2015年02月16日

愛はさだめ、さだめは死?

これも不完全な内容なのでnoteにしとこうかと思ったけどこっちの続きものだしこっちに出しとこう

意味―性―愛: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414101268.html

















タナトスについてまだちゃんと理解してないし、フロイドの時代のそれとはまた違うのだろうけど。まず最初に快感原則があって、それに反する自己破壊衝動というのはどういうことだ?ってことなんだとおもう。

で、

エロスとタナトスが表裏一体というのは、エロスっていうか性交的な欲、リビドーが他者に向かったもの(性欲に向かったもの)というのは他者破壊衝動ぽい。あるいは女性の場合は自己破壊衝動かもだけど。
「フランス語でそれは小さな死という」オルガスムの様子は死を連想させるし、生理的に考えて他者の体に自分の体を入れる、あるいは、他者の体を受け入れるというのはおかしい。性器以外のところで考えればその異常性がわかると思うんだけど、手を他人の身体に入れてるようなものなので。性器の場合は内蔵が外に出たようなものだろうけど。なので、皮を被った内蔵を内蔵に入れてる状態が性交ということになる。

それは理性的に考えれば異常なんだけど人がソレを異常と思わないのは幻想によったり、それ以前に好奇心的なものだったのではないか?後者のソレはビザール的な関心にも近いようにイメージしてるので、性交というのは基本的にビザールであり異常(cf.ベルメール的な関心)。

エロスという言葉は性欲としてイメージされがちだけど性欲-性交に向かう欲としてのエロス、と、意味-好奇心の狩猟としてのエロスがあって、より汎用性がたかいのは後者なのだとおもう。プラトンが想定してたみたいなの。まだ確かめてないけど。

リビドーが外に向かったものが性欲で、内側にこもったものが自己破壊衝動ぽいんだけど。そこでリビドーとして設定されているものは自我とプラトニックなエロスと他者(環境-身体)との関数なのだと思う。

すなわち、人は最初の不能感から自らを守るため、環境という他者に対する鎧として自我を構築しそれを言葉-幻想によってコーティングしていくのだろうけど、性交という事件を介してそのバランスが崩れがちになる。ソレに対するために性幻想を作り上げたけど、今度はその性幻想によって性欲が喚起され、それが正しく発散されてないとみょーなストレスになる。フロイドーライヒなんかによるとそのストレスが戦争を引き起こすということだけど。あるいは戦争の代替としての資本主義的な競争と闘争。

でも、

もともと性交なるものは他者の破壊と自己の破壊-死を予感させるものだから異常なものであって、、、なんか冗長になってきたので飛ばすか。


自己破壊衝動は自我の誤作動なのではないか?

不能-不全-外界-他者に対する鎧として構築されたはずの自我がなんらかの事件にあったとき、その自我とそれに基づいた生活自体が強固になっているためそれを守るために事件-他者を認めようとしない、世界-他者から自らを守ろうとして居るように思える。そこでその事件に自らを合わせるべく再び自我を変革して貼り直せばよいのだろうけど、それがなかなかできないところが強固になってしまった自我の融通の効かないところなのかな?あるいはサンクコスト的なもの。

そして、「死にたい」「壊せ」あるいは自らがそうなっている情況のイメージ、希死念慮的なイメージの反復がそこに暗示をかける。

「壊せ」というのは正常な?自我との関係で言えば外側に向かうものだろうけど、なんらかの理由でそれが外側-他者に向かわずに自らを苛む方向に向かうことで自閉的に「壊せ」が自己の内部で反復、増幅していくのではないか?もちろんそれがいきすぎれば他者を責めすぎる → 戦争ことになって遺憾ではあるけれど。

なので、鬱の人は基本的に真面目で優しい、みたいなことなのかなと思ふ。

あるいは、自我の変革に対する優柔不断もそこにあるのかもだけど。これは当人の環境によってなかなか変革できないものなのかもだからなんとも言い難い。


動物のような状態を想定すれば性交に関するエロスは特に余分な意味付け・幻想(いやらしさ)をもたずにフラットに機能してるだろうし、そこに「死にたい」「生きたい」な思いもないだろう。そう思う以前に単にその瞬間瞬間に「生きてる」。

プラトン的なエロース?を想定した場合でも、エロースは世界との調和・理解を旨とし、破壊・死ではないように思う。

リビドーを中心に語ると性交が中心になりがちだけど、リビドーを「性交という身体を介した他者-世界とのコミュニケーション(意味以前の)をめぐる欲動」と解すると重心は他者-世界との関係ということになる。

平たくいうと「死にたい」のひとは動物のようになればよいし、それができなければ自我を張り替えるか、自我に圧力を与えている情況-環境-他者を変えれば良いのではないか。





死の欲動―臨床人間学ノート -
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「甘え」の構造 [増補普及版] -
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愛はさだめ、さだめは死 (ハヤカワ文庫SF) -
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posted by m_um_u at 07:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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