2013年12月14日

竹内洋、2003、「教養主義の没落」




教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)
竹内 洋
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要約すれば戦後の岩波(特に雑誌「世界」)→ 日教組を土台としたライトサヨクな教養知がどのように形成されていったか?について論じた本。「日本の教養は東大文学部を中心とし、他の学部に比べて農民出身者を中心とした文学部青年たちのコンプレックスを土台にした箔付け知識だった」というのはこの本からよく引用されるものになってるように思う。

自分的には明治期からのドイツ観念論(のガワだけ)移入な教養がどのように形を替えて現在の日本のサヨク的教養となっていったのかという歴史過程をたどれて面白かった。あと石原慎太郎の位置づけとか。


「エリートやプチブル知識人のアイドルと違って大衆の原像は小説や映画に宿る」という話は研究職ストレートでもなく、一度会社勤めをした著者の肌感だったのか、「革新幻想の戦後史」にも引き継がれている。



革新幻想の戦後史
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「革新」では石坂洋次郎の話が例として出てくるけど、こういったモチーフやヒントは吉本隆明から受け継いだものだったのかもしれない。


竹内:私より少し上の世代の大学教師で、社会学者を定年までやった後、「もういっさい社会学の本はいらない」と言って売ってしまった人がいます。そして最近は、時代小説ばかりを読んでいるそうです。私からすると、「今まで勉強してきた社会学というのは、その人にとって何だったのかな」と感じるわけですが、日本回帰の大衆インテリ版ですね。

山折:そういう問題に敏感に気がついて、批判し続けたのが、吉本隆明です。彼は、伝統的なリズムというか、短歌的な抒情の問題まで含めた詩の世界をつまみ出して、「大衆の原像」という概念に到達し、それを提唱しました。

竹内:吉本は、動員戦略にたけています。昭和30年代以降は、インテリと大衆の境がはっきりしなくなって、成り上がりインテリみたいな人が多くなった時代です。当時のインテリは、親が大学を出ていない世代だったので、大衆コンプレックスがあった。そういう逃亡奴隷的上昇インテリのコンプレックスを払拭させる「大衆の原像」を呈示しました。
私も「大衆の原像」を読んだ世代ですが、あれは非常に訴求力があるというか、心にストンと落ちるものであったことは確かです。

山折:吉本は「自立、自立」と言っています。「人間が自立する、思想が自立するということは、教養の根底をしっかり自覚し、そこを出発点にするということだ」と彼は呼びかけたわけです。
ある日本の国際賞がありまして、私は一時期、人文社会系の審査委員をしていました。この賞は、全世界から候補者を募るわけですが、その中に、毎回、吉本隆明の名前が出ていました


日本の知識人は、なぜ「日本回帰」するのか | 日本人としての教養 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
http://toyokeizai.net/articles/-/24883?page=3


自分的にはルソーとか思ったりもするけど。



では、以下詳細。






エリート文化には大衆との向き合い方の性格の違いで融和型と対立型があった。イギリスは融和型、ドイツは対立型。

イギリスのオックスブリッジなどのエリート学校は貴族的な身分的慣習や生活様式を伝達したが、他方では学校によって出世する中産階級の志向を取り込み、伝統的身分文化との妥協ももたらした。

対してドイツにおいては伝統的な上流階級文化である宮廷貴族層と中流階級の文化的障壁が強固だった。貴族はフランス風作法で振る舞い、フランス語を話し、ドイツ語を話す中流階級との間には文化的断絶があった。

19c前半のドイツ新興層にとって教養 Bildungは旧来の教養層である貴族層に対する挑戦的な武器であった。彼らは裁判官や高級官吏、大学教授などで卓越した業績を上げることを目指した。


日本はドイツ型を移入した。





大正時代、旧制高校を発祥地として1970年ころまでの日本の大学キャンパスでは教養と教養主義の輝きが見られた。大半のプチ教養主義者はニーチェのいう教養俗物のようなものだった。

教養知は友人に差をつけるファッションだった。なんといっても学のあるほうが女子大生にもてた。また女子学生も教養があるほうが魅力的とされた(岩波ボーイ、岩波ガール)。

教養崇拝は学歴エリートという「成り上がり」(ヴェーバー)が「教養」というメッキによってインテリや知識人という身分文化を獲得するための手段であった。


ここでヴェーバーがいう「成り上がり」はドイツ官僚における貴族的教養と生活的実践とは切断された教養であったように思われるけど本書ではそのへんは指摘してない。



東京帝大文学部は理学部に比べて相対的に農村出身者の学部だった。特徴としては「農村的」で「貧困」で「スポーツ嫌い」で「不健康」。


そんな彼らにとって近代教養主義は泥臭い故郷や辛気臭い父母や縁者を後背地とし、そこからの距離によって芳香を放った。


学生運動では機動隊に対して「犬」とか「百姓」という口汚い罵声が浴びせられるものもあった(京都の円山公園前や四条河原町交差点あたりでの渦巻きデモ)



「学力優秀で身体機能にも秀でた高卒者から成る機動隊員」と「学生という有閑身分で「人民のため」という大義のもとに実のところは青春を謳歌している学生デモ側」という構図、本書ではそんな感じだったけど「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ」ではそこに民青(共産党青年団)が加えられていた。


エリート学生がハイ、機動隊員がミドル、民青がロー。


新左翼を中心とした学生運動は旧来の共産党的マルクス主義のエスタブリッシュ化 → 停滞にNOを唱える実践という目標を持っていた。



当時の学生たちにとって総合雑誌は社会科学系論文から小説、映画、音楽まで扱う教養を満足させる場だった。戦前は「改造」や「中央公論」など、戦後はそこに「世界」が加わった。



明治以来の旧制高校的教養主義はマルクス主義や実践と無縁でなかったどころか、しばしば双生児だった。





19世紀末から20世紀はじめ、旧制高校のキャンパス文化は古武士タイプな教師から新しいタイプの教師に変わっていった。


ex.
土井晩翠、高山樗牛(ちょぎゅう)、西田幾多郎、厨川白村、桑木厳翼、夏目漱石

東京帝大講師ラファエル・ケーベルの影響を受けた漱石門下の阿部次郎、和辻哲郎など



第一高等学校の校長に新渡戸稲造が赴任した。



社会主義はそれまで壮士あがりのならず者やゴロツキ仲間の思想のごとく見られていたが1919年、森戸事件を境に知的青年の社会思想や社会運動に格上げされた。


東京帝大経済学部助教授森戸辰男は「クロポトキンの社会思想の研究」を「経済学研究」に発表、当局は雑誌を回収し森戸は実刑に伏し、大学休職ののち復職かなわなかった。


マルクス主義がゴロツキ的なものから知識人のものに格上げされていった過程は当時「野卑」「淫猥」とまでされた小説に東京帝大講師であった夏目漱石が手を染め専業小説家となることで小説が知識人の嗜みに格上げされていった過程と似ていた。




関東大震災の頃には「教養」という言葉は古臭いものとなっておりその古臭さに代わるものとしてマルクス主義が最新の科学として期待された。


ちなみにこの頃、岩波書店はようやく出版を始めた。


岩波文化は純粋文化界とマス文化界の中間領域にポジショニングすることで人口に膾炙した。

純粋文化界は従来のハイブロウな教養を主とし、マス文化界は大衆的なものを対象とした。岩波はその中間だった。

古書店からスタートした岩波書店は最初に当時売れっ子作家となっていた漱石の「こころ」を自費出版してもらうことで軌道に乗った。

漱石や西田幾多郎、和辻哲郎、阿部次郎らと知己を得たのは岩波茂雄の一校生としての人脈、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)によるものだった。




マルクス主義が人気となったのは明治以来、日本の知識人がドイツの学問を崇拝していたから。加えて、マルクス主義はドイツの哲学にフランスの政治思想、イギリスの経済学を統合した社会科学だと言われた。合理主義と実証主義を止揚した最新科学。


マルクス主義はそれまでのドイツ観念論的教養主義にコミットした高校生に「教養主義の上級版」として受容されていった。マルクス主義の中核をなしていたのは倫理的ストイシズムであり、それは教養主義の核をなしている人格主義と連続してた。



従来型のドイツ観念論に日本的な人格主義を足した教養主義は初学者に劣位感や未達成感をもたらす象徴的暴力が内包されていた。データベース主義を基本とする教養主義ではより学識を積んだものから「創意や能動的(アクティブ)など必要ない」「小さな誇りを捨て給え」「君に必要なのは目の前に広がる100度読み返しても足らないほどの傑作だ。そういうももの前にひざまづくことを覚え給え」とされる。

(cf.これは今の時代もヲタクにおけるデータベース消費、「ヴェーバー100回嫁」として伝わる)


そういった象徴的暴力からの逃避、ボイコットがマルクス主義への傾倒であった。


わけのわからない知識の詰め込みよりもマルクス主義では実践が重んじられた。それは「自分たちで作っていける」という自由を若者に与えるものだった。



主体性論はこういった教養にもとづく人格形成をモデルにしていた(のでなんかわけわからないところがあった)。




<高等教育がエリート段階を保つのは該当年齢人口の15%までの進学率のとき、それを越えるとマス段階に成る>(マーチン・トロウ、『高学歴社会の大学』)

団塊の世代の頃、大学進学率は30%を超えた。これで知識エリートではなくなった彼らはサラリーマン的な未来が一般的となった。サラリーマン予備軍となった彼らにとって大学の専門知や教養知は必要となくなりその幻想は崩れていった。


旧来の教養主義の象徴的暴力にさらされていた団塊の世代はそこから逃げるために肉体を使ったサボタージュを行い、それを「実践的科学」と称した。

「民衆のため」と称したその口で機動隊員を「百姓め!」と嘲け知的優越を誇る彼らは大学を乗っ取り、大学教授を吊るし上げることで日頃さらされてる象徴的暴力の仕返しとした。


丸山真男を「ベートーベンなんか聞きながら勉強しやがって!」と吊るしあげた話などは思想うんぬんではなく単に知的エリートとしての教養層に自分たちがなれないことへの怨嗟が運動の動機だったことのもっとも象徴的場面と言えるだろう。


くわえていうなら丸山は彼らの憎んだ中身の無い教養主義、ドイツ型のそれよりは民衆との融和を旨としたイギリス保守主義における知的空間に可能性を見出そうとしていたようにも思える。その丸山を特に内容のない思想で糾弾し、あらたに自分たちの教養(学生運動的なマルクス主義)をエスタブリッシュしようとしたのは彼らの憎んだ教養主義をそのまま彼らがなぞったのと同じことだったのだろう。


…まあ当時の丸山の学の方向性についてはまだ掘ってないのでびみょーではあるか



全共闘の学生たちは形骸化した教養主義に対抗するアイドルとして吉本隆明を崇めるようになった。しかし、これも吉本の思想を理解していたわけではなく単に「旧来の教養主義を糾弾した」という上辺だけ取り上げたにすぎなかった。


その意味でかれらはホンモノの教養もかといって大衆の味方にもなれないどっちつかずの位置にいたのだろう。



ただ、「彼ら」と十把一絡げにするものでもなく全共闘世代にも急進的な人たちと自らを批判的に思考する人たちの違いがあった。その辺りの反省や回顧はこちらに詳しい



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関連:
野田宣雄、1997、「ドイツ教養市民層の歴史」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/382529159.html


ロイ・ポーター、2001、「啓蒙主義」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/382444000.html



加納明弘、加納建太、2010,「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/215103969.html





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おまけ:「ハビトゥス」について(「教養主義の没落」から)

(82)
ここでいうハビトゥスとは、態度や姿勢を意味するアリストテレスの概念「ヘクシス」(hexis)をスコラ哲学者がラテン語に翻訳したものである。マルセル・モースやエミール・デュルケームによって、社会的に形成された習慣の意味ですでに使われていたが、社会学者ピエール・ブルデューによって、主観主義(主体の哲学)と客観主義(構造主義)を統合した社会分析(ポスト構造主義)のための方法概念として洗練された。ブルデューはハビトゥスについてつぎのように定義している。

「生存のための諸条件のうちで或る特殊な集合(クラス)に結びついた様々な条件づけがハビトゥスを生産する。ハビトゥスとは、持続性をもち移調が可能な心的諸傾向のシステムであり、構造化する構造(structures structurantes)として、つまり実践と表象の産出・組織の原理として機能する素性をもった構造化された構造(structures structurees)である」

ハビトゥスとは、様々の行為や言説を生成し、組織する心的システムを指示している。社会的出自や教育などの客観的構造に規定された<構造化された構造>実践感覚であり、実践をみちびく<構造化する構造>持続する性向の体系である。


※我々が「あの人は品がない」とか「田舎者だ」とかいうとき、それは個々の行為について言っているわけではなく、その人の行為のバックボーンの原則を指している(ex.「お里が知れる」)。




posted by m_um_u at 17:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会このエントリーを含むはてなブックマーク
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