写真はある一瞬を分離させ、永続させるものだ。それは重要で意味のある瞬間のこともあれば、まったく逆のこともある。すべては写真家が対象を理解し、プロセスを把握しているかどうかにかかっている。
エドワード・ウェストン
よい写真とは優秀な猟犬のようなものです。やたらと吠えないが、雄弁なのです。
ウジェーヌ・アッジェ
私の仕事のなかの引用文は、道に現われる盗賊のようなものだ。武装した姿でいきなり飛び出してきて、のんびり歩いている者から、確信というものを奪ってしまう。
W.B.ベンヤミン、『一方通行路』
俺たちは蟻だ 蟻の軍隊だ
生きて死んで ただ繰り返し
繰り返し
繰り返す
何も
変わらない
何も
変えられない
空には太陽 地には屍
焼けた鉄
この世の本当の姿は混沌だ
それが唯一の掟
何か すばらしい夢を見ていた気がするが
どんなものか
もう忘れた
煙にかすんで
先にあるものなど
見えはしない
だから
俺はもう
人間ではいたくない
飢えた一個のレンズ眼だ!
今を食いつぶす死の眼だ!!
かつて私は夢を見ました。
ウェディングケーキのように真っ白で、絢爛としたキューピット模様で飾りたてられたロココ調の船に、私はのっているのです。
室内には煙がたちこめ、船客はお酒を飲みギャンブルをしていました。
船は火事でゆっくり沈んでいるのを私は知っていた。
人々もそれを知っている、がしかし陽気に踊り歌いキッスしてうかれていました。
希望はありませんでした。
でも私はおそろしく興奮していました。
撮りたいものがなんでも撮れるのです。
この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています。
ダイアン・アーバス
「フーコー的なものでもうちょっと軽いものないかなあ」+「最近Tumblrがおもろくなってきた(Tumblrのこの感覚はどういう感じなんだろう?)」ってことでソンタグを読み始めて読み終わった。
たったひとつの冴えたやりかた: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/384420579.html
トること / トられること 「承認欲求」以前のお話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/384572249.html
積ん読たまってるのでそんなに時間かけたくもないなということ「写真論」はちょこちょこ感想をつぶやいてて、
それで終わらそうかと思ってたんだけど、やはり分からないところがあったのでそれを調べるついで。わかんないことがわかったほうが楽しいし(そのために読んだり書いたりしてるわけだし)
だいたいの流れを言うと、ソンタグの特徴というのは「固定観念に縛られないこと」ということで、Wikipediaでそれをよんだときにもフーコーと似てるなということで読み始めたように思うんだけど読んでみてやはりそんな感じだった。
ていうか、ブログ、twitterほかネットを通じて一億総表現時代な昨今、ジャーナリズムの倫理的な課題、あるいはそれを含んだ自意識/自我の変化の問題が万人のものになってきていて、そこでの他人を見つめるまなざしの内面化について先行して考えてた人の記したものと対話的に思考を進めてみたいと思ったので。
「まなざしの内面化」というのはサイードのオリエンタリズム的課題もはらむ。
ただ、ソンタグの文体というのは人文にありがちな曖昧/難解な感じで何いってんだかよくわかんないところがあって、まあそれはあとがきに訳者の人も記してたんだけど、その辺で苦労したり「だいたいこんなかんじのこと言ってるんだなこの範囲は」って読み飛ばししつつ読み進めた。
SFなんかで最初の方なにいってんだかわかんなくてあとになるにつれて段々と上がってくる感じに似てた。「ニューロマンサー」はじめて読んだ時のそれとか。
そういう意味では人文にありがちな煙に巻いたような文体でなにいってんだかわかんないこといって衒学し、偉い人の名前借りて中身の無い自分の話を箔付けするというのとも違ったようだった。
それはさっきウェブでわかんなかったところを調べて確信したんだけど。
このエッセイ集は「写真論」てタイトルが付いてるけどそんなに一般的に写真することを定義するものではなくて、ソンタグによるアーバス論が主軸になってる感じだった。
ウェストン - アッジェ - アーバス
少なくともこの3人について基礎知識があって、それぞれの写真を見てないとわかりにくい内容。というか、それがなくてもあとでウェブでさらっと調べられるような時代になってるので、その部分の「わかんない」はメモリとしてタメておいて後でさらっと調べてもいいのだけど。まあとりあえずすぐに調べられるようにこのへんリンクしつつ
アジェ・フォト |世界の有名白黒写真家 | カメラマンの名言集 |フォトグラファー写真集
http://www.atgetphotography.com/Japan/index.html
アーティスト(フォトグラファー)ガイド
http://www.artphoto-site.com/artist.html
上記三人について一般的な文脈を理解してからこのエントリに帰ってきてもいいかも。
「写真論」もそんな感じで玄人向けの「それを踏まえた上で、さらにこんな視点があるんですよ」って感じの話だったのだろう。ピザ屋の店員が店の味に慣れすぎて変わり種のピザを作るように。そしてそういったピザはハイコンテクスト過ぎて普段ピザを食べてない客には合わなかったり。
というかこの時代、まだ写真というものの地位がそんなに高くなくて、特に日本なんかだと「写真について論じる」という回路そのものがなかったみたい。そういう情況のなかでの本格的な写真論ということでこのエッセイは注目された。
「ウェストン - アッジェ - アーバス」はそれぞれ至高芸術 / 日常性 / 限界芸術の代表的なものになるのだろう。
鶴見俊輔はかつて「限界芸術論」で芸術/技芸/なにかをつくるという活動とその結果としての創作物を「至高芸術 / 大衆芸術 / 限界芸術」の3つに分けた。至高芸術はわれわれがよく知る「芸術」、大衆芸術はポップカルチャー的で消費的なもの、限界芸術は童謡のようなわれわれが日常の中で営み残していく創作活動。
絵画の歴史と同じで写真にも撮るべき被写体 / 撮るべき様式のような時代があって、そこから脱していったのがウエストンだったのだろう。パトロンの肖像画や教会依頼の聖書の場面が主だった絵画が市井の人や風景を描くようになったように、写真も自己満足的な美しいポートレートから離れていった。
ウエストンの特徴は写真というメディアの特性を活かして事物を切り取り、その本質や文脈切除から表れる別の側面を提出するところにあった。そこでは女の身体から性的なにおいが消え、代わりに便器や胡椒の部分的なクローズアップから独特のエロスが湧き出てきた。
http://morutan.tumblr.com/post/73603895455
http://morutan.tumblr.com/post/73603807161/1922-1923
そういった意味でそれはフェティシズム的なものだった。
しかし、そこで提出される非日常的な感覚は「芸術」的なものではあっても人々の日々の生活に寄り添うようなものではなかった。
対してアッジェのまなざしは日常的な詩性をたたえていく。あるいはベンヤミンと同様のパサージュ的なものへの慈しみ。
http://morutan.tumblr.com/post/73604048552
アーバスはそういった文脈を継ぎつつ、さらに日常からも疎外されたもの、限界領域にあるものを見つめそこに同化していくことで自らの限界と境界を超えてしまった。
http://morutan.tumblr.com/post/73604322268
http://morutan.tumblr.com/post/73604368911/3
http://morutan.tumblr.com/post/73604451383
写真都市―CITY OBSCURA 1830→1985
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伊藤 俊治
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ソンタグはそのことを当然の前提として話を始める。なのでそれらについては大体において直接的には触れずに婉曲的で遠回しな言い回しで自分の感じている感覚を外側からゆっくりと削りだしていく。
けっきょくその試みが成功したのかわからなかったけど、すくなくとも写真論としての続編があるということは取りこぼしてしまった部分を回収したということなのだろう。写真の倫理的な側面
本書の全体的なテーマは写真/カメラを通じたまなざし、それらが内包し当然とする「フォトジェニックなもの/美的なもの/写真的に売れるもの/ネタになるもの」といったまなざし・審級の内面化・当然化が60-70sのアメリカを通じて浸透し完成していくことの是非だった。是非というか、その視点も含みつつ記録すること、ただ収集し記録していくこと。
それはアメリカの後期近代への過渡期であり、消費社会としての完成へと向かう時期であった。すべてのものが消費と市場のマトリクスに配置されコピーされ再生産される(ボードリヤール)。価値や味が単一の色にまとめられ、よく出来たモノトーンのコピーが行進していく。ウォーホルは変化した先の不気味さをキャンベル缶を用いて先鋭的に表しアーバスは変化する前の光景を記憶にとどめようとした。
その過程を通じて、アーバスが見つめ収集した周縁・マイノリティの問題は中心へと統合され、アッジェが慈しんだ日常は姿を変えていった。
そこでは黒人はもはやバスから降ろされず、ゲイやマイノリティの権利も表面的には「正しく」認められ平等化されていく。しかしその平等の中で、差別は飼い慣らされ「たいしたことない」ものとして後景化していく。そしてネイティブアメリカンは居住区で酒浸しに、黒人たちはスラムで貧困の連鎖を続ける。
しかしその光景はもはや日常となり特別にネタにするようなものでもない。殺人事件でも起こらない限りは(そしてまた川のほとりで死体が見つかる)
では、もはや写真/カメラを通じて探求すべき課題は出尽くしてしまったのだろうか?
かつてウェストンが開拓した現実をモノ的に切り取り新たな側面を見せる手法。アッジェが開拓した日常の情感を写しとるというテーマ。アーバスがこだわったマイノリティへの取材/収集。これらは現在も写真のテーマとして続いている。
しかしそれらはすでに後期近代のフレームの中でありきたりなクリシェとなりその反復に落ち着いてしまった感もある。
だがそれも絵画や文学と同じく「出尽くしてはいてもそれぞれのその時代環境での情況・実存を写しとる」「実存、固有の生はそれぞれに違うのだから」「より自由なほうへ」ということなのかもしれない。
そして、おそらくその限界がアーバスだったのだろう。
倫理的な課題以外の写真の問題、体験的変化の問題は現象学的課題に通じてくる。
主観/客観的な是非を問い「より囚われない方へ」「主観や恣意性で濁らないように」と意識すること。それは現象学ほか分析哲学や実存哲学、哲学全般に通じてきた主客の問題にも通じてくる。しかしそれを突き詰めていけ、そこに囚われすぎてしまうと究極においては自我を解体せざるを得なくなるだろう。
その問いに真摯であればあるほど、あるいはそのときの自分が置かれた情況も手伝って、離人的なところに到達する。
それが芸術的なものの極点のようにも思えるけれど、そこまでしなくてもコツコツと変化によって生じる体験や感覚の違和を積み上げ、その意味を問うていくことで到達できるところもあるのかもしれない。
たとえば絵画や文学に比べて引用的なものとしての写真の本質とその特性を理解し活かしていく方法。「それは文字の引用と本質的に何が違うのか?」ということだし、その意味で本書でもベンヤミンの引用についての所感が触れられ、最後に本書で触れてきた写真家や文学に関係する引用を集めた小編が付いていた。
引用はそれ自体だと現実(文脈)を時空間的に切り取っただけのものだけれど、それらをつなげることでモンタージュとなり別の意味を帯びる。
それが画像を動かすということだし映画ということなのだろうけど、ではその「前段階としての静止画・写真」ということにどのような意味や方向性が見いだせるか…。
そして切り取り、引用(quote/コピー)し、収集(リブログ)していくこと。
それらはソンタグやアーバスが見つめていた「壁一面のたくさんの写真で飾られた部屋」「大量の写真のコラージュによって現実を変えていく」のような再帰的な機能を果たすのだろうか。
そういった元の現実・リアリティから切断され、それ自体が独立した新しい意味を持つようになるようなフェティッシュな感覚、そこでのリアリティの疎外やあらたなリアリティへの接続、それを通じた対象となるものへの鈍感さの加速 / 苦痛への予感、そういった課題を残しつつソンタグの次の本に向かおう。
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関連:
スーザン・ソンタグと蓮實重彦の微妙な対話 - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
http://www.seiryupub.co.jp/cinema/2012/10/post-55.html
エッセイ読めばソンタグが既存の価値・固定観念に縛られること、その中でも男女的なそれ、美的・女性の審級みたいなものから判断されるのを嫌うのすぐに分かるだろうに、そのあたりをまったく理解していなかったらしい蓮實重彦ぶりがよくわかる対談だったみたい。
http://morutan.tumblr.com/post/72625041284
蓮實はクリシェについて論じることを得意としたようだけど、それは一般的大衆的な決まり文句への侮蔑であって、自分自身がクリシェを先鋭化させハイパーリアルなものにしたことについては顧みたりはしなかったのだろうか
Nude monochrome
http://www.mono-photo.jp/japanese.html
ウエストンやアーバスについて参考にさせてもらったところ。ほかの写真史についてもわかりやすい
Terminal Arts of Sein und Zeit: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/199659522.html
Teminal Arts of Sein und Zeit (補遺): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/200173685.html





