2014年12月10日

人は海、性器はその残照


なんか書き残しな感じがあるのでもうちょっと。

この辺りの話って最初は「女性の身体てそんなに『きれい』な対象なのだろうか?」て思ってたところからだった。


イノセンス: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/410368952.html


特に性器。




性器について、すこし冷静になって理性的に考えれば男性器も女性器も清潔ではなく、なにか野蛮で動物的で、霊長類の長みたいに自負してる人類が身につけているものとしてはふさわしくない。

みょーな突起でみょーな陥没。不格好

なので自由に身体が選べる-デザインできるのだったら性器はいらないと自分は思っていた。

また人間の男女の性交についても同様で、自分はメディアを通じて人間の性交渉の具体(男性器を女性器に挿入して摩擦運動で快感を催し射精し受精する)を識るまで、セックスというのはおしべとおしべが軽く接触し必要な物を交換する程度のものだと思っていた。

それが後に人間があんな野蛮なことをする、、とくに女性器というのは穴なのだと識ってしばらくショックだった。

ちなみにこのときのショックは小林まことさんのおっさん向け漫画に印象するに思う。男性器をまつたけかなんかで表していた。

こういう感性、人のセックスというのはおしべとおしべが、的なものというのはヘンリー・ダーガーにも共通していて、彼もショックを受けたらしいというのは最近知った。



男性器も女性器も不格好で不器用で滑稽で不潔。

特に女性器は男性器に比して内性器がそのままむき出しになったようなもので不潔。

この「不潔」というのは自分の印象だけの問題ではなく、実際に性器周りの衛生問題としてあると思う。

男性器のほうが出っ張りなだけまだ洗いやすい(粘膜と海綿体なのでごしごしとは洗いにくいけど)。

性器を洗うということについては教育的にもデリケートな面があるみたい。あるいは愛情的にも。

男性器-おちんちんのほうはそれでも母親がそれなりに教えて上げるところが多いみたいだけど、女性器は意外とゾンザイにされてるみたいで、そこの母娘という特殊関係が介在するからかなとかちょっと思うけど、愛情みたいなのもここに絡んできてすこしこじれてくる。

なので「自分のまんここわい」「不潔」というヴァギナフォビア的な問題がそのまま愛情の欠損-渇望にも関わり、こじらせ女史的問題の文脈に関連してくる。そしてセックスに依存とか自己肯定感の回復とか自信がどうとか関わってくる。そういうのは女性器-女性だけではなく男性にもある問題だけど、女性のほうがそういう面は強いのかな。




フェミ系のひとたちがここでみょーに性器を表象するのはそういった文脈で、「(自分の)まんここわい」≠「自分に自信がもてない」 → 「まんこをもっと肯定しよう!」≠「自分をもっと肯定しよう!」となってるから。

なので彼女たち的には女性の正統な自己肯定感の回復運動て感じなのだろうけど、俯瞰すればたぶんこじらせ女史問題の系譜なのだと思う。



乳房-おっぱいも准性器ではあるけれどヴァギナと違って不潔がたまりやすいところでもなく、消費市場とメディアを介して「乳房は女性の象徴」-「美しい」という通念が浸透したように想われ、実際自分もその影響を受けてるので特にこういった問題が生じるとは思ってなかったのだけれど、ついったほかでうれぴっぷるの様子見てるとそういうことでもないみたい。おっぱいコンプレックス。

うれぴっぷるの場合は過去の事件の影響とか、彼女の育ってきた環境の影響とかがあるのかなと思うんだけど、女性一般にもおっぱいコンプレックスというのはあるのだろう。「きれいなおっぱい-きたない(不格好)なおっぱい」な問題。


メディアを通して見られるおっぱいのほとんどは理想的なおっぱいの形で、おわん形を基調としつつきちんと整って張りがあって、見栄え的には巨乳だったり、ボリュームはなくても美乳だったりする。そしてきちんとシンメトリー。

でも一般の女性の乳房はそんなに理想どおりでもなく、だいたいの女性の乳房はなんかみょーな凹みがあったり不揃いだったり、みょーに乳首が大きかったり黒かったり、乳房も垂れてたりする。

乳房というのは脂肪を主としてるのだから垂れてるのは当り前なのだけど、メディアを通じて刷り込まれた「理想の張りのあるおっぱい」の形が男性のみならず女性にも思いのほか影響しているのだろう。





そんな感じで女性器も准性器である乳房も元来はそんなに美の対象でもないのだろう。それが消費市場とメディアを通じて当然なものとして通念化してる。


それに対して、女性ということの生得的なうつくしさ、女性ならではのうつくしさみたいなのってあるのだろうか?-あるだろう。


自分的にはそれは独特の曲線で、ウェストンが砂漠やキャベツを通じて表現してみせたものに近い。




あるいは、中世あるいは古典絵画に見られる女性美の感覚。ふくよかさと豊満さ、やさしさと包容力の象徴的な。


そういうものが元来の女性のうつくしさではないかと思う。

それ自体も同時代の文化的背景があって作られた価値観ともいえるかもだけど。




唇と外性器、特に女性の口紅とそれは象徴的に思う。


小陰唇、大陰唇という名前にもあるように女性器の構造は唇のそれと近いのだろう。


それがそのまま素の状態であるときは(口の)唇も性器の唇も似たようなみすぼらしさ、さびしさ、素朴さのようなものを感じさせる。

なので性的な愛撫の内容も両者に共通するものとなる。



唇がそのままの状態であれば体内へ逃げ遅れた内臓の残照程度の滑稽さを感じさせるものだけれど、ある時期から女性はそれを紅く塗る。紅、あるいは彼女たちの好む色で飾る。

それは現代社会の常識的な美の外装-常識としてのおしゃれの一貫ということで彼女たちの大部分に特に深い意図や感慨はないのかもだけど、象徴的には「顔にある性器を紅く塗る」-「わたしはもう性交ができる器が整いましたよ」ということなのだろう。特に調べてないけど古来、紅を塗るとはそういうものだったように思う。


(なのでそこでも下着問題同様、母親による管理と母娘の闘争、確執が生じる ex.「あら、あんたこんな派手な色の、、」「まあ、この子もう口紅してるわ。いやらしい、、」)



人類学的に考えれば上半身の唇に色を塗るのと同じように下半身の唇にも色を塗る文化があってしかるべくように思うけど、そういうものは自分の知る限りではない。

ヴァギナ周りの毛を整えたり無毛にしたり、あるいはヴァギナの色素を抜くなどはあるようだけれど、ヴァギナそのものに紅をさす、とかはないみたい。

あるいは刺青的文化圏ならそれに近いことは行うのかもだけど、刺青の場合は身体全体の装飾の一環として性器にも色や文様を入れるのだろうから「唇だけ強調」というのともすこし違う。

余談だが小児段階での性器周りの手術というのは、機能的には「衛生のため」としつつも象徴的には刺青的なイニシエーションの意味合いを持つように思う。色や文様を彫らない刺青。そこでは性-成熟が管理-統制され、その証として文様が呪される。




女性のフォルムは生得的に美しいのか?という話の続きとして、自分的には女性というのは花のように想える。

花と同様に花弁という外装を飾り、上の唇と下の唇に誘う。

またその佇まいや全体のフォルムも花っぽい。

そういう意味で生花(いけばな)というのはエロティックだなあと思うのだけれど未だ初めておらず、ちょこちょこと道端の花をパパラッチしてたりする。


女性が花なのに対して男性は樹のような感じ。

男性的美というのは筋肉、アウターマッスル的な大きな筋肉のように想われるけど、それは草ではなく樹木の外観-美しさに似てるような。


そうすると人間的なうつくしさというのは男性的-樹木的なうつくしさ + 女性的-草木的うつくしさを兼ね備えたものなのだろうか?



美学文芸誌「エステティーク」Vol.1 特集:美 -
美学文芸誌「エステティーク」Vol.1 特集:美 -

フランスの作家ペラダンは、「女性のことを美人などと言うけれども、美と性の間に確かな関係は何もない」と指摘する。美は性から解放されている。美しさは、男女を超越したところ、男女の性差を解消する性的総合においてしか認められない、というのである。

つまり、この系譜では、美が男性性と女性性の両原理が互いに混ざりあい調和している存在、すなわちアンドロギュヌスとして描かれている。そして、このじつに魅惑的な両性具有者は、突き詰めれば、始原の天上的な全体性の寓意と読み解くことができるだろう。

もう一つ特異なのは、性の完全な調和にまで至らずに、美が女らしい容姿の美青年として表現された点である。ここで、その逆でないことに注目したい。つまり、男らしい容姿の美女ではけっしてなかったのだ。現代フランスの作家モネイロンに従えば、おおむね次のようにまとめることができる。

ある青年のうちに見受けられるすこぶる女性的な顔立ちや物腰は、予想に反して青年の男らしさをまったく否定するものではない。彼を究極の理想のほぼ完璧な例証たらしめる男性的特徴にそっくり付加される。

それにたいして、ヒゲの生えた女性のように、男らしさが顕著な女性の場合はまったく事情が異なる。というのも、今度は男性的な容姿が女性の本質につけ加わらず、その反対に女性の本質を否定してしまうからである。こうして女性の本質はあたかもすっかり失われてしまうかのようである。しかもこの喪失は取り返しがつかず、修復できそうにない。

(田中雅志、「アンドロギュヌスの美の系譜」)





ヒゲのOL薮内笹子 (Bamboo comics) -
ヒゲのOL薮内笹子 (Bamboo comics) -


アラステア

アンドレイ・ペジック



自分的には理性−合理的な美しさの究極は無性であること、性別の突起や陥没がないことに思えるけど、それと反対だと女性的フォルムを基調に男性的機能をもつことがうつくしさとされるぽい。

それは悪魔的だなとなんとなく思うけど、悪魔を欲望-欲求の集成としたとき、性器のでっぱりはその証であり誇りなのだろう。人であること、あるいはその欲望をとことん肯定するということ。(なのでたぶんほむら最終版には男性器がついてる









あるいは性器は貝にも似てる。

個体発生は系統発生を孕み、人は身体に海を持つ。

そのことを示す徴として、そのことをわすれないためのよすがとして、性器という凹凸が遺されたのかもしれない。


posted by m_um_u at 05:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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