2007年04月07日

優越ゲームとべジータコンプレックス (あるいは見越入道対処法)

 たいしたネタじゃないけど、たまには小ネタもいいかな、と思ってちょっとこの辺のことに触れてみます。(※小ネタなので文体も口語の「ですます」調にしてみたり)

 よく、はてな界隈で優越ゲームな話題を見るんですね。

 「はてな界隈」っていっても一部のコミュニティ(※敢えて言及しません)の人たちなんだけど、その人たちが「おまえなに上から目線で人のこと観察してんだよー」とか「自分のほうが頭いいと思ってんのかよー」とかそんなことを言い争ってるのを見る。

 言っちゃなんですが「小学生か?」って感じがするんです。


 いや、彼らはそれをネタとして楽しんでて、それはいわゆる「くねくね」というやつなのかもしれないけど、ネタの中でヒートアップしていっている様子を見るとある程度本気っぽいし・・。

 本気だとするとなんでその程度のことで熱くなれるのか分からないんですね。

 って、こういう目線自体が彼らからすると「いけすかねー」ってことなんでしょうけど、いけすかれなくてけっこうなので話を続けます。


 で、

 そんなことが心の片隅にあった某日、友人とお話してたらそれ系の話題が出てきたんです。なんか、「同僚の人がなぜか知らないけど、私に対して敵愾心を燃やしてきて困るんです」、ってやつ。

 詳しく触れるのもアレなのであまり詳細には書きませんが、彼女から聞いた範囲では彼女自身特に思い当たる節はないみたい。

 そういう系の「やっかみ」みたいなのを感じられるパターンとして考えられるのは、


(1)特定コミュニティの中でポジションが被ってる(ex.ワタシが職場のかわいがられキャラよ)

(2)キャラ傾向が似てる(ex.物知りキャラはワタシだけで充分よ)

(3)わたしはこんなにがんばってるのに天然なアンタがなんで評価されるのよ?


 ちなみに話を聞いた彼女とやっかみ彼女の職場での力関係は同じぐらいです。職場における仲間内からの評価も似たようなもの、とのこと(※この辺りは第三者の内心なのでほんとのところは分かりません)。


 そんで、ぶっとばして結論言うと(3)かなぁ、って思ってるんですね。

 いや、「天然」って言っても彼女は仕事はきちんとやるタイプらしんだけど、なんかこう大らかなところがあるコなので、その辺がやっかみの人の性格からすると気に入らないのかなぁ、と。

 ちなみにやっかみの人の性格はきちんきちんと課題をやってきた優等生タイプっぽいです。なんつーか・・この人に似てる気がする(※いや、批判じゃないし今回の文脈に繋げる気もなくただ「似たキャラ」として思い浮かんだだけです)



 んで、その後、場所を移して「ドラゴンボールというマンガはどこで終わりだったか?」について彼女と語らった後しばらくしてこのことが浮かんだんですね。

 「あれ?これってべジータ問題?」って(※画像はクリックで拡大)


G[g.jpg


 知っての通り、べジータというキャラは戦闘民族サイヤ人という戦闘におけるエリート集団の中でもさらにエリートの王族に属する人物です。

 んで、そのエリート様が自信満々で宇宙の辺境の小っぽけな星にやってきて同じサイヤ人ではあるがはるかに格下のカカロット(悟空)と対決する。

 で、結果的に敗れてしまうわけです


 これ自体はいいんだけど、その後、くされ縁でカカロットと行動を共にしていくうちにどんどん彼我の差が開いていく。

「エリートである自分を平民のカカロットが置いてけぼりにしていく」わけです。


 それでべジータの自尊心はズタズタになって、物語最後のほうではそのコンプレックスから敵側に魂を売ったりもするわけです。(これはこれで悪の美学が感じられ、キャラ立ちしてたんだけど話逸れるので置いときます)


 んで、まぁ、「優越ゲーム」というのはこういうことなのかなぁ、と。


 べジータは同じ尺度(肉体的な強さ)の中でカカロットと競うしかなかったので追い詰められていったわけです。

 悟空は天然・真直ぐくんタイプ(努力派)でただ「強くなる」ことだけを目指してそのために自分を追い込んでいくのでべジータのコンプレックスなんか眼中にありません。

 そのときのモチベーション(インセンティブ)は強いて言えば「仲間を救う」とか「地球を救う」とかそういうのだけど、悟空のキャラ的には「強くなりたいから強くなる」ってのが一番大きいように思います。

 んで、こういうのは「努力・友情・勝利」のジャンプ黄金律に則ってるわけだから始めから祝福を受けるのは決定づけられてます(※主人公だしね)


 そういう風に見るとべジータというキャラに同情してしまうところが出てくる。

 だって、マンガじゃなかったらべジータのほうが絶対強いですし、おそらく最初の遭遇のときに絶対に勝っていたはず・・(ナッパさんなんかも指だけで地球を震わすほど強かったわけだし)

 なのに、「マンガだから」悟空に負けたわけです。ってか、「ジャンプシステムに負けた」と言ってもいい。敵がジャンプシステムなわけだがら彼我の差は圧倒的ですね


 んで、まぁ、話を戻すと、そんな感じで優越ゲームにおけるコンプレックスというのは「同じ尺度(同じ土俵)」で争おうとするところから生まれているんじゃないか、と思うわけです。

 具体的に言えば、「ってか、むしろワタシのほうがオマエを楽しむ側なんだよ」、的な感じでしょうか。もうちょっと言うと相手に対してコンプレックスを感じる人というのは内心にその分野において「相手より優位に立ちたい」という意識があるからこそ、対象とする壁が高かった場合その意識がそのまま自分に還ってくる、ということがあるのではないでしょうか?端的に言うと「ひがみ」というやつです。



 これに対して、「そういうことではなく、なんかアイツの見下し視線には悪意を感じる(「正しい」視点を借りて見下しゲームを行っているような偽善性)」、という反論があるかもしれない。

 確かにそれも一理あるとは思うんですが、個人の悪意なんてのはブラックボックス的なものだからよく分かんないように思うんですね。

 どこまで行っても「なんか悪意がありそう」って印象論に終始するし、本人が「オレ悪意持ってるぜ」なんて言うこともないですしね。


 んで、やっぱ不毛だなぁ、と



 そんなことやってるぐらいなら悟空みたいな感じでなんか究めたほうがよいように思うんだけど、究める対象がないのかなぁ・・。


 ってか、こういう不毛もゲームの内ということで、そういうのも全部含めてゲームを楽しんでるのかもしれないけど、やっぱよく分かりません。



 そういや、それ関連でこんな話を思い出しました


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 「もっけ(2)」に出てきた見越入道(見上げ入道)の話。


 見越入道というのは辻でいきなり出会う妖怪で、実体はない影のような存在なんだけど、後ろを振り向いたときに見越入道を見上げてしまうと意識を持って行かれちゃうんですね。

 
「いずれも大入道姿か小坊主姿で現れて
見上げれば見上げるほど大きくなる」

「……でも落ち着いて見下ろせば
上から下へと視線移していけば小さくなって……消えるんだよね
あとは確か『見越した』って呪文……」



 んで、主人公姉妹はこの後、実際に見越入道と対峙して見事に見越すわけだけど、このときの「見越した」っていうのが重要だなぁ、と思って。

 「見上げる」んじゃなくて「見越す」。「下から上へ」じゃなくて「上から足元へ」・・・


 そういうのは優越ゲームだけじゃなくていろんな場面のコンプレックスに対する対処法として有効なように思います(自戒も込めて)



 では、最後にご一同


 「せーの」で唱えようじゃありませんか



せーの!


 (「見越した!」



--
関連(?):
「横一線の教育」について
http://deztec.jp/design/07/04/06_fuku33_2.html

「君たちは、何かを分かっているつもりかもしれないが、全て勘違いだ。俺は賢いという思い上がりも、自分はダメだという劣等感も、みな捨てなさい。この教室では、俺の前で横一線なんだよ」




っつーか、学問の前では皆「僕」なんだと思う






posted by m_um_u at 17:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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