2015年02月14日

やはりジンメルかあ。。

他人様のエントリも含むし軽く済ませるつもりだったのでnote程度にしとこうかと思ったけど、あとで検索するときに楽だし、思ったより長くなったのでブログにエントリしとこう。


所用で渋谷経由して、おみやげ的にやまやにウイスキー見に行ったら棚にタラモア・デューがあって、そういえばと思い出したので

もし僕らのことばがウィスキーであったなら: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/413977664.html

そのパブで老人は黙ってウイスキーを注文して、チェイサーもなしに飲みつつなにごとかを考えていた。それは抽象的、哲学的ななにかというよりはもっとプラクティカルで現実的な問題を考えているように見えた。

老人が考えていたことはなんなのかはわからないしはっきりさせる気もないのだろうけど、その光景がパブとタラモア・デューの香り、味となって刻まれたのだろう。

村上春樹がここでとりあえずおすすめしていたのは

食前に向くのはきりっとしたジェイムソン、タラモア・デュー、ブッシュミルズ

食後に向くのはまったりとしたパディー、パワーズ、ブッシュミルズモルト


メモっておいてそのうちやまやで見てみよう。渋谷にはかつて山城屋?があってけっこうたのしかったのだけどあそこもなくなってしまって、でもやまやがおもったより使えるので。そこで慣れて物足りなくなったら八重洲の長谷川酒店にいけばいい。あるいははせがわ酒店を「ただしく」楽しむための練習というか。

タラモアデューの老人がウイスキーを舐めながらなにかを考えていたように、自分もフェイマスグラウスを舐めながらぼんやりと考える。

あるいは考えていたことの断片を合わせて言語化していく。



引き続き岸田秀の「性的唯幻論序説」を読みつつ


性的唯幻論序説―「やられる」セックスはもういらない (文春文庫) -
性的唯幻論序説―「やられる」セックスはもういらない (文春文庫) -


ここで出てきたマゾヒズムについての考察と「いやらしさは客体としての女性に宿る」な辺りで去年の課題としハヤニエしていたところを思い出す。

性欲以前の性欲的なもの、と、人の「知的」好奇心 - リビドーについて - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/780707

上野千鶴子、1989、「スカートの下の劇場」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/388711171.html

性的満足におけるココロとカラダについてのぼんやりとした話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/392098324.html

以前のエントリでは「セックスにおいて自分のなかにある不全感-マンゾクは女性のそれに劣るのだろうか(´・ω・`)女性一般でもなく客体としての<女性>であり女性のほうがそれをインストしやすいのだとしたらそういうのをインストした女性に」とすこしコンプレックスが残っていた。岸田を読んでそれが少しスッキリしたように思えたのはその元となってる構造と思われるものについてフロイドー岸田なりに説明してくれたからだろう。仮説であり一つの見方ということではあるが(岸田自身は自信満々だし強力な見方ではあるとおもうけど)。

すなわち、

「本能の壊れた動物である人間の性欲は幻想によってドライブされる」「近代、資本主義社会はそのような幻想を資源として成り立ってきた(フロイド、ヴェーバーの見ていたところはこの辺りとなる」

「ゲマインシャフトでは性的におおらかなところがだいたいだが、ゲゼルシャフトになって性欲が禁忌されるのは禁忌とすることによってたまった不満を労働、あるいは、戦争に対する資源とするためである。すなわち性衝動の抑圧からの反動」

「近代→現代消費産業によってそのような幻想は商品化されさらに拍車をかけられる」

「現代男性の偏った性欲、たとえば強姦への志向、あるいは、婚姻関係であってもパートナーが嫌がっていても性交を求めるようなそれ(嫌がってることや屈辱をあたえることをむしろよろこぶそれ)はこのような背景からの抑圧→サディズム(デストルドー)といえる」

「乳幼児段階の母親との一体の全能感から現世に堕ちることで味わった不全感、器官と性欲の発達の不一致からの不全感に対抗するために人は自我を構築していく。その際、不全を自己のものとして引き受けるか、自他のものとして引き受けるかで違いが出る。後者は破壊衝動-加虐性(デストルドー)と結びつく」

「デストルドーを志向した人々はサディスト的な性向、反対に不全を自らで抱えることを志向した人々はマゾヒスト的な性向を持つ」

「マゾヒズムとは屈辱的状態に囚われた時、屈辱を受動的に受け入れ耐え忍ぶ、のではなく、屈辱から離れた所に自我を置き、自我から屈辱を捉え返し操作する企てである。この屈辱により屈辱を克服することはできないけれど、屈辱から距離をおき、屈辱を免れたような気になることはできる」

「女性は嫌がっていても男性の性欲を受け入れるのが当然という資本主義的価値観において一般的な性幻想-様式を踏襲した場合、男性はサディスト的傾向、女性はマゾヒスト的傾向となる」

「性欲を促進させる刺激として恥ずかしさ・罪深さがある。すなわち禁忌を設定することでそれを乗り越えるインモラルをして自我を強化することに興奮する。キリスト教的価値観を元とする西欧は概して罪の文化圏、日本は恥の文化圏となる」

「罪の文化圏では神との関係において罪が設定されるため目の前の他者との関係よりも『神に対して罪かどうか?』ということが重視される。そのため人前でキスをしても平気ということになる。恥の文化圏では世間体が重視されるため『周りに対して恥ずかしく無いか?』ということが重視される。明治以前、縁側で行水をしたり男女混浴であってもわりと平気だったのはこの辺りの価値観に基づく」


だいたいこんなところが直近の課題に対応する「性的唯幻論」から抜き出した前提になる。

この前提からすると「女性のオーガズムに劣るのでは?(´・ω・`)」的なものは「そういったマンゾクを感じる場合、彼/彼女らがソフトとしている幻想に満足しているだけであって自分はそれらを相対化してしまっているからそれに熱狂できる彼らをして(´・ω・`)してしまうぐらいなのだろう」ということになるだろう。そしてマゾヒズム的なものへの考察も含めて(たぶん某女史の場合は罪と贖罪(罰であり赦し)という幻想にtuneしてたんだとおもう。

自分の場合はたぶんゲマインシャフト的な感覚、あるいは、動物的な感覚に近いのでそういうのはなんとも、、って感じになる。幻想にtuneしてるひとたちからすると恥とか感じてないようだからつまんなく思えるようだけど(cf.相手が興奮してる様子を見て興奮する)。いちおゆっとくとこのときの「動物」というのはキリスト教的性規範からの「ケモノのような」という偏見に属するものではなく、本能の壊れた動物としての人間以前の気高いケモノとしてのソレに当たる。なので一部のジェンダーフリー気取ってる人々が「セクシストめ」だの言ってるのみるとアホかと思える(あの人たちのほうがよほどキリスト教的価値観に染まった差別主義者でありオリエンタリストなので)。

加えていうと「気高いケモノ」にちょっと現代的な性幻想が加味されたぐらいか。料理にちょっと化学調味料を入れるとおいしいぐらいに。


このあたりの課題の出口はけっきょくは生の哲学でありジンメルあたりから見てみようと思っていたようで、別件でこのへんをみてぼんやりと思っていたことともなんとなくリンクした。


第三の新人が日本の実存主義だった: 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/09/post-ab27.html

曽野綾子さんのはなしがかしましいけど、もともと第三の新人が実存主義的なものだったらそんなに問題でもないのだろう。彼女の感じてる日常的な価値観をそのままいってるだけで、それに比べたら虚飾にまみれた世間的価値をオラショするほうがよほど下品だし暴力的なので。まあたしかに、一部問題はあるのでそこは修正してけばいいと思うけど。ふつーに会って対話でもしてれば「あ、そこはいいすぎましたね。でもね、、」て済むような揚げ足取り的な箇所だと思う。

まあ、そういう「世間、馬鹿だなー」というのは良いとして、、

実存主義⇔生の哲学であるから当然このへんはマッチするとして、「神なき時代の幻想の一つ、人工の神として人々は恋愛をもとめ恋愛至上主義的に称揚していった。そこでの恋愛をめぐる価値観・様式は消費産業的にデフォルメされ収奪されている」というあたりに性愛も絡んでくるのだろう。性と愛が分離され文字通りフェティッシュに増殖され、前景化されたそれによって人々の性-愛の生活的実感は疎外されていく。まさにジンメルの対象領域かなとかおもう(あるいはルカーチ)。

小説・文学・詩・歌詞・歌なんかでもそういうのはわかりやすく展開されていて、いわゆるベストセラー的な価値観はそういったものなのだろう。

自分的な課題としては遠藤周作や小島信夫をいちお読んでいこうかなあ、ぐらい。あとは曽根綾子が以前のエントリで触れた女の一生的なエッセイとか価値観に関わるならその辺も。

あとはやはりジンメルだな。









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近代的理性の立ち上がりと国家幻想、そこから疎外されていったものたち、のはなし: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381011164.html




ファシズムの大衆心理 (上) -
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ファシズムの大衆心理 下 -
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タグ:実存
posted by m_um_u at 10:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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