2007年04月12日

バカサヨク、バカウヨクについて

 ナショナリズム関連で複数の物件が重なったのでエントリしてみる(政治系は未だちょっと苦手なのだが、とりあえず伝聞ってことで)。

 まず最初にここから


想像力はベッドルームと路上から - 左翼問題の再調査が必要だ。


 これ自体は池田センセのアッチ方面の話題に対する「どーなの、それ?」的エントリで、ほぼ同意なのだけどちょっといろいろ補足というか、背景説明みたいな感じでつけたしとこうかなぁ、と(伝聞だけど)

 ってか、その前に、池田センセの当該エントリはこれ


池田信夫 blog 左翼の最後の砦


 あと、「ナショナリズム」(と池田センセが思っておられるの)関連でこれとか


池田信夫 blog なぜインターネットはナショナリズムを強化するのか


 後者のほうから軽くつっこむと、池田センセはどうやらカルスタというものをご存知ないようで、よく分からない発表を訊いてテキトーな印象論で済ませてしまったらしい。ちなみに池田センセのカルスタ印象論はこれ


滅びゆくサヨクと語学教師の失業対策


 とても面白いw


 吉見俊哉さんの概説書とマスコミ学会の発表者の印象だけでカルスタというものを決め付けてしまったみたい。

 ってか、この本オレもみたけど確かにびみょーだった。いや、この時期の吉見さんって忙しげだったし、てきとーなやっつけ仕事いろいろ〆切に終われて大変だったんだろう。

 これはそういう本だったように思います。

 カルスタというか、CSのメディア分析理論として一番援用されるS・ホールの「encoding / decodingモデル」についてはこちらでまとめておいたのでよろしければ参照ください(ついでにメディアリテラシーへの誤解も解いてくれるとありがたい)


muse-A-muse 2nd: 「<批評>そのものへ」?


 で、軽いジャブとしてはそんな感じで、ナショナリズムうんぬんについて。こちらのエントリを見ると、池田センセはsocial capitalを引き合いに出してきてるからいちおそっち方面の知識もおありのようなんですね。

 で、その部分にはいちお同意します。ただ、後段で説明しますがちょっとびみょーっぽいです。

 そんでそのほかの部分、特にサヨクに対する印象がアレですね。

 なんとなくですが、池田センセは田嶋陽子さんのTV用の顔を全面的に信じてしまっているのでしょうか?

 いや、それならそれでなんともファンタジーあふれる話しだなぁと思うんだけど・・ってか、アレかな?田嶋さんもアレはTV用とかじゃなくても本気ってことなのかな?「朝まで生テレビは本気じゃなくてポジショントークを演じてるロールプレイだよー。楽屋裏帰ると大体の人が良識人で、“さっきはああ言ったけど、私個人はびみょーだと思ってるんですよ”って言ってるよー」、って話を聞いたけど、田嶋さんはそういうわけでもないのか?


 まぁ、それはいいとして


 池田センセのサヨクイメージってたぶん田嶋さん(TV用?)みたいなステレオタイプ的なアレなんだろうなぁ、と。


 そういうのでサヨク全体を捉えられてもたまらんなぁと思うわけです。(これも後段で説明します)


 そんでinumashさんのエントリに移りますが、『「左翼の最後の砦」が「歴史認識と地球環境」なわけないよね』、は同意。っつーか、池田センセは旧来のステレオタイプ的サヨクを想定しているので、「サヨクは歴史認識でうじゃうじゃウゼェことをいう輩だ」、ってことになるんだと思う。

 inumashさんが想定してるのはニューサヨクっていうか、旧来の反動サヨクとは別のものなので意見が食い違うんだろう。


 んじゃ、そろそろ本題。以下、宮台さんのpodcastから。


 まずは「今年のキーワード『ナショナリズム』を考える」と題した回から。


 まず最初にナショナリズムとパトリオティズムの違いってのがある。

 ナショナリズムの場合、通常イメージされるような「国家への忠誠」って感じになって対象は国家ってことになる。

 これに対してパトリオティズムの場合、「パトリ(同胞)」を中心とし、それを守るということを第一義的に考えるので、国家によって「パトリ」が弾圧された場合は抵抗する。例としてはK.イーストウッドの「硫黄島」シリーズが挙げられてた。あれは「『国家のため』じゃなくて『同胞のため』に闘うことを描いた映画」なんだそうだ。

 個人的には「国家は信じない(同胞は信じる)」という中国人のメンタリティとか、最近話題になった藤沢周平の「武士の一分」とか思い浮かぶ。後者は見てないけど、藤沢周平のシリーズだったら「国ではなくて家のために闘う」ということを描いているはずだし・・(武士道とはそういうものだったはず)。一部の阿呆は恥ずかしげもなく「国家への忠誠心を根付かせるには良い映画だ」とか言うのかもしれないけど、アレはそういう映画じゃない(はず)。

 ちなみに本来の意味でのウヨクとはパトリ的なものを大事にする人々のことを指すそうです。



 そんで、日本のナショナリズムも本来はそういうパトリオティズム的なものを含んだものだった。でも、なんか知らんけど「国への忠誠第一主義(国粋主義)」的なものに塗り替えられていったんだそうな。 例えば天皇制導入のときにもその萌芽は見えた、と。

 天皇制ってのは元々、近代化(殖産興業)を図るための御輿で、導入の最初の段階では、「とりあえずよくわかってない民衆をひっぱるためのシンボルとしてはちょうどいいから担いどけ。しばらくして民衆がものごとを判断できるようになったら(市民社会が成熟したら)御輿の役目はなしにすればいいべ」、って感じで導入したらしんだけど、なんか勘違いした一部の人たちが天皇制そのものの意義とか謳いだしちゃって収集がつかなくなってしまった。「ネタとしての天皇制がベタになっちゃった」、と。

 で、

 一部の人は天皇担いで「全体性ワッショイ(右向け右だよー)♪」ってやりたかったんだけど、そのときに邪魔だったのが例のパトリ的団結心。(個人的に)もうちょっと別の言葉で言い換えるとsocial capital的な連携と言ってもいいと思う。この部分が邪魔だったので空洞化していく必要があった。そこで使われたのが「想像の共同体」マジック。

 某朝○新聞とか?神話とかそれを受けた教科書とか?使って「天皇様は現人神じゃー」神話とか「日本は神の国だから負けるはずないんじゃー」伝説とか作って目くらまししつつ、国家への忠誠心以外のものは「脆弱な心」みたいな感じで削っていった、と。

 あと、元々関係資本的な繋がりが薄い人たちが全体性的な「この人に従っていけば大丈夫だわ」的な思想に染まりやすかったらしい。そういうのは昨今のあるある神話(エセ科学)信仰とか、エセ宗教番組信仰とかを髣髴とさせますね。

(※そういうの信じる人って当該コミュニティでの関係性が薄い人たちなんだろうか?一回調べてみたい。でも、江原トトロが好きな人たちってそんなに不幸なオーラだしてないんだよなぁ・・)


 
 で、これが第一段階。ポイントは「ウヨクは元々、国粋主義的なものではなかった」ということと「ナショナリズムとパトリオティズムは違う」ってとこ。後者はsocial capitalにも繋がるし。


 んで、第二段階。旧来型反動サヨクとニューサヨク(?)の違いについて。これも宮台さんのpodcast(「日本はいつまでも対米追従でいいの?」)から。日米安保関係の変化とそれに付随するサヨクの言説の変化の必要性について。



 まず、第一段階として


 冷戦期の2極構造の中、(おーざっぱにいえば)「共産主義圏」から守ってもらうために安保ってのは存在した。

 その際、共産主義に対して怯えていたのは日本だけではなかったのでアメリカは「世界の警察」的位置づけで見られていた。

 なので、安保の傘に入ることもいまほどの抵抗感はなかった。


 一部サヨクによる極端な嫌米言説はあったが、宮台さんによるとそれは煙幕だったらしい。

 たとえば「武器は持たないが、安保にも入らない」なんていうのは安全保障上ムチャクチャな論理だけど、これが通用したのは「対米けん制用の煙幕として有効だったから」、とのこと。

 この時代の日本の安保は主にアメリカだけを考えていればよかったんだけど、安保(核)の傘に入りすぎるということはアメリカによる覇権を許すということになる。

 その辺をけん制するためにはアメリカと同等の相手を引き合いに出して、「あまりアタシのこといぢめるとあっちの人のところに行っちゃうぞ!」、とか言えばいいわけだけどこの時代の日本にはそういう相手がいなかった。

 それで、そういう相手(アメリカにとっての仮想敵国)を日本内部にこしらえた。これが極左

 55年体制下では実際にそんな感じの依頼がサヨクに行っていたらしい(吉田茂から社会党へデモの要求)。



 でも、そんな極左も時代が変わると必要なくなる。それが第二段階(現在)


 第一段階のとこでもちょっと言ったけど、現在はアメリカの仮想敵国として中国が設定できるので、極左に頼る必要がない。

 そんで、「あまりいぢめると中国にすり寄るで〜」、が使える。

 実際、アメリカもアジア地域におけるプライオリティは日本よりも中国のほうを上に位置づけているぐらいだから、こういうことするとバシバシ意識するのだろう。


 そんな感じで両国を天秤にとりながら、自分達の都合の良いような外交的条件を引き出す、ってこと。


 背水の陣メソッドというか・・
(この辺はフィンランドの外交術と似てる)




 んで、そういう時代なので旧来のベタなサヨク的主張(武装放棄+安保放棄)なんかムチャなんだけど、上記してきたような枠組みが分かってないので旧来の左翼の亡霊がうろついている、と。


 っつーか、ぼくはけっこうサヨクなので、非戦的なところにはこだわりたいけど、武装と非戦ってのはまた違うもんな。(「非戦」ということにこだわりたかったら外交手腕を磨くべきだし)



 アジア諸国と連帯・・・しても火力足りないよなぁ・・(発言の影響力とかも)




・・・ロシア?

(それするなら中国を考えるのも同じか)




・・・・たいへんだねぇ、これからの外交筋の人は(そういえばカワセミさんもそんなこと言ってたな)


カワセミの世界情勢ブログ: 歴史認識問題の難しさ


カワセミの世界情勢ブログ: 歴史認識問題の難しさ(補足)



 歴史問題については「あった/なかった」ではなく「量的問題」ってことで、その辺についての「事実の項目の選択」に関して外交交渉が発生する、と。(おそらく分かってる人は「事実関係」についてはある程度のコンセンサスに達してるんだろうけど駆け引きがあるってことかな)
 
 事実の項目について、具体的には「選択の自由が当事者にあったか」「民間人である以上、保護して然るべき安全な場所まで送り届ける義務があるが、その義務を全うしていたか」、など。

 


 宮台さんの話については両方とも伝聞だし、政治学系じゃないし、確度としてはびみょーに思うんだけど(6〜7割ぐらいかなぁ)、とりあえず頭の隅に置いといたほうが良いように思う。




 そんで話を元に戻すと

 そんなこんなで極左(反動サヨク)的なものはもともと煙幕ってこと。その煙幕(ネタ)をベタに信じてる極左の人もいるのかもしれないけど、サヨク全体をそのように扱われても困るな、って感じ。あと、逆にウヨクの全体主義的国粋派の人たちもアレだよねぇ、と。(宮台さん的には両者をしてバカサヨク、バカウヨクと命名していた)



 っつーか、オレっていまサヨクなんだろうか?(・・よくわからんな)




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追記:
賠償責任関連については小熊さん本の記述にこんなのがあった


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(123)講和条約で多額の賠償金を各国からもとめられたら、日本の経済的再建は大きく遅れるだろう。またアメリカが日本に再軍備を要請したところ、まだ戦争の経済的痛手から立ち直っていなかった日本政府側は、財政難の問題があるとうったえた。そういった状勢を考えたアメリカは、各国に賠償請求権を放棄してもらうことを、講和条約第14条に盛りこむこととしたわけだ。

 もともと、第一次大戦のあとに、ドイツに多額の賠償金を課した結果、ドイツがひどい経済状態におちいり、それに不満をもったドイツ国民の支持をえてナチスが台頭してしまったという歴史への反省も、西洋諸国にはあった。だから、あまり過酷な賠償を敗戦国に課すのはよくないという意見は、アメリカ以外にも存在した。

 しかし戦争でひどい被害をうけたアジア諸国では、当然ながら、この講和条件は評判がよくなかった。日本を再軍備させて、経済的にも復興させるというアメリカの方針も、かつて日本軍に侵入された諸国にとっては心配の種だった。





ちょうど曽根さんとこともリンクしたのでたまにはTBで




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追記(2007.4.20):
「中国人とパトリ」について。「中国人は国への忠誠意識が低いから、パトリの意識があるのかも」って書いちゃったんだけど、「パトリ」っていうか「血縁」ってことらしいです。

「パトリ」というのは場所的な関係性を重視した愛郷心のようなもので、中国人の場合はそういったものよりも血縁を重視する、と。

たとえば華僑みたいなネットワークを成り立たせているのはそういった血縁ということみたいです。




















posted by m_um_u at 20:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治このエントリーを含むはてなブックマーク
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