2013年12月17日

ロバート・ダーントン、1984(1990)、「猫の大虐殺」




猫の大虐殺 (岩波現代文庫)
ロバート ダーントン
岩波書店
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全体的に予想してたよりおもしろかった。

「フランス革命時、あるいはその周辺におけるフランスの大衆の実際」みたいなのが知りたくて本書を読んだわけだけど、それ以外に「民話から読み取れる当時の大衆の実際」みたいなのとか「ルソーの革命時の大衆への影響」みたいなのが勉強になった。


「民話から読み取れる」のほうは例えば赤ずきんの話。フロムほかの心理学の大家なんかは赤ずきんの話のメジャーなものを引き合いに出して「これは処女性を深層心理が隠された話だ!」とかいったみたいだけど、そのメジャーになったものは赤ずきんの原型とは異なる → 当時の大衆心理をそこからは読み解けない(心理学者はけっこういい加減なこと言う)とか。

当時の大衆は残虐で野卑で、その野蛮さが民話には表れていた。



民話「赤ずきん」の進化を系統樹で解明、英研究 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
http://www.afpbb.com/articles/-/3003359



ルソーのほうは、フランス革命当時、啓蒙・教養知識人たちが大衆に対して差別的立場をとっていたのに対して、当時卑俗で大衆的なものとされた小説を知識人であるルソーが著し、その内容を通して大衆と対話し内面を豊かにしていった、というような話。小説の中で小説の読み方を著すことでルソーの読まれたいように小説の読み方を誘導し、その真摯な読み方を通じて大衆と対話していった。

その読み方は本が貴重品だった時代の聖書の読み方(何回も繰り返し読む、一家団欒や夜の集いで皆と朗読しあう)と大量印刷され一回だけ読んで次の本に移るようになりだした時代の読み方の中間に属するものだった。映画スターが演じる役柄と現実の境界がわからなくなる人がいたように読者はルソーが描く小説の主人公、小説世界、あるいは著者であるルソー自身に心酔しファンレターを送った。ルソーはファンレターに対して小説で返したり、実際に社交界などで言葉を交わすことで読者と対話していった。

その様子からはルソーの小説を通じてかつて教会で行われていた告解が1:1から1:nの形でナローキャストされるようになったように見えた。あるいはSNSに慣れてなくて有名な人との距離の近さに新鮮なワクワク感を覚える人たち。


ついでだから表題となる「猫の大虐殺」についても簡単に。


民話の真の姿からも伺えるように当時の大衆は残虐で野蛮だった。その例の一つとして猫の大虐殺の話が挙がる。


猫の大虐殺はフランスの片田舎の親方-徒弟制の住み込み出版工かなんかで起こった事件。労働待遇の悪さに鬱憤を積もらせていた労働者たちが親方夫婦が大事にしていた猫を虐殺することでストレスを解消したという話。

親方の寝床の外で毎夜猫の鳴き声を真似、「あれは猫に憑かれてるからですぜ」と騙すことで猫を殺す許可を得た。


当時、猫は「性的なもの」「女」の象徴だった。なぜそうなったのかは定かではないけど発情期の猫の声が情事の女のそれを想わせたのかも。それもあってネコは魔女裁判的に5月柱にくくられて火をつけられたりもしていた。大衆たちはそれを娯楽として嘲笑いながら見ていた。山羊の鳴き真似なんかしつつ。「その狂騒はカーニヴァルのそれと似ていた」ってことだった。




んじゃ以下詳細





フロムが「処女性」やら「青年期の性」「脇道にそれてはいけないという戒めが込められてる」と解釈した「赤ずきん」の物語ははっきりとした出典は書いてないがどうやらグリム童話のそれに基づいているらしい。

グリム童話の「赤ずきん」はもともとフランスから出奔したユグノーがドイツに伝えたものでそれがフランスに還流したもの。またユグノーがドイツに伝える段階でもサロンで話されるために元のテクストからは修正されていた。

フロムたちはグリム版「赤ずきん」が自分たちの解釈に都合の良い内容だったのに修正された可能性を気にもとめなかった。




セブラン地方の印刷工場の親方は25匹の猫を飼っていてその中でも灰色のメス猫がお気に入りだった。親方は使用人といっしょに食事するのを拒んだだけではなくいっしょに働くことさえしなかった。しかし猫たちには焼いた鶏肉を与え、かわいがっていた。

猫達が一晩中あげる唸り声は労働者の睡眠を妨げた。

ある晩、印刷工の一人がこの不公平を正そうと親方の寝室近くの屋根の上まで這っていき夜中にゃにゃ鳴き声や唸り声をあげた。親方と細君は一睡もできなかった。数夜にわたってこの鳴き声に悩まされた親方夫婦は自分たちが魔法にかけられたのだと思い込み徒弟たちに猫を一掃するように命じた。ただしお気に入りの灰色猫だけは絶対に脅かしてはならないと命じた。

印刷工たちはその命令に面従腹背して灰色猫をまず叩き殺した。その後、即席の模擬裁判を作り猫達を絞首台に吊るした。印刷工たちはその間、爆笑をしていた。

騒ぎはこのときだけに収まらず、印刷工たちは以後数日の間この場面の物真似を繰り返して愉しんだ。

物真似はふだんはcopiesと呼ばれ印刷工場の誰かを辱めるために行われる娯楽だった。

猫の虐殺に折に辱められたのは親方の細君だった。


劣悪な環境にいた労働者たちは親方たちを憎んでいた。「親方の悪口をいうこと」は尊敬されることだった。それが印刷工たちが猫を虐殺した経緯の一つとなる。


謝肉祭のカーニヴァルの折、伝統的な規範に違反している人々に嫌がらせをして嘲笑する風習があった。違反している人々とはたとえば寝取られ男、女房に殴られている亭主、遥か年下の男と結婚した花嫁などである。

ブルゴーニュ地方では猫の拷問がこの嫌がらせの儀式(シャリヴァリ)の一環を成していた。寝取られ男やそのほかの犠牲者を嘲笑いながら、青年たちがネコを取り囲み、毛をむしって唸り声をあげさせるのである。これをかれらはfaire le chat と称していた。ドイツ人はこの種の嫌がらせの儀式を猫の音楽(カッツェ・ムジーク)と呼んでいた。

謝肉祭以外でも6月の聖ヨハネの祝祭、あるいは5月祭りにおいてもネコは火の中に投げ込まれたり柱にくくられ火をつけられたりして殺された。(5月祭りのネコ虐殺についてはブルゴーニュやロレーヌ地方)


ネコにはつかみ所のない神秘性やなんだかわからない魅力がありエジプト以来人間を魅了してきた。猫は概念上人間と動物の双方にまたがっているものとされた。ある文化圏では猫のみならず犬、豚、ヒクイドリといった動物も禁忌に関連した魔力を秘めたものとされた。ユダヤ人が豚を食べないのも、イギリス人が「雌犬の子!(son of a bitch!)」と罵るのもこれが由来とかなんとか。

この辺りは「異界に通じる動物」の話を思い起こさせる。


フィリップ・ヴァルテール、2007、「中世の祝祭」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379285806.html


猫は魔力に通じセックスに通じる動物とされた。中世の建築物の壁から猫の骸骨が掘り出されることがあるのは猫をいきたまま壁に閉じ込めその魔力を新築の家を守るために利用しようとしたからである。


pussy catという言葉はもともと単に仔猫の意味だったが猫がセックスを含意する動物ということで隠語となった。「猫を可愛がる男は美しい妻を得る」。発情期のオス猫の唸り声は寝取られ男を連想させた。



猫はこのように「魔力」「規範からのはみ出しもの」「セックス」を連想させるものだった。なので印刷工たちは親方のお気に入りの灰色猫の背骨を砕くことで親方の細君をあばずれ女だと象徴的に宣告し、それと同時に親方をねとられ男に仕立てあげた。

ブルジョワにとって動物辱めが無縁だったように民衆にとっては動物を愛玩する慣習はなかった。








ルソーは読書をテクストの中に案内し、レトリックを用いて誘導し、一定の役割を演じさせた。ルソーは読者に対していかに読むかを教えようとさえし、読書を介して読者の内的生活に触れようと試みた。


ルソーは読者に文学と社会の支配的価値観を拒むように、心のなかで田舎者、脱俗の人、外国人、子供になることを要求した。


読者たちは手紙などを通じて、いかに自分たちがルソーの作中人物と同化し、いかに自分もまた愛し、罪を犯し、苦しんだか、そして邪悪でムリかいな世界の中で再び徳をもとうと決意したかをルソーに語ろうとした。


読者は抽象的な正しさではなく、現実の生活に密着した徳行を、過程生活をまともに考えなおす決意をした。



「私たちは読むもの全てをおのれの<自我>に結びつけ、全てを自分自身の立場で考えなければいけない。そして勉強によって私たちはより自由で自立した存在となり、おのれの心や精神を表現する手段をみつける手がかりが得られる、ということを決して忘れてはいけない」



ルソー自身の読書には身についたカルヴァン主義の強烈で個性的な宗教性の影響が認められた。読者たちはおそらく、宗教書を読む古いスタイルを、ルソーの小説に適用したのであろう。







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関連:
フランス革命の背景とか要因について(暫定) 公共圏論を中心に: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381322488.html




キットラーにおける読書の変容の概説(歌声喫茶的なみんなで読書 → 母の音読 → 個人的黙読)むーたん
http://morutan.tumblr.com/post/20792167/m-um-u

ここからするとルソー的読書体験は音読期を過ぎて黙読段階に入った時の初期、あるいは移行段階ぐらいにおもえる。



書評空間:UMATフォーラム@書評空間: 『書き込みシステム1800/1900』(未邦訳)フリードリヒ・キットラーFriedrich A. Kittler, 1985=1990
http://bit.ly/pYBQc

posted by m_um_u at 17:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界史このエントリーを含むはてなブックマーク
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