2014年01月12日

南直人、1998、「ヨーロッパの舌はどう変わったか」


「その国ごとの主食はなに?」「その国の代表的料理はなに?」みたいな話があって日本だとふつー「主食は米で代表食は和食」ということになるのだろうけどじつは主食とか代表食みたいな話はかなり怪しいものだったりする。ヨーロッパだと長い間、大衆のふつーの食事はごった煮的なシチューだったし日本でも似た感じ。ちなみにこのシチューには肉なんかめったに入らなかった。というかごった煮=スープであり「スープの語源はこのごった煮にぱんを浸して食べること」だったそうな。



フランス料理とかイタリア料理とか言われたりしてふつーにイメージするものがあるだろうけどフランス料理なんかももともとは存在しない。それぞれの地方料理があっただけでその国を代表する料理なんかはなかった。ちょうどナショナリズム-natio-パトリオティズム、「国民」と「パリ民」「オック民」などの関係と似てる。人々はそれぞれの都市へのアイデンティファイはもっていても国民という意識はなかった。

だからかわからないけどナショナリズムの高まりとその国の代表食の形成過程は相関していく。単に近代化によって豊かになり、輸送が発達し、いろいろな食材が手に入って料理が洗練されていったからかもしれないけど。とりあえずわれわれがふつーイメージするフランス料理、ヌーベル・キュイジーヌは18c宮廷で供されていたオートキュイジーヌを端緒とし、産業化-近代化を通じてその贅沢が庶民にコモディティしていったものと言える。そのもっとオリジンなところとしては16c前半、「アンリ2世の元にカトリーヌ・ド・メディシスが嫁いだことからフランス料理が洗練されその原型が作られた」、とも言われるようだけどはっきりしないみたい。ハプスブルクとの婚姻関係もあるし、ブルゴーニュの洗練も関係するだろうし。

とりあえず18cぐらいに宮廷料理としてのフランス料理が確立しそれらが19c前半にコモディティしていった。オートクチュールとプレタポルテみたいに。といってもその時点ではけっこう金のある貴族・ブルジョワじゃないとその恩恵に服せなかったようだけど。でも宮廷だけの料理じゃなくなっていった。ヨーロッパのレストランの起源は18c後半とされる

レストラン(フランス語で「回復させる」を意味する動詞 restaurer の現在分詞 restaurant が語源)という言葉は16世紀に現れ「回復する食事」を意味し、特に栄養に富み強く風味付けされたスープであった。この語が最初に食事店に使われたのは1765年頃に創業したパリのスープ販売店、ブーランジェであった。標準となった形態(固定した営業時間中に客が個々のテーブルの一人分の場所に座り、メニューから料理を選ぶ)を持った最初のレストランは「Grand Taverne de Londres」(ロンドンの偉大な居酒屋)であり、1782年にアントワーヌ・ボーヴィリエにより創業された。彼は代表的料理作家、料理学の権威であり[7]、成功した料理店主として名声を得た。また、標準的な料理本となった『料理人の技術』(L'Art du cuisinier、1814年)を著した。

フランス革命により料理ギルドが解体され、素晴らしい料理を作る技能を持つ使用人達を残して貴族が逃れたことでその後のフランスでレストランが普通のものとなった。一方同時に多くの地方人が、料理をしてくれる家族を残してパリに集まった。レストランはこれらの双方を呼び集める手段であった。そして、外食というフランスの伝統が生まれた。

レストラン - Wikipedia http://bit.ly/1eyDoy0

ブーランジェがレストラン(肉入り料理)を販売しようとしてその独占権を主張する仕出しやギルドと衝突し、その裁判に勝ったのがきっかけ。ここから外食産業にかかわるギルド的独占が崩され飲食物を自由に提供できるようになり、1786年、高級な料理屋としてのレストランという語がはじめて法律の上で出現した。

ここで「外食産業が生まれた」というところが一つのポイントとなる。


その後、産業-交通-運輸の発達により金と移動を手に入れた人々は余暇を愉しむようになり「移動」「食」はその一つとなっていった。しかし「食」を愉しむにしてもなにを食べていいかわからない。そこで「ここがおいしい」と紹介するカタログ-評論-グルメ(ガストロノミー)が発達していった。サヴァランの「味覚の生理学」「美味礼賛」、レストランガイドとしての「グルマン年鑑」(1803)。その初期の集大成としてガストロノミーの帝王キュルノンスキーは「美食のフランス」を出版する(1921−1928)。

またこういったグルメを流行らせる土壌として料理人たちの活躍があった。ルネサンス以前の芸術家よろしく、旧来は裏方的な役回りで歴史に名を残すことのなかった料理家はレストラン時代になって自らの才と名を社会に知らしめていった。カレーム、エスコフィエ、タレーランなどはそういった天才料理家となる。


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近代化による食の多様性・近代的な食の洗練の背景としては植民地の恩恵があった。「農業の開始が第一次食物革命とするなら第二次食物革命はコロンブスの交換だったと言える」。新大陸の発見によって新たな食物を発見、ヨーロッパ国内の食べ物や植民地同士で交換・取引することで新たな富と食の多様性が生み出されていった。

大航海時代の水夫の食事を見てその貧相さに驚く人もいるかもしれない。たとえば朝はオートミールだけとか、じゃがいもだけとか。しかし当時のイギリスではそれがふつーだったしヨーロッパでもそんな感じだった。産業革命期のイギリスが特に無産階級都市民の食生活が悲惨だったというのもあるけど。当時のイギリス、無産階級都市民の部屋ではキッチンや火をおこす場もろくになかったのでじゃがいも茹でるだけとかでも十分だったし、労働のカロリーを摂るためにたっぷりの砂糖を入れた紅茶がもてはやされた。浄水設備が整ってなかったヨーロッパにとって飲み物としてはアルコールが当たり前だったのだけどそれだと酔っ払ってしまう。なので茶はそれに代わるものとして歓待され中国から高値で輸入されていた。しかしその法外さを巡ってアヘン戦争、ボストン・ティー・パーティー → アメリカ独立戦争につながっていったのだけど。それとは別にイギリス国内で茶を販売するときには混ぜ物とかふつーにされていた。パン・小麦粉にはミョウバン、茶にはトチノキや楓の葉っぱと有毒着色料、ミルクには水

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「混ぜ物がされている」というのは茶だけの話かと思っていたけどほかの食品にもされていたみたい。このころはまだ政府による食品チェックや販売権みたいなのが確定してなかったので。しかしそういった経緯もあってその辺の管理・規制に政府が関わっていく。


「新大陸を通じて新たな食べ物が入ってきた」といってもそれらの食べ物はすぐに食卓に根付いたわけではなかった。新大陸経由の珍奇な食べ物たちは初期には貴族たちのコレクションとして飾られたり学者たちの研究材料とされていた。学者たちが期待していたのは主に薬効。なのでじゃがいもなんかも薬として使われてたみたい(結核回復、精力増強)。いまだとふつーに食べるけどじゃがいもなんかは大衆食としては特に抵抗があったみたい。なんだかわかんないのでトリュフの一種だと思われてたみたいだし。

じゃがいもはそのカロリー効率(栄養学の優等生)や育てやすさなどからプロイセン王フリードリヒなんかから期待されて政策的に普及されていったようだけどそれ以前、最初に大衆に普及・育てられるようになったのは17cぐらい、スペイン → スペイン領低地地方(ネーデルラント)。18cオランダは他国に比べて穀物消費量がすくないけど、それはじゃがいものおかげだった。

じゃがいもの普及が完了するのは18c末、「痩せた土地でも育つ」というその特性はヨーロッパ人口の過剰増加を促す。直系家族の次男なんかは土地を相続できなかったんだけど痩せた土地からでもじゃがいもは育てられたので。

アイルランドの発展もじゃがいもが支えていった。


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とうもろこしも新大陸からの新たな優等食物だった。

粉食メインだったとうもろこしは当時さまざまな名前で呼ばれていた。「スペイン小麦」「スペイン栗」(南フランス)、「トルコ小麦」「トルコ穀物」(イタリア・ドイツ・オランダ)、「キリスト教徒の小麦」(トルコ)。とうもろこしはあくまで小麦の代用食的なイメージで「貧民の小麦」として受け容れられていった。そして地中海地方を中心に普及していった。地中海の人たちは小麦は輸出し、とうもろこしを食べた。




さて、ここで冒頭の話に戻る。

一般的に「ヨーロッパは肉食、日本は米食」なるイメージが敷衍してるように思う。そしてそれに「狩猟文化(騎馬民族) / 農耕文化」なる通念が加わる。しかしこういった話は歴史をボケーッと見ていくとなんともおーざっぱな話であることがわかるし本書でも否定されている。

「おーざっぱ」な理由としては「稲作しつつも狩りもしてたし逆もあった」「肉食とかいってもヨーロッパの庶民食は長い間なんでもぶち込んだごった煮がメインで、肉は年に一回、家畜数コントロールの謝肉祭のときに塩漬け肉をたらふく食べるといった感じだった」とか。そういった区分けでははっきりと分けられないぐらい交じり合っている。

本書冒頭ではそれに加えて「ヨーロッパの人間は肉食で栄養状態良いので大きいのだと明治なんかでも思われてたみたいだけど、ヨーロッパ民が180cmぐらいになったのはここ最近、18-20cぐらいに食卓事情が改良してから」と年代に沿った身長グラフが示されている。

おーざっぱにいうと30年戦争の頃にはヨーロッパ民も日本人と同じぐらい150cmぐらいの身長だった。それが近代化によって右肩上がりに伸びていったかというとびみょーでイギリス産業革命期、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの変動期のゴタゴタでは栄養状態も劣悪で身長伸び悩んでたんだけど全体としては18ー20cで大きくなっていったみたい。あと産業革命期より中世の秋の頃のほうが栄養状態よかったり(その後ペスト食らうけど)。

なので「肉食の思想」なんかで示されていた<肉食は単位面積辺りのカロリー効率が悪い → より多くの牧草地が必要 → ヨーロッパ民は牧草地を拡げるために十字軍して拡大していった>という話は魅力的だったけど間違い。


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「和食」や「国民食」なるものは「共通語」同様、食の多様性を捨象するイデオロギーにすぎないわけだけど、こういったものが生まれてきた背景とフードファディズムが関わってくる。


「パンがなければうどんを、ワインがダメならジュースをつくろう」とマリーは言った: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/384107952.html

フードファディズム - Wikipedia http://bit.ly/hsliio

加工食品をめぐる不信というのは近代→後期近代の消費・産業社会に住む市民たちにずっとあって、まあ「素性も知らない人に髭を剃られる不安」ていう身近な他人的なものなのだろうけど、昔は騙し食品とかふつーだったみたい。

「昔の紅茶は中国輸入で高かったのでイギリスでは混ぜ物をした」という話は「もやしもん」でも知ってたけどその他の食品、パンとか肉とかでもけっこうふつーにやってたみたい。

そういうのがなくなってきたのは間に政府の監査機構が入ることでチェック体制ができていったからだろうけど、これによって「食の自由」みたいなのが段々統治されるようになっていった。

たとえば屋台販売とか行商的小売とか、元々はそういうものと青空市場的なものがふつーだったけど近代化に際して政府が間に入ることで「より問題のない食品を」「確実に市民に届ける」ために食は小売りから量販(チェーン)へ変わっていった。もちろんその際、事業者自身の儲け目当ての誘因があっただろうけど、「大量の市民・国民に滞り無く安全な職を届ける」ために市の中央にあった青空市では交通が滞った。なのでそのあたりの出店に関しても政府が関わったり。潜りの行商とかへの規制が厳しくなっていったり。こういうのは現代の東京の弁当売り規制、博多の屋台規制なんかにも通じる。


国がそこに介入したのは「栄養 → 強い兵を作るため」という目的からだった。栄養学なんかもイギリスの輸入封鎖されたドイツで発展していったし。微生物学 → 保存 → 缶詰なんかも軍事目的で作られていった。


国のそういった意向、規制に対して食品産業界は反発し、その中間に食品栄養学なんかの専門家(評論家)が入ることとなった。


国 / 産 / 評 / 民


栄養と「正しい食事」(健康)についてのイデオロギーはこういったアクターを中心としてやりとりされていった。


「一日に必要な総カロリー」とか「三大栄養素」みたいな考え方もここからつくられたもの。それはいちおコモンセンスにはなっているんだけど、「元々がそういったもの」というのは知っておいたほうがいいとおもう。


なので、権力地図とかイデオロギーな力学的には「この食品を食べるのはダメ」とか「この食品は良いからどんどん食べよう」」「この栄養素は」「化学調味料は」「有機野菜で」みたいなアレは自ら国の官製イデオロギーに生きる力を明け渡してるようなところがあるように感じられる。あるいは有機野菜をめぐるフードサヨクなところはみょーに反体制ということで逆に依存してる。


化学調味料や醸造酒の話と同じで「少し(あるいは量を調節されて)入ってたほうがおいしい」のだしそれは有機野菜うんたらにも通じる。あるいは食事全体にも。


新大陸で発見されたトマトやじゃがいもが初期は貴族の鑑賞用の奇妙な生き物だったり、研究者によって薬効を期待されて伝わっていたように、飲食物というのは薬にも通じるところがある。医食同源なアレで。


なので「摂り過ぎればなんでも悪いし、反対に少なすぎても悪い」っていう単純な話なのだろう。


そのために各栄養素を知っておくのは良いだろうけど、その栄養素イデオロギーに縛られて生の自由を減らすのもつまらない。


「所得によって生活のレベルが変わる」みたいなことがありその表れの一つとして飲食があるところもあるだろうけど、そういったステータスに過剰に縛られて食事するのもつまらないようにおもう。社会資本や文化資本、正しい知識、「本場の、本当の」っていうオーセンティシティ、有名人やみんなのレビュー、ステータスやイデオロギー、承認、そういったものを食べるわけでもないのだから自らカーストに囚われることもない。



「すばらしい和食」みたいな幻想とは別に庶民の食事としての国民食みたいなものは蓋然的にあったりする。カレーとかラーメンとか、あるいは缶詰とか。そういう「統計的によく食べられてる食事」みたいなの。

「和食」とか「フランス料理」みたいなのはそれとは別の高級食-洗練食といっていいだろう。なので文化的にはハイカルチャーに当たる。庶民食は大衆文化。鶴見俊輔の限界芸術論にならえばB級グルメなんかは限界芸術的なハイカルチャーとポピュラーカルチャーをhackしていく境界領域とみなされるのかも。まあその場合「hack」ってことで自分で料理していったほうが良いようにも思うけど。


なので現代の食文化としては大きく「高級食・洗練食」「大衆食」「限界食(B級グルメや家庭料理)」がある感じ。

高級食や大衆食は主に外食でイメージされるけど、家庭料理としての脱領域性を持つ限界食はそれらも横断する。おうちできちんとした和食を作るマダムもいらっしゃるだろうから。


歴史的には大衆食は日本もヨーロッパもごった煮鍋だった。

それらが近代化による輸送革命の影響で脱領域性を帯び、保存革命-工業化を受けて時間や空間をさらに横断するようになっていった。


新大陸からの新しい食物が研究材料として薬効を期待されていたのと同じく、食糧保存の分野も化学的な領域としてパスツールの貢献が大きかった。缶詰の父は直接にはニコラ・アペールだけど

ニコラ・アペール - Wikipedia http://bit.ly/1aSW07e



そしてナポレオンの躍進に役立っていった。


栄養学も似たような思想、国家としての人口・健康を確保するためにこの分野に投入されていった。

ヨーロッパの代表的な飲み物がアルコールから茶や珈琲に変わっていったとき、それらの謳い文句は「酔わない文化(倫理)的な飲み物」というものだった。アルコール分解酵素を多く持つゲルマン民族といえども酒ばっか飲んでたら酔うので。事実、この時代の労働者は朝から酒飲んでほろ酔いで仕事してた。

酒と酩酊には前近代的、反理性な悪いイメージが付き、特に比較的安く酔える蒸留酒にそれが継がれていった。禁酒法をめぐるイデオロギーはそういった流れに属する。それは「良い飲食物 / 悪い飲食物」「文化的 / 野蛮」、階級をめぐるイデオロギーの表象でありフードファディズムの一環といえる。高度成長期の日本でも焼酎はロウブロウな飲み物とされていた(竹内洋「教養主義の没落」)。


食というハビトゥスに階級が表れる、あるいは階級を衒示ために相応の食、洗練された高級食を摂る。そしてそれをピアレビューサイトやおともだちおくさま間でひけらかす。

こういったことは少なくとも高度成長期以前からやられていたのだろうけど、それらをめぐる要素をもう少しメモっとこう。




洗練食-高級食が現れたのは上述したように近代化の影響であり、その内容としては国際的には大航海時代-世界の一体化による「脱地域化」、国内的にはナショナリズムと並行した「料理の画一性の強化」、近代化による「都市的性格の強化」が挙げられる。

「都市的性格の強化」に関係するのが「外食化」であり、分業を介したそれでより多様な料理・食事に人々が接することができるようになった。


高級食のキーワードとしての「洗練」には食事作法というハビトゥスと「文明化」「理性化」が関わる。


ヨーロッパの食卓は当初貴族でさえも最低のマナーで、ナイフで歯をせせったり手についた脂を服で拭ったり鼻糞ほじったりというようなことを平気でやっていた。

そういった行為は現在からすると野蛮で非文明/文化的と思えるものなんだけど、当時の人達はそれがふつーで比較の対象がなければそれが「野蛮だ」とはわからなかったのではないか?ではどうやって非野蛮を意識し洗練されていったのか?

その辺りについては本書では触れてなかったけど、とりあえず「洗練」の内容としては「食卓から直接性を廃していくこと」と「個人化」が目指された。

大皿で一斉にがっついたり、ナイフのような攻撃にもつかえるようなものをできるだけ食卓から遠ざけていくこと。それらはモジュールとして戦場などに分離し、食卓はそれとは別の「文化」「洗練」「作法」の場とすること。

そういったことが目指され実践されていった。


以前のエントリにも書いたように「個人化」「洗練」を食の文明化するならば中国はヨーロッパに先行していた。


石毛直道、2006、「麺の文化史」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/384598908.html


その歴史的表象として箸があり麺があった。

中国ではかなり早い段階から個食、個別配膳ができあがっていたみたい。孔子の「君子厨房に近寄らず」(君子遠庖廚)の格言に基いて、とのこと。これは「料理など男性のするものではない」という意味ではなく「君子はわざわざ凄惨な場に近寄るべきではない」 → 「血に関連する道具を近づけるべきではない」ということ。なのでナイフ的なものが食卓から遠ざけられ、箸で食べられるサイズに予め切り揃えられて配膳されるようになった。

ちなみにいうとヨーロッパでは同時期、貴族でもナイフで肉を刺し、歯をせせるなどがふつうだった。大衆食は長い間ごった煮的なシチュー(煮込み)だったし、それ以外の食べ物もテーブル上に直接ぶちまけられるなどしていた。それを共同で食べる。


なので、「共同食 / 個食」や「ナイフや豚の丸焼きなどといった直接性を食卓から遠ざける → 洗練」ということも食文化の近代化の指標として関わってくる。脱自然としての文明化であり理性化。


麺食が「碗と箸との関連性が強い」食文化であったなら麺食があるというだけで食文化、あるいは、文明・文化的な近代化・洗練が伺える


「和食」を洗練・文化財とするならば旨味がどうとかいう以外にその辺りの要素での検討も必要なように思う。



それとは別にとんこつラーメンはより身近な日本の大衆食としてアジア圏だけではなく欧米圏にも広まってきている。


加えて言うと親子丼、焼き鳥なんかも外国人人気は高い。










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関連:
パリの胃袋を担う<ランジス中央市場>探訪記 1 - 晴れのち曇り、時々パリ
http://bit.ly/KdcTTi

近代化の過程で交通整理のためにどかされていったパリの中央市場はいまは郊外にあるらしい


「あ、育ちがいいんだな」って思う瞬間:哲学ニュースnwk
http://bit.ly/Kdd1Cf

魚の食べ方とか箸の持ち方とかのハビトゥスを気にするところがけっこうあるみたい



アメリカ人は何を食べてきたか - YouTube http://bit.ly/KdcS1J

アメリカの食の歴史は工業化した近代の大衆食の歴史とも言えそう。


『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声、その4。南陀楼綾繁と木村衣有子の評: ザ大衆食つまみぐい
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2013/12/4-2086.html


知らぬは客ばかりなり 外食産業実はこんなふうに作ってます 一覧表付き 生姜焼きから、ネギトロ、クリスマスケーキまで | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37893





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posted by m_um_u at 20:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界史このエントリーを含むはてなブックマーク
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