2007年04月25日

ジャーナリズムとはなにか?(2.1): Sound and Fury

 武田さんとこ経由で知ったんだけどハルバースタムが亡くなったそうだ。


asahi.com:米のジャーナリスト、ハルバースタムさんが事故死 - 国際



 自動車事故とのこと。73歳。

 まだ現役で、カリフォルニア・バークリーの講演の後、アメフト選手の取材に行くところだったとのこと。



 ハルバースタムというとちょっと前に書いた職人的ジャーナリズム(いわゆるニュージャーナリズム)における代表的人物の一人。


muse-A-muse 2nd: ジャーナリズムとはなにか?(2):批評としてのジャーナリズム


 「ベトナム戦争はアメリカにとって正義なのか?」という視点とか(「ベスト&ブライテスト」(光と影))、そもそも自分が属しているメディア業界そのものが正しいのかどうか(「メディアと権力」)という視点をとった人。


ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて
デイヴィッド ハルバースタム David Halberstam 浅野 輔
朝日新聞社 (1999/06)
売り上げランキング: 260



メディアの権力〈1〉
メディアの権力〈1〉
posted with amazlet on 07.04.25
デイヴィッド ハルバースタム David Halberstam 筑紫 哲也 東郷 茂彦
朝日新聞社 (1999/09)
売り上げランキング: 1084




 ぼくが言うより、武田さんのこの追悼日記を見たほうが早い


武田徹オンライン日記:ハルバースタム追悼

(以下、一部抜粋)



デビッド・ハルバースタムの名は、今の学生さんの世代にはあまり通じていないかもしれません。若き日にはベトナム戦争報道を皮切りに多くの傑作を残し、20世紀を記録した非常に優秀な、間違いなく20世紀を代表するジャーナリストの一人です。日本の自動車産業を取材した『覇者の奢り』という作品もあります。




覇者の驕り―自動車・男たちの産業史〈上〉
ディビット ハルバースタム 高橋 伯夫
新潮社 (1990/09)
売り上げランキング: 624502




ハルバースタムがニューヨークタイムズのサイゴン特派員としてベトナムの地を始めて踏んだのは1962年、まさにこうした戦争が激しくなりはじめていた時期でした。
 特派員として赴任した当初のハルバースタムの考え方は、実に単純でのんきなものでした。アメリカは共産主義者の攻撃を受けている南ベトナムを守っている。それは自由主義を守る正義の戦争をしているのだ彼は信じていました。
 ところがベトナムで取材をしているとアメリカは正義の側にいないことに気付きます。ベトナムの人たちはアメリカを、かつてその地を植民地にしていたフランスと大差のないものだと見ています。アメリカは頭ごなしに自分たちを支配する国だと思われているのです。
 そう気付いてからハルバースタムはアメリカのベトナム戦争への荷担を再検討すべきだという、反戦的な記事を書くようになります。これはアメリカ、南ベトナム政府それぞれににらまれ、ケネディ大統領はハルバースタムに特派員を辞めさせ、帰国させろとニューヨークタイムズの社主に圧力をかけてきます。南ベトナムの大統領の弟の妻で、南ベトナム政権を牛耳っていたニュー夫人が「ハルバースタムをバーベキューにしてやりたい」と述べました。



 そんなハルバースタムだけど従軍取材中にちょっとした風評にイラ立ったことがあったり。「ハルバースタムは敵方の兵士の死体を見て涙していたぞ」、という噂。

 涙を流すということさえマッチョイズムな当時のアメリカではアレな感じなのに、「その上、敵方の兵士に涙していただと!?」、と。

 そんでハルバースタムは怒ってその発言を流した軍人を見つけ出し、撤回を求めてすごんだらしいんだけど・・


 後日、こんな記事がNYT(ニューヨークタイムズ)に載った


しかし彼は後になって考えを改めることになります。それは彼の後にサイゴン特派員となったジャック・ラングスという記者がこのハルバースタムの逸話について『ニューヨークタイムズ』に書いた記事がきっかけになっています。
 ラングスはこう書いたそうです。「例の話は事実ではない。だが、本来は事実あるべきではなかろうか。どちら側の兵士であれ、その死骸を目のあたりにして、涙を流すのが自然ではないか。来るべき世代のアメリカ人は、戦争の惨禍のなかに横たわる死体に涙する人をさげすむどころか、むしろその涙ゆえに尊敬するだろう」と。




 それが後に彼のジャーナリズム観を変えるきっかけになったんだそうな



 「善 / 悪」二元論ではなく「両方が悪、両方が善であるということ(人間だから)」。

 そして、敵味方を越えた共感の心


この一件がハルバースタムの報道を変えることになります。以後の彼は、生きながらえてよかったはずの命が突然断ち切られる不条理を悲しむ感覚、死体に涙する感覚を一方で踏まえながら、一方で敵味方といった狭い分類を越えた世界史の大きな枠組みのなかで現実社会を調べ、描き出すようになってゆきます。




 この「共感」(感情移入)を武田さんはもうひとつの話に繋げる。核兵器、あるいは核エネルギーを持つ、ということ。


 おっしゃるように、「核エネルギーそのもの」にはアレルギーを持つべきではないし、むしろその是非についてギロンされないほうが危険だろう。

 でも、そのギロンに参加するには資格がいるのだ。


議論にタブーがあるべきではない。核武装についてもきちんとした議論が出来るべきだと言われます。その通りでしょう。しかし一方で議論に参加するには資格も必要だと思います。そうした資格の問題をなかったことにして、タブーはないのだから核武装について議論すべきだというのは詭弁だと思います。




 その資格とは、当事者たちの気持ちを慮ること、取材対象にコミットしつつ魂をもった報道(言論)をするということ。


 「対象への深入りは客観性を害する」というギロンもあるが、熱い感情を持ちつつ冷めた頭を持つというのがジャーナリストの理想だ。そこでは「対象」は「対象」として切り離された「客観物(objekt)」ではなく、「彼ら」の問題は「我々自身」の問題でもあるのだ。

 そういった当事者意識を持つことにより想像力が働き、より多くの現実(喜びや不安、怒り、悲しみ、矛盾、葛藤、怠惰・・・)に目が行くようになる。「感情 - 想像力」の回路を保つことによって情報量は増す。





muse-A-muse 2nd: 「クリエイティブ」とはなにか?(「センス」、「想像力」、「創造力」について)


 最後に、この文章がありがたかった



そこで気付くべきなのです。核兵器とは「そんな死に方」を他人に強いるものでもあります。核武装について議論するのはかまわない。しかし被爆がひとにどのような死に方を強いるのかについて知っていること。そうして死んでゆく人の無念さ、その悲劇に涙を流せる感性の持ち主であること。それが核武装について議論する人間の最低限の資格ではないかと思います。
 死体に涙を流す人間であることを、ハルバースタムは自分のジャーナリズムの核に据えました。それはジャーナリストにとって必要なことだけではないでしょう。生きながらえるべき命が、不条理にも断たれる悲しみに涙を流せること。その涙を踏まえて全ての物事を考え始められること。それは誰にとっても必要なことなのではないでしょうか。








Sound and Fury



静かに怒りの炎を灯し続けること





そういえば「感情移入(共感)」は人とアンドロイドを分けるキーポイントでもあったな。
(「ロボットは感情移入できない」≠想像力が働かない≠「プログラムされたこと以上のことができない」)




アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
フィリップ・K・ディック 浅倉 久志
早川書房 (1977/03)
売り上げランキング: 1939






--
関連:
David Halberstam, 73, Reporter and Author, Dies(@TailTank)



asahi.com:「核」論 [著]武田徹 - ニュースな本 - BOOK



muse-A-muse 2nd: <ヒロシマ>ということ





 



posted by m_um_u at 08:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。