前のエントリで「近代資本主義のスタートアップには『内需が増えた』だけでは不完全で、内需をバックアップするための実体的な富の産出が必要だったはず。つまり工業と世界システム的つながり」といったんだけどそれだとなんか「やっぱり工業が産業革命の中心だったんだー」みたいな印象が残るかなあとかもんにょり。
そんで本書を読み終えつつ改めてメモ的に
<イギリス産業革命の真髄は工業ではなく金融業の発展にあった>
つまりジェントルマン(金融と金利生活)資本主義というやつ
これはモノ作りうんたらとか「資本家による労働者搾取」な視点(マルクス主義?)からの金融業批判的な見方へのカウンターだったように思うんだけど、その文脈を外せばやはり需要と金融の部分を強調しすぎてるきらいはある。
後発してきたドイツやアメリカ、日本に対してイギリスが遅れを取ったのはなぜか?:
産業革命は一度やってしまうと設備投資費がやたらかかるので、次のエポックの産業革命にはなかなかシフトできない(経路依存)
<経済全体において「金融」をどう捉えるか>
車輪のギアのようなものか?あるいはダムのようなもの
貸し借り/金融があることで富のタイムシフト、先行入力ができる。その時点で資本が無いためだけに動きがとれない/使われてないリソースが使えるようになる。
これはヴェネツィア (→フィレンツェ) → アントウェルペン → アムステルダムと継がれてきたものロンドンが受け継いだだけ。
オランダは金融エンジンを介しても取次ぎ貿易に終始していたのでジャンプアップできずイギリスに後塵を拝することになった。
しかしそれは「衰退」「不幸」といえるのか?(パックス・ブリタニカの成長止まりを「衰退」としてナイーブな反応をするのは成長パラノイアといえないか?)
(成長パラノイア的な「衰退」観がサッチャーに利用され新自由主義的なリストラが起こった。結果としてシティ(金融)は元気になったがカンフルするはずだった工業たちは別段元気にならなかった)
とりあえずイギリス近代史-イギリスの産業革命の真髄としては「工業だけではなくオランダから引き継いだ金融業や世界システム的なつながりがより効率的に錬成された結果」だったといえそう。


