無理や強いられて始まったことを根拠にして容易に別れることができる。男を利用するだけ利用して棄てるつもりのときは、特に好都合である。




このような状況のもとでは男も女も性関係に関してさもしく意地汚くならざるを得なかった。このような男女関係においては少しでもずるいほうが必ず得をし、少しでも誠実な方が必ず損をするのであった。



ちなみに男を釣るための外装を整えるための文脈で使われる「女子力」なる言葉はこのような女の身体を交換財とした市場-戦場を想定しマイルドに表現している。それとはべつに「女になること/あること」「女≠セックスの商品」(cf.准売春としての結婚)であることへの保留、モラトリアム的態度、そういった市場からの自由な態度を示すために「女子」なる言葉を使うこともあるが世間的には両方の意味合いがハイブリッドされてることもある。





自己表現としての売春(特に経済的に困ってなくても、あるいは困窮していてもほかに経済的手段があるとしても自らの愉しみ・満足・自己表現として売春する女がいる。(cf.村上春樹「雨やどり」、東電OL事件(上野千鶴子「発情装置」 →あとくされのないセックスへの欲)、酒井あゆみ「売春論」、「自分の内面を見ないでパーツ(性器)としてあつかってくれるほうが楽」(宮台真司「<性の自己決定>原論」))。自らの魅力の確認(cf.承認欲求)と一瞬にしてあくせく働くより楽な金が入ることに麻薬のような魅力を感じる。


回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) -
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫) -

発情装置―エロスのシナリオ -
発情装置―エロスのシナリオ -

売春論 -
売春論 -







レズビアンフェミニストの主張「女にとって男との性交それ自体がすなわち強姦されることであり屈辱であるから断固として拒否すべきである」(ドウォーキン「インターコース」)


インターコース―性的行為の政治学 -
インターコース―性的行為の政治学 -




野坂昭如「エロ事師たち」はポルノの販売を生業にしている男たちの哀歓を描いて絶妙に面白い作品。


エロ事師たち (新潮文庫) -
エロ事師たち (新潮文庫) -

「よう薬屋でホルモンやら精力剤やら売ってるやろ。いうたらわいの商売はそれと同じや、かわった写真、おもろい本読んで、しなびてちんこうなってもたんを、もう一度ニョキッとさしたるんや、人だすけなんやで。いままで何人がわいに礼を言うたか、わいを待ちかねて涙流さんばかりに頼んだ人がおったか、後生のええ商売やで」


「男どもはな……せつない願いを胸に秘めて、もっとちがう女、これが女やという女を求めはんのや。実際にはそんな女、この世にいてえへん。いてえへんが、いてるような錯覚を与えたるのが、わいらの義務ちゅうもんや……エロを通じて世の中のためになる、この誇りを忘れたらあかん……目的は男の救済にあるねん、これがエロ事師の道、エロ道とでもいうかなあ」




ヘルス日記
http://goldkintama.hatenablog.com/






一部の男が愛と性を切り離し女との情緒-愛の絡まない性交を求めるのは乳幼児段階の母親との関係、情緒的に絡めとられ性的に刺激され愛され保護されていたそれ、から解放されあらたな性を獲得するためである(ディナースタイン「性幻想と不安」)。もうひとつの理由は、一人の女との関係を長く続けると情に流されてとっつかまってしまうのではないかと恐れるからである。






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posted by m_um_u at 18:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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