2014年01月22日

¥地理(農業→病原菌)¥交換(経済)¥生産様式¥家族¥エートス¥制度



バークの「省察」は自由主義の基本というか、自由主義的なものをインストしてる人のふつーの感じって本だったんだけど
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/385688514.html


その中でやたら権利章典やら民衆に依る自由の基本的なところ(野放図な自由以前にルールがあるがそれは国家ではなくわれわれが慣習としてつくってきたものだ)という話の裏付け的なものを見たくてこれを読み始めたんだけど外れだった。。



イギリス近代史講義 (講談社現代新書)
川北 稔
講談社
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期待していたのは個人・自由主義の真髄・歴史、アングロサクソンの精神史。大衆レベルから「自由」とその背景としての慣習法がどのようにつくられていったのか?そしてどのようにそれを尊重し価値として精神に刻まれてるのか?という歴史語り。


そしてそれがどのように平等と自由の価値を宥和させ「人権」を介して近代的な民主主義の形に成っていったのか?


アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫)
トクヴィル
岩波書店
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イギリスが産業革命でテイクオフした理由の基盤のところにレントからプロフィット(つまり近代資本主義)に変化したからってのはあるのだろうし、その経済系・制度変化のところで価値観・エートス関わったのだろうけど、そのあたりの説明。


トッドもいってたように「イギリスというのはむしろ遅れた国で、フランスのほうがシステムとしては先行してたけどその遅れ、単純さがゆえに工業・産業化にうまくハマってテイクオフ出来た」+「オラニエ公ウィレムをオランダから迎えてプラグマティックになっていった」があるみたいなので


E.トッド、「新ヨーロッパ大全(T)」、「世界像革命」読んで、今後のお勉強流れと雑感: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/385084577.html?1389614798
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/385418548.html


その辺の「むしろ遅れていて、大衆一人ひとりがあたま空っぽだったほうが工業化→産業化には都合が良かった」あたり。ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの変化というか。。


川北さんの新書はそういう近代的変化を「都市化」「消費のドライブ」「ジェントルマン資本主義」という切り口から説明してるぽい(いま読んでるとこだけど

「消費の側から見れば、成長を推進してきたのは、都市化そのものなのです」(82頁)。

「「経済成長」という概念は、ヨーロッパを中核として成立する近代世界システムの基本イデオロギーだというのが、私の見方ですが、したがって、時系列数表もまた、ヨーロッパに誕生します」(110頁)。
「需要の問題、つまり綿織物はなぜ好まれたのかということを見ていくと、必然的に生活文化の問題になってきます」(159頁)。

「しかし、そういう考え方にしたがえば、イギリス人が勤勉に働いて、禁欲的にして、できたものは誰が買ったのかという問題が残ってしまいます。消費需要の拡大が説明できないのです」(197頁)。

「この人も、「衰退はない」という議論ですが、「衰退感」はあるというのがその主張の特徴でした。サップルが問題にしたのは、人間の欲望はどんどん拡大していく。右肩上がりに上がっていかなくてはならないという、先に申しました「成長パラノイア」です。生活レヴェルは上がっていかなければならない、という欲望はあるのだけれども、それに対応した経済成長ができていない。そこがイギリス人の「衰退感」の原因であるというのがサップル教授の見解です」(248頁)。

本書を通じ、ジェントルマンの定義(=貴族及び平民たるジェントリから成り、有閑階級として独特の教養と生活様式を維持することが求められ、一部はやがてシティと一体化していった当時の大地主たち)や経済合理主義だけで産業革命が発生した訳ではないこと(177〜185頁、例えば社会的間接資本の担い手の問題)など、非常に多くを学ぶことができた

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・・精神史ということだとアナール学派系に期待したほうがいいのかなあ。。しかし二宮宏之さんフランス史だし。。


二宮宏之 - Wikipedia http://bit.ly/1bZelnq




関連でぐぐってたらなんかこんなの見つけて、そういや「読むもの」メモに入ってたなあ、と


国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源
ダロン アセモグル ジェイムズ A ロビンソン
早川書房
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レビューをいくつか見るとダイアモンドの地理的な決定論を受けつつ「( ゚Д゚)<いや、制度で決まっていったんだし!」といってる話みたい。収奪的制度と包括的制度という言葉がキーになるみたいだけど、レントからプロフィットってことだし組織的には伽藍からバザールへて話ぽい
本書は、様々な歴史的事例をレビューし、持続的な経済成長の必要条件は「包括的制度」であると説きます。裏を返せば、持続的な経済成長に失敗した国家は、既得権層から富を奪う可能性のある技術革新を阻害する「収奪的制度」が選択されていたり、「包括的制度」の持続を担保する中央集権化に(ソマリアのように)失敗しているということになります。また、「包括的」「収奪的」いずれの制度が選択されるのかという点については、名誉革命・明治維新・フランス革命のような歴史的偶然(経路依存性)に左右されるとされます。
経済成長の条件を考える上で、本書が指摘する視点は一定の有益性を持つと思います。この種の議論でクローズアップされがちな政治的指導者の資質論・地理的決定論・文化的決定論を排し、最近の経済学の重要な一角を占める制度の経済学のフレームワークで一貫した論旨は分かり易いと思います。

ただし、本書の立論は前近代まで含めた歴史の議論としては、やや一般化の度合いがきつめであるように見受けました。「包括的」「収奪的」制度の峻別はかなり曖昧(江戸時代の日本やオスマン帝国は「収奪的」なのか?)です。また、持続的経済成長の失敗を全て収奪的制度(包括的制度の欠如)に帰する議論は、歴史的な見方であるとは言いにくいと思います。イギリスの持続的経済成長が1688年の名誉革命から現在まで継続しているとしても、325年の歴史です。著者が「収奪的制度であった」とするローマ帝国、オスマン帝国、宋・元・明・清、戦国〜江戸期の日本などでも、それ以上の期間に渡って(近代経済成長の様ではないにしろ)経済成長があった可能性は否定できないでしょう。歴史解釈という点においても、本書の視点(ex.ローマ帝国衰退の原因が共和制から所謂帝政への移行にあった)には疑問符が付く箇所が散見されます。

本書の分析は、“創造的破壊”が決定的な重要性を持つようになった近代経済成長以降の時代に適用範囲を絞るべきであったのではないでしょうか。この種の「大きな」歴史の話をするには、エイミー・チュア『最強国の条件』が提示したような緩い枠組(各時代の最強国家は、その時代で相対的に最も「寛容」であった)にしておいた方が良いのかも知れません。
上述の通り、無益な書ではないと思いますが、各界から「絶賛」される程の評価には少し違和感を覚えました。
http://morutan.tumblr.com/post/74155336373

「銃・病原菌・鉄」が産業革命以前の人類の発展の歴史を描いているとすれば、本書では産業革命以降の発展の要因を描き出している。

産業革命のような技術的・資本的発展を行うためには、権力が法に基づいて公平に執行され、事業家が投資や技術革新を行うことによる利益が得られる体制が必須であると喝破した。

著者は、政治体制と経済体制の二つについて、包括的(公平な法に基づく統治)と収奪型(一部の特権層が利益を独占する)の二種類に分類して、包括的な政治・経済体制を持つ経済だけが長期に発展できると定義する。

中国のように、政治体制が収奪的であっても、経済体制が包括的であれば、資本の蓄積による一定の発展を遂げることができるが、技術的革新(全要素生産性の向上)が起こらないので、余剰労働力がなくなった時点で経済成長は止まるとしている。

本書の主張には一定の説得力がある。少なくとも北朝鮮のように極端に収奪的な経済体制のもとでは、経済は全く発展できないことは論を待たないであろう。

しかし中国やシンガポールのように収奪的政治体制と包括的経済体制を持つ国の全要素生産性の伸びが、日本や欧米のように包括的政治体制を持つ国よりも劣るのか、という点について、私は100%確信を抱くには至らなかった。

本書の難しいところは、単に民主主義にして選挙を実施するだけでは、包括的な体制は作れないとしていることである。選挙の不正があるかもしれないし、選挙を経ても一部のエリート層の権力は温存されるかもしれないからである。

そのため、何を持って「包括的」「収奪的」と判断するのかの定義が曖昧であると思われる。少なくとも本書の中では、その定義は十分ではない。

また、包括的制度に移行するためには、偶然や幸運によるしかないと述べており、それが正しいのであれば、アフリカ・中東・ラテンアメリカなどの発展は極めて難しいと言わざるを得ない。

国際社会は「援助」などという生ぬるいことをやめて、強制的にでも包括的制度へ移行させるための道筋をつけるような手段が必要なのであろうか? どうやって?

読書の楽しみという面から見ると、本書は繰り返しが多すぎて冗長な本であると思うので、総合点としては星4つとした。一般向け書籍と考えるなら半分の量で良かったのではないだろうか。専門書として考えれば、数表などがもっと欲しいところであるし。

訳は読みやすく、稲葉振一郎による解説も大変良い。首を長くして日本語版を待っていた甲斐があったというものである。


国家の繁栄と衰退は、その国家が採用している政治・経済の制度にかかっていると論じている本です。

その政治・経済の制度は、包括的なものと収奪的なものの2つに分けることができるとしています。
包括的とは、権力や富が幅広く分散し、中央集権による法の秩序の元で公平性が担保されていること、
収奪的とは、権力や富が一部のエリートに集中し、独裁者の裁量若しくは法の秩序の欠落により公平性が歪められていること、と定義しています。

また、包括的な制度を採用し、その正のフィードバックにより更に包括的になることで、より繁栄し、
収奪的な制度を採用し、その負のフィードバックにより更に収奪的になることで、より衰退するとしています。

更に、包括的・収奪的のいずれが採用されるかは、
その国の制度、権力の構造、岐路での決断、歴史的偶然などによって決まってくるとし、
それがいかに小さなものでも後々に大きく影響を及ぼすとしています。

そして、包括的制度は、国民のモチベーションと産業のイノベーションによる創造的破壊を上手く取り入れることによって国家を繁栄させ、
収奪的制度は、これらを排除・弾圧することによって国家を衰退させる、としています。

そのうえ、国家として採用される制度のデフォルトは収奪的なものであり、
よほど意識的な決断がない限り包括的な制度を採用・維持し続けることはできない、とされています。

以上が、本書の要約ですが、包括的・収奪的な政治・経済制度というシンプルな枠組みで、
国家の繁栄と衰退の理由をかなり説明できているという点に本書の価値があると思います。
社会科学の分野ですから、本書の枠組みの例外は当然あると思いますが(本書では提示されていませんが)、
本書で採用されている豊富な事例を踏まえると、かなり強力な理論なのだと思われます。

本書でも触れられていますが、開発経済が上手くいかない理由も本書を読めば納得できると思います。
収奪的な制度を採用している国に、いくら経済援助をしても一部のエリートに富が集中するだけですし、
民主主義のルールを形だけ採用させても、一部のエリートがそれを都合のいいように利用するだけです。
最悪の場合には善意による経済開発援助が収奪的な制度をより強固にしてしまう場合もあるようです。

デフォルトが収奪的制度であるが故に包括的制度に移行させるのは容易ではないことですけれど、
制度は人が変えられるものですから、衰退し貧困から脱却できない国(民)が一筋の光明を得られるのは良いことだと思います。

なお、本書が対象としている国家の繁栄と衰退については、
類書として著名な、ジャレド・ダイアモンド氏の『銃・病原菌・鉄 上下巻セット』があります。

本書では、『銃・病原菌・鉄』では説明できない繁栄と衰退の実態があるとして、この理論を否定しています。
確かに『銃・病原菌・鉄』は地理的特性によって繁栄と衰退が決まるとしていますので、
本書で挙げられた同一地域での繁栄と貧困の格差の理由は説明できませんから、否定する理由もわかります。
但し、『銃・病原菌・鉄』が、地理的特性だけ繁栄と衰退のかなりの部分が説明可能であると証明した本だと位置づければ、本書と相互補完関係にあるのではないかと思われます。


なぜ繁栄する国家がある一方で貧しいままの国家もあるのか。
地理的要因や文化的要因を挙げる本がいろいろある中で、本書はそうした論を退け「制度」こそが重要であると論じる。
丹念な議論をしており、事例も豊富に取り上げられていて、読んでいて面白いのは事実である。

しかし、「繁栄と衰退を分けるのは制度だ」という説明には、疑問も強い。

まず、筆者は「収奪的/包括的経済制度」「収奪的/包括的政治制度」という概念を導入し、両者はセット(両方収奪的か、両方包括的か)で実現しやすく、収奪的の側は一時的に繁栄しても最終的には衰退し、包括的の側は成功するとしている。
しかし、肝心の「収奪的/包括的」の定義がきちんとなされていないので、失敗した制度を「収奪だった」と呼んでいるだけではないかという気もする。
また、経済制度は搾取でも自由経済でもないようなものもいろいろ存在し(介入的な経済政策等)、この二つのどちらかに属するようなものだとも思えない。

また、仮説を守るために、都合の悪い事例はいろいろと無視されている気もする。
例えば「収奪的政治制度下での経済発展はいつか破綻する」という主張については、独裁ながら経済発展を続けるシンガポールはどうなのかと聞いてみたくもなる。
また、江戸時代は身分制による絶対的支配体制ながら、農業技術、工業技術(特に職人の技)は発達し、生産量の増大、寺子屋による教育の普及等も実現しており、かなり発展を遂げているというのが一般の見方であろう。
だが、そうした事実は都合が悪いからだろうか、筆者らは江戸時代の経済を「貧困であった」(下巻p78)と書いている。これはさすがに事実に反していると言っていいだろう。

そして、一般論として「制度が重要」というのは、ほとんど当たり前のようにも聞こえる。
「収奪されている状況では経済成長できない」などというのは言われなくても知っているような話である。

逆に「非民主的な状況では経済成長できない」というのは有意味な主張だが、これは因果が逆の可能性も高い。
貧困状況下では人々は成熟した政治など目指せず腐敗してしまう、結果として民主的な政治状況が崩壊する、というのは十分にありうる。

事例は豊富だが、結論への持っていき方が強引かつ曖昧さが多いので、いささか期待を外した印象。



Amazon.co.jp: カスタマーレビュー: 国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源



ある国家が、なぜ豊かで、平和で、暮らしやすく、別の国はそうではないのか? という古典的な問に対して、「それは制度の違いだ」という本書の結論は、理解もしやすく、スバラシイものに思われる。

例えば、北朝鮮と韓国は全く同じ国民が、制度の違いによって、最貧国と先進国の違いにつながっているのだ。このことからは、制度が重要であることは、古典的な自由主義が発展につながることを意味しており、ボクも完全に納得している。

しかし、本当にそれだけか?

ボクの目から見ると、何が経済発展、経済成長の原動力なのか?については、Lynn & Vanhanenの方が、圧倒的に正しいことを指摘している。つまり、大きな目で見ると、「制度」それ自体が内生変数なのであり、それは知能の関数なのだ。集団の平均知能が高いほど、民主主義を採用し、汚職は少なく、経済は繁栄して、神は否定されている。

でも、知能もまた内生変数なんじゃないの? 金持ちは、教育に多くを投資できるから、余計に知能が上がって金持ちになるんじゃないの?  というマトモな意見がある。

しかし、この答えは、ほとんどの常識的な家庭環境では、見るべき知能の差は発生しない、というものだ。双子研究、さらにtrans racial adoption study を見るなら、家庭環境が知能に与える影響は、ほとんど全くない。もっと正確に言うと、思春期までは親の与える影響はあるが、思春期以降は全く消えてなくなってしまうのだ。

なぜ国家は失敗するのか? - kurakenyaの日記
http://d.hatena.ne.jp/kurakenya/20130628




なのでダイアモンドとリドレーインストしといてよかったなあて感じ。
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/385685354.html

あるいはエッセイとしてはおもろいけど「曖昧」てレビューでも言われてて、それを詳細にやってるのがハイエクとかなのかなあ




なのでいままで出てきた近代化の要因ディレクトリとしては



¥地理(農業→病原菌)¥交換(経済)¥生産様式¥家族¥エートス¥制度


て感じになりそう

交換(経済)以前に宗教幻想的なものが来る向きもあるかもだけど




とりあえずイギリスの近代テイクオフにつながる心性史についてはこのへんに期待、かなあ。。(あるいはその辺ダメそうだったら置いといてブローデル→ウォーラステインな地理→制度なはなし優先するか



イギリス近代史―宗教改革から現代まで
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posted by m_um_u at 18:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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