2007年04月13日

インセンティブと教育の質について

 巡回先2箇所でテーマが重なったのでちょっと書いてみよう。まずこちらから孫引き(夏目漱石『道楽と職業』)

smallpineの日記 / 腐りかけの果実の自分語り - いつの間にか常識が変わっていたこと 2 (文豪の目線から)


......(前略)...... 多くの学生が大学を出る。最高等の教育の府を出る。もちろん天下の秀才が出るものと仮定しまして、そうしてその秀才が出てから何をしているかというと、何か糊口(ここう)の口がないか何か生活の手蔓(てづる)はないかと朝から晩まで捜して歩いている。天下の秀才を何かないか何かないかと血眼(ちまなこ)にさせて遊ばせておくのは不経済の話で、......(中略)...... 一日も早く職業を与えれば、父兄も安心するし当人も安心する。国家社会もそれだけ利益を受ける。それで四方八方良いことだらけになるのであるけれども、その秀才が夢中に奔走して、汗をダラダラ垂らしながら捜しているにもかかわらず、いわゆる職業というものがあまり無いようです。あまりどころかなかなか無い。今言う通り天下に職業の種類が何百種何千種あるか分らないくらい分布配列されているにかかわらず、どこへでも融通が利(き)くべきはずの秀才が懸命に馳(か)け廻っているにもかかわらず、自分の生命を託すべき職業がなかなか無い。......(中略)...... 国家の経済からいうとずいぶん馬鹿気た話であります。......(中略)...... けれども今言う通り職業の種類が何百通りもあるのだから、理窟(りくつ)から云えばどこかへぶつかってしかるべきはずだと思うのです。ちょうど嫁を貰うようなもので自分の嫁はどこかにあるにきまってるし、また向うでも捜しているのは明らかな話しだが、つい旨(うま)く行かないといつまでも結婚が後れてしまう。それと同じでいくら秀才でも職業にぶつからなければしようがないのでしょう。......(後略)......



 いわゆる「雇用のミスマッチ」現象ってやつかな。

 明治期と現在の違いは「最高学府の質が落ちた」という大学側の責任だけではなくて、「<知>に対する世間的評価が下がった」ということにもあるように思う。ありていに言えば、「企業側が大学側の知識を軽んじるようになった」、ということ。(cf.「しょせんは学生のお勉強なんか役に立たないんだから」)

 これはどっちが先かはよくわかんなくて循環論っぽくなりそうなんだけど、ちょっと思うのは昔は大学行く人ってエリートだったしなぁ、ってこと。なので講義をする側もされる側も大学教育に対する責任意識みたいなものがあったのだろうし、世間的評価も高かったのかなぁ、って。(っつーか、ちゃぶ台返しするとオレはこの時代の大学評価ってよく知らんのだけどね)

 

 まぁ、とりあえず、そんな感じで「企業側による大学教育(あるいはそれ以降の高等教育)に対する評価が低いので学生のインセンティブが弱い(大学教育が盛り上がらない) ⇒ 学生の質が下がる ⇒ 企業が大学教育に失望する(雇用減らす) ⇒ 学生の質が下がる・・・」っていうデフレスパイラルみたいな現状があるように思う。

 こういうのは特に(いわゆる)一流じゃない大学で深刻で、そういう学生は就職活動のときにあまり活発に就職活動しないんだそうだ。最初から脚切りされるの目に見えてるし、それだったらって感じでマイナーな地元企業に就職しようとする。そういう場合、それまでの勉強とかあまり関係ないし(「むしろ邪魔」って思われたりね)。

 なので、教育のモチベーションに対して正のインセンティブを設定する場合はこの辺りをなんとかしないといけない(ってのはこの前福耳さんとこでもお話したな)。

 「なんとかする」ってのは具体的に、もうちょっと条件の良い企業に学生がアクセスできるように就職課などが学生と企業の間に入って積極的に取り持ち(鳥餅)活動をしないといけない。てきとーにデスクでふんぞり返って「フリーターは惨めだぞー」なんて言うだけなのはロボでもできるわな。



 インセンティブと教育の質関連では5号館さんとこにもエントリ出てた


5号館のつぶやき : 科学オリンピック:クローズアップ現代


 やっぱ「学術系はインセンティブないので優秀な人材は銀行とかに行った」んだそうな。もしくは天下り狙って官庁行ったり


池田信夫 blog 天下りの経済学


 
 まぁ、そんなこんなで学術を下支えする「優秀な人材」(?)ってのが流出していった、と(んで、さきほど示したような<知>のデフレスパイラル)。

 個人的には日本の研究環境(特に文系)って坊さんと同じような気がする。研究費少なめでひたすら修行って感じ。それはそれで清貧って感じなんだけど。なので、前にいた研究室のことを心の中で「尼寺」と呼んでいた。(女性比率が高かったもので)



 ところで実際に日本の大学教育(あるいはそれ以降の高等教育)のレベルというのはどういったものなのか?世界的に見て通用するのか?

 ちょうどそういうの関連で論文の引用動向でてた(via.成城トラカレ)


日本の論文の引用動向1996-2006


 なんか日本の大学だけクローズアップしてあって分かりにくいけど、たしかこれ系って中国の大学(北京と・・どこだっけ?)とインド系が躍進してきてるんじゃなかったっけ?(んで「日本には越えられない壁がある」とかなんとか)。とりあえず考察

世界第1位をどう見るか
その一例として、ドイツのマックス・プランク研究所や、中国の中国科学院があげられます。傘下の研究機関をそれぞれ、Max Planck Society、Chinese Academy of Sciencesという名称の元に集めた結果、これらの研究機関はEssential Science Indicators データベースが集計する多くの分野で世界のトップ1パーセントにランクインすることとなりました。今回の4分野のうち、マックス・プランク研究所は化学、物理学の2分野で世界1位、また中国科学院は材料科学分野で世界1位となっています。しかしこれはそれぞれが傘下に擁する研究機関名をひとつに取りまとめた結果であり、2004年まで世界第1位であった東北大学(材料科学)、東京大学(物理学)などの研究パフォーマンスが下がったと見るべきではありません。



 ん゛ーーーー

 中華が「材料科学分野で世界1位」とな(って材料科学ってなんだか知らんけど)


 とりあえずバイオと薬学、臓器系とられなかったらいいと思うんだけどその辺どうなってるんだろうか?


 あと、文系について全然わかんないね



 っつーか、文系の引用率って極端に低かったか・・。


 
 てきとーな遊びみたいなことやってる人が多いからなぁ・・。(「ぽすともだん」で脳みそとろとろだし)





 個人的にはコツコツとやってる職人タイプの学者の研究というのは世界的にも通用すると思うんだけど、そういうのは地味すぎて日本の学会とか論壇でも相手にされんしなぁ・・。

 


 まぁ、それはそれとして




 もしも地味に脳資源が学術系の中に埋もれているとしたら、そしてそういうのが正当に評価されていないとしたら、それこそビジネスチャンスっぽいな。世は「フラット化」って感じだし

「うまいこと女衒すればよい商売になる」っていう言い方は品がないが、紹介するほうされるほうにとっても良い試みになるように思う。




 でもそういうのの人材マーケットとして求められるのって技術であって創造性ではない、と。


 その場合、理系だと技術って感じだろうけど文系だとなにになるんだろう?(翻訳とか?)




 それはそれで寂しいものがある




 もうちょっとなんとかならんのかなぁ










タグ:学術 大学 教育
posted by m_um_u at 21:55 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
思いつき垂れ流しの、お粗末で雑駁なブログですね。
Posted by お祖末 at 2007年05月21日 14:34
そう思うのならなんらかの根拠を示してください。っていうか、ハンドル名を「お粗末」としているということで、「お粗末」というのはほめ言葉なのかしら?
Posted by m_um_u at 2007年05月21日 14:59
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