2015年01月13日


日本の名随筆 (31) -
日本の名随筆 (31) -



同書を図書館に返す前にメモっておいてあとでエントリ思い出して自分で愉しんだり、同じ関心がある人にシェアする用の引用メインエントリとして。


一番引用したかった大庭みな子さんのエッセイがほかのエッセイに比べてネットでのまるっと引用率が低かったのは(´・ω・`)なんだけど、でも部分的にも上がってるので自分で打ち込むのサボって人様の借りちゃおう。




幸福な結婚とはいつでも離婚できる状態でありながら、離婚したくない状態である


結婚と離婚と再婚が、大変簡単にできる世の中でも一人の男と、あるいは女とずっと結婚していたいと思うような夫婦が幸せ”だからである。“フリーセックスが日常化した状態でも、同棲していたいと思うような男女は幸せなのである
http://t.co/qVrnCYJ181



欲望にまつわる哀しさや歓びを知らない人間は魅力がない。 美食をしたこともなければ、飢えたこともない人間は殺風景なテーブルに肘をついて殺風景な話しかしないものである。 性的なものの中で多くの人格が培われる。 尊敬、愛情、闘争、克服といったものを自然な形で修得する。性的なものに熱中できない人間はあらゆる情念に不感症である場合が多い。
■大庭みな子■「女の男性論」 2006.10.3: 私が大好きなひとたち
http://www.michikoblog.com/daisuki/2014/12/2006103-267b.html


結婚は友情よりも苛酷で、友情よりも肉親化したものである。結婚における友情は必要条件であるが、十分条件ではない。恋人を友人にするのは簡単だが、魅力のある妻や夫にするには時間がかかる。夫の魅力は妻によって育てられ、妻の魅力は夫によって育てられるものである。二十年間結婚していてもつまらない男の妻は、つまらない女である場合が多いし、長い間結婚していて魅力のある男は魅力のある妻を持っているものである。

子供が幸福なのを見て親が幸福なように、親が幸福なのを見て子供は幸福なのである。親があまり不幸すぎると子どもが親を憎むようになる。子供を不幸にしない程度に親は自分の愉しみを積極的に考えた方がよい。

結婚によって妙な安心感を持っている人は、人をいらいらさせないが、いくらか愚かに見えるし、結局はあまり魅力がない。第三者によって魅力のない人間は配偶者にとっても物足りないものである。
天衣無縫 ≫ 幸福な夫婦
http://bluestick.jp/pug/blog/?p=604


「ちなみにこの文章が書かれたのは1970年」、と

引用拝借したブログの中には大庭さんの文章についての項も設けられてる(あとでみよう)。



「いまからだいぶ前にすでにしてこのような考え方があった」ということの驚きについては自分もすでに記したし、

精選女の一生|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/na464ddd42598

それに関して思うところも述べたので今回は割愛。

「このシリーズを追っていこう」、ぐらい。


宇野千代・大庭みな子 (精選女性随筆集) -
宇野千代・大庭みな子 (精選女性随筆集) -  





なので箇条的に素敵だなと思った随筆の引用メモを進めよう。





その晩もおそく、流し場の下手で中腰になってからだを洗っていると、見かけたことのない女性がそっと身を寄せてきて「すみませんけど」という。

手をとめてそちらを向くと「これで私の衿を剃って下さい」と、持っていた軽便カミソリを祈るように差し出した。剃って上げたいが、カミソリという物を使ったことがないと断ると
「いいんです、スッとやってくれれば」
「大丈夫かしら」
「ええ、簡単でいいんです」と言う。

ためらっている私にカミソリを握らせたのは次のひとことだった。
「明日、私はオヨメに行くんです」
私は二度びっくりしてしまった。

知らない人に衿を剃ってくれ、と頼むのが唐突なら、そんな大事を人に言うことにも驚かされた。 でも少しも図々しさを感じさせないしおらしさが細身のからだに精一杯あふれていた。

私は笑って彼女の背にまわると、左手で髪の毛をよけ、慣れない手つきでその衿足にカミソリの刃を当てた。

明日嫁入るという日、美容院へも行かずに済ます、ゆたかでない人間の喜びのゆたかさが湯気の中で、むこう向きにうなじにたれている、と思った。
『花嫁』 石垣りん - chuo1976 http://bit.ly/1DCTMLV









『銭湯で』

東京では
公衆浴場が十九円に値上げしたので
番台で二十円払うと
一円おつりがくる。

一円はいらない、
と言えるほど
女たちは暮らしにゆとりがなかつたので
たしかにつりを受け取るものの
一円のやり場に困つて
洗面道具のなかに落としたりする。

おかげで
たつぷりお湯につかり
石鹸のとばつちりなどかぶつて
ごきげんなアルミ貨。

一円は将棋なら歩のような位で
お湯のなかで
今にも浮き上がりそうな値打ちのなさ。

お金に
値打ちのないことのしあわせ。

一円玉は
千円札ほど人に苦労もかけず
一万円札ほど罪深くもなく
はだかで健康な女たちと一緒に
お風呂などにはいつている。







彼の長兄は放蕩者で父親の遺産を蕩尽してしまい、大学を出たての彼は、やむなく老母や幼い弟妹を抱えて一 戸を構え、生計の目当てもつかないうちに、どういう理由かは知りませんが、必要に迫られて結婚したのだそうです。 

小さな料理屋の二階で、わずか十人ばかりが集まって、結婚式と披露宴をしました。 

それが終わって二人で新居に入ったのですが、家具も何もないだだっ広いばかりの寒々とした部屋でした。 そこで彼は、「あんまり寂しい結婚だから、せめて今夜はこのままの姿で寝よう」 と、婚礼衣装のまま、二人で初夜を眠ったのだそうです。

その初夜のことが、何十年も経った後にも、甘美な追憶としていつまでも胸の中に蘇るというようなことを書いておられました。

私はそれを読んでとても微笑ましく、羨ましく思いました。
西条八十「初夜」より http://bit.ly/14vdWrQ

ちなみにこれはイェーツの詩からの着想だったらしい。

「若く貧しい私人がある宵、恋人を迎えるのになんの歓待もできない。そこで自分の空想の夢で金銀の刺繍のある美しいじゅうたんを織って敷きつめ、せめてそれを優しい足で踏んで近づけとうたうのである」



Had I the heavens’ embroider’d cloths,
Enwrought with golden and silver light,
The blue and the dim and the dark cloth
Of night and light and half light,
I would spread the cloths under your feet:
But I,being poor, have only my dreams;
I have spread my dream under your feet;
Tread softly because you tread on my dreams.



金色や銀色の光で刺繍した
天上のクロースをもっていたら
青いのや灰色や黒っぽいクロース
夜、昼、夜明けの色のクロース
それらを君の足元に敷いてあげたい
でも貧乏なぼくがもってるのは夢ばかり
だからそれを君の足元に敷いてあげよう
ぼくの夢なのだからそっと踏んで欲しい


(イェイツの詩集「葦を吹き渡る風」から「天上のクロース」Aedh wishes for the Cloths of Heaven(壺齋散人訳)





あとは宇野千代さんと加賀乙彦さんの随筆が印象的だったけどネットに特にないようなので簡単にまとめたり引用したりしよう。



加賀さんはサルトル/ボーヴォワール的な自由恋愛を受けて、「フランスにおける恋愛・結婚のあり方と日本の違い」みたいなテーマだった(「フランスの夫婦と日本の夫婦」)。

曰く、

「フランスの家庭は日本の家庭とほとんど変わない。夫婦の主導権は基本的に夫がとり妻はそれを支える。しかし、(わたしが見た限りでは)夫の職業を妻が理解し積極的に支えている。ともすれば夫が忙しいときにはその代理を務めるほどに」

「どちらが良いとは文化・風土の違いもあるだろうからにわかには断定できない。ただいえることは、フランス式の家庭は公私を含めての共同体であり、日本式の家庭は夫婦で公私を分けあった結果として妻を中心とした私的世界というニュアンスが強いことだ。つまり、日本の夫婦は夫は職場を中心に、妻は家庭を中心にといった具合に役割を分担していて、それなりにすっきり整理されているが、他方、夫は家庭内の些事に無関心、妻は夫の仕事への無理解ということが生じやすい。とくに子供の養育についての父親の役割がうすく、極端にみれば父親喪失ということが生じやすい」。

この辺りは1970年代当時の日本と現在では違ってきていて、昨今の若い男女の結婚観というのはここでのフランス式のようなものが理想-当然とされてきている、あるいは、もっと性別役割分担が緩くなってきているように思われるので「日本では」というわけかたには違和感がある。でも、当時の感覚・生活としてそれが普通だったということをとりあえず留めておこう(そして、そこに「文化的違いがあるのかもね」という懸念があることも)。



宇野千代さんの話はどちらかというと大庭さんのそれを継ぎつつ、あるいは、大庭さんのそれでFAだったように思われるこの辺りの主題に対して経験からの重みというか味わいのようなものを感じさせるものだった(「私の結婚論」)。

「四度の結婚をしてみて想うのは、危機は相手方にある、のみではない、ことが分かってくる。ショートする場合は同じところだからである。相手が違っていても同じ所でカチンと来るのはこっちにコブがあるからである。危機はいつでもこっち側にある。四度も結婚してそれがわかるというのだから馬鹿な話である」

「想うにそのコブはヤキモチが発生するところだったようだ。ヤキモチでは気持ちがこんがらがって整理がつかない。私が冗談に『愛の交通整理』と名前をつけていることは、お互いに『一方通行』を守ることである。自分もする、または自分もした、または自分もああいう場合にはああしそうだ、と観念して相手の通行を黙認することである」

「手を広げて通せん坊をしたくなるかもしれない。しかし通せん坊は交通整理のキソクに違反する」

「よく聞くことだけれど、『私のほうだけは決して浮気はしないのだから、彼には決して浮気はさせない』、という人がある。私はこういう言葉を聞くたびになんだかワカラナイ悲しい気持ちになる。私はこういう人に対して、ごく自然に感情の動きに耳を傾けてごらんなさい、と言いたい気持ちになる。そしてできることなら、ちょっとだけ、浮気をさせてあげたい」

「浮気をするということは決して好いことではない。しかし、悲しいことに私は浮気を一度もしないと断言する人には、相手の気持が分からない、こういうときにはこういう気持ちになる、ということがわからない。」

「悪いことも出来る人が、人の気持ちがよく分かる。私は決して浮気しない、といばって言う人には、人の気持ちはわからない」



武田泰淳さんの「丈夫な女房はありがたい」というエッセイも武田百合子さんの名エッセイと評価を想うとなんだか微笑ましかった。


富士日記〈上〉 (中公文庫) -
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ことばの食卓 (ちくま文庫) -
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日日雑記 (中公文庫) -
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こういう夫妻の様子をみると理知だけでは解決できないところでの夫婦(あるいは他者と寄り添うこと)の意義を希ましくおもふ。









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離婚序章からの帰還(はてな匿名ダイアリー)
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posted by m_um_u at 23:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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