2007年04月22日

「クリエイティブ」とはなにか?(「センス」、「想像力」、「創造力」について)

 何年か前に関心空間で「田口ランディ」のキーワード画像に使ったartistの絵が気になってgoogleでイメージ検索してるんだけど見つからない。


 ちょっと前までは「cocoon」でイメージ検索すれば出てきたのに・・。時の流れ


・・・困った。けっこう気に入ってたのに(名前控えとけばよかった)。イングランドかブリティッシュ系の画家ということは分かってるんだけど


 彼女の作風は「人肌の上にmappingを施す」って感じで、P.グリーナウェイの「枕草子」みたいに人をテクストとして見立ててその中からあふれてくる歴史性みたいなのを伝える(あるいは<テクストや記号の集合体としての人>)ってのをイメージさせてよかったんだけど・・。どっかいっちゃったな。

 仕方ないので関心空間で勝手に使わせてもらった画像だけ貼っとこう。


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(※もしかしたらこの「勝手に」ってところで気に障ったのかな・・? でも、こんな極東の、しかもコミュニティサイトの一つなんかチェックしてないよな・・? ・・・・・)



 「田口ランディ」の関空キーワード関連でちょっと思ったことをもぞもぞと書き綴っとこう。「センス」、「想像力」、「創造力」について。


 これらを分別なく使っている人をたまに見かけるけど、そういう人たちはたぶんこういうのを自覚的にコントロールできてない。あるいは、可能性の限界を悟って自分の中で強い部分に特化する、というような戦略の転換ができない。

 能書きはいいのでさっさと思うところを説明すると、


 「センス」というのはアンテナ、レセプター(受容体)のようなもの。なんらかの体系的な知識の教授以前(いわば先天的)にもっている知識の受け皿のようなもの。

 スキーマの前段階、根っこというか茎の部分といったほうがいいか。ここに知識がくっついて行くことによってスキーマの花が開いていく。

 「スキーマ」とは、簡単に言うと知識ノードのクラスターということになるんだけど、それだと分かりにくいか・・。んじゃ、こちらで

スキーマ とは (schema)

心理学用語で、ある対象や出来事に関して、まとまって記憶されている情報や知識ということを意味する。広告の1つの目的は、商品(ブランド)に関するまとまりを持った知識を伝達することで、その記憶内容がブランドスキーマである。同じように消費者自身についての理想の自分像(自己スキーマ)や、ニーズと購買行動との関係についての知識(問題解決スキーマ)なども、広告で伝達すべき目標となりうる。


 
 オブジェクト指向的にはクラスの集合体ということになるのかな?ディレクトリの先のほうについている溜まり。知識の集合。


 で、話を戻すと


 「想像力」というのはセンスというレセプター同士、あるいは溜め込んでいる知識同士をリンクさせるための能力、リンケージスピードのことを指す。もしくはリンケージの幅、リンクホップの能力。ホップが遠いほど(関連性が低いように思えるリンクができればできるほど)「リンク能力(想像性)が高い」、ということになる。総合すると、「想像力」というのは「リンクスピード」、「リンクの幅」の2つに関わる能力を合わせたもの。

 おそらく脳力というのはスピードに依るところが多くて、記憶のinputにしても、想像力による知識の連動にしてもそのスピードが速ければ速いほど創発が生まれやすい。

 「創発」とは、簡単に言えば知識の連動によって「1+1=2」以上の効果を生み出すようなイマジネーションの爆発のこと。ネットワーク系の用語だともうちょっと広範囲に「いろんな場面での限界突破」みたいに使われる。

 「創発」の痕跡として、想像力のリンケージスピードを上げるための物質の量が増える。この辺は最近実証されたらしい


Biological Journal | 適応や学習でシナプスが増える!


 いわゆる「脳のシワが増える」のではなく、「情報伝達のための物質が増える」、ということ。アルコールを飲み続けることによってアルコール分解酵素が増え、少しは酒に強くなるように(1.25倍ぐらいまで鍛えられるんだっけな?)。



 で、こういった形で情報の「input」(センス)、「内部参照・検索」(想像力)の回路が推測されるわけだけど、最後にこのようにして統合された情報をなんらかの形で吐き出さなければならない。この過程に関わるのが「創造力」。


 つまり、「創造力」とは情報のoutput過程における表出能力のことを指す。その表出の形態というのはもろもろの生産過程によって求められる情報の形式によって異なる(ex.ビジネス文書、プラグラミング能力、小説、絵画、イラスト、マンガ、曲、詩・・・etc)。それらの表出形態には優劣はない。求められる分野に応じて出口がいくつかに分かれているだけ。

 おそらくはinput過程(「センス」)と同じような樹形図が描かれ、該当する根っこの部分を特定することによって集中的に特定分野の表出能力を鍛えることができるのだろうけど、「向き / 不向き」ってやつがある。センス(input)同様、発達過程で鍛えられたスキーマの受け皿によって表出形態の発達には個人差が生じる。

 なので、不得意なものをムリヤリ詰め込もうとしてもムダ、というか、労力がかかるだけのように思う。おそらく、そういった場合、ほかの表出形態が発達しているはずだし、表出形態というかoutputという過程そのものが苦手だとしても受容(input)過程には強みを発揮する人、想像力がすばらしい人など個人によって素養が異なる。


 教育というのは、この中でどの部分が優れているのかを見極めるためのシミュレーションというか実地訓練のような側面もある。



・・っつーか、こんなん実証されてないから大部分の人はてきとーにやってるだろうけど。なので、それぞれの素養があるコには個別でsurviveしてもらうとして、ぼくはこういった一連の過程に関わる能力を指して「creativity」という。

 なので、output(創造力)だけでもダメだし、input(センス)だけでもダメ、それらと知識を連動させる能力としての想像力(imagination)もないとダメ。



 少し思うのは、いまの世の中なんかは特にそうだけど、「クリエイティブ」というとまず「なにか作品のようなものを出さないとダメ」という風潮がある、ということ。

 たしかに「クリエイティブ」というと「クリエーター」が連想されて「outputする能力」って感じになるのだけれど、「create + ative (創造を可能にするもの)」という原義的な意味に立ち返れば、そこに至るまでの脳資源の統合過程ももう少し反省・評価すべきなように思う。

 創造する能力のみ特化されもてはやされ、「outputできてればなんでもいい」、ということになっているのでオリジナリティというかcriticalなところがなにもないようなイメージ(あるいは記号)の反復が繰り返されているのではないだろうか?(芸術学部系の人とか某筋の「くりえいてぃぶ」な人々には耳に痛い話かな?)





 あと、上段で説明した「ホップ」の記述が分かりにくかったかもしれないのでもう一度説明すると・・ってか、簡単に言うとこういうこと


ふき出しのレトリック 〜マンガの修辞学〜



 ここで説明されている文学技法にあるように「比喩」というのは関連性が分かりやすいリンケージ。隣同士ぐらいのものをつなぐので距離としては「1ホップ」。「暗喩」というのはもうちょっと離れてるので「2ホップ」。「換喩」が3ホップで、「提喩」が4〜それ以上、って感じ。

(※フィーリングで書いてるので正確な距離は分かりません。てきとー)




 んで、そういったcreativity関連で、たとえばぼくの場合はどういった部分に素養があるかというと、まぁ、想像力(linkageの幅とスピード)が優れてるかな、ということになる。

 あとはセンスがあるかな。でも、これはある程度先天的に決まってたものなのであまり実感がない。もちろん努力の結果によってスキーマが蓄積してセンスの部分も広がっていくんだけど、体系的教育以前のいわばプリミティブなセンスというのをどう磨いていくか(あるいは素養をどのように見抜き、発達させていくか)というのはちょっと課題。

 
 んで、センスと想像力が勝手に使われていろんなものに対する解釈能力(過程)が自動化されているように思う。反対に苦手なのはoutput過程。


 っつっても、これは大部分の人が苦手か。



 んじゃ、もうちょっと微細に。ぼくの場合は絵画、詩的言語、論文関連の文語系のoutputが弱い・・っていうかもうちょっと鍛えられたらな、って思う。(作曲能力も欲しい。歌唱能力に対して弱いというか全然ないもので)

 同分野に関するinput - 参照・検索過程に比べてoutput過程が貧弱なのでちょっとやきもきするっていうか、なんか満足しない。


 得意なoutput方式はこんな感じの口語体の文書。できればこういう形で「全部O.K」ってなってくれるとありがたいのだが・・。



 あと、そういうのさえめんどくさい場合はiEditみたいなマインドマップを使用する。言語野以前のイメージで処理できるためinputの際の負荷が少なくなって想像力だけに特化したoutputが可能になりリンクスピードが上がる、ように思う。(⇒ 創発が生じやすい)




 まぁ、そんな感じですな



 んで、いままでの話を総合すると、「んじゃクリエイティブってのは“3つの能力の連動がうまくいってる状態”ってこと?」、ってことになると思うんだけどそれもちょっとびみょーな感じがする。

 それらの統制を超えたところにあるもの(降りてきた系)とか、3つの能力をうまく連動させて「1+1=2」以上のパフォーマンスを引き出したもの(シナジー効果)みたいなのの成果がクリエイティブということかな、と思う。


 つまり「魂の声」みたいなの


 「魂の声」関連だと感情移入も深く関わるのだろう。対象への深い共感から生じる本気の声のようなもの。そういうときには「感情的だから良い記事(文章、なんらかの作品)」というよりも、「感情によってcreativityの過程が刺激され、通常期待されるよりも多くのパフォーマンスを発揮したので良い作品になった」と解釈したほうが正確なように思う。



 「降りてきた系」みたいなのはクリエーターの人にはよくあることだと思うけど、モーツァルトみたいな天賦の才系の人(まぁ、平たく天才)とベートーベンみたいな努力型っていうか理論型(?)に分かれるように思う。後者の例としてはあとゴッホとか・・ユング、天理教の教祖もそうなのかな?

 天才系の人は「input - 情報の検索・参照・リンク過程 - output」までの過程が自動化されているのでそういうので苦痛を感じることがないっぽい。必要なのは降りてきたイメージをぐわっと捕まえる集中力だけ、ということになる。(「だけ」って言ってもすごい集中力なのかもしれないけど)

 対して、努力 - 理論系の人はそういう過程が自動化されてないのでけっこうスランプに陥ったり、スランプに陥ったときにフン詰まりみたな状態になって苦労したりする。イメージというか、「イメージ以前の型のようなものは分かってるんだけどなんかそこに届かない」、って感覚。これは想像力(内部情報の検索・参照・リンク過程)がうまく機能していないのだろう。

 (ぼくも含めて)大部分の人はこの辺りの克服がポイントかな、と思うのだけれど2つの回路(key)があるように思う


 一つは「感情」、もう一つは「身体」



 前者についてはちょっと書いたけど、感情というモチベーション(あるいはインセンティブ)によって想像力が喚起され創作のパフォーマンスが上がる、というようなことがあるように思う。この辺の回路については前にまとめた


「アオイショウメイの連鎖」モデル (アオイショウメイ) - 関心空間
http://www.kanshin.com/keyword/398509



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 <「感情」という照明を灯すことによってシナプスが刺激(増幅・生起)され想像力が喚起されるかも>仮説


 「喜怒哀楽」がシナプスの増減に関わるのかもしれない。例えば、刺激的な内容の文章を読んで(嬉しくなって)想像力が喚起されるとか、反対に日常生活で悩んでヘコんだためにモチベーション下がって想像力が落ちたりとか・・。そんなの


 個人差があるかもしれないし、証明してないけど(理系じゃないし)



 まぁ、とりあえずそれが想像力喚起のkeyとして考えられる方法の一つ目(平たく言えば「心の栄養をとれ」ってやつですな((C)美輪明弘))


 2つ目は「身体」に関すること。なんか身体動かしてるうちに悩みが解消されたりとか、いろんなアイデアとか浮かんだりとかってことは誰しも経験があることのように思う。脳というのは身体の一部なので身体の各機関の影響を受けるのだろう。(っつーか、機関から送られる刺激が情報として流れ込むことによってcreatevity過程に影響を与える)


 ってことで、身体的なものも重要だと思うのだけれど、この辺は未だhackしてない。内田センセとか得意そうだけど・・。





 そういうわけで皆さんもそれぞれに得手・不得手分野があるでしょうから胸(もしくは頭)に手を当てて考えてみられると宜しいか、と


 その際、inputとoutputの系は対照関係というか類似関係ではないかもしれないので注意。


 「同じ系に属するものに対して強くなる」と考えるよりも、inputあるいはデータ検索過程(=想像力)とoutputの関係は補填的関係にあると考えたほうがいいかも。

 たとえばぼくなんかは普段の口語(おしゃべり)のときに突然わけのわからない単語を言って周りを引かせたりする傾向があるだけれど、これなんかは「詩」なのかなぁ、と・・(いや、ちょっと違うかもしれない。でも続けよう)

 んで、普段そんな感じで「詩的言語」を口語で使ってるので、書き言葉のときは反対に硬い言葉(叙述的言葉=コンスタティブ)中心になるのかなぁ、とか思う。

 普段のブレを意識的なoutput過程で修正・まとめるような感じでなのかな。それを通じて自己反省(検証、確認)する。


 んで、そんな感じでinputというかセンス(素養)として明示的に分かりやすい部分と、output過程というのはけっこう世間的イメージからは真逆なものになってしまうのかもしれない。


 手塚治虫さんがお医者的なお勉強と思考を持っていたのにマンガというoutput手法をとったのと同じように。あるいはユングがあんな固い表現技法をとったわりには・・とか、アインシュタインが普段の生活はあんなんだったのに・・とか。


 そんな感じかも

(cf.「ほんとにクリエイティブな人は作品と普段の生活がかけ離れている」)



 あと、記憶と創造過程の関連についてちょこ、っと。


 本文でもちょっと書いたが、リンクのスピードが速くなればなるほど創発(cf.アハ体験)のヒット率が高まるように思う。

 んで、この過程を早くするためにはできるだけ外部リソースへの参照過程を減らし、内部の暗黙知に頼ったほうが速い

(暗黙知と形式知の関係はアナログとデジタルに似ているように思う。というか、イメージと言語と言ったほうがいいか。イメージ(パターン)認識のほうがスピードとしては速い)



 そんな感じで内部データベース(記憶)が蓄積している人は創発に関わるスピードが上がり、高いパフォーマンスを維持できるように思う。

 いわゆる「知の巨人」系の人とか、昔ながらの研究者の人とか。Google時代でもこういう人たちの価値が衰えないのはこういうところに理由があるように思う。


 ぼくは記憶力はそれほど自信がないほうなのでうらやましい限りだけど、その代わり想像力で対抗しようかなぁ、と思ったり・・。



 まぁ、そんな感じで、皆さん、得意分野に「選択と集中」ってことでどないでしょ?







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あと、特殊例として、input能力だけ異常に発達してる人とかいたり。


イタコとかきちんとした占い師の人なんかそんな感じ



inputっていうか、inputから想像力過程までを含んだ無意識的な発達(コントロール不能な発達)という感じだと思う。

(いわゆる「神の声」というのは「センス」によって無意識的に集められた知識の集合が、「想像力」によって無意識的に束ねられたもの、のように思う)



なので、当人によって統制できなくて、output過程も既存のものではなかなかないのでこういう能力をもった人はフン詰まりみたいな状態になって苦労するみたい。



クリエーターの人にもそういう人が多いように思う(「イメージが降りてくる」系のひと)。


そういう人たちの場合はフン詰まり解消のために自分に合ったoutput形式を模索(あるいは開発)するか、input - 情報参照・探索を自覚的に統制すべきなんだと思う。



ってか、そういう能力を持った人のセンスに関わるスキーマってのはバカでかいのだろうからなかなか難しいのだろうけど





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posted by m_um_u at 16:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク
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