2014年02月27日

ウクライナとはどういう国か?



おお、ドニエプル、栄えある川よ

愛しい人を私のもとに戻しておくれ



そうすれば、わたしは朝早くから夫の元へ海さして涙を送らずに済むものを








ウクライナの暴動がようやく収束して、まあ政治的にはEUとロシア、NATOとワルシャワ条約機構な東西冷戦の名残りかなあってとこもあったんだけど、自分的にいまいち理解できないとこがあったのでこの機会にこレ読んでみた途中まで。



物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 (中公新書)
黒川 祐次
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国際政治経済的なウクライナの重要性(なぜEUとロシアが綱引きしてるの?)ってのは昔ながらの「ヨーロッパの穀倉」+「鉄鋼」かなあ。人口4−5000万ぐらいでまだこれからの経済発展も期待されるし、ふたたび経済リバイバルなロシアとしては鉄鋼欲しいだろうし、なによりやっぱ穀倉抱えとくとアンシンだろし。あとは黒海、地中海へのアクセスということでクリミア半島。あったかいのでエカテリーナもお気に入りだった。


それとは別にわかんなかったのはロアシに対向する形でウクライナのナショナリズムとか民族主義高まらせてる人たちが自分たちのエスニックアイデンティティをどの辺に置いてるのか?ということ。軽く調べたらルーシというのはロシアよりもウクライナの方に起源があるようだったのでこのへんかなあと思って。


まあその前に今回の暴動をちょっと振り返ると、日本のメディア的には「革命」だの「自由民主主義連盟の勝利」みたいな見方するところがチラホラされたんだけど(ハフィントン・ポストの長野さんとか)、そういうのでもなく単にEUとロシア間の綱引きッて感じだった。なので親EU側からと親ロシア側からだと視点が違うし。


kobayuさんによるウクライナ親欧派から見たウクライナ情勢 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/633304


hitononaka氏によるロシア保守層から見たウクライナ問題 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/624507


ウクライナ内部でもドニエプル川の西側はEU寄り、東側はロシア寄りになってる。まあ東の地方民からすると「キエフの都市部の民族主義な阿呆どもが勝手に騒ぎやがってどうするつもりだ。。ロシアの支援受けれなくなったら」ってこと。ガスとか割引で使わせてもらってたし。それで鉄鋼の生産量もかせげてたのだろうし、それの主な輸出先は中国とロシアだった。


「都市部の民族主義の阿呆共が勝手に」ってことだとこんなかんじ


読みが難しかったウクライナ争乱: 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2014/02/post-b506.html



「自由民主主義主義」な「革命」うんたらっていうかネオナチ・フーリガンな右派セクターが中心、と。



ウクライナ・ユダヤ関係と「極右」のグラデーション - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/633334


キエフでもなくリヴィウあたりの「1648年に起きたウクライナ人農民とコサックによる大反乱で、ポーランド貴族とユダヤ人10万人以上が虐殺されたと言われている。この反乱を指揮したコサック隊長のボフダン・フメルニツキは、ウクライナの国民的英雄とされているが、ユダヤ人にとってはヒトラーに次ぐ極悪人」の流れではないか、と。


なんでユダヤが絡むかって言うと農耕スキタイの末裔(あるいはスラヴ)がポーランドの支配下で搾取されていた時代、ポグロムからポーランドに逃げてきていたユダヤ人たちは中間官吏として重宝され、それがゆえに農民たちの憎しみの対象となっていったから。

13cぐらいにラテラノ公会議でカトリックの教条化が固まっていきその流れで告解の習慣も出来たのだけど、同時に大宗教なドグマでいろいろと面倒なことも生じていった。ユダヤ人迫害(ポグロム)とか。13−15cに神聖ローマ帝国内で広まっていったポグロムから逃れるためにユダヤ人はポーランドに移住、商人・手工業者などになっていったが金銭感覚に強かったので金貸しや荘園官吏を請け負うように。

ちなみにこのユダヤたちがその後ロシアに渡り芸術方面で活躍していった。


ポーランドはそれまでのんびりとした国で特に大々的に農業経営とかも考えてなかったんだけど16cに大陸から銀が流入→経済繁栄でヨーロッパ全体の農作物需要が高まったところから農業経営にも力を入れ始め、当時弱体化していたキエフールーシの農耕スキタイたちも支配下に置いてこき使うようになった。


コサックの時代はこの後の30年戦争とかが生じてた時代。コサックは感覚的には中国の江湖、武侠、日本のまたたびヤクザ。まあ陸賊であり野盗。もともとの意味は「自由人」てことだけど、
http://roshianow.jp/arts/2013/06/25/43773.html

ドニエプル以西の肥沃ステップ夏季だけ出稼ぎに来ていた北方の農民が帰り道にポーランドかなんかに徴税されるのが嫌で冬季も定住するようになり、タタールなどにさらわれるのに対抗して武装していったのがはじまりみたい。その後は「自由人」として国家には加わらなかったんだけどポーランドに遊撃兵的に都合よく使われるようになったり。

なのでコサックにエスニックアイデンティティ感じつつユダヤ迫害てのもおかしくはないんだけど、もともとはポーランドに良いように使われてたわけだから「大元の敵はちがくね?」とかおもったりする。

ちなみにこの時代にモスクワ公国が力をつけ、イヴァン3−4世でロマノフ朝をつくっていった。そして「ルーシ」正統を名乗るように。。(「ロシア」はルーシのラテン語読み)。コサックの首領フメリニツキーはこの時期、ポーランドに対抗してウクライナの国家的体制を固め、モスクワの保護を呼び込んだ。それがゆえにルーシの称号はロシアに移っていき、ロシアによるウクライナ支配への糸口を作ってしまったともいえるのだけど。




自分的に変な感じなのはルーシの源流はもともとキエフを中心としたキエフ・ルーシで、そこからすると特にロシアに対して民族主義するんだったらそこまで遡ったほうが良いように思うんだけど、、まあ20cの民族主義の記憶でコサックあたりにとどまるみたい。


元はといえばキエフ・ルーシが封建国家的に分権していった時代に分散した公国のひとつがモスクワだった。


その源流はフランク王国の時代、8−11cにスカンディナビアで急激な人口爆発が起こり、南下してきたバイキング(ヴァリャーグ人)たちだった。彼らは戦闘商人として主に生計を立てていった。

この時代の主な勢力は中央アジアの遊牧民たちでヨーロッパのプレゼンスは低かった。7世紀末からのアラブ帝国の勃興で地中海ルートも使えなくなっていた。そのため北方ノヴゴロドからドニエプル川をつかって黒海→ビザンツ帝国へ行くルート(「ヴァリャーグからギリシアへの道」)が栄えた。

ヴァリャーグたちはスラヴたちが作った農作物に頼り、黒てんやリス、その他の毛皮を商いした


ヴァリャーグはルーシを名乗るようになり商いによってギリシアの文明を取り入れ、正教に入ることでビザンツ帝国を後ろ盾とした。

この時代、キエフ・ルーシは東欧の大国的な威信を誇っていたが、相続制度の変更を起因に統制が崩れ、封建諸侯の独立が高まっていった。モスクワ公国もそういう形で独立した一つ。

そのスキを当時交流してきていたモンゴル帝国につかれその軍門に下った。この時代をロシア・ウクライナでは「タタールのくびき」という。タタールは韃靼、タルタル。

しかしモンゴルは直接統治はせず税収が欲しかっただけなので、結果的にモンゴルの軍事的保護のもとに平和がもたらされた時代(パクス・モンゴリカ)とも言える。この時期、従順にモンゴルに取り入ったモスクワ公国が地位を高めていった。

この頃には地中海はヨーロッパに開放され貿易の中心はイタリア人が担うようになっていた。ヴェネツィア、ピサ、ジェノヴァなどがクリミア半島南部に貿易の拠点を築いた。


パクス・モンゴリカのもとでウクライナの最初の国家、ハーリチ・ヴォルイニ公国が出来た。ウクライナというと穀倉のイメージが強いがこの国の主な収入源は貿易で、キエフは当時のヨーロッパで最大級の都市だった。ルーヴルももともとはフルヴニャ銀貨を「半分にわけた」を意味するものだったりする。

14世紀半ばにハーリチ・ヴォルイニ公国が滅亡してコサックが現れるまでウクライナの地にはウクライナを代表する政治権力はなかった。




ちなみにヴァイキング-ルーシ以前にウクライナにいたのはスキタイ。農耕スキタイと王族スキタイに別れたが、尚武の風を喪ったスキタイの地に少しずつサルマタイ人が侵食し、その後、ヴァイキング-ルーシたちが入っていった。



なのでもともとはイングランドと同じく冒険商人の国がウクライナ(ルーシ語で「国」)ということになる。






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関連:
ロシアとウクライナのユダヤ人の悲史
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb200.html



「スキタイと匈奴 遊牧の文明 (興亡の世界史)」林 俊雄 著 | Kousyoublog
http://kousyou.cc/archives/4857


ウクライナの20世紀
http://ukrainianhistory.blogspot.jp/



posted by m_um_u at 21:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界史このエントリーを含むはてなブックマーク
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