
聲の形(1) (講談社コミックス) -

聲の形(2) (講談社コミックス) -

聲の形(3) (講談社コミックス) -

聲の形(4) -
読んでちょっと心に残ったので簡単にとどめておきたい。
アウトラインとしてはこのマンガへの興味のきっかけとなった他人様の説明を借りよう。
「差別」と「いじめ」が重なるマンガだった - lessorの日記
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20130220/1361383183
少年誌のマンガでこの文学性 - lessorの日記
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20140118/1390065423
お父さんの[そらまめ式]自閉症療育: 障害者いじめの一つの「形」ー「聲の形」から(番外編)
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/390409491.html
【ネタバレあり】障害者を“記号化”する健常者の「レイプ・ファンタジー」〜大今良時『聲の形』 - 百錬ノ鐵 hyaku ren no tetsu
http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20130224/p1
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電車で化粧とか携帯のあれでもほんとに不快とか他人に迷惑であるなら、あとでコソコソ悪口つながりするのではなくその場で言えば良いだけだし、案外言ってみれば通じたりもするしねえ。。(ああいう子たちは子供なだけでほんとに知らなかったりするし at 09/06 11:41
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そんで、そういう無慈悲がデフォであるとき、「障害者」ってことで別枠特別扱いしてるとそれ自体が逆差別な異化で踏み込めないのでわ?てあれなのだよねえ。。なのでいじめなテーマも絡んでる at 09/06 11:38
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まあナイーヴといえばナイーヴな若者な自意識とか他意識なのだろうけど、あのへんの(心の声)聞こえてない/聞こうとしてない若者間の無慈悲な交流の感じがリアリティあるのかなと思った(子供特有の無慈悲 at 09/06 11:37
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「俺達は身体機能的には『聞こえる』けれどほんとに聞こえてるのか?」「物理的に聞こえないほうが聞こえてたり見えてたりするんじゃないか?」て作品メッセージなのだよねえ。。 at 09/06 11:34
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「聲の形」で「その他大勢」の顔にバッテンはられてるのは「こいつらの(心の)声が聞こえねえよ」ってことでサトラレとは逆のギミック、というか象徴表現なんだけど。 at 09/06 11:34
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存在了解なあれも絡めて自己意識-(儀礼的)無関心なコミュニケーションコードについておもったりしてる http://t.co/VSiMgrSDEe
http://t.co/w7v6jUlFWH
「聲の形」の基本テーマなあれだけど at 09/06 11:32
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あとそういう子たちは他人への気遣いとか基本的なコミュニケーションマナーなコードが自分とは違いそうだからそもそもこちらも接することはないのだろうなとおもふ at 09/06 11:28
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( ^ω^)・・・まあだいたいのところで「ミットモナイ」からぐらいかなあ。。それが社会規範なあれから生じてるとするとそれをあまり押し付けるのもみっともないかと思うけど(0655の「電車で化粧はあきまへん」歌とか思い出しつつ at 09/06 11:26
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んで「自分を無視してるように感じるから」「こんにちはなどの挨拶はそれ自体意味が無い → こんにちはと発することで相手の存在を了解しているメッセージとなる」なあれとかかなあとかも思うわけだけど at 09/06 11:25
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そんで落とし所としては「自分が社会規範として了解しインストしているものを平気で侵犯する」≠「みっともない」からか?てことになるんだけど、、そこで自分の場合は「そんなに社会規範とか気にする方だったかなあ」とかおもったりする(なんとなくのミットモナイはあるだろうけど at 09/06 11:23
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まあ「迷惑・・だからかなあ」というところで思考すると「化粧女は座って化粧することで周りの空間を必要以上に専有しているから」とか出るだろうけどそれほどでもないし「においの問題がー」とかもそれほどでもない at 09/06 11:22
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電車で化粧はあきまへん(気になる)つの携帯のあれとおなじで、一般的なところでは「公共空間で私的な行為をし、それが最低限のプライベート範囲を超えて領海侵犯するからではないか」、とかいわれるようにおもうけど。もっかい自省しているとよくわかんないのよねえ at 09/06 11:20
ついったでもちょっとつぶやいたとおりこの作品のテーマというか真骨頂のようなものは「障害者だからといって特別扱いすることは却って差別していることになるのでは?」「きちんと向き合ってコミュニケーションするというのはどういうことか?」ということなのだとおもう。
そこからこのテーマをさらに深めて「きちんと向かい合う(お互いの声を聞く)とは?」というのをコミュニケーション全般に広げ、「障害者へのいじめ」からいじめ一般、この年代、あるいは、社会全体の空々しいコミュニケーション全般を考えるようにしてる。
作品の醍醐味はおためごかしではない本音のコミュニケーションというところにあるので、この先登場人物たちは何度かの事件、修羅場を通しての本気のぶつかり合いで心をひらいていくのだろう。
自分的に気になったのは主人公がかわいすぎる-ちょっと理想化があるのか?というところだったけど、その辺はこのへんでも懸念され
たぶん「障害児」関係者が読むと、より厳しい現実もたくさん知っているだけに、いろいろと言いたいことは出てくるだろう。西宮が終盤までいかにも「健気な良い子」として描かれているのも気にかかる(「こんなにいい子なのに」いじめるのはひどい、という感想を招きかねないので。「障害者」へのいじめや差別を批判するとき、マジョリティにとって受け入れられやすい障害者像を描くことには危うさが伴う)。
「差別」と「いじめ」が重なるマンガだった - lessorの日記
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20130220/1361383183
このへんでは少し拡大解釈されてるように思った。
また主人公は健常者の身でありながら手話を覚えた努力をひけらかすが、その努力は障害者の側とて、それも当然のものとして経験している。その程度のことをもって健常者が障害者と同じ目線に立ったつもりでいるなら、そうした思い上がりこそが“特権”である。主人公にとってはただの自己満足にすぎないが、聾唖者にとっては補聴器やノートと同様に、生きていく上で不可欠の技能だから習得せざるをえないのである。
『聲の形』において障害者の存在は、ただひたすら健常者に迷惑をかけ、健常者が必要としない努力を課され、その上でなおもそうした「原罪」を責め立てられることによって、はじめて健常者に“受け入れてもらう”ことを許される。
何かによく似た図式だと思ったら、レイプ被害者の女性が加害者の男性に転移し、あげくのはてに結婚までしてしまうというポルノの「レイプ・ファンタジー」そのままだ。少女が抵抗しなかったことを理由にイジメを正当化する主人公の姿は、被害者が抵抗しなかったことを理由に「和姦」を主張するレイプ犯と何も変わらない。
そんな主人公の言葉に反して、仮に少女が主人公に憎しみの言葉をぶつけ、そして最後に主人公との和解を拒絶するという選択を取ったなら、この作品は成立しない。物語を健常者の読者にとって気持ちの良いオチで締め括るためには、そのじつ障害者に健常者を憎むことはいっさい許されないのである。
【ネタバレあり】障害者を“記号化”する健常者の「レイプ・ファンタジー」〜大今良時『聲の形』 - 百錬ノ鐵 hyaku ren no tetsu
http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/20130224/p1
とまれ、ほかの社会問題でもそうだけど、この辺りで大切なのは単なる上からの押し付けとしての「正しいこと」 → 結果として問題を異化/聖化して隔離することではなく、良きにせよ悪きにせよ当人たちが本音でぶつかりあって相互理解を深めていき、結果的に意識を改革していくことなのだろう。
「罰則があるので表面上は『正しい』振る舞いをしつつも心のなかではどう思ってるかわからない」って面従腹背ではなく。
「差別」はカテゴライズが伴われる点に特徴があるので、一般的な「いじめ」とは区別されやすいが、全体主義的な圧力に屈しないことに対する報復という意味では同じ構造をもつ場面がある。だから「障害児」を包摂できる環境を作るために必要なのは「特別支援教育」という配慮や工夫ではなく「教育そのもの」の変容でなければならないのだ。言い換えれば「いじめを無くす努力」は「インクルーシブな教育」とも深く結びつくものである。当然と言えば当然だが「障害児にとってやさしい学校」だけを目標にしても成功しない。
「差別」と「いじめ」が重なるマンガだった - lessorの日記
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20130220/1361383183


