2013年12月14日

「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ」→「<民主>と<愛国>」→「革新幻想の戦後史」


ライトサヨクまで通じる日本の学校教育のサヨクな感じってどう形成されていったんだろ?ってことで「教養主義の没落」に続く形で「革新幻想の戦後史」読んでるんだけど、やはり同時並行で「<民主>と<愛国>」読みなおしといたほうがいいだろうなあってことで両方読んでる。

・・まあ両方共太い本なのでなんかめんどくさいんだけど、「民主と愛国」のほうは一回読んでたし、あのときに比べてアウトラインがわかってるので小熊さんのまとめの中でも要らない部分は読み飛ばす感じ(最近脳みそのよむよむ筋も戻ってきたみたいだから「要らないとこ」とか「ここからここまではこれについて論じてるだけ」ってのはなんとなくわかるし。



竹内洋、2003、「教養主義の没落」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/382681253.html?1387010065



〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性
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「民主と愛国」は「世界」編集者界隈だった小熊さんの出自もあってどうしても岩波な視点ぽく感じる。というかウィキペディアの小熊さんの項でもまとめられてるように鶴見俊輔びいきってのは初読のときから感じた。あと「作る会の言説に対するカウンター」って程度なのだろう。


■「つくる会」に対抗したかった

――小熊さんにこれだけの大著を書かせた動機はなんだったのですか。

★前著の『<日本人>の境界』で戦後沖縄の復帰運動を書いたこととか、いろいろありますけれど、一つには90年代に「新しい歴史教科書をつくる会」が出てきたり、加藤典洋さんの『敗戦後論』をめぐる論争が盛り上がったりしたことです。私にいわせれば、あれは「戦争の歴史認識を論じる」というかたちをとって、「戦後という時代をどう考えるか」を論じていたといってよいと思う。「戦争」は「戦後」のネガであるわけですから、「あの戦争をどう位置付けるか」は、「戦後日本をどう位置付けるか」とイコールであるわけです。

 しかし当時の私の知っている範囲から見ても、議論の前提になっている「戦後」の認識が間違いだらけだということが、はっきり分かった。例えば小林よしのりさんの『戦争論』は、戦争に対する無知ばかりでなく、戦後史に対する無知に基づいて書かれています。

 ところが小林さんや「つくる会」を批判するにあたって、戦争の歴史認識が誤っているという話は多かったけれど、戦後の認識が誤っているという意見は非常に少なかった。つまり、小林さんや「つくる会」を批判する側も、戦後認識があやふやだということです。そこで戦後について、きちんと押さえておかなければいけないなと思った。

 それからもう一つ、私は小林よしのりの『戦争論』を読んで、共感はしなかったけれど、「これは売れるだろうな」と思った。記述は間違いだらけだけど、今の時代の気分というか、現代社会に対する漠然とした不満をつかまえていると思ったからです。

 たとえば『戦争論』の冒頭は、渋谷の街頭でサラリーマンがぼんやりした顔で歩き、女子高生が座りこんでいる絵が書かれて、「平和だ…。あちこちがただれてくるような平和さだ」「家族はバラバラ、離婚率は急上昇、援助交際という名でごまかす少女売春、中学生はキレる流行に乗ってナイフで刺しまくり」などと書かれている。そして「戦後の日本」は、アメリカに影響された「戦後民主主義」のもとでミーイズムと利己主義が蔓延し、モラルが崩壊してしまった時代であるとされ、それに対照させて「人びとが公に尽くしていた時代」としての戦争や特攻隊が美化されているわけです。

 つまりあの本は、正確にいえば「戦争論」ではなくて、「戦後批判論」なんです。もちろんこうした戦争認識、戦後認識は大間違いなのですが、ミーイズムにうんざりし、「公」と呼ばれるものを求めたり、何らかの形で政治や社会に関心を持ちたいという今の若者の気分はとらえている。だから『戦争論』は売れるだろうなと思った。

 それからほぼ同時期に、ある映画館で黒澤明特集をやっていて、見に行ったら初回が『七人の侍』だった。そして映画館は満員で、上映が終わった途端に満場の拍手になった。私はそのとき、「なるほど。こういうのが受けるのが、今の時代の気分なんだ」と思った。『<民主>と<愛国>』でも引用したように、『七人の侍』のハイライトの一つは、侍の主将が戦闘から逃れようとする農民に向かって、「他人を守ってこそ自分も守れる。おのれのことばかり考えている奴は、おのれをも亡ぼす奴だ」と一喝する場面ですからね。

 もっともこういう風潮というのは、あながち悪いことばかりでもない。最近、イラク反戦デモに多くの人々が集まったことが注目されましたが、それと小林よしのりの『戦争論』が売れるというのは、ある種共通の土壌から出ていると思う。つまり、「今の社会には不満だ。何か社会に関心を持ちたい」というエネルギーが、潜在的に鬱積している。そもそも小林よしのりさんも、薬害エイズ運動を経てきた人です。

 しかしそういう潜在的なエネルギーを、侵略戦争の賛美とか、「戦後民主主義はミーイズムを蔓延させたから憲法改正だ」とかいう方向にもっていかれてはたまらない。ここで戦後認識をきちんとしておけば、そういう潜在的エネルギーをよりよい方向にもっていけるのではないかと考えたのが、『〈民主〉と〈愛国〉』を書いた動機の一つです。

 まああとは、「つくる会」への単純な対抗意識ですね。「つくる会」の設立趣意書は、彼らが作る教科書の理想として、「私たちの祖先の活躍に心躍らせ、失敗の歴史にも目を向け、その苦楽を追体験できる、日本人の物語です。教室で使われるだけでなく、親子で読んで歴史を語りあえる教科書です」と述べている。

 誤解を恐れずに言えば、それを読んで、そういうものがいまの風潮として求められているなら、私が彼らよりもっとましなものを書いてやろうじゃないかと思った。「日本人の物語」という部分はともかく、「祖先の活躍に心躍らせ、失敗の歴史にも目を向け、その苦楽を追体験できる」という本を書いてやろうと。実際に『〈民主〉と〈愛国〉』を読んだ学生たちが、「戦争ってこんな感じだったんだ」「日本にも60安保闘争みたいなすごい社会運動があったんだ」とか言っているのを見て、あるていど成功したかなと思っています。


 書いていたときに考えていたのは、いまの20歳前後の何も知らない若い人たちが読んで、希望が持てるような本にしたいということでした。まかり間違ってこの本が戦後史の基本文献になったりする可能性を考えると、いくらかでも日本の社会運動に対して、希望があるような終わらせ方をしたかった。


小熊英二さん『<民主>と<愛国>』を語る
http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/report/book/Democracy_vol1

http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/report/book/Democracy_vol2


小熊英二『1968』「著者のことば」に対してコメントをと思ったら - 外付脳内メモ
http://d.hatena.ne.jp/ashibumi68/20090716


まあ自分も鶴見さんは好きだし特に問題も感じないのでいいのだけど、やはりそういうところからのまとめって感じで竹内さんの話と付き合わせると(´ε`;)ウーン…てなるところがある。


竹内さんの「革新幻想の戦後史」も「諸君!」とか「正論」で連載されてたのをまとめたらしいので偏りはあるのだろうけど小熊さんのはなしの良いカウンターというか、まあ両方付きあわせてより立体的に見えてきた感じ。


それに「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ」加えて



小熊さんが「世界」-岩波、「思想の科学」-中央公論的な位置から


竹内さんは当時も「世界」より「中央公論」読んでたってのもあるし、同時代のサラリーマン-アカデミズム界隈の視点から


加納さんは学生運動側の立場から


それぞれ見えた風景を語ってくれてる感じ。


一番俯瞰してるのが加納さんなのでそこから始めて、竹内さんでおーざっぱな解説聞きつつ、小熊さんで教科書的なまとめとするのがいいのかもしれない。




未だ「革新」と「民主」の読み返しは途中段階で学生運動のとこまで来てないんだけど「お前」を読み返したら学生運動に突入した流れというのは単に「同時期の学生のうさ晴らし(上の教養層からの象徴的暴力に対して)」というだけでもなく彼らなりの真摯な目的意識があったようにも感じられた。


「教養主義の没落」のエントリの終わりにも少し書いたけど、それはエスタブリッシュ化してシステムとどうかしてしまった共産党に対するNO!ってことだった。

当時の共産主義全盛の圧力については竹内さんも語っていた。特に「二流の学問」である教育学部では二流があるがゆえに寄りかかる思想が必要ということでマルクス主義が当てにされたっぽい。なので当時の教育学の論文は価値判断(すべき論)と事実判断(である論)の峻別がはっきりせず、すべき論だけで論文が書かれてたとか何とか(「革新」p169)。つまり分析ではなく根性論だったらしい。

そして教育学界や大学人事は3Mと呼ばれるマルクスな老人たちが支配していた。



そのような教条化して役に立たないくせに偉そうな教育者・大学人もひっくるめたシステムに対してのプロテストが学生運動であったということなんだけど、その手本はフランス革命というよりはロシア革命だったとか。


そして近場の問題意識としてはアメリカのベトナム戦争だった、と。


「アメリカ帝国主義」=「システムに依る支配」という構図だったのかなと思うんだけど、、まあこのへんの内実検証はそのうち別件で国際政治史でも掘っていこう。



「民主と愛国」にもあるけど当時の若者達、あるいは岩波-「世界」系を中心とした思想界隈の主要な論点は「近代の完成のための主体の確立」だった。


それは戦前にもあった進歩的知識としてのマルクス主義のテーゼ「近代は完成したのでつぎはブルジョワ革命だ!」に対して、実際に戦争に動員された若手知識人が感じた現実からの反省を基点としていた。


丸山真男にしてもそうだったけど戦争の現場では「近代の完成」どころか野卑な農民兵が知識層をいじめ、野蛮な精神で残虐行為を繰り返していただけだったので。それはとても「近代はもう完成している」などといえないものだった。

その反省をもって丸山は戦後に「超国家主義の論理と心理」を著した。すなわち「野卑な農民-大衆が全体主義な戦争を起こした。これをなんとかせんことにはまた戦争になるぞ」ってはなし。まあ天皇制とかも関わるけど。


そういった丸山を中心とした主体性論は大衆の主体性の教化・啓蒙というベクトルと同時に、丸山より上の教養保守世代に対するアンチテーゼとして機能していた。

丸山より上の世代はマルクス主義に流れるところもあったが小林秀雄や福田恆存などの保守があった。



そういったところに対してヨーロッパ的な近代を確立させるために個人-主体の確立が叫ばれた。しかしそこで「エゴイズムすぎるのもなあ…」ってのが主体性論の悩みになったみたいだけど。まああのへんの下地はキリスト教的エートスと教養にあったのだけどそれをフォーカスできなかったのが丸山を中心とした主体性論のぼんやりしたところであり弱点だったのだろう。




そんな感じで丸山を中心とした「世界」系は「世代」と「主体」をキーワードに思考を進めていた。


ただ、その「主体」というのもぼんやりとした感じだったし、「エリートから大衆へ」「卒業してもサラリーマン」という大学生の性格変化もあって、丸山を吊るしあげた学生たちにとっては丸山も教養エリートの旧世代として見えたのだろう。


それも学生全体というわけでもなく大衆とははなれたものだっただろうけど。教育学部の事情と同じく、大学や学部によってはその思潮に染まらなければ「ノンポリ」「保守」扱いで軽蔑される現状があった。





思想の内容以前の学生運動の背景やそれぞれの事情はそんな感じだったのだろうけど、学生運動に至る過程というのは経済のボリュームや人口比 → 生活形態の変化から必然といってもよかったのだろう。


フランス革命と比較すればニューエリートを狙う新興ブルジョワ・教養市民層にとって旧来型の既得権益層がボトルネックになっていたのと似ている。



フランス革命の背景とか要因について(暫定) 公共圏論を中心に: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381322488.html




あれも革命思想以前に経済や人口比の変化で階層が流動し、既存の枠組みに収まりがつかなくなっていたことが背景要因だったみたいだけど、そんな感じで「大学生-エリートをめざすもの」という目に見えない鋳型が全共闘世代の彼らを圧迫していたのだろう。直接的には旧世代の教養層における象徴的暴力が。


そういったストレスと世界的なベトナム戦争・システム反対運動の流れに乗っかってストレスを発散+システム変革を目指したのが学生運動だったのだろうけど、フランス革命と違って高度経済成長期の日本の民衆生活とは関係のないものだったのでそことつながらず瓦解していった。




まあ、ロシア革命がなぜ革命として成功したのか?についても別件でそのうち見ていこう



ロシア革命 - Wikipedia
http://bit.ly/1b4FobX





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関連:
ジョン・ダワー、2004(1999)、「敗北を抱きしめて(上)」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/109044299.html




「異色昭和史」を読みつつ自分の根っこのことを思った: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/120266212.html





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戦後史は圧倒的に丸山眞男の影響下にあった。論壇では戦争への悔恨が知識人を支配していたものの、世論調査を丹念に見ると違う。意表を突く結果がいっぱいわかる。当初は敗戦に無念の声も多く、再軍備に賛成の答えも少なくない。それをこの本では、知識人を代表する丸山的な戦後の迎え方と、草の根庶民の敗戦感情を代表する北レイ吉(元衆議院議員、北一輝の弟)の迎え方で対比させた。総合雑誌のバックナンバーだけで戦後日本史を見るのは最も危険なことだ。
戦中戦前でも、丸山の書くようにインテリ皆が変な戦争だと思ったことは絶対にありえない。東大生の読書調査などを見たらはっきりする。それに戦争でインテリの就職状況も現実によくなっている。調査結果からは、東大生にしてもある時期までは戦争を後押ししていたことがわかる。しかも戦前戦後は断絶せず、通低の思想ではつながっている。戦前の知識人は、また活動する。戦後史を知る際には戦前史もきちんと見ないと実像はわからない。

とかく、国民の皆さんとか視聴者の皆さんと言うが、人々はマイクを向けられると、自分が考えていることを言うのではなくて、こういう場合はこう言うべきではないかと考え、答えている。大衆は本当は特徴がなく、その意見も幻想ではないか。実態としては、こういうことは言ったらいけないといった「大衆目線」がものすごく強い。「上から目線がいけない」というのはまさにそれを表した表現なのではないか。

──日本人は一つの方向に流されがちですか。

個人主義だったら、ほかの人と同じではいけないとなる。欧米に行っていつも思うが、レストランで注文するとき、彼らは「私も」とは言わない。個人主義の病理かと思うほど、違うことを言う。これに対して日本人は「ミーツー社会」。

──でも、一方で、欧米の人は連帯も求めます。

個人主義でも、キリスト教などの共通項があるから利己主義ではない。日本人は個人主義マイナスキリスト教だからエゴイズムになる。日本の個人主義者は自己中(心的)であって、博愛がない。他者への感受性という意味で空気を読むのはいいが、危険性も大いにある。

──福田恆存を評価していますね。

キャンパスでは言えなかったが、愛読した。彼の言説でいちばん印象に残っているのは、保守は主義ではないということ。伝統を尊ぶとか知恵を尊ぶと声高に言うのは保守ではない。生き方として保守があると。それが今でも頭にある。正統保守ではないが、戦後の論壇のつきものがついたような状況に、冷や水をかけた。

──小田実については。

最初の頃、当時の左の基準が高かったせいもあるが、右の比較的話のわかる人と理解されていた。初期の頃に書いているものはしなやかで、左右に距離を取って、自分の世代のよさを書く。どんどんかたくなな人になったが。偉人ばかりの知識人論ばかりだったときに、それよりインテリのほうが問題とした『日本の知識人』に、当時大いに共鳴した。

──終章に石坂洋次郎が出てきます。

石坂に代表される大衆モダニズムが革新幻想と連動、むしろ後押しした。戦後、彼ほど読まれた小説家はいない。映画化作品は50本を超える。石坂はハイカラな都会生活を舞台にした。特徴的なのは主張する女性。丸山は読まなくても石坂の本は読んだ人も多い。「草の根の丸山眞男」だった。



大衆幻想によって日本は動かされている--『革新幻想の戦後史』を書いた竹内洋氏(関西大学教授、京都大学名誉教授)に聞く | オリジナル | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
http://toyokeizai.net/articles/-/8399


posted by m_um_u at 19:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会このエントリーを含むはてなブックマーク
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