2013年11月27日

フランス革命の背景とか要因について(暫定)   公共圏論を中心に





第三身分とは何か

―――すべてである


今日までのその政治的地位はいかなるものであったか

―――  無



それは何を求めたか

―――そこで相当なものになること







                  エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス













<民衆というのは社会の不満が高まると集まって革命を起こし民主的に社会を変革する>

<民衆を主体とした暴力革命は社会を良い方向に変える>

<フランス革命然り明治維新然り、現在の日本でそれが起こらないのは民衆がスポイルされてるからである>


そんなことを思っていた時期が自分にもあったし、そういうのは少なからずハーバーマスなんかの公共圏論にも影響を与えていたのかなあと思うんだけど、少し前のエントリでも振り返ったようにどうも、、政治的公共圏のあたりの話てなんかびみょーにロマンチックな妄想期待が入っていたように感じる。
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380332335.html

過去を振り返っても<民衆を主体とした>って話でもないみたい
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380636011.html



最近はフランス革命のそれに興味持って、教科書的な制度的まとめではなく、もっと当事者の精神史みたいな肌感から入りたいなあと思ったのでこのシリーズ読んでる。


革命のライオン 小説フランス革命 1 (小説フランス革命) (集英社文庫)
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できればフランス革命に至るまでにどのようにコーヒーハウスの住人たち、あるいは、フランス革命で鍵になったブルジョワたちの精神が作られていったか?啓蒙思想家たちの形成過程あたりからみていきたかったんだけど、その辺の記述はなくて物語の始まりは「王政の財政難」「貴族と王権の対立」「そこにつけ込もうとする第三身分」「王権もそれを利用しようとする」「第三身分代表のミラボーとロベスピエール」辺りの描写からはじまる。食料暴動で民衆が暴動起こしてヴェルサイユに詰め寄る前ぐらい。

「度重なる戦費出費からのフランスの財政不安」 → 「歳収 → 税」をめぐるやりとりで王と議会は対立していた。その駆け引きとして第三身分議員は王側に要請され、第三身分も逆に王を利用しようとした。立憲は啓蒙主義で崩れた王の大義を法的に根拠するものだった。

王をヴェルサイユから連れだしたのは大衆の力だった。arms的な威力には欠けたが、大衆の行進と数の圧倒がバスティーユを開き、ヴェルサイユに引きこもっていた王にプレッシャーをかけた。そのころパリは未だ下水整備もしてない臭い街だったので森深きヴェルサイユが好まれた。「arms的な力がない」「有効な武器の数や使い手、実質的な軍事力がない」ということは常に大衆や第三身分側の不安となっていた。王の軍隊をいつ出動されるかわからないので。実際、王はいつでもそれを行うという構えをとっていた。バスティーユが落ちたのは単にこのときの警察的役割の治安部隊側にパリジャンが多かっただけ、ということになっている(小説的には)。王の軍隊はスイスやドイツなどの外人部隊が中心なのでそういった情けはない。この不安が後の大暴動の背景となる(「やられる前にやれ」)。

それまでの新聞は政府広報紙的なものだったりたんたんと事実を伝えるだけのものだったが、フランス革命期にはミラボーやシェイエスなど各筆者が自前の意見を論じるような論説紙となっていた(10数紙→200数紙の百花繚乱)。



フランス革命からは少しそれるけど




フランス財政不安の理由として「戦費出費」ということはいったけど具体的にはルイ14世のころからの水陸両方の常備軍への出費。オーストリア、プロイセン、イギリスあたりとの戦費を指す。特にオーストリア継承戦争や7年戦争、そこでイギリスに受けた傷のしっぺ返し的にアメリカ独立戦争に出費したのが痛かった。「勝って領地がもらえる」的な戦でもなく戦い損だったので。ここに巻き込まれていく流れはポンパドール夫人の小説に詳しい


かの名はポンパドール
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「小説フランス革命」よりも「かの名はポンパドール」のほうがおもしろく感じた。女信長、というか一代絵巻なので。寵姫ってことだけど低体温で体の弱かったポンパドール夫人ことジャンヌ・アントワネットは特に中期から後期はその教養で王を魅了していった。もともと王侯貴族のサロンのアイドルとしてデビューしていったし。この辺りの印象は当時の芸能界みたいな感じだった。あるいは日本の花魁。あふれる教養で啓蒙の守護者(パトロン)といわれた。そして最終的にマリア・テレジアと直接に交渉を進めた(3枚のペチコート作戦)。マリア・テレジア側からの視点としては「ハプスブルクの宝剣」なんかがおもしろい


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(モデルはカウニッツかな?)
http://www.onyx.dti.ne.jp/sissi/episode-33.htm


当時のハプスブルク-オーストリアの様子、そこでのユダヤの扱い、ハンガリーからの夷狄の侵入、プロイセンフリードリヒ2世なんかの様子がわかりやすくドラマチックに描かれてる。竜騎兵が投入された当時の戦場のダイナミクスは自分的には「アンダルシアの夏」のそれっぽく脳内再生されジブリ辺りに映画化して欲しいぐらい。


脱線ついでに革命に至るまでの文芸的公共圏、当時のコーヒーハウスの情況について。イギリスの例だけど今回はこちらを参考にした


コーヒー・ハウス (講談社学術文庫)
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16世紀後半から18世紀にかけて、ロンドンを中心に栄えたコーヒーハウスは新聞文化発祥の源、といわれるけれどそれが即ち「コーヒーハウス的なものが市民→政治的公共性を喚起する」ということにはならないぽい。

この時代のコーヒーハウスで市民 → 政治的公共性が喚起されたのは清教徒革命などの市民革命からの流れで中産階級における政治的関心が目覚めていっていたから。なので、その部分に影響があった経済・社会的な構造変化をまず調べるほうが有効ぽい。

それとは別に16世紀後半ロンドン初期のコーヒーハウスでは階層が「るつぼ」的に交わり、職工やアッパーミドルたちとも交流があった。この時代、まだ公園などといった設備も整備されておらず「気軽に話が出来る場」としてコーヒーハウスは親しまれた。

パブではカネがかかるし商売の話しながらだと酔ってしまってまともにできなくなるし、、また酒のとりすぎで肥満なども気になるし、ということで「二日酔いに効く」と宣伝されたコーヒー → コーヒーハウスが流行りだした。

コーヒーハウスで彼らがした話題の中心は投機だった。大航海時代の名残りでイギリスでは船舶→貿易の投機が盛んになっていたので。ある程度貯蓄にゆとりを持てるようになった中産階級あるいは職工たちは賭け事や投機にのめり込んだ。保険もその一環。

保険のロイズは現在にもつづく保険業の大手だけど、もともとはロイズコーヒーハウスにおける個人保険が原型。この時代、まだ保険は個人が受け持っていた。そして「ロイズニュース」は保険という投機に関るリスクを減らすために生み出された店からのサービスだった。

新聞というのはこういう形でもともとは船舶貿易における投機に関してコーヒーハウスで行われていた世間話を紙にまとめたものだった。なのでその中心は金に関わる情報であり精確性が求められた。政治的な話もその周辺情報としてよもやまされていった。

当時のコーヒーハウスではロイズニュースのほかにもこういった新聞が複数流行るようになった。この辺りの流行についてはフランス革命周辺の新聞の流行も思わせるけれどそれとの関係(両者の性格の違いや似た点、影響)については特に記述なかった。

「もともとは階級のるつぼ」として投機を中心として様々な世間話が交わされたクラブ(女性お断り文化)だったコーヒーハウスも18世紀を迎える頃にはそれぞれの店ごとに階層分化が進み当初の勢いをなくし、その座をティーハウスなどにゆずっていった。

この「クラブ」性については同時代のドイツ圏における読書・音楽協会との関係を思わせるけどそことの関係の記述もなかった。またフランスにおける同様の性格のコミュニティについての記述もない。

またコーヒーハウスで流行っていた新聞の内容についてもそれほど詳しくなかった。フランス革命の小説を読んでいるとそこでの新聞は文学性→政治性の高いオルグっぽいもののようだったようだけど、ロンドンのそれは投機がもとになってたんじゃないかなあ。

またまだ郵便制度が発達していなかったロンドンではコーヒーハウスは郵便物の留め所としても機能した。投機の世間話も含めて当時の情報の中心的な機能をしていたみたい。なのでそれぞれの機能が分化し整っていくに連れて流行が廃れていった。

ついでにいうと当時のロンドンで賭けは大いに流行っていたようで、「その日もらってきた給金をすべて賭けでつかってしまう」旦那を女房がぼやくみたいなのがザラだったみたい。投機や保険への関心もそういった流れから生まれていった。


なので、政治的機運がどうとかな政治的公共性というよりは投機とか賭け事を中心とした猥雑な空間、当時のこの辺りの所得層の金とそれにまつわる話を中心とした空間がコーヒーハウスだった。政治的な意志がまずあってそれが公共性を誘発した、のではなく、まず金の話があり、そこから派生するように政治的関心 → 新聞なんかができあがっていった。

ここで強調しておきたいのはそういった「金の話」というのは俗に感じられるかもだけど「生活の関心」ってことでイデオロギー主体のロマン主義ではなく実践知だったということ。そこは記憶にとどめておきたい。






フランス革命の話に戻ろう。


フランス史10講 (岩波新書)
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フランス革命への背景というのは、簡単に言うとまず「ヨーロッパの海洋貿易のトレンドが地中海から大西洋に移り、政治的重心が地中海沿岸からヨーロッパ西北部に移った」+「戦費などによるフランス財政の圧迫があった」がある。

宗教改革+宗教戦争によってヨーロッパ全体の価値基盤が揺らいだのと同時に、それは戦費という形でフランスの財政を圧迫した。

価値基盤の揺らぎに加えて医療技術などの改良などで人口が増え、そこに「新しい形の貿易 → 商売」が導入されることで金という力をもった新興ブルジョワ層が増え、それまでの社会構成が実質的に変化してしまった。

王権を中心とした三身分制度、王権を特殊とした緩やかな中央集権体制(封建制度)は100年戦争のような単純な略取型の経済に依ったピラミッド型の社会構造のときにはうまく機能していた。その鋳型を維持するためのこじつけとしてローマ・カトリックの価値観と行政+倫理+ゆるい法制度も効果を発揮していた。

しかし、人口と経済と技術の変化によって社会構造が変化し、実質的な階層が制度的な階層と合わなくなってきてしまった。そこにボトルネックが生じストレスゾーンとなっていた

加えて言うと圧倒的なマスとしての非ブルジョワ層(農民を大部分とした手工業者ほかの無産階級)には戦費による財政圧迫 → 不況が「パンがない」という形で具体的な現実となり不満の温床となっていった。工業化による都市化なんかも肌に合わなかっただろうし。うまく都市民になれないと頭のいいブルジョワに騙されて土地を奪われ無産手工業者や無産農民になってしまった人たちもいただろう。

王権は王権で「カネがない」ということで税をたかろうとするも議会(第一、第二身分)が言うこと聞かないので仕方なく三部会に頼るようになっていったんだけど、そうすると貴族や坊主に不満がたまるし、上記の理由で第三身分の中でもブルジョワ代表の勢力がだんだん増していくし、ってのがあった。

なので新興ブルジョワ、民衆、王権、貴族・坊主、それぞれに不満があった、ということ。その中でも特に新興ブルジョワと民衆に不満が溜まっていた。


フランス革命は<民衆主体>とか<ブルジョワ主体>とかの「どれかひとつが主体」って話ではなく4つのアクターと三極構造が乱れあった雪崩的結果だった。

繰り返すけどその大きな背景としては経済を中心とした人口・技術などの変動に依る社会構造の変化があった。その変化に対応するように為政者がリソースをうまく配分できていなかった、という話。


なので、ブルジョワ革命は必然≠<民衆を主体とした暴力革命は社会を良い方向に変える>なんてのは歴史に習うなら嘘っぱちになる。「市民革命」としておーざっぱにまとめ認識されてる一連の神話も。なんらかの運動へのモチベとしては無意識的にこういう通念があるように思うけどそれは間違い。あるいは「そういうこともあるかもだけど必然ではない」ということ。
http://bit.ly/1b49s7n

フランス革命においてブルジョワはすごく重要な遊撃手的なつなぎ役にはなった。そういう意味でほかのアクターたちとは重要度は違うけど「ブルジョワだけで革命が起こった」とか「ブルジョワが主体的に革命をおこした」という見方なら間違いということになる。ブルジョワは暴動の機運に乗っかって、結果的にそこで遊撃手的なつなぎの役割をしただけ、なので


まあでも4つのアクターのなかでも革命における比重が大きかったことは否めないけど。

以下「革命の発生の仕方」について。ジョルジュ・ルフェーヴルの複合革命論を柴田さんが要約したものの引用から。

フランス革命は一つの革命ではなく、アリストクラート(貴族とそれに準ずるブルジョワ)、ブルジョワ、都市民衆、農民の四つの「革命」からなり、結局、「ブルジョワの革命」が最大の成果をおさめたという意味でフランス革命は「ブルジョワ革命」なのだ、という。ここで重要なことは、フランス革命の苛烈な性格を、封建貴族対ブルジョワの対立という面だけでなく、都市・農村の民衆を加えた三者の関係からとらえること、また、三つの革命はそれぞれ固有な性格をもつ自律的な運動であり、しかもそれらが同時発生によって結合連関を構成する、ということである。言いかえると、貴族の王権に対する反抗、ブルジョワの貴族にたいする反感、都市民衆の食糧暴動、農村の土地騒擾(そうじょう)は、単独では決定的な危機要因ではないが、同時発生によって結合連関を構成するとき革命となる、というのである。

これらの要因は絶対王政期を通じて体制それ自体に内在している。しかし、近代世界体制の第二期への転換期には、貴族への課税、ブルジョワの「ストレス・ゾーン」、そして民衆の伝統的世界への外部エリートの自由主義的介入のため、それぞれの緊張度が増す。

ここでルフェーヴルがアリストクラート、ブルジョワ、民衆という社会階層の名で表現するものを、革命の発生を構成する動態的な要因で言いかえると、統合力の解体、変革主体の形成、民衆反乱の三つとなる。



この中でも第二要因の「変革主体の形成」がバラバラに存在していた革命の要因・不満を結合連関させていく。すなわちブルジョワが革命の遊撃手的役割を担う。


なので「民衆が民主主義に則って運動を起こせばうまいこといく」とは思えないけど「そういった暴動などが生じた時にブルジョワ的な位置にいるプチエリート(教養層)がうまくそれぞれの場の民衆を先導していけるかも」というのはあるように思う。そういった意味でこれからもこの年代の新教養市民層(マージナルエリート)がどのように形成されていったかは見ていくけど。

柴田的には「変革主体としてのブルジョワは体制内に存在していてその刻をジーっと待っていた、ということではなく、状況によって短期間に形成されたものである」ということ。まあこのへんの動乱、「なんだかわからないけどバタバタしてるうちに革命の主体になってしまっていた」というのは「小説フランス革命」におけるロベスピエールやデムーランなんかの描写に詳しい(教科書的通念としてはロベスピエールは悪魔のように喧伝されたりするのかもだけど、佐藤賢一によると「ロベスピエールは単なる童貞臭い真面目っ子であり、その真面目さが災いしただけ」、ぽい)


「では革命は起こらないほうが良かったのか?フランス革命もけっきょくはブルジョワが名望家などの新保守層に変わっただけだったし(佐藤賢一にいわせるとあまり目立たないけど一番の曲者はタレイラン・ペリゴールだったぽいし)」というとびみょーなところでバークのお話というのは未だウィキペディア程度でしか見てないけど

新訳 フランス革命の省察―「保守主義の父」かく語りき
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エドマンド・バーク - Wikipedia
http://bit.ly/1bmtMGW

http://morutan.tumblr.com/post/68196178318

「けっきょくは古き良き体制を壊さなければ良い」ということではなく「昔からあるものにも合理性があるのでそれをただ『あたらしい』というだけですべて顧みずに壊していく、という姿勢は遺憾だな」ということ。古くてよく解明されてなくて「非合理」「魔術的」とされてもそこに独自の合理性があったのかも、という留保をもって、その利用できそうなところを新しい価値と統合させていけばよい。コモンローなんかは慣習法であり言ってみればゲマインシャフト的なものがうまいこと法秩序になってたものだったのだろうし、それは良い形でのカーニヴァル的なものの都市の論理への制度化だったのではないかとおもう。


フランスの場合は革命以前にギルドや社団があって、それが王権や貴族に対しては抵抗のよすがになってはいたのだけど、同時に新しい合理性に対しては障害として立ちはだかっていた、ということが問題だったのだろう。

いってみれば古い形の公共圏(社団)がエスタブリッシュ化しすぎて固定化し機能しなくなりコーヒーハウスなどが新しい形の公共圏として発明された、ってこと。以下はコーヒーハウス公共圏についての説明

それらは多かれ少なかれ国家の機構からは自立した民間の社会的結合関係であり、前に述べた宮廷などの公的な社会的結合関係とは異なった性格をもっている。そして、この結合関係を一種の公共圏とみなし、ここでの議論をさして「公共意見」、つまり「公論」と呼ぶようになった。そこで、もしこの公共圏の構成員が新興ブルジョワジーだとすれば、フランス革命の説明はきわめて簡単となる。ブルジョワが反「社団」的な公共圏を形成しはじめ、市民社会を志向した、となるからである。しかし、これらの社会的結合の場には、大貴族、金融業者、高名な文筆家などが集まる上流サロンから、弁護士、手工業親方、小商店主の小さな読書サークルまで、さまざまな社会的レベルがあり、その性格も一様ではない。

アメリカの歴史家キース・ベイカーによれば、18世紀中葉まで「意見」(オピニオン)という用語は、フランスでは非理性的で不動的な雑音を意味した。だが世紀中葉になると、理性に基づく公正な判断という意味をもち、以後、「公共意見」という言葉は、政治的主張に正当性を付与する根拠となった。しかし、ベイカーによれば「公共意見」や「公論」とは実体ではない。つまり、貴族あるいはブルジョワ層の理念や利害と一致する公共圏が形成され、その階級的世論が生まれた、ということではない。それは、もはや絶対主義的な政治秩序の用語や伝統的制度の回路では主張の正当性が保証できなくなったため、それにかわるものとして「発明」された概念であり、既存の権力を超越する「理性的な審判者」という抽象的概念であった。そのため対立しあう政治陣営がこの観念に訴えて、自己の正当性を主張する。言いかえると、社団を編成原理とする国家秩序が有効性を失って「異議申し立て」にさらされ、それにかわる新しい公共圏が、伝統的政治空間の外部に生まれはじめた、ということである。


なのでただ、公共圏を設定すれば良い、という話でもない。現代なんかは特に立場や場が分離していて公共圏も複数あるし。フランス革命前だって社団もいちお伝統的政治空間内部では公共圏だったわけだし。

社会構造の変化、「なんか不自由だなあ」って感じ、公共圏などあたらしいギミックの必要性、それを使いこなすための(あたらしい)教養を身につけた新興層…

まあ、その辺りのギロンは別件で追っていこう



ちなみにいえば社団に対向するように発明された新しい正当な公共圏としての「あの辺」、国家機構の外にある社会的結合関係(アソシエーション)としてコーヒーハウスや新聞などを具体的な場としていた「あの辺」がシェイエスがアジった「第三身分」に当たり、ここに「国民」の観念が誕生した。



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関連:

革命発生の3つの条件〜フランス革命の背景まとめ | Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2598

「革命的群衆」ジョルジュ・ルフェーブル 著 | Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=3026


16時ぐらいに「フランス革命の肖像」
http://twilog.org/m_um_u/date-131124

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おまけ:
(「フランス史10講」から)

以上、革命の発生過程をややくわしく述べたのは、そこに見られる三要因が、ヨーロッパ地域世界に共通の特徴と同時に、フランス独自の特徴を示しているからである。特権的中間団体の王権への抵抗、経済発展を背景にもつブルジョワ層の上昇、民衆騒擾(そうじょう)、これらは18世紀後半の「大西洋革命」を経験する西ヨーロッパ各国に多かれ少なかれ共通にみられる。

しかし、フランスに固有なことは、典型的な絶対王政の構造に由来することだが、この三要因が強い緊張をはらむ三極構造を構成することである。すなわち、特権貴族の抵抗が王政を機能麻痺させるまでに頑強なため、袋小路に入った政局を打開すべく理論的に先鋭化した変換主体が出現する。彼らは徒手空拳の議員たちであり、急遽民兵(国民衛兵)を組織するが、その権力の行使は、民衆運動の介入によってはじめて可能である。だが、民衆運動は変革主体を援護する別働隊では決してなく、むしろ変革主体の所有秩序を脅かす自律的存在だ。変革主体はこの民衆運動の沸騰に支えられて、かろうじて中央・地方レベルの制度的な権力交替にたどりついたのだが、民衆運動にたいする制御能力をほとんど欠如している。他方、王政に抵抗した旧体制の支配層の大多数は、予想もしない情勢の急展開を前にして、いまや国外勢力と連携をはかる反革命派に変容しはじめる。

これが89年暮れの情勢である。制度的にみると、まだ西欧世界のリベラル改革派や王政が受容しうる「改革」の範囲内である。だが、その情勢の政治力学は、この地域世界にとって未曾有の経験としての「革命」になる可能性を内包している。



この時期のフランスの民衆の素朴宗教観をはじめとしたイマジネールの現れとして


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タグ:公共性
posted by m_um_u at 20:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界史このエントリーを含むはてなブックマーク
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