2014年11月30日

うつくしい日々





君を夏の一日に喩えようか。

君は更に美しくて、更に優しい。

心ない風は五月の蕾を散らし、
又、夏の期限が余りにも短いのを何とすればいいのか。













めんどくさい本の休憩的に読み始めたのだけれど思ってたよりもよかった。


父・吉田健一 -
父・吉田健一 -


全体はフランス翻訳家吉田明子さんの父、吉田健一に関するエッセイを集めたものを主とする。文体・文章としては「ことばの食卓」ぐらい。なので特に疲れることもなく水のように読めていく。

それもあって内容的にそんなに期待してなかったのだけれど、この本の良さはそういうところではなく父吉田健一に対する暁子さんの尊敬と愛情がぢわぢわと伝わってくるところにあるのだなと思い直した。

吉田健一について、その評価はびみょーなところで、世間一般からすると同世代の巨人たちに比してなんとも特徴のないおっさんという感じなのだろう


1910年 白洲正子 白川静 保田與重郎 竹内好
1911年 中村光夫 椎名麟三 花森安治 森有正
1912年 檀一雄 武田泰淳 吉田健一 福田恆存
1913年 杉浦明平 新美南吉
1914年 深沢七郎 丸山眞男
1915年 梅崎春生 野間宏 小島信夫 山本夏彦 戸板康二
1916年 五味川純平 大西巨人
1917年 朝吹登水子 島尾敏雄
1918年 中村真一郎 堀田善衛
1919年 鮎川哲也 水上勉 吉岡実 安東次男 加藤周



そして三島由紀夫や小林秀雄


吉田健一の時代|m_um_u|note
https://note.mu/m_um_u/n/nd037e7e8eb62


ここでは「吉田こそ本流・大文学者」のようなことを書いてしまったけれどそこまでのことでもなく、やはり仕事としてはそんなに印象的なものもないのかもしれない。「よおろっぱの文明」はちょっと読んだけど、当時ならいざしらず現在の歴史学的には間違いが多いし。それでも、吉田の良さというのはそういうところにあるのではないのだろう。

「一等賞はくれてやる(自分は取れない)」という状態を特に葛藤もなく受け容れ、その上で自分の中の美学を貫いていく、というような。・・これもちょっと違うか。単純にいうと粋ということだけど。


父、吉田茂という強烈な個性と父性、時代のパターナリズムの象徴的存在ともいえるものをまさに父として持ち、そこで自分を確立していった吉田の在り方を想う。



「日本人は父を失った人々だ」というのは象徴的にあるのだろうけど、外交官→首相と生きる吉田茂-健一家はもっとモーレツに、現実的に父親不在だったのだろう。もっとも吉田の自我、あるいはそれ以前の発達心理的な心理過程は吉田茂の家ではなく牧野の家で育まれたものだったのかもだが。


嫌が応にも意識せざるを得ない「男として生きる」みたいな使命感。それを吉田健一はどのように引き受けていったのか。


主題の反復になるが、吉田はそれを受け流したのだろう。



「(こうしなければいけないと)ただしく生きる」のではなく「うつくしく生きる」方向へ。



論理的、内容的に正しかったり、強かったりお金持ちだったりしてもそれは勝利といえるのだろうか?人生というものさしにおいては。

あるいは、人生において勝ち負けなどもとからないし、あったとしてもそれは自分の中の納得だから。

最後に、死ぬ直前に自分が納得し、何を持っていけるか、ということ。



そこから逆算すればだいたいのものは無意味で、、でも、だからこそ意味を持つものが残されていく。





「持てない」ではなく「持っていない/持たない」への思考のシフトというか、、いろいろな余計なものを削ぎ落した余生として人生があると考えれば、そこで慎ましく生きる人々の在り方もひとつの美学といえるようになるのだろう。


棒がいっぽん (Mag comics) -
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(無駄に)持っていないことが余白の芸術なのだ。






そして、酒はその余白に澄み切った豊穣を行き渡らせる。





一人静かに盃を傾けていると、たしかに自分と周囲が、過不足なく当り前のまま充実してくる。ただそこにあった湖の面にいつか夕日が、無数の金の灯を踊らせている。最晩年の作『時間』の初めには朝日が「流れて」いるが、一日の移ろいで父が愛したのは夕方だった。



退屈だから時間を潰すために、と誤解されては大変で、日々のいろいろな雑念から離れ、自然に湧いてくる想いに身を委ねられれば、我々の日々の営みとは別に絶えず流れ続ける時間と、意識が一つになるということだ。一人静かに飲んでいると、時が経っていく。生きているという自分が過不足なく、ただそこに在る。

父は私が三十二の時に六十五で逝ってしまったが、それでも二人だけで飲んだ記憶はある。今一人で飲む時と同じように、その時も時間は静かに流れていた。



父が酒について言ったことでもう一つ、これも父だけが言ったわけではないだろうと思うが、飲み続けていると頭が冴えてくるというのがある。雑然とした頭の中が収まって、蛇行する川の流れのように想念が流れ始め、その流れにしっかりと乗っている自分が感じられるようになる。私が、生きている限り酒を飲みたいと思うのは、飲んで人と居る時も、飲んで一人で居る時も、その「居る」ということと自分が全く一つになるからだ。









暁子さんの吉田健一語りを読みつつ、河上徹太郎ほかの交流の様子の豊かさ、あの時代の大人の男たちの落ち着いた交流の様が目に浮かび少し前に読んだ木田元さんの交流の様子や鈴木鎮一さんのそれを想った。

「おもひでぽろぽろ」とか「コクリコ坂から」、「風立ちぬ」の空気感。

過不足ない勤勉さ、慎ましさが静謐な空気を感じさせる。


パターナリスティックに、あるいは言外に圧力される「正しさ」の暴力とは別にそういった形のただしさ、というか、うつくしさのようなものがあるのだろう。



うつくさそれ自体がパターナリスティックな標語になったときナチズム的なファッショを想わせるが、そこに必然はなくたんなる勘違いがあるだけのように思う。


田中智学-宮沢賢治が目指したものはそういったものだったのではないか?(あるいは三島が守ろうとしつつもズレてしまったものたち)



そういうことを思いつつ「ドミトリーともきんす」をめくり、そこに生きる人々の慎ましく勤勉な様に天国を思うのだ。



ドミトリーともきんす -
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ワンダフルライフ [DVD] -
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父はものを書いて生きた。言葉に惹かれ、言葉の世界を狩猟し、言葉の世界を作ることを始めて、それが生活の質を得る手段ともなったのだ。

言葉はこの世界の現実から生まれるが、直接現実の世界に働きかけることはない。好ましい現実からも好ましくない現実からも言葉は生れ、もう一つの現実、言葉の現実を作る。

言葉に惹かれ言葉に生きた父は、政治にも経済にも志さず、この世の中に対して働きかけようとはしなかった。しかし、どんな世の中であれ人間の世界に本来具わっている「良いもの」を−父にとってそれは言葉であり、酒であり、友人であり……−精一杯味わった。父にとって可能な限り徹底して味わった。

味わうというと何か退廃的な響きを持つことがあるが、父が、言うなれば「この世の富を貪欲に味わった」のは、人間の普通の生活をしながらである。働き、家庭を営みながらである。そして、自分一人が良い物を楽しむのではなく、母と一緒に楽しむことを忘れず、子供二人には母と二人して、良いものを教えそれを楽しむことを教えてくれた。

良いものとは五官を歓ばせるものだけではなく、努力の結果を報いられるとか、他人の役に立つといったことも含むのだが、自分にとっての良いものをすべて徹底して大切にすることは当然易しくない。父が非常に厳しく自分の生活を律したのはこのためだと思う。

父も生きることに疲れ、飽き飽きしたことはあるはずだが、それでも自分の生き方を守り通したのは、精一杯自分にとっての良い生を生きよう、この世に生を享けたからにはその生を納得して生きよう、いや、もっと完全に、自分の生と自分との間に隙間がないようにという、やむにやまれぬものがあったのだと思う。

外に広がり他を呑み込んでしまいそうな迫力ではなく、確固としたものがただ在る迫力、父という人間が周囲に感じさせていた迫力はこの、生と一つになろうという父の確固とした意志なのだ。





そうやって出来得る限り完全に作り上げた生、自分という作品の前に既存の価値観や権威は意味を失いこわいものではなくなる。

それでもなお、悲しいことはある。


こわいものはなくても


かなしいことはある




「(この世の中に)こわいものなんかないけれど、悲しいことというのはあるんだよ」と父は言った。

私は返事ができなかったように記憶している。

生きていく上で悲しい事はあって、親しい人、良い習慣、馴染みの店、思い出の品、あるいは大いなる期待、そういう良いものが失われる時は悲しい。それは良いものが良いものである故に当然だ。



人間も六十を過ぎるとその年月の間に得たもの、失つたもののことを思ふだけでも過去を振り返り、自分の廻りを見廻すのが一つの自然な営みになり、これは記憶も現在の意識も既に否定も反撥も許されなくなつたもので満たされてゐることであつてその中でも大きな場所を占めてゐるのが友達である。







我々はその哀しさを埋めるために


あるいは、


その寂しさをアテに酒を飲むのだ












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関連:
吉田健一、「東京の昔」 読書メモ - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/11193

























  花間一壺酒  花間 一壺の酒
  独酌無相親  独り酌みて相ひ親しむ無し
  挙杯邀明月  杯を挙げて明月を邀へ
  対影成三人  影に対して三人と成る
  月既不解飲  月既に飲むを解せず
  影徒随我身  影徒らに我が身に随ふ
  暫伴月将影  暫らく月と影とを伴って
  行樂須及春  行樂須らく春に及ぶべし
  我歌月徘徊  我歌へば月徘徊し
  我舞影零乱  我舞へば影零乱す
  醒時同交歓  醒むる時同(とも)に交歓し
  醉后各分散  醉ひて后は各おの分散す
  永結無情遊  永く無情の遊を結び
  相期獏雲漢  相ひ期せん 獏(はる)かなる雲漢に







posted by m_um_u at 16:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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