2014年01月20日

エドモンド・バーク、佐藤健志・編訳、2011、「新訳 フランス革命の省察」




新訳 フランス革命の省察―「保守主義の父」かく語りき
エドマンド バーク
PHP研究所
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最初に書いてあるように本書は原著の全訳ではなく「フランス革命の急進主義的側面への糾弾」を主に再構成したもの。実際バークのこれは往復書簡であり、全体の内容としても論文的なものでもなく「手紙」って感じだったのでこんな感じでクローズアップするのがてきとーだったみたい。

なので全体の感じとしてはフランス革命当時に隣の国からそれを見ていた保守な知識人のおっさんの雑感といった感じ。明治維新とか見てた隣国人がいたらこんな感じだったのかもしれない。


フランス革命がドタバタな流れの中での新興層のクーデター的なものだったというのはもうこの辺で見てきていて


フランス革命の背景とか要因について(暫定) 公共圏論を中心に: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381322488.html

ロイ・ポーター、2001、「啓蒙主義」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/382444000.html

ロバート・ダーントン、1984(1990)、「猫の大虐殺」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/382911771.html



トッドでとどめ的に「パリ盆地周辺と南部とか地方とかでは価値観違うしなあ(フランス革命とかも平等主義家族観の人たちがわっしょいしただけの無政府主義革命だべ」ってのがわかったので考察的なところとしてはもういいんだけど


E.トッド、「新ヨーロッパ大全(T)」、「世界像革命」読んで、今後のお勉強流れと雑感: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/385084577.html
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/385418548.html


当時のひとの雑感的にそれが裏付けられてた、という意味では面白かった。当時の人の中でも知識階層な人の雑感。



ポーターの「啓蒙主義」なんかだと未だフランス知識層に対しての希望とか理想みたいなのがあったようにおもうけどバークは最初から「あんなの一部の急進主義のゴロツキ」みたいな扱いだった。なので全体の論としてもそれが繰り返されてる。


そんでポイントとなるのはイデオロギーではなく法と金なんだけど「その両方ともダメダメ」とバークはいう。

金のほうは戦争の負債がまずあり、それを「教会がもってた権益を廃することによってなんとかしよう」というのがおーざっぱなフランス革命の流れでそのあたりは「小説フランス革命」にも描かれていた。

具体的には十分の一税の特権と教会の持ってた土地を二束三文で新政府が奪うということ。この奪った土地の扱いがダメダメだったみたい。

新政府は新たな紙幣を発行するわけだけどその信用を担保するのがこの奪った土地になる。「奪った土地を将来高値で売却するから」ということ。でもけっきょくはそれらを新政府内部の輩が二束三文のローン払いでゲットしていくし、土地や建物の維持費がみょーにかかってしまってあらたな負債になったり。。

まあ全体的に「プロフィットではなくレントで返す」って案出だったようだし、「レントのとこで維持費がー」っていうのはまさにレント・シーキングうんたらの話ぽいのだけど

http://www.nicovideo.jp/watch/sm20901330






そんな感じで金-経済政策もダメダメだし法もなにも全て作り替えてしまうって話だったのでダメダメって評価だった。

このあたりではイギリス的なコモンロー/慣習法の当然、「我々もともと住んでる豪族の権利をまず認めろ(それが自由というものだ)」という話がチラッと出てて、この辺を期待して本書を読み始めたのもあったんだけどチラッてかんじだったほんとに。

たぶんイギリス人にとってはその辺は当然すぎるのでなんかと比較してその歴史を問うみたいな視点がなかったのかもしれない。あるいは手紙であり研究でもなかったので。


そんで名誉革命からの流れも当然みたいな感じで扱ってたんだけどこの辺については同時期に読んでたリドレーのとこにのってたチョイ話のほうがむしろ興味深かった。

マット・リドレー、2010、「繁栄」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/385685354.html?1390222315


曰く、「イギリスのテイクオフは消費者階級の拡大に起因するのだろうけど根本的には名誉革命時にオランダの投機資本家に依るなかば敵対的な国全体のマネジメント・バイ・インが進んだから」ということ。つまりオランダに事業買収されてCEOを送り込まれたということ。そしてオランダ資本がいきよいよく流れ込み、オランダに習った国策の原動力としての体外交易へと急速に傾き、権利章典と憲法改革で商人の議会が力を得ることになった。

この辺についてはバークも少し触れていてオラニエ公ウィレムがウィリアム三世となった経緯についてちらっと触れていた。妻のメアリがイギリスの先王ジェームズ2世の娘にあたった。

そしてウィリアム三世によって商人の権利、財産権が認められていった。というか流れ的に入婿みたいなものだから認めざるを得なかったか。


まあこのへんはおいおい見ていくとして、とりあえず本書からは「同時代人のなかにもフランス革命びみょーってあったみたい」「その内容は」って感じだった。

日本のサヨク系のワッショイに不満持って人とかが見たらけっこうカタルシスかもしれない




posted by m_um_u at 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界史このエントリーを含むはてなブックマーク
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