2014年01月26日

資本主義と後期近代




以下読んだところから生まれた雑感をもけもけーっと



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「読んだ」つてもけっこう流し読みで特にヨーロッパ大全と移民の運命は500頁な鈍器本だったのでそんな感じだったけどまあとりあえず。いちお読んで着想が生まれる/生まれたのが大切なので。


イギリス近代史講義を読もうと思った動機は「ヨーロッパ大全がわかりにくい」+「バークの省察だけではコモンロー+心性史からのイギリス近代資本主義のテイクオフがわかりづらい」からもそっと具体的なイングランド近代史を見てみたかったからだったけど、心性史の部分は載ってなかったので(´・ω・`)ガッカリて感じだった


んでも読み進めてみるとさすが川北せんせで得るものはあって4章「世界で最初の工業化はなぜイギリスだったか?」が白眉だった。けっきょくは<需要が資本主義を加速させた>というゾンバルト的な見方が結論でそれはこの本全体のテーマになってたようだけど。「女性と子供労働者が増えてそれまで買われなかったものが買われはじめて需要が増え、市場→経済のボリュームが飛躍的に上がった」

たしかに統計とか現象を見てみるとこれが近代資本主義加速の際のメルクマールにはなったのだろうけど論理的にはわかりにくい。「需要加速したって肝心の買われるモノが用意されてなきゃ意味無いじゃん(´・ω・`)」

なのでこの考え方は世界システム論的に買われるモノが用意されてるのを前提とした話になる。あるいはゾンバルトのそれも封建制・ゲマインシャフトな時代よりも分業・物流・移動が高度化してより多くのモノが用意されだしたことを前提としていたのだろう。

ただ、「イギリスの工業化、近代化が加速したのはイギリス一国の力に依るのではなく先行する中国のコピーをしたからだ」「もともと中国のほうが進んでいて、ヨーロッパの商・経済はそれを真似する形で進んできた。たとえばウェッジウッドとか」「中国から輸入してただけだと高いので自分達で作るようになった」「より多くの欲望のサンプルを中国に真似た」、というのはわかりやすかったけど。こういう形でより多くの需要の当てが用意されるようになったのだろう。

そんでここで涵養された需要というのはたぶんエンジンにおける巻き込み力みたいな感じになるのだと思う。エンジンつか水車をイメージしてもいいかもだけど。


一国の経済-市場というエンジン・水車があってそこから生み出されるエネルギーが実質的な富-豊かさ-何かを消費することで生まれる効用(益)だとすると、金は水であり、需要-商品というのは水車の凹みの部分な感じ。凹みの数と大きさを上げていけばより多くの水を書き入れられそれによって動力が生まれる。


資本主義の対義語は社会主義と言われがちだけどふつーに考えれば資本主義以前のものだから前資本主義。つまり土地と人的リソースを基本にした農本制度であり、土地・人的リソースをレントとしたスタンドアローン的なものだったのだろうけど、それがプロフィット系の経済に変わっていく過程でより多くの分業機会をつなぎ増やすことで高度にネットワーク化していったのだろう。

資本主義て名づけがそもそも悪くて、、資本(金あるいは設備提供で直接作業しない)うんたらつのは昔からあったんだけど、それを分業ほかで間接するようになり、世界システム的に極度に規模が広がったのが近代資本主義。なのでイメージとしては封建(土地と人的リソースに依る労働集約)がスタンドアローンだとしたら近代資本主義はネットワークであり、それをイメージした方がいいと思う。


資本主義の資本というのは金や設備を指し「直接に作業をしない」ということ。資本家は金や設備を投資するだけで自分では労働しない人たちを指すので。なので「金や設備を出す代わりに労働力をもらう」「わたしは資本を出す。あなたは労働力を出して」という資本的分業を意味する。

前資本主義的な労働集約、つまり「直接に自分が生んだ富しか信じない」系の人たちはそういった分業を胡散臭く感じたのだろう。まあ「先祖の土地で資本家してる」「その既得権益がなかなかに移動しない」っていうレントも発生してるし。


なので資本主義と呼ばれるものの原型はプロフィット型経済であり、それは商業、金融辺りで18c以前にも行われていたものになる。

では近代資本主義がなぜドライブしたのか?近代資本主義はそれ以前のものとは異なったもの、つまりこれこそが資本主義的なものとしてイメージされるのか?


抽象的思考を進めれば近代資本主義がそれまでのものと画期するのはおそらく扱えるマネーの量が莫大に増えたから。水車のアナロジーに戻ると、需要・商品種が増えたことによってかきいれられる水の量は増えたわけだけど、そもそもそのときの水はどこから引いてくるのか?という問題。

水はマネーとしてアナロジーされたけど貨幣はとりあえずそのマネー、富を国家を通じて信用代替したものに過ぎないので富の本源のところが必要になる。では近代資本主義がそれまでの資本主義と画期する富の本源とは何か?

それが工業であり世界システム的なつながりということになる。


従来の考えだと工業-産業革命をして近代資本主義のドライブ要因と見ることがふつーだったように思うけどそれはたぶん富の源のひとつに過ぎない。産業革命自体はこの時代以外にもあったわけだし、ほかの国の産業革命、近代的な産業-経済画期と比較するとイギリス型の産業革命の型だけが近代化の必要要因とはみなせないようなので。たとえばドイツや日本などはイギリス型に遅れた産業・経済革命を起こしていったけどその時の産業の中心は綿工業でもなかった


ポイントは分業と専門化で、それらがネットワーク化され高速化されていったこと。そしてそのメディウムとなる専門職やメディアが増えていったこと。たとえば金融業や貨幣。


工業というのは水車的なアルゴリズムの巨大なもので、分業的な体制の集約といえる。そこではリソースを人的なものから化石燃料に代替していくことでより多く効率的に生産できるようになった。あるいは工場の前段階としてのプランテーション、エンクロージャー。これらは畑の工場といえる。初期では経営者-小作的に分業していたそれも世界がつながることで、他国から人的リソースを取り寄せ、最適な土地にそれを移動することでさらに効率的にモノを生み出せるように成っていった。



つまり近代資本主義の本源と言うのはこの辺で、「生産様式において分業が高度連結化したこと、加えてその動力を他国の人的リソースあるいは化石燃料などに頼るようになったことで一国の人的リソースに頼っていた頃に比べてはるかに莫大のモノを生み出せるようになったこと」、といえる。


生産様式における分業、専門化、効率化、連結化…そしてそのリソースを世界システム的に海外に頼れるようになったこと。加えて言えばそれらに関わる量の管理を数学的に統御できるようになったこと、が近代的な発展とそれ以前を分ける画期なのだろう。




複雑になったので抽象化して単純化しつつ復習すると、「ヨーロッパのほうが遅れていた」「海外進出」「中国にならって需要が増えた」、までは良いのだけど「需要が増えて貨幣刷って先行入力的に消費と市場拡大していくのは良いとしても、それは信用代替の上に膨らんだバブルであり実体的富とは別物なのでは?」という話だった。んでもイギリスの産業革命-資本主義では工場の高度化、エネルギー革命・世界システム化によるリソース補給で最初に借りていた富を見事に補填していったのだろうけど。


では逆に需要と貨幣先行状態で信用を代替しているものへの信用が失墜したらどうなるか?

オイルショックのインフレというのはそういうものだったし、それは基本となるエネルギーに対する不安ってことだった。なので生産様式における基本リソース、基幹エネルギーの問題というのはその国の経済に直結する。

アジア三国志なんか見てるとそのへんがよくわかって中国が次の経済段階にシフトするためにはより多くのエネルギーが要るということでアフリカほかへの投資が重要になっている。そしてアフリカからのシーレーンの問題。マラッカ海峡を封じられるとヤバイのでポートフォリオを用意したり。


「経済が次の段階にシフトする」というのは一番わかり易いのは農本主義的なものから工業的なものへシフトということだけど、工業的なものから脱工業的なものにシフトするのが後期近代的な流れ。


後期近代というのは未だちゃんとギデンズ読んでないからアレなんだけど、いわゆる脱工業化によるライフスタイル-価値観の変化ということになる。

脱工業化という言葉はびみょーで、それだけだと工業ほか一次・二次産業を捨てて三次産業が主体になるみたいな夢物語になりがちだけど、単に就労における三次産業割合が一定のしきい値を超えるということだろう。そんで、そのしきい値を超えるとサラリーマン的社会になる。直接ものを作る現場にかかわらずにそれを管理したりする人が一定割合を超えた社会。プロレタリアート的社会からサラリーマン社会へ。



「1960-1990にかけてフランスの価値観が変わっていった。結果的に平等主義を基本とするフランス中心部のエリート層に差異主義が移入されるようになっていった」というのは「移民の運命」の主題だったわけだけど、その変化の基底にあったのはこういった後期近代-「プロレタリアートがいなくなっていった」ということだった。


宗教革命以来、反動化して残っていたキリスト教の価値観のうち民主主義的平等主義に属するもの、カトリック的なものは社会主義と相関していた。しかし60年代からの経済-ライフスタイルの変化を受けて「もはやプロレタリアートはいないじゃないか」「いたとしてもマルクスの時代のような悲惨さがあるわけではない」という事態に直面した。ここで社会主義的価値観が崩壊していく。


トッドによると宗教イデオロギーの次に来ていたイデオロギー、価値観は大きく「階級」と「民族」をめぐったものだった。このうちの階級的なものが経済-ライフスタイルの変化で実質的に意味をなくしていった。


フランスの場合、差異主義が入ってきたのはパリ盆地以外の地方の価値観が経済的不安を背景に高まっていったからか?と思ったけどそういった背景は述べられていなかった。単に「エリート層がアメリカほかから影響を受けて(1968-1980)」とのこと。


まあとりあえずこんな感じで経済-ライフスタイルが変わるとそれまでの価値観の変化が生じるぽい。



後期近代的なシステムに変化しようとしている中国においてもこれからそういった事態が予想される。

中国は共同体家族に属する地域。共同体家族の特徴は「親子関係においては権威主義的で、兄弟関係では平等主義」というもの。なので親や長老を重んじ、それに連なる大家族的な血族・コミュニティになっていく。それは共産主義と相性が良かったわけだけど…それは漢民族を中心とした場合のなのかな?後期近代への変化においてはその辺りの価値観の衝突が起こったりするのだろうか?


アジア三国志的にはマッキンゼーかなんかはこのあたりのシステムの安定性が不安で「それが落ち着くには民主主義が定着すること」として民主主義定着の指標としてミドルクラスの増加を置いてるみたい。ただしこの「ミドルクラス」の定義がぼんやりみたいだけど





まあとりあえず読んだ本全体をつなげるとそんなことが思えたわけだけど、差異主義とヘイトスピーチ、表現の自由と露悪的表現の是非に関して昨今のイルカ食、「明日、ママがいない」うんたらでも思ったので稿を改めたり改めなかったりしよう。



あと、後期近代言いまくりだからいい加減ギデンズ読んどくか。。



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posted by m_um_u at 21:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク
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