2014年01月01日

「パンがなければうどんを、ワインがダメならジュースをつくろう」とマリーは言った


麺の文化史 (講談社学術文庫)
石毛 直道
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「麺の文化史」を読んでるのもあってこの記事を見て(´・ω`・)ピクッとしてしまった。


うどんのルーツに新説−四国新聞社
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/457/




要約すると「うどんは中国起源て言われてるけど日本起源だ」「空海が伝えたとかじゃなくて日本で出来たんだ」って話。


空海がどうとかはいいんだけど「青木正児説への反証として」って話はなんか雑に思った。



 新説を発表したのは、テレビの料理番組でもおなじみの伝承料理研究家の奥村彪生さん。美作大大学院(岡山県津山市)に在籍し、「日本のめん類の歴史と文化」と題した博士論文の中で、うどんのルーツに迫った。
  「ワンタンがうどんの起源?まず形が似ても似つかない」。中国のワンタンがうどんの起源とする説に、奥村さんは料理人の立場からそんな疑問を抱いていたという。
  この説は、昭和初期の中国文学者青木正児京都大教授(故人)が発表。今ではうどんの起源として最も有力な説となっている。
  青木説は、中国でワンタンを指す「※1飩[こんとん]」にうどんの語源を求める。※1飩は「※2飩」と書くことがあり、「うんとん」とも読む。これが同じ読みの「温飩[うんとん]」となり、「饂飩[うどん]」に変わった―というものだ。
  「この説は文字に頼りすぎている。中国に詳しい青木先生は、※1飩がどんな食べ物だったかよく知っていたはずなのに…」。奥村さんは青木説をこう評する。


 奥村さんはうどんの起源を探ろうと、三十年かけて中国各地で麺を食べ歩き、日本国内の古文書を読みあさった。結果、中国には、湯で温めた麺をつけ汁につけるうどん本来の食べ方がなく、饂飩の「饂」の字もないことが分かった。
 奥村さんが着目したのは、うどんが切り麺ということ。青木説が手のひらで生地を平たく延ばす古代のワンタンを起源とするのと最大の相違点がここで、奥村さんは切り麺の歴史をさかのぼった。
 切り麺が中国から伝わったのは鎌倉時代。中国の切り麺の歴史をひもとくと、唐代に「不※3[ぷとう]」と呼ばれる切り麺がある。これが発展したのが「切麺[ちぇめん]」で、宋代に盛んに作られるようになる。
 そして、この切麺が一二〇〇年代前半、留学僧によって伝えられ、日本で「切麦[きりむぎ]」と呼ばれた。切麦は中細麺で、今の冷麦のことだ。奥村さんは「この切麦こそがうどんの祖先」とする。
 それでは、切麦がどのようにうどんに変化したのか。
 江戸時代の記録などによると、うどんは、ゆでた麺を水で洗った後、熱湯につけ、つけ汁につけて食べていた。今でいう「湯だめ」だ。中細の麺を湯につけたのでは、どうしても麺が伸びてしまう。そこで、湯につけても伸びないよう発明された専用の太切り麺こそが、うどんというのだ。



中国古典文芸が専門だった青木さんだけど中国の食に関する論文(「華国風味」)も有名なようで業界だと麺の歴史語るときによく引用されるみたい(「饂飩の歴史」)。

青木さんの説を批判する奥村さんの言い分だと「青木説は餛飩-饂飩-雲呑を直接にうどんの祖とするようだがうどんはそもそも雲呑のような伸ばし麺な食べ物として開発されたのではない」とのこと。んでも青木説はそういうのでもなかったように思う。

まず最初に「現在の形のようなうどんが生まれたのははっきりしない」があり「ではうどんの祖といえるような食べ物はどのようなものか?それはどのように伝わったか?」「そこからうどんはどのように変化したか?」という話。


うどんとかパスタでもそうだけどああいう細長く麺状態にしたもののほうが麺文化の中だと異常、というか、一つ加工した段階で、もともとは蕎麦なんかもそば粉を溶いて練ったものをすいとんみたいにしてだし汁に浮かべて食べたりする。蕎麦がきなんかは日本でもあるけど、トルコなんかにもそば粉でつくった似たような食べ物ある。(マスターキートンに出てたかなこのへんは)

そういうもの全体を中国ではもともと「麺」という。パスタとスパゲティの関係を思い浮かべてもいいけどもっと広く、小麦粉で作った食品全体を「麺」という。なのでお好み焼きも麺(ピザもかな)。

「麺」のディレクトリの下に「餅」がくる。これは日本のように「もち米を蒸して作った食品」のことではなくさっき言った「小麦粉で作った食品である麺を利用した料理」全体を「餅」という。

そんで、日本人がイメージする細長い「麺」というのは「麺条」と記す。

もっともいまでは中国でも麺といえば麺条な麺のことを指したりもするようだけど。


そんでこの麺条でも作り方に違いがあって大きく分けて「手で伸ばして麺状にするもの」と「麺を切って麺状にして茹でるもの」とがある。前者のほうは拉(ひっぱる)したりすればいいので機材的には楽で、後者は平たい台と伸ばす様の麺棒、包丁が要る。なので麺文化としては切り麺のほうが延ばし麺としては近代化した料理といえる。

麦を粉にするには石臼がいるんだけど日本は長いあいだ石臼もなく粒食してたみたい。



石毛さんによると青木さんは「饂飩は混沌に通じる不規則な形をした食べ物で日本のすいとんのような食品であったと推定した」(p35)みたい。


奥村さん的には「切り麺段階で伝わったのだから延ばし麺からの起源で語るのはおかしい」って話だろうけどそもそも麺のルーツが延ばし麺だったり、あるいはそういう麺条にしたものじゃなくても「小麦粉ほか食べられる粉を伸ばして煮るか茹でるかして食べるもの」って感じだったのだから大本の起源としては間違ってない感じ。


ちなみにいうと石毛さんの説明だと麺の文化はまず延ばし麺であるそうめんから伝わり、それが蒸し麺(ザルで供したり)温麺(つけ汁につけたり)いろいろな食べられ方をしていた(まあこのあたりの説明に奥村さんも出てくるから知ってるんだろうけど)。そして江戸時代に入ってもそうめんのほうがメインだった。まだ切り麺技術が発達してなかったのでそうめんのほうが細く仕上げられたので。


切り麺としてのうどんは「鎌倉とかにつくられたのかもだけどはっきりしない。文献的にはウトムってのが室町に表れてるけどねえ」という話。


  うどんが初めて文書に登場するのは南北朝時代の一三五一年。法隆寺の古文書に出てくる「ウトム」がそれ。うどんの記述はその後、京都の禅寺や公家の記録に頻出する。留学僧によって切麦が伝えられたのが一二〇〇年代前半。当時、中国へ渡る留学僧は禅宗の僧が中心だった。
  こうした経緯から、奥村さんは「うどんは、一二〇〇年終わりごろ、京都の禅寺で生まれた」と結論づけた。初めて記録に登場するのは奈良だが、その後の記録の多くが京都に集中していることから「発祥の地は京都とみるのが妥当」と言う。
  麺をつけ汁につける食べ方について、奥村さんは「食べ方に美しさを求め、素材そのものの味を味わう禅宗の考え方につながる。中国にはない食べ方だ」と解説する。
  起源を探るもう一つの手がかりが饂飩の文字だ。うどんが禅寺で生まれた―との前提で奥村さんが続ける。
  中国で不※3と呼ばれていた切り麺。これを湯につけるから「温※3[うんとん]」。食べ物なので、「温」のさんずいを食偏に改めて「饂」と作字し、中国の※1飩の「飩」を参考に「饂飩」と書いた―とみる。「禅宗の言葉は濁点が多い。饅頭[まんとう]を『まんじゅう』、点心[てんしん]を『てんじん』と読むように、饂飩も『うどん』と読んだのではないか」と推測する。
  「ここからは少々想像力をたくましくしてほしい」と奥村さん。「寒い冬、禅寺で切麦を打つ時、ある坊さんが試しに太切りにしてみんなで出来たてを食べ比べ、『これはうまい』となったに違いない。『この太切り麺の名前はどうするか』とも議論したはず。一休さんを生んだ禅宗。頓知のきく坊さんがいたんですよ」。





ここまで振り返ってわかったけど要するに焼き肉の話と似てるのだ。「焼き肉は韓国ルーツか日本ルーツか」というあの話。


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「肉を焼いて食う」って習慣自体は日本にはなかったのでその点では朝鮮オリジンといえるんだけど、「換気扇フードを付けて室内で女性でもふつーに肉を焼いて食べられるようになった」という近代的に洗練された焼き肉は日本で開発されたといえる。


奥村さんの話は「近代焼き肉こそ焼き肉だ」って話。でもそれもなんかちょっと違う感じ。というか、けっきょく解釈の問題だろそれ。。だいいち奥村さんの話で言われてるうどんもオリジンなうどんな話で近代うどんとはまた違うだろうし。。江戸期でもけっきょくはうどんよりそうめんだったみたいだしね。


なので大切なのは、あるいは自分的にこういう話で関心があるのは、「切り麺としてのうどんの起源(古うどんの起源)」ていう曖昧なところではなく、「それを作れる料理設備ができていたか?」であり「洗練された近代うどんが普及するような経済段階になっていたか?その内容は?」みたいなとこ。「現在のようなうどんの形に整えられてそれがある程度ふつーに食べられるようになったのはいつか?」「そのために必要な料理環境とは?」

あと、「饂飩は広東だと雲呑と表記し、日本に来た中国移民は広東人 → 広東料理が中心だったので雲呑という名前で広まった」という話も。「では、なぜ広東人たちが移民してきたのか?」とか興味ある。






「( ^ω^)・・・そういう各個の表層の状況・要素より大事な話があるんだけどなあ。パロールじゃなくてラングみたいなの」ってのはフードサヨクがどうとかいうのにも思った。


まず、フード左翼とフード右翼を簡単に定義すると?

速水:「フード左翼」はこの本の中で作った言葉で、紙幅も割いて書いてありますので一言では説明しづらいんですが、食に関しての“理想主義者”といえます。例えば、イタリアで生まれた「スローフード」という地元の食材を伝統的な手法で調理して食べる運動が、マクドナルドへの反対運動を通して「反グローバリズム」という左派運動として広がっていきました。「スローフード」は地域主義という保守運動でありながらも、現代の左派運動の代表的なものなんですね。なので、地域主義、地産地消、自然派食品などにこだわる人々を左に置いて「フード左翼」と定義しました。対して「フード右翼」は現実主義者に相当します。第一義には、グローバルな食の流通や、産業化された食のユーザーということになります。

有機野菜好きは「サヨク」なんですか?:日経ビジネスオンライン



なんとなくの感覚としてはわかるしブログのエントリとか雑誌のそれみたいなキャッチーな言葉としては良いのだろうけど「( ^ω^)・・・それ、けっきょくきちんと定義してないから曖昧に範囲広げられるし、けっきょくそれでなにがいえるの?」的なことを思った。まあ「本嫁、書いてあるから」とかいうことかもだけどそんなに食指が動かない。


こういう問題よりは日本の食と健康を覆うイデオロギーとしてはフードファディズムのほうが深刻なように思う


食べものや栄養が健康と病気に与える影響を過大に信じること、科学が立証した事実に関係なく何らかの食べものや栄養が与える影響を過大評価すること

フードファディズム - Wikipedia http://bit.ly/hsliio

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フードファディズム なるほど!食卓の安全学 コープネット
http://www.coopnet.jp/products/anzengaku/201109.php



要するにみのもんたなんかのテレビ番組でみょーに健康についての意識を喚起して、特に体系的知識もないままみょーにマニアックな栄養素について意識するようになったり、納豆が紹介されたら加熱的に納豆だけ買ったりっていうアレ。その栄養素に関する体系的知識はないしもとうともしないのに評論家ほかオピニオンリーダーが「良い」といったものを盲信する姿勢。それは食と健康だけのことではなくいまの日本、あるいは世界的にも大衆なとこの心性として根本的な問題があるのかもしれないけど。中流層のおばちゃんがそんな感じでオピニオンリーダーの話にコロッと乗せられてってのはよくある感じ。

フードサヨク / フードウヨクの場合はたとえば恵比寿なんかに住むロハス層と下流デフレ飯な層との分断なんかを思う。「俺たちはもう浮き上がれる気もしないので遺伝子組み換えとか中国産とかどーでもいい」的なの。

なので、そういったライフスタイルの中でも生活レベルがモロに表われる「食」というところを通じて所得に依る階級格差みたいなのを見ていくのはアリと思う。そんでサヨク/ウヨクの分断、意識の違い、みたいなのもそこが絡む感じ。

みのもんたほかテレビや雑誌のフードファディズムに乗っかるのは中流のおばちゃん層で、そういうのとメディア接触や所得、世代が違う層が恵比寿ロハスフードサヨク的になり、その辺の文化資本的なところからあぶれた、あるいは、知識はあっても所得的に仕方なくって層がデフレ飯って感じにおーざっぱに分類されるのだろう。ラーメンとかカレーなどのB級グルメにみょーにイズム絡ませるのもその辺の下・中流のサタデーナイトフィーバー的な逆張りみたいな感じ。まあ要するにハビトゥスとそれによる差異(ディスタンクシオン)のゲームでありカースト。



ただ、通念としてのネトウヨは下流ってのもちょっと違うみたいだけど


「ネトウヨは低学歴でニート」は大嘘 その正体は30〜40代の中流層だ 『ネット右翼の逆襲』著者・古谷経衡さんに聞く : J-CASTニュース
http://bit.ly/1cWWWgO




あるいはもっと大枠としては食と栄養、健康という場において表れる官・産・民の生権力の綱引きとも言えそう。なので栄養-健康-厚生-福祉も関わる。ホメオパシーなんかも



・反体制的な態度

食習慣の価値観は、栄養団体、健康管理団体、食品加工団体等の価値観と矛盾していることがある。加工・包装食品を忌避し有機栽培の食品を選択する人々の信条は、多様なライフスタイルや表現が可能であると感じられた文化的変化の中で発展してきた。彼らの信条は体制側から間違ったものとされるが、同じ価値観の人々同士の連帯は一層強まる。


・感性的充足のニーズ

健康食品は象徴的なもので、健康であるかどうかより心の平和や欲求に従っているという見方もある。ファディズムは一見奇怪だが、実は心理的なニーズに従っているというものである。流行食は自己イメージを作るもの、自己実現の一つであり、現在持っている信条に合わない栄養情報は拒否される(認知的不協和)。

フードファディズムの基本形は変わらない。『食と栄養の文化人類学』 - 火薬と鋼
http://d.hatena.ne.jp/machida77/20100501/p1






加工食品をめぐる不信というのは近代→後期近代の消費・産業社会に住む市民たちにずっとあって、まあ「素性も知らない人に髭を剃られる不安」ていう身近な他人的なものなのだろうけど、昔は騙し食品とかふつーだったみたい。

「昔の紅茶は中国輸入で高かったのでイギリスでは混ぜ物をした」という話は「もやしもん」でも知ってたけどその他の食品、パンとか肉とかでもけっこうふつーにやってたみたい。

そういうのがなくなってきたのは間に政府の監査機構が入ることでチェック体制ができていったからだろうけど、これによって「食の自由」みたいなのが段々統治されるようになっていった。

たとえば屋台販売とか行商的小売とか、元々はそういうものと青空市場的なものがふつーだったけど近代化に際して政府が間に入ることで「より問題のない食品を」「確実に市民に届ける」ために食は小売りから量販(チェーン)へ変わっていった。もちろんその際、事業者自身の儲け目当ての誘因があっただろうけど、「大量の市民・国民に滞り無く安全な職を届ける」ために市の中央にあった青空市では交通が滞った。なのでそのあたりの出店に関しても政府が関わったり。潜りの行商とかへの規制が厳しくなっていったり。こういうのは現代の東京の弁当売り規制、博多の屋台規制なんかにも通じる。


国がそこに介入したのは「栄養 → 強い兵を作るため」という目的からだった。栄養学なんかもイギリスの輸入封鎖されたドイツで発展していったし。微生物学 → 保存 → 缶詰なんかも軍事目的で作られていった。


国のそういった意向、規制に対して食品産業界は反発し、その中間に食品栄養学なんかの専門家(評論家)が入ることとなった。


国 / 産 / 評 / 民


栄養と「正しい食事」(健康)についてのイデオロギーはこういったアクターを中心としてやりとりされていった。


「一日に必要な総カロリー」とか「三大栄養素」みたいな考え方もここからつくられたもの。それはいちおコモンセンスにはなっているんだけど、「元々がそういったもの」というのは知っておいたほうがいいとおもう。


なので、権力地図とかイデオロギーな力学的には「この食品を食べるのはダメ」とか「この食品は良いからどんどん食べよう」」「この栄養素は」「化学調味料は」「有機野菜で」みたいなアレは自ら国の官製イデオロギーに生きる力を明け渡してるようなところがあるように感じられる。あるいは有機野菜をめぐるフードサヨクなところはみょーに反体制ということで逆に依存してる。


化学調味料や醸造酒の話と同じで「少し(あるいは量を調節されて)入ってたほうがおいしい」のだしそれは有機野菜うんたらにも通じる。あるいは食事全体にも。


新大陸で発見されたトマトやじゃがいもが初期は貴族の鑑賞用の奇妙な生き物だったり、研究者によって薬効を期待されて伝わっていたように、飲食物というのは薬にも通じるところがある。医食同源なアレで。


なので「摂り過ぎればなんでも悪いし、反対に少なすぎても悪い」っていう単純な話なのだろう。


そのために各栄養素を知っておくのは良いだろうけど、その栄養素イデオロギーに縛られて生の自由を減らすのもつまらない。


「所得によって生活のレベルが変わる」みたいなことがありその表れの一つとして飲食があるところもあるだろうけど、そういったステータスに過剰に縛られて食事するのもつまらないようにおもう。社会資本や文化資本、正しい知識、「本場の、本当の」っていうオーセンティシティ、有名人やみんなのレビュー、ステータスやイデオロギー、承認、そういったものを食べるわけでもないのだから自らカーストに囚われることもない。






もやしもん(9) (イブニングKC)
石川 雅之
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関連:
トマトとジャガイモがイタリアで食べられるようになったのはいつ? - 火薬と鋼
http://d.hatena.ne.jp/machida77/20120625/p1


【第50回】『食は広州に在り』(邱永漢)前編|新しい「古典」を読む
https://cakes.mu/posts/4101
https://cakes.mu/posts/4151



山岸俊男、1999、「安心社会から信頼社会へ」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380874839.html




古市アントワネットと津田16世の対談がダメすぎる件 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/607449

全然発言の主旨が分かってないで「福祉」と「デフレ飯すきや」にくいついてるのがルサンチマンむき出しだった。

くだんの発言の前段階で「インターネッツで経済が変わりますか?」「変わるかもって例もあるけど一概には」 → 「リーマンとかの労働形態も変わるかも?」「変わるかもだし変わろうとするには意志が必要で」「わたすたちみたいに独立して」 → 「食い詰めたらどうすんの?」「まあすき家あるし」

全体的にその程度のPresident読んでる層向けの発言なんだけど、このまとめみたいな反応も含めて「所得に依る階層と食と福祉、それを巡るハビトゥス地図」のサンプルとしては面白いのかもしれない。(あとアントワネットの発言もアントワネット本人が言ったのではなくルソーがてけとーに作ったのが印象論したみたいなのをアイロニカル踏襲してる、という意味では)



農政について (内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2013/12/30_1249.php

すごくいい加減なことを言ってることについてはもう論じたんだけど(たとえば農業の方が経済より先、とか、経済・経営として農業が見れてないこととか)
http://twitter.com/m_um_u/status/418262760225394688

『食文化が多様であるのは、グルメ雑誌のライターたちが信じているように「世界中の美食」に対する欲望を駆動するためではない。まったく逆である。他集団の人からは「よくあんなものが食える(気持ち悪くてゲロ吐きそう)」と思われるようなものを食べる』ことでうんたらについては「ヨーロッパの舌はどう変わったか」読んでっても出てる。(農民がじゃがいも食ったのは元々薬種だった気持ち悪いじゃがいもが研究され政府から支給され育てるように奨励されて仕方なくだった(cf.プロイセン)。あと料理の種類と多様性、洗練も経済発展・近代化を背景に進んだ


posted by m_um_u at 18:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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