2014年02月05日

ウイリアム・マクニール、「戦争の世界史」メモ(上)


図書返却の都合で上巻ぐらいまでしか読めてないけど以下とりあえずのセーブポイントとして(図書館で借りたのはハードカバーだったけど文庫もでたようでありがたいことですね)


戦争の世界史―技術と軍隊と社会
ウィリアム・H. マクニール
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戦争の世界史(上) (中公文庫)
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ダイアモンドでは「農業ができるようになって貯蓄ができるようになり」うんたら「農業→家畜→疫病が発生で」うんたらあったけど農耕と牧畜な歴史は一直線ではなく双方のおしくらまんじゅう的せめぎあいだった。


リドレーでは「交換-商業によって文明は進んでいった」とあったけど交換以前に略奪があった。ピラミッド型の指令(コマンド)組織が中心となり商取引も其のもとに統制されていた(cf.教会、神社や寺ぐらいしか独立経済圏を持てない)。

ちなみにマクニールがここで使う「指令(コマンド)組織」というのは組織における意志決定の統一性、中央集権はもとよりフランス語のコマンドうんたらに含意される「整った」みたいな意味合いがある。全体的にきちんと組織だてられ指令が行き届く組織。イメージとしてはハイエクのタクシスであり伽藍とバザールの伽藍。



取引は安全と信用が保証されてなければ成立しない。

取引はそれほど行われるものでもなく行われるとしても希少品同士の交換だった。そのような希少品は指令機構の長でなければ持てないもの。
なので取引は長同士の希少品交換だった。



指令機構の安定 → 武器のエポック → 武器の優位性による配下の封建的独立 → 指令機構の安定

は武器の画期シフトごとのサイクルだった


大きな流れとしては

中東(肥沃三角地帯)
中国
ヨーロッパ



青銅武器(冶金)
戦車
鉄製武器
騎馬術



馬は最初、背中に乗るものではなく戦車をくっつけて滑走しつつ弓で射るものだった。
それだけでも歩兵をはるかに凌ぎ、飛び道具が追いつかないスピードは驚異的だったが、馬の背中に乗り武器を持つ技術が普及することによって二人一組だった戦車ユニットがひとりの騎馬兵に独立した。

重装騎兵はイランあたりで大型馬が開発されてから。

大型馬は飼葉の量が尋常ではなかったけどアルファルファの開発によって賄われるようになった。


飼葉の量の関係から封建制が定着してなかったヨーロッパに重装騎兵はなかなか定着しなかったが、後732年カール・マルテル以降導入された。

鐙はランスチャージを可能ならしめた。


戦争は武器や武器術の開発によって変化していったとも言えるがそれ以前に兵站の問題があった。

ペルシアがギリシアに遠征できなかったのも兵站の問題。


古代においては「食うこと」「食べられるものを貯蓄すること」が未だ中心的課題で<戦争の商業化><戦争の産業化>が御しがたい速度で進みだしたのは最近1,2世紀である。




中国のほうがヨーロッパよりも先んじていたが商取引が発展しなかったのはなぜか?

鄭和の遠征はヴァスコ・ダ・ガマの5倍規模でそのままヨーロッパやアメリカ大陸にたどり着いていたら征服できた。それを成さなかったのは航海資源の問題ではなかった(その余裕はあった)。

※cf.地中海を中心として海上貿易に慣れていたヨーロッパ人


11cのコークス高炉の急増もそのまま行けば産業革命を期待できるものだったが成されなかった。


指令の組織、官僚機構の行き届き、それを支える儒教エートスによって商や戦などの手の仕事は「卑しいもの」とされていた。

(そして官僚機構とその内部のエートス、イデオロギーの腐敗によって組織は停滞していった。官僚はしばしば新しい機会を阻害した(ex.鉄鋼や商の普及))

商の余剰資本は指令組織に連なるレント(ex.官僚、地主化、年金)のために投資され、プロフィット的な投資はされなかった。(cf.フランス革命後の名望家のレント(年金)投資)。



11cに地中海でも生じた商業活動の急成長、貨幣区間経済への転向は中東 → 中国を経てヨーロッパに影響した。







13cヨーロッパ戦争の技芸(アート・オブ・ウォー)の時代

騎士中心から傭兵中心へ

力任せのランスチャージからパイク、ランス、クロスボウの戦術的配置と訓練、指揮

北イタリアで防衛戦力を傭兵にアウトソーシングしたことが商業の発達を促した

儒教≠キリスト教聖職者につながる商業嫌悪。<彼らは略奪していく>という不信。≠設計思想

ランス一部隊(6名ユニット)ごとに文民の行政官が契約、働きをチェック → 家族でもないよそ者への不信を払しょくするような「おなじみの付き合い」が生まれていく → 文民統制の先駆け

税金を徴収されるのと略奪されるのとの間でコスパ計算 → 略奪保険としての税金 → 税金から傭兵に給料が支払われる → 給料が都市の商業に支出され商業が再生産されていく







15c火薬の時代

火薬を飛ばす/飛ばされる材料として第二次青銅革命 → 「材料と技術がより現地に近いところが優位」 → イタリアから南ドイツ、ボヘミアへ軍事技術の中心地が移る(銅と銀の鉱山)cf.フッガー家ほかがイタリアの金融センターと張り合うように

イタリアの都市国家の力が相対的に弱まっていく

攻城武器としての大砲 → 対大砲としての斜堤、堀、塁壁

しかし大砲によって戦端が開かれていく


海上戦闘は衝角突き当てからの乗り移り白兵戦が中心だったが大砲を利用した距離を保った戦闘へと移行していく。

動く稜堡としての大砲付き艦

アルマダからオランダ、ポーランドへ

ただし、イングランド艦隊も砲撃だけではスペインを沈められなかった。アルマダに最大の災厄を持たrしたのはイギリス海軍ではなく、内海(地中海)ではない外海(大西洋)の荒波、暴風雨だった



※中央集権と設計思想が完全すぎるところでは商業が発達しなかった(取引や商業はあってもヨーロッパ的な金融にはならなかった? ex.中国、日本


商人(交易)と略取(防衛)はセットだった。なのでヴァイキング国家オランダとイングランドがスペインを圧倒していった。


オランダ独立戦争ではフェリペ2世の破産により「スペイン人の怒り」が生じ将兵たちの破壊によってアントワープが略奪、破壊された。これによって金融センターはアムステルダムへ移った(王権よりブルジョワ統治のほうがよい)。

増大化する軍事支出は王や皇帝たちを苦しめた。

徹底した中央集権、指令(コマンド)原理の国であれば全体主義的に徴発すれば良いところだろうけどヨーロッパではそれが出来なかった。

よしんば徴発や借金の踏み倒しをしたとして、そのようにした中国では「正当な取引・適正価格が通らない」ということで金融事業や通商事業が育たなかった。

また、対象とする軍事リソースとの距離の問題もあった。

大砲製造の街リエージュはスペインから離れ、ネーデルラントには隣接しているが直接統治下ではなかった。リエージュは幾度も軍事占領されたがそのたびにたちまち大砲製造が中断された。大砲を得たいと思うなら軍事占領をとき、市場をふたたび自由にする必要があった。

ヨーロッパの特徴である極端に細分化された政治地理のおかげでリエージュ以外にも何十という企業家のための避難所が地図の上に散在した。





18c、商業と略取というアウトソースによって拡大していったヨーロッパの軍隊は官僚化という形で組織化されていったが試練の時を迎える。



兵士には規律訓練が行き届きそれによって海外遠征でも優秀な殺人機械として性能を発揮し信頼された。

三兵を軸に火砲の圧倒も搭載したヨーロッパ的軍隊は周辺を圧倒、それにより周辺略取が盛んになっていた。ヨーロッパの周辺部(辺境国家)であるイングランドとロシアが地理的な優位を発揮した。ただ、両者には違いがあった。イングランドが強制よりは市場誘引に依る資源動員をしたのに対しロシアが農奴労働頼り、人的労働力集約だった。


大航海時代の頃から軍隊の出動には「物資の限界」の意識が強くなり経営的性格へと変化していった。17cまでには陸軍も海軍ももはやありあわせの戦力の寄せ集めではなくそれぞれが経営的成果の芸術作品となっていた。

しかし軍事技術と経営的性格の発展による軍事組織の発展には4つの限界があることが明らかになった。

1.軍隊は兵員数約5万人以上になるとその運動を統制することが困難になる → 新しい意思伝達方式と精確な地形図が必要(→参謀部ができる) → 師団の発明(歩兵、騎兵、砲兵の三兵種に支援要員(工兵、衛生兵、通信専門家など)を加え参謀が全体の動きを統御する1万2000人単位のユニット)

2.補給の限界 → 後方支援を待つために機動力が削がれた

3.組織人事における縁故的なもの → 派閥抗争

4.非戦闘員的枠組み(税金の関係で国民皆兵できなかった) → ナショナリズム、フランス革命によって払拭


これら4つの限界突破がフランス革命からのフランスの躍進の下地と成っていった。



18c後半から19c中盤、フランス革命からナポレオン的躍進期

この時期のヨーロッパのダイナミズムの下地は人口の急激な増大にあった。ちなみに16c文化革命の下地もそれ(ペスト後の人口増)。ペストは14cにヨーロッパが急激な寒冷化をしネズミが都市に集まったため、ともいわれる。

出生率が下がり識字率が上がると政治的な変化が生じやすい。

工業化、あるいは近代的商業化(プロフィット経済)に移行していない土地依存経済においては人口が増加すると資源が足りなくなり社会的不満 → 混乱が生じる。

フランスはこの問題に外国侵略(皆兵としての雇用)という形で対応し、イギリスは商業強化(産業革命を通じた雇用)という形で対応した。

フランス軍は国民皆兵の優位を活かしとにかく数で圧倒した。高速度の行軍、戦略的集中、戦場での攻撃的戦術がフランス陸軍の18番となった。

フランスの根本的弱点は費用が高くつく陸上輸送に輸送手段を頼っていたことだった。これは特にロシア攻めの時に響いた。ロシアの寒冷期、農村からの徴発もきかず物資は枯渇した。

これと対照にイギリスのポルトガルとスペインへの派遣軍は海上輸送に頼っていた。また国内でも運河建設←投資が流行り輸送速度があがりコストが下がった。

対仏戦争による政府の市場介入はイギリスにおける産業革命を促進し、その進路を助ける効果をした。


ナポレオン戦争後、軍事改革面でフランスは保守的になりプロイセンは躍進した。たとえばフランスでは有望な技術革新であっても保守的な司令官たちからは相手にされずお蔵入りし、軍隊内部では反知性主義が横行し参謀が軽んじられた。プロイセンはその逆を行きモルトケに通じる下地を作った。






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関連:
中世ヨーロッパの戦争と正戦論: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/218676600.html



「近代」と軍隊の官僚制: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/219164793.html


学校「世界史」のわかりにくさと「歴史の見方」みたいな話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/223226126.html




posted by m_um_u at 11:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界史このエントリーを含むはてなブックマーク
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