2013年12月03日

天使たちの輪舞  (cont. おとなになること)



文学的実感は、この後者の狭い日常的感覚の世界においてか、さもなければ絶対的な自我が時空を超えて、瞬間的にきらめく真実の光を<自由>な直観で掴むときにだけ満足される。その中間を介在する<社会>という世界は本来あいまいで、どうにでも解釈がつき、しかも所詮はうつろい行く現象にすぎない

                           丸山真男












▼「銃・病原菌・鉄」



文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
ジャレド・ダイアモンド
草思社
売り上げランキング: 1,070



「文明の違い、歴史の違いは環境の差異によるものであって人々の生物学的な差異に依るものではない」

大航海時代 → 文化人類学の初期にもあった機能主義に基づいた差別観。つまり


「西欧は歴史の必然として進歩の頂点にある」
「西欧とアフリカやアジアとの違いは人種的に西欧人が優れているからだ」


「歴史の必然としての頂点にある」という考え方は当時の人間中心主義にもとづいたお調子だろうし、「西欧がアフリカやアジアより優れているのは必然」とするのも一昔前までは中央アジアに比べれば文明レベルが劣っていた西欧人が作り上げた世界観(「ヨーロッパの外には竜や巨人などの怪物が」的なマッパ・ムンディ)に依るものだろう。


フィールド調査先のニューギニア人ヤリもそういう疑問、「なぜ現在西欧人たちはわれわれよりも良い暮らしをしているのか?(個人個人ではスペックそんなに変わらない、というかわれわれのほうが生活力あるのに。たべられるきのことか動物とか調理の仕方とかも知ってて)」、をもっていた。

表題の「銃・病原菌・鉄」というのはヤリの質問に応えたときに浮かんだキーワードたち。なのでこれ自体はたいしたことなく掴み的なタイトルでこれよりももっと構造的な要因として「環境が違ったから」というのがある。本書は「環境の違い」について主に生物学+歴史学の視点から|冫、)ジーと語っているもの。


なので、「西欧人は銃などの武器に優れ、その武器を造るための文明をつくったしその前段階として鉄を中心とした文明があった。てか、南米征服ではそういう武器よりも病原菌の衝撃が一番大きかったんだけどね(9割がたそれで死んだ)」、って説明がぼんやりとまずあった。

そのさらに「そもそも」要因を簡単に説明しちゃうと

鉄器を使い出したのも、そういった技術を発明していけたのも農耕→貯蓄→定住で時間にゆとりができたからだ。そして分業と階層(役割)分化。農耕で家畜飼うことで病原菌への抵抗力も生まれた。動物はウイルスのキャリアだから。ある程度人口密集で定住するとウイルスが伝染しやすい。ヨーロッパの近代都市は特にそういった人口密集定住のわりには清潔ではない環境だったので伝染病が広がりやすかった。14世紀初頭にペストが大流行したのもそのせい。しかし、その分、ヨーロッパ人はそういった伝染病に抗体をつくりあげた。そのウイルスが大航海時代の新地開拓の折に結果的に武器として役立った。

ってこと
http://bit.ly/1bFvC5X


農耕 → 定住ができた要因としては気候が絡む。気候によって植生も異なるので人が農耕で計画的に育てられる植物が生えてるかどうか?の地域も異なってくるので。そして土壌なんかも関係する。植物は温度変化の影響受けるから南北に長い大陸より東西に長い大陸、つまり四季の変化があって横に長い土地がけっこうある地域のほうが育ちやすかった。つまりユーラシア大陸の中央アジア、肥沃三角地帯と呼ばれる地域。イスラエルのあたり。


本書上巻ではその農耕の始まり(その大陸ごとの条件の違い) → 病原菌の発生(家畜と伝染病)あたりまで詳細に語っていた。銃や鉄に関わる文明の発生の話なんかは下巻に続くみたい。



ちなみにダイアモンドは語学、歴史、創作を背景に生理学で博士号とったとのこと。もともとは言語学者になろうとしていたそうな





「西欧の勃興はわりと偶然」
「ユーラシアとかに比べて西欧はむしろ劣っていた」

を軸に「ではなぜ西欧は現在のような文明を築けたのか?」を考察していくってのはマクニールにもあってたぶんこっちのほうが王道なんじゃないかと思うんだけど

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)
ウィリアム・H. マクニール
中央公論新社
売り上げランキング: 2,211


世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)
ウィリアム・H. マクニール
中央公論新社
売り上げランキング: 3,947





マクニールの見方では農耕と戦争の技術史に注力してるように思った。具体的には

「農耕における技術変化、たとえば重量鋤の導入や三圃制、レンズ豆などの作物の発見と開発のほうが戦争における技術発達よりもよほど人類史のエポックとなった」
「西欧の戦争技術の中心は騎兵におけるランスチャージであり、それができるようになったのは鐙が開発されたからだ」

あたり。

こういう地味だけど重要な話というのは学校の教科書だと教えてくれなかったので新鮮だったしわかりやすかった。三圃制はいちお教えられたけどその重要性、意義について世界史の先生も理解してなかったようでアクセント弱く、記号的に受験用語として覚えただけだったし。


んでも「病原菌のインパクトについてはマクニールも論じてなかったなあ」とアマゾン見るに

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)
ウィリアム・H. マクニール
中央公論新社
売り上げランキング: 14,753


疫病と世界史 下 (中公文庫 マ 10-2)
ウィリアム・H. マクニール
中央公論新社
売り上げランキング: 17,624



マクニールも病原菌の影響は論じていたようで、やっぱりむしろこっちのほうがダイアモンドに影響与えたんじゃないかと思うけど、レビューみるとどうもけっこうおーざっぱなエッセイみたいな感じ。とうにんも「| ゜Θ゜)<おーざっぱだよ」みたいなこといってるようだし


ウイルスや病原菌・寄生虫などを原因とした疫病を「ミクロ寄生」とするならば、
人間の支配→被支配の社会構造を「マクロ寄生」と位置づけ、両者は構造的には
同じものであるとして世界史を論じた着眼点は、30年前のものとは思えません。
成程、面白い捉え方であると思う箇所もいくつかあります。

「アフリカ大陸における近代農業技術導入の難しさは、人類の発生箇所であるが故、
つまり人類と接している時間が長かったために、アフリカの生態系自体に人類に対する
抵抗力がある(免疫のように)からではないか」など。
とはいえ著者自身も本文で認めているように、やや強引な推測による論理展開も多いです。

例えば、古代北インドのインダス文明の南方進出の折には、南方の文化・民族は完全には
同化されず、カーストという緩やかなヒンズー教体制に組み込まれていったわけだが、
その理由として「高温多湿の疫病多発地帯であったがために、消化吸収されるような
同化作用に対して一種障壁のようなものができ、また感染を予防する意味で不可触賎民という
概念が、カースト制度に繋がっていったのではないか」といった論など。
もしそうならば、黄河流域の殷周帝国に対する長江流域民に関しても同じ方程式が
当てはまるはずだが、そうはなっていないし、違いを著者も説明できていません。

しかし内容的には大変興味深い。疫病(要するにウイルスなどの寄生体)という観点から
世界を一つのシステムとして捉え、歴史を論じた良書です。


まあでもそのうちマクニールと対照してより大きく構造的に人類史みたいなの把握しとこうかなあ(トッドも加えて)とか思うわけだけど、「銃・病原菌・鉄」上巻で特に気になったのは家畜と病原菌について論じたところだった。





▼結婚を介した市民の家畜(国民)化と文明というウイルス



「幸福な家庭はどれも同じようなものだが、不幸な家庭はそれぞれに違う」(「アンナ・カレーニナ」)


これは夫婦として家庭を営む際にいくつかの価値の一致がなければ幸せにはならない(あるいはなりにくい)ことを表している、とダイアモンドは言う。

「互いに異性として惹かれ合っていること」「金銭感覚」「子供のしつけ」「宗教観」「親類への対応」などなどから「家畜も同じように複数の条件が整ってなければ飼われなかったのだ」

「ペットと家畜の違い」は後者が飼育を通じて形質変化したものを条件とする、みたい。イノシシと豚の関係とかかな。なのでネコはペットではあるけど家畜化しなかった(犬は家畜として飼われてたりもした(珍味的に食べられたり(あと組織の序列関係がしっかりしてるほうが家畜化しやすいそうな。


逆に言うと、結婚てのはたぶん人の家畜化なのだろう。あるいは定住という異常を納得させるための装置であり契約。

なので「結婚の秘蹟はその辺りの論理性にたいするフィクションとしてつくられたものではないか?告解と同じ頃に」と思うんだけど、聖人伝承が元々の習俗を擬制するようにつくられていったように、もともと慣習としての婚姻的なしばりを好む感覚があったのかもしれない。性愛を巡る嫉妬や相続絡みで。性と金(あるいは金の前の物材)。


それとは、別に制度として「結婚した方がいいよ」て補助とかあるみたいだからそれ使うぐらいのようにおもう。弱者同士の連帯としての結婚制度の利用、みたいなの。あとは「婚姻関係にある」という制度の安心と、「結婚 → いっしょに暮らして当然」から詰まった距離(近接性)の既成事実を親密性(なかよし)に錯覚していくような。そういう感情とか実感に訴える装置。




ここで再び「人が家畜化されるとはどういうことか?」について考える。

それは単に「結婚は人生の墓場さ'`,、('∀`) '`,、」と男が軽口にいうようなものではなく、定住-家畜化という異常によってウイルスのようなものを醸したのではないか?人の場合はそれが文明に当たる。


「人は地球にとって寄生虫なんだ!」=「ウイルスなんだ」というのはそういうことなのかな。

ウイルスが伝播する際、たとえば梅毒なんかが人の体をあのように変質させるのは「自分たちがより伝播しやすいように」という工夫のようだけど、人の場合も同じように文明によって人口を増やそうとした。そしてウイルスと同じようにそのやり過ぎで自ら住処を追われようとしている。


ハイデガーの言っていた「技術」の問題がそこで関わってくるのだろうけどまあそこは置いておくとして。



人の性は本来野放図なものだったはずだし結果としての生殖 → 人口も管理されてなかったはず。そういうのはたとえば原始共同体的なところでは乱交で生まれた子供を村全体で育てていたのとか想像される。

「結婚の秘蹟」はその性と生をそして人口を管理するための仕組みだったのだろうか?日本の戸籍のような?


未だ調べてないのでよくわからないけど、そうだとするとこの頃から教会を中心にそういった台帳のようなものがつくられていたのだろうか?そして、それが税収と直接結びつくような?

税は国家観のようやくはっきりしてきた革命期まではまだ民衆それぞれからはっきりとした額でとられていたのではなく、領域支配していた領主への共同体単位でのみかじめ料的な感覚だったのではないかと思うんだけど。だとすると税収において各人の出産や人口をそんなに細かく把握していたのか?という疑問ももたげる。


まあ、そういうのはフーコーの得意分野なんだろうなということでそのうち読むけど。


快楽の活用 (性の歴史)
ミシェル・フーコー Michel Foucault 田村 俶
新潮社
売り上げランキング: 69,947


臨床医学の誕生
臨床医学の誕生
posted with amazlet at 13.12.03
ミシェル・フーコー
みすず書房
売り上げランキング: 373,723




http://polylogos.org/soc27.html


そこで「税収のために優等な人口を管理していった」「つくりあげていった」ということだと植物の栽培化や動物の家畜化と似た過程になるのだろう。


しかし革命を通じて税も国民という概念ももう少しはっきりとしたものになって人々を縛っていくことになった。

そういった give に対して民衆はどういった take をのぞんだのだろう? 具体的に、村が国民になっていく過程でなにが約束されたのか?



<革命において民衆はfraternityでつながっていた>

<fraternityは村民 → 都市民がなによりも優先するもの>

<婚姻は社団の機能を持っていた>

<人口は優生学的に医療-社会保障されていった>

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090916/1253060287

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/05/post-25f4.html


市場経済に変わる以前、贈与経済ではこの辺りの性と財が同心円の中で回っていたのだろう。個人という感覚もまだなく、そこで重要なのはその円のなかでの関係だったので。その関係、円の中でのバランスがすなわち財であり生きがいになっていた。kuraとかポトラッチにおける名誉のように。

その関係というのは広い意味でいう社会資本のようなもので、現代風に言えば人脈ってことだろうけど、fraternityというのはおそらくこの部分だったのではないか。共同体におけるつながりと互助。そして、共同体、仲間の関係を個人の性愛や財の貯蓄よりも優先する感覚。

そうやって共同体の関係をまず重視し、個別の性や財をその関係→承認を得るための貨幣として交換していった。そういうホモソーシャルなあり方があったのではないか。村(コミュニタス)を再生産していくためのホモソーシャルな連帯と儀礼。


なので「自由、平等、博愛」という言葉でシンボライズされている「博愛(fraternity)」の部分はそういった村の贈与交換的なつながりを表していたのではないかとおもう。だとするとそれは金(財)とか性が個人にプライベートされる以前の、それよりも大事にされる関係資本のようなものであり名誉ってことだから、それが同時に人を縛ることにもなる。あるいはそのコミュニティが一つの個(群体)のように機能していて、その内部においてプライベートされる財。なので内部では友愛だけど外部には厳しい。

それが都市民や革命に通じて行ったとしたら、それは都市の郊外(ブール)に住んでいた村落共同体由来の無産市民や手工業者の風習だったのではないかと思うけど、いわゆる友愛団的なもの、結社(アソシエーション)がそういった階級以外にもあったようなので「階級別」ってわけでもないみたい。

とりあえず職と階層の区分けに通じる社団的なものと似てはいるんだけど、社団のレイヤーを縦に連なってるとしたら友愛のそれは横に繋がっていたような感じだろうか。

なので社団的な構造が窮屈になってきたときにそれに対向するものとして繋がれたのかもしれない。文芸公共圏が間に入ることで各友愛団をとりもって。


そうはいっても理想的にすべての友愛団がつながり、民衆と教養市民層ブルジョワ(フィロゾーフ)がつながったわけでもなかったようだけど。以前のエントリで見たように、雪崩的ドタバタでおきていったなかでブルジョワがうまく舵取りをしたってだけだったので。

フランス革命の背景とか要因について(暫定)   公共圏論を中心に: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381322488.html

そして最終的にフィロゾーフよりも旧来の保守層がそれらの恩恵を受けることになった。フィロゾーフの百科全書の一番のお得意様もフィロゾーフが敵視していた坊主を含んだ保守、高階層たちだった。革命は保守(大人たち)に対する約束された反抗として吸収されていった。


ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)
ポール・E. ウィリス
筑摩書房
売り上げランキング: 73,742


啓蒙主義 (ヨーロッパ史入門)
ロイ ポーター
岩波書店
売り上げランキング: 536,781



なので革命において民衆のゲマインシャフト的原理ともいえるfraternityが人権宣言的なものに転換・吸収されていった回路がわからない。あるいはその理路も。

啓蒙思想とはヴォルテールに代表されるように全体としては新教の代わりに理神教を奉じたものであり、その理神の恩恵は一部の啓蒙思想家(フィロゾーフ)のみを対象としていた。

それが人権宣言の折にはなぜか民衆も包含するものとなっていた。

憲法的なタテマエ、ということではあっても政権をとった後であればその辺りは自分たちの都合の良いようにいくらでもウソをつけたはずだし、憲法のような難しい物は一般民衆には理解されなかったはずなのに。



人権というフィクションが「福祉」や「保障」とイコールすることで村の互助に代わるものを約束したのだろうか?(そして国家は「国民」≠「皆兵」であり「管理できる税収」を手に入れていった…。



まあそのへんはここで考えていても仕方ないのでルソー周辺でも掘って見ていくとして。



ルソーや「儀式を通じてのコミュニティの再生産(持続)」辺りからまた前回のエントリの風景をぼんやりと想ったりする。

もしくは「永遠」や「おとなになること」について。








▼おとなになること−含羞―保守



前回のエントリの途中で吉田健一の言葉を思い出して、それを何度か見ているうちにゼロ年代とかいっているあの辺り全体、もしくはそれ以前にアニメとかサブカルとかヤンキーとか、それ以前に、世代全体を通じて感じていた違和感のようなものについてわかったように思った。

ゼロ年代の「永遠」と終わりなき旅: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381638941.html


けっきょくは幼いのだなあ、あのへんは。

そして幼いながらも自分たちなりに大人になるということで迷いを持っている。あるいは迷いをもっているがゆえに敢えて強い言葉で踏み込むというか。


「前の世代の大人のあり方や教養を一旦遮断し、それをあらためて自分たちで考えて構築していこう」という雰囲気を全体から感じる。それ自体は良いのだろうけど「一旦遮断」のとこで完全に前の世代のそれをダメなもの・古いものとして軽んじたり捨て去ってしまっているような。

ニューアカの遺産というのは正負の両面があったのかな。あるいはニューアカ以前の60年代から続いてきた日本のあのへんの「文化」のあり方。

彼らは未だ舶来のそれを有難がりその内容をあまり吟味しないままにただ「有名だから」みたいな感じで移入してきた。そして自分たち内部の「文化」「有名」の中を外部からの「有名」で箔をつけ彼らなりにAuthenticなものを創りあげてきた。それはけっきょくは内容のない形式のシミュラークルであり儀式のようなものだった。

ボジョレーヌーボーをありがたがる風習にそれが受け継がれているけど、そういったものの繰り返し。

それが負の遺産だとすれば正の遺産は彼らがわからないなりに創りあげてきた、あるいは、わからないということで敢えて踏み込まなかった部分だろうし、「わからない」ということではなくても「敢えて裸を晒さない」というようなケジメのようなものだったのだろう。あるいは流儀であり含羞。



ゼロ年代、あるいはそれを囲む文化圏の精神というのは「そういったニューアカの時代まで続いていた虚飾、市場と連携したオトナから差し出される虚飾な文化ではなく、実際に自分たちの悩みやそれを体現する表象の積み重ねから築いていこう」という独立宣言的な気概を持っているようにおもう。それには不況で過去の経済的な遺産も失ってしまったことにもリンクしているのだろう。

「『文化』なブランドに騙されずに自分たちで作り上げていく」「自分たちの生活や思いをひとつひとつ汲み上げて」

それ自体は良いことなのだろう。

しかし、それに固執するあまり、あるいは、それを言い訳にして前世代の全てをオトナとして軽んじその遺産を遮断しているように思われる。そして自分たちの内部へ凝集し、語りきれないところまで語り尽くしてしまう。外界に繋げば単純な解法が見つけられるようなものでも情緒的にナイーヴにナルシスティックに解をひねくり出し、シンボライズし、スローガンにしてイデオロギーを強化していく。


理知の面ではもっと外側につなげていったほうがいいだろうし、情緒や精神の面でも前世代に学ぶところがあるようにおもう。

それは「オトナな形式を継げ」「父権的な強圧を継げ」ということではないのだけれど、すこしこういう話をすると「マチスモ(´・д・`)ヤダー」みたいな過剰反応をする。。


そういうことではなく、かつての大人たちが語り尽くせないながらも背中で語っていたような外枠も見習っていく必要があるのでは?ということなのだけど。「わたしたちの文化」に加える形で。

大人のなり方というのは言葉ではなく人の生きざまから継がれていくものだから。


情緒的な感覚的な印象だとゲマインシャフトの踊りと酒と祭りのあり方、ディオニュソス的に生の快楽をストレートに発散していくやり方とその欲望というのは子供のそれに似ている。
http://bit.ly/1jg9OPX

それがゲゼルシャフト、都市の手工業者(職人)の界に移るとき村のfraternityが都市のfraternityに変換していく過程があったのだろう。

贈与交換的価値観は貨幣市場経済の価値観に、つまり「決められた時間にきっちり働く」それへと変わっていった。家族や親方と共同が当たり前だった居住空間もよりそれぞれの個へと分けられていった。それを通じて交換される財の内容が「全体からの承認」から「プライベートな便益」へと変化していった。


そして革命を通じて都市のfraternity(友愛団など)が「人権」へと変換されていった。

fraternityが「人権」へと範囲を広げて接続される過程でパブリックに対する意識、あるいはその反照としての個に対する意識の変化があったのだろう。あるいは制度的にそれが当然化されていった。論理的説明を省いて制度的に、あるいは「革命」という祭り(儀礼)を通じて身体に染みつけられていった。


薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史
フランセス・イエイツ
工作舎
売り上げランキング: 531,142






西欧におけるパブリックの感覚やその厳しさに違和感が出ることはしばしばあるけれど、それはこういった背景が絡むからかもしれない。


父性の特徴で真っ先に挙げられるのは「切る」ことであり、それに対応する母性の特徴は「包み込む」ことである。そして、「日本には本当の父性が存在しない(存在しにくい)」というのも河合隼雄がよく言っていたことだ。
「昔は良かった」という話の流れでよく引き合いに出される「強い父親」も、母性原理に基づいた共同体の土台の上にかろうじて成立させてもらっていたようなものだ、というのがその主旨であった。

それに対し、欧米のほとんどの国々で土台となっているのは父性原理に基づいた社会である、と。
そしてそこには案の定、キリスト教(ひいては唯一無二の神を信仰する宗教)が深く関係している。
キリスト教の神は背いたものを許さない「切る」神である。
こう書けばいろいろと異論はあるだろう(特に「許さない」という点においては納得しない人がいるだろう)が、私が「なるほど」と納得するのは、例えばカトリックにおいて「聖母マリア」への信仰が重要視されているといったようないくつかの事実のためである。おそらく、「聖母マリア」への信仰には父性の切る作用に対する補完的な意味合い(包み込む)が強い。

父性と母性 : 蜜蜂を弄ぶ
http://liyehuku.exblog.jp/16867432/


かつての日本にあった「昔の親の厳しさ」みたいなのもそういうのに通じるのかもしれない


子供のころの傷つき方というのは、今思えば、まったくあどけなかったのかもしれなくて、”思い出”という言葉で風化してしまっていることも多い  でも、本当にそうなんだろうか、と思う。子供時代は、ただのどかで、懐かしいだけのものでは決してなかったように、私には思えてならないのだ。 大人は、いつまでも傷ついていることが嫌いだし、そんな暇もないって、たぶん思っている。  けれど、でもでも、やっぱり擦り傷は擦り傷なのだ。擦りむいたのだ。かさぶたっちゃったのだ。痛かったのだ。せめて、それだけは覚えていたいと私は思う。

 それは、もしかすると、なーんの役にもたたなくて、思い返せば、うっとおしいだけのもんかもしれない。

 でも、そういうをポイちゃうのはキッタネーぞと、私はつっかりたい。


 情けない話だが、私もそうして生きてきたし、それ以外に生きることができない。自分の心の傷をごまかして、美しい画餅を描き、「いのちを守りたいのです」とかいうやつには、キッタネーぞとつっかかる。いのちに国籍なんかない。いのちを守りたいというなら、国境無き医師団のように国を越えていくしかない。なのに国のなかで「いのちを守りたいのです」と言えば、国の鉄壁の外に別のいのちを放り出すくらいしにかならない。キッタネーぞ。大金持ちならビル・ゲーツ夫妻みたいに国際的な慈善団体を運営すればよいのだ。おっと話がそれまくり。

 人は偽善からは逃れられない。逃がしてくれないのは、子供のときの深刻な痛みだし、痛みを捨てて幸せなシュラムッフェンなることを押し止めてくれるのは、幼い痛みを引き受けてくれた何者かだろう。人はおそらくその「はてしない物語」(参照)を生きなくてはならない、子供であることを捨てずに。

[書評]タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本(岡本螢): 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/02/post-243d.html


そして、そういったパブリックを前提としているのでFacebookを始めとした実名・顔出し文化のあり方と日本のそれは異なってくるのかも。


そこには子供が大人ルールに直面するときのような断絶がある。そしてその断絶は理知ではなく既成事実として、あるいはなんとなく大人の背中を見習いながら納得されていく。


「なんでなんで?」に対して「ならぬことはならぬのです」と納得させていく過程


そこでは子供の納得出来ない思いや傷ついた心は残っていくのだろうけど、自分も大人になる過程でゆっくりとそれを納得していく。赦すのでもなく「そういうもの」として。



「そして父になること」をまた振り返る。


是枝裕和、2013、「そして父になる」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/376322940.html



いま改めて聞くとグールドのゴルドベルク受難曲の演奏はやはり超絶技巧を魅せているのだな。とくに5分辺り。父親に甘える子供みたいに



おそらく言葉で語れない部分は音楽やその他の部分で語ったほうが納得できるところもあるのだろう。言葉でははっきり表せすぎて気になってしまうところも音楽ならその思いを託していてもほかの部分といっしょにぼんやり吸収していけるし。批評界隈も言葉以前にアニメや音楽といったサブカルなところでのパラダイムの共有が前提になっているところもあるだろうし。


「わたしたちはあたらしい地図を広げていく」というメッセージも音楽ならばぼんやりと良いことに思えるから。


「現在のポップ音楽はクラシック、19世紀ロマン派がつくりあげたものを踏襲しているだけだ」と岡田さんは言う。

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)
岡田 暁生
中央公論新社
売り上げランキング: 2,682



「ド・ミ・ソ」の和音と「ドレミ」の音階、そこから生み出されるいくつかの形式化された旋律の踏襲、ブリコラージュ的なアレンジ。われわれの耳にはド・ミ・ソが心地よくふつーになっているのだろうけど、6世紀には「ドソ」の和音が正しく「ド・ミ・ソ」は不協和音とされていたことなんかを想うとけっきょく「われわれ」が同時代的パラダイムと想像力でできることって限られているのだろう。



「だが求められているのは神の顕現するような霊性、神々しさではないか?人が感動を音楽に託すとき、どこかに聖なるものへの期待があるのではないか?」


クラシックも現代のサブカルポピュラー音楽のように商品化し、ケレン味やキャッチーさを装った時代があった。ロマン派はかつてポピュラーでサブカルな音楽だった。


そういった時代をくぐり抜け、クラシックのテーマには「芸術」「演出」「民衆」という3つの軸が残っていった。

神学的霊性と数学的な神の証明を求める芸術としての音楽、教会音楽から派生し主にドイツ圏域で継がれていった。そこでは音楽は神に通じる学問であり儀式だった。

ルネサンス時代、地中海貿易を通じて中東からの新しい風を入れたイタリアではこの世の春と人間賛美を歌う華美な音楽が栄えた。音楽は厳しい学問ではなくなりハーモニーは「数」から「美」へと変わっていった。

それと並行するように、名もない人たちの音楽は酒場や遍歴の中で息づいていた。マイスタージンガーをはじめとしたそれには芸術家としての音楽人の署名はなく民衆の音楽として受け継がれていった。


バッハはそういった伝統に沿ってルターなどから受け継がれた教会音楽的な真面目さを生真面目に再現していく職人だった。イタリア発の宮廷音楽の華やかさに逆らうような不器用な職人気質をテューリンゲンというドイツ中央東部の片田舎で貫いていった。



それは芸術でもなければ演出でもなく民衆でもない、あるいはその全てを含んだ職人芸だったのかもしれない。


そういった黙して語らない不器用な親父の背中をどのように継いでいくか。「大きな物語」以降のゼロ年代の「永遠」、終わりな日常も聖なる何かを希求しているのか。あるいは村落共同体の循環時間の精神性に退行しているだけなのか。

時代はふたたびかつて村落共同体が歩んだのと同じような「永遠」の転化を求めるのだろうか。




天使の記号学 (双書・現代の哲学)
山内 志朗
岩波書店
売り上げランキング: 365,500





円環する存在と時間の精神史はキリスト教を経て終末をゴールとした縦軸の時間と存在のフィクションを容れた。それと同時に彼らは「復活」という約束を軸に別の「永遠」を手に入れた。

そのような永遠の転化と同じような心理過程をあらためて日本も経ようとしているのか、永遠の少年少女がおとなになるために必要な通過儀礼とはどのようなものなのか


ぼんやり想う









日用の糧: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379141309.html




--
関連:
【第35回】『寄生獣』(岩明均)|新しい「古典」を読む
https://cakes.mu/posts/2598



近代的理性の立ち上がりと国家幻想、そこから疎外されていったものたち、のはなし: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/381011164.html




「コミュニタス」と「公共圏」(メモ) - Living, Loving, Thinking
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101217/1292524553




「小林秀雄の流儀」 - 現象学的還元?: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/122453130.html
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/123045927.html

こっ恥ずかしい内容だけど(´・ω・`)まあこういうのも若気のいったりきたり的な味わいとして(まあでも自立的志向の跡は見えるので是しとしたり


極東ブログ: [書評]小林秀雄の流儀(山本七平)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/01/post_53d8.html

小林秀雄の読み方 - finalventの日記
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070414/1176542261

[書評]小林秀雄の恵み(橋本治): 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/02/post_7042.html

[書評]中原中也との愛 ゆきてかへらぬ(長谷川泰子・村上護): 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/05/post_6f78.html





文明化の過程〈上〉ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷 (叢書・ウニベルシタス)
ノルベルト エリアス
法政大学出版局
売り上げランキング: 523,494





posted by m_um_u at 18:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。