2013年12月20日

赤い狐とこぐまのマーチ


「民主と愛国」をまたダラーッといちお見直してたら吉本隆明を論じたところがあまりにひどかったので愚痴。。


〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性
小熊 英二
新曜社
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端的には小熊は吉本を実体験のない戦争ロマンチストとして捉えてるみたいなんだけどそれはどうなのかなあと思った。


 『〈民主〉と〈愛国〉』が60年安保闘争の全学連主流派を好意的に描いているように見えるとするならば、それは私が意図して好意的に描いたというより、当時の多くの人々から彼らが好意的に見られていたからだと思いますね。私は当時の資料を集めて並べ、当時のメンタリティを再現しようとしただけです。

 ただし西部邁さんが自治会の不正選挙のことなどを回想しているように、当時の活動家たちが「純粋さ」だけでやっていたわけではないと思う。ここでいうのは、主流派のデモに参加した一般学生たちを含めた、総体に対する当時の評価の話です。

 それに対して、上野千鶴子さんと対談した時などは、全共闘と吉本隆明に冷たいと言われた。しかしそれも、当時の雰囲気のなかで、戦争体験世代の「大人たち」からは全共闘がそのように見られていたという事実を書いたつもりです。

 吉本隆明についていうと、彼の著作を集中的に読んだのは、今回が初めてです。理解しようとできる限り努力したつもりですが、正直なところ好きにはなれなかったですね。もしかしたら、20歳前後で読めば、もうちょっと違ったかもしれない。でも30代後半になって初めて読んだのでは、50年代から60年代の吉本さんが使う「反逆の息子」とか「壊滅的な徹底闘争」とかいうフレーズには、共鳴できないと感じた。

 ピエール・ブルデューは、フーコーを批評して「青少年向きの哲学者」と言っています。フーコーはそれだけの存在だったとは思いませんが、60年代の吉本さんの影響のあり方については、ちょっとそういう印象を感じますね。ああいう戦闘的ロマンティシズムというか、「壊滅的な徹底闘争」で「擬制」を倒せみたいな思想として吉本さんの著作が若者にうけてしまったというのは、全共闘や新左翼を政治的な観点から評価すれば――文化的な観点から評価すれば別の基準があるでしょうし、「政治」と「文化」がそうはっきり分けられるのかという疑問もあるでしょうが――幸せなことではなかったと思う。

 私が『〈民主〉と〈愛国〉』で述べた見方では、吉本隆明の思想が残したおもな政治的効果は、党派や社会運動、あるいは「公」の解体を促進したということだった。彼の力で解体したわけではないけれども、解体を促進する触媒としての機能を果たしたと思います。

 ただ吉本さんの文章は、おそらく当時から相当に誤読もされていただろうとも思います。だから吉本さんの思想が社会運動を解体したというと、反論する人もいるでしょう。あるいは『〈民主〉と〈愛国〉』で、吉本さんがじつは戦中に兵役を免れたことに罪責感をもっていて、その罪責感から「死ぬまで闘う皇国青年」みたいなイメージを作っていたことを書いたことで、自分の吉本イメージとちがって驚いたという人もいると思います。

 そういう人に幾人かお会いしましたが、そのときはこういう言い方をしています。吉本という人は、要するに思想家というより詩人なんだと。吉本さんの文章は、私が書いたようにその内容をダイジェストして、要するにこういうことを言っていますみたいな形にしてしまうと、特有の魅力が発揮されなくなってしまう。詩のあらすじを書いてしまうようなものですから。だから、「確かにあらすじはそうかもしれないけれど、私のあの感動した心はどうしてくれる」みたいなことをいう人の気持は、否定しません。

 だけどそれは、あくまで文学的な次元の話です。もし吉本さんや、あるいは江藤淳さんもそうですが、ずっと詩や文芸評論だけを書いていたら、私はこういう研究で彼らをとりあげる必要はなかったでしょうし、批判をすることもなかったでしょう。しかし彼らが政治評論を書いて、そういう方面で影響を与えてしまった以上は、当人も批判の俎上に乗せられることを覚悟するべきだと思います。


 それからあの本を書いて思ったのは、妙に勇ましいというか、大言壮語をする人は信用できない、ということでした。吉本隆明は、本当は日和見なのに、「壊滅的な徹底闘争」とか言う。吉本と同世代でも、鶴見俊輔は戦争中に慰安所の係員みたいなことまでやらされて、ひどい目にあって自分の小ささを思い知らされた結果、他人にもあまり過酷な厳しさを要求しない。だけど60年安保のときに、本当に死ぬ覚悟があったのは鶴見のほうだった。

 ヤクザだって、修羅場をくぐったことのないチンピラのほうが、できもしないような勇ましいことを言いがちでしょう。もちろん鶴見さんも欠点はあるでしょうが、この点に関しては吉本さんより鶴見さんの方が偉いなという感じがしました。


小熊英二さん『<民主>と<愛国>』を語る(下)
http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/report/book/Democracy_vol2


未だ吉本のテクスト当たってなくて概説を読んでるだけなのでびみょーってのはあるんだけど(同時代に吉本のテクストに関わる文脈を理解してたわけでもないしね)、このへんはちょっとびみょーなんじゃないか、と。


・吉本というと死ぬまで戦う皇国少年なイメージがあるけど実際は「戦争に行けなかった」「生き残ってしまった」負い目の反動として戦争ロマンチシズムになっていた。

・吉本が国家やキリスト教に反発したのは自分の罪責感を掻き立てる権威を徹底的に嫌ったからだ。


こういったスコープで新聞の切り抜き的に周辺事実が切り取られ編集されていたんだけど、戦争が終わった時「生き残ってしまった」「降伏を肯んじえない」「徹底抗戦」と思った心性というのは単にロマンチシズムや罪からの逃避とは言い切れないように思う。それはこうの史代さんの一連の作品に表されている。











こうの史代『この世界の片隅に』下巻
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/konosekaino-katasumini2.html

『この世界の片隅に 下』の感想と、清志郎の死について少し - ぼうふら漂遊日記
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20090507/p1



「生き残ってしまった」罪悪感 / 喪失感、あるいは悔恨ややりきれなさというのはこうのさんのヒロシマをめぐる話の主要テーマになっていたわけだけど、「夕凪の街 / 桜の国」から継いだそれは「この世界の片隅に」の下巻でより詳細に表されていた。


絵を描くための右腕と姪を同時に失った戦争、自分の大事な人達を奪っていった戦争、そういったものに対して選択の余地もなく人生を投げ出されていた人たちにとって国が正義を全うしている=自分たちは正しいことをしているということは最後の拠り所だった。「最後の一人まで(自分の命をかけても)戦う」ということは贖罪にして救いだった。


「いまここへ まだ五人も居るのに!
まだ左手も両足も残っとるのに!!
うちはこんなん納得出来ん!!!」

「飛び去ってゆく
この国から正義が飛び去ってゆく」

「…ああ
暴力で従えとったいう事か
じゃけえ暴力に屈するいう事かね
それがこの国の正体かね
うちも知らんまま死にたかったなあ…」



父親から戦争の大部分は惨めな病死や轢死であることを聞かされていた吉本にとって戦争は単なる憧れではなくなっていただろう。単に当時の大衆的な思いとして「ただしいこと」のよすがだったのではないか?


しかし戦争ー国家を指揮していた連中は最後でそれをとどまった。臆病風に吹かれて。

けっきょくそういった連中は表面的な「正しさ」を確認し増幅しあうためのツールとして言表を交換しあってるだけでそれを信じきってるわけではないのだ。

だから吉本は国家やキリスト教、規制アカデミズムの表面的な「正しさ」を憎みそれらを引剥がそうとした。


たぶんそんな感じだったのではないかと思う。



そういう欺瞞に対する嗅覚とそれらを解体しようとする意志はフーコーを想わせる。


たぶん吉本というのは早過ぎるポストモダンみたいなものだったのだろう。ただその方法がエキセントリックだっただけで。


日本のポストモダンはなんか勘違いされてて「脱構築」(解体)を部分的、道具的に使い既成の枠組みを解体することが主目的になってるようだけど、そういう傾向なら吉本のそれも受け入れられたのかもしれない。うまく「らしさ」の言表をまとえば。



んでもフーコーのそれも吉本のそれももともとはマルクス主義というか、そのなかの教条的な権力の流れを対抗とするものだったのだろうからその意味では両者とも似たようなものだったのかなあと思いつつ当時の対談の様子を振り返るに…(人様の説明で)。






蓮實重彦コーディネートということでうまくいかなかったらしい。蓮實重彦自体がわけのわからんポエムみたいな言葉でテクストを彩りするだけで元のテクストを理解してるのかどうか分かんないところがある + フーコーが吉本の著作を読んでなかったらしい(吉本は「言葉と物」の邦訳を読んでいた)。


コーディネート役がきちんと調整してればおもしろい対談になったのではないかと思うけど、対談時もその後も両者とも相手のことがよくわかってなかったみたい。というかフーコーは吉本のことをバカだと思った。

この対談終了後、フーコーが吉本隆明に「往復書簡をしたい」と語った。社交辞令とは知っていたが、編集者としては敢えて真に受け、早速、吉本隆明に長文の手紙を頼み、出来上がった原稿を対談通訳者でもある蓮実重彦に翻訳してもらい、フーコーに送った。内容は忘たが、道元とヘーゲルを巡っての、五十枚ほどの原稿だった。原稿を渡す時、吉本隆明は「ぼくの書いた内容なんて、フーコーさんなら当然知っていることばかりだけどね」と言い、また仏訳した原稿をベルギー出身の訳者の夫人に見せると、「この人、頭、悪いんじゃない」と言われた話など、いまでは懐かしい思い出だ。
夫人がなぜそんな言葉を口にしたのか。欧米人らの論文は、まず結論を先に述べ、それを論証する形で話を進めるのに対し、日本人、中でも吉本隆明のそれは、紆余曲折しながら何となく結論に向かう書き方ゆえ、原文に忠実に翻訳すればするほど、外国人には「頭が悪い」との印象を与えるようだ。国民性の差というやつだ。
件の手紙を出してから一年ほど経ったころだろうか、日本在住のフーコーの友人を通してようやく返事がきた。しかし危惧した通り吉本隆明の論考は意味不明、従って「返事は不能」とのことだった。またフーコーは、「吉本さんはヘーゲルをドイツ語できちんと読んでいるのか?」とも問うたようだ。口先だけで国際化を論じるのは簡単だが、こうした一例を取っても、道はまだまだ遠いのだ。


吉本隆明とフーコー
http://anond.hatelabo.jp/20090103034023


吉本はフーコーのことを単に「対マルクス主義的なサヨク思想の新しいやつ」と思ったようだしフーコーは最後まで吉本のことを理解できてなかった。



未だ当該テクストも読んでない私見バリバリだけど、たぶん、吉本はフーコーのいうエピステーメー(知の枠組み)的に前近代的なものを本当に体現して生きていたのだろう。なので吉本の思想と考え方、あるいはその表出というのは宗教そのものでありシャーマンであり託宣みたいなもの。詩や散文の形式にしてるけどそんな感じだったのだろう。「共同幻想論」なんかは前に読んでよくわからんかったし、いま読んでもそれそのものだとナンセンスに思えるだろうけど。たぶんそんな感じで前時代のエピステーメーなのでわけがわからない。

そういうのは中山元さん的にはドン・キホーテのそれに当たりそう。


はじめて読むフーコー (新書y)
中山 元
洋泉社
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「この世界においてあらゆるものに<類似>を見る」。そのあり方は宿屋のおやじから狂人扱いされるわけだけど「詩人」ということであれば受けいれられる。

<類似> → <神の徴> ← <人には自由な理性はなくすべては『神』によって決定されており人はその徴を読み解くだけ>という思考様式は中世の想像空間(イマジネール)であり認知なのだと思うけど、もしそうだとしたら、それを理解できたとしてもほんとにそれ自体を生きたというのはすごいなあ。。


エピステーメーはその時代環境に染み付いたものだからそれをhackするなんてのはふつーできないだろうから。



類推が正しければ吉本はそういう前時代のエピステーメー(大衆的なそれ)を生きることで西洋式の「現代」のエピステーメーと教条的な知識空間(丸山真男を中心とした岩波-日教組サヨク、その温厚なヴァリアントとしてのベ平連、マルクス主義的なバリバリサヨク)を脱構築していた。その方法については詳しく説明せずに。


対してフーコーはキリスト教の教条部分の現代版としてのマルクス主義的なそれを脱構築するために「大きな物語」的な汎用視点を捨て、歴史・民俗学的に個別に考古学し、その史料を元に独自哲学するようにした。そしてそこでの文体も半ば詩のような類推があったため歴史的中立性からはびみょーなところがある。



こうしてみるとマルクス主義を中心として吉本は過去のエピステーメーを、フーコーは未来のエピステーメーを実践しようとしていたのかもしれない。


なので、フーコーのほうが吉本を理解していればたぶんおもしろいことになっていたのだろう(あるいは神谷美恵子とかハイデガー関連の誰か、まともな宗教者が間に入ってれば)。




しかし歴史は吉本にドン・キホーテの役割を与えた。



キリスト教ドグマ-マルクス主義的唯物史観を否定し日本の大衆に残っていた宗教幻想を実際に生きようとした(かもしれない)吉本が前時代的なマルクス主義に依った全共闘学生に担がれたのも戯画なら、前時代的マルクス主義を批判し近代の確立を謳っていた丸山真男が学生たちに吊るしあげられたのも戯画であったし、フーコー-デリダのラインがみょーな形でポストモダン()されてハイデガーも何だがみょーな形で祭り上げられてる日本の現在そのものがお笑いなのだろう。



そして今日も明治→大正→昭和→平成とつづいていてきたサヨク的教養主義のエピゴーネンたちが「主体だ主体だ」「民主主義だ民主主義だ」「全体主義だ全体主義だ」「戦争だ戦争だ」とみこしを担ぐのだ。












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関連:
吉本隆明の後半生の戦いはソフト・スターリニズムとの戦いであった - finalventの日記
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060613/1150163560
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20071201/1196468891


近代的理性の立ち上がりと国家幻想、そこから疎外されていったものたち、のはなし: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381011164.html



「生き残ってしまった罪悪感」と全共闘関連で、内田樹さんが天声人語ジェネレーターみたいになってしまって自分のほんとの問題に向き合わないのも日本的論壇特有のお笑いぽい
http://www.tatsuru.com/guests/randy.html




ゼロ年代批評とJ-POP  ロックはどこへ逝った?: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/382169743.html

東京ハ夜ノ七時: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/383000042.html



posted by m_um_u at 19:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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