2013年11月15日

「世間」という言葉の由来についてもろもろ


阿部の「近代化と世間」は前のエントリでも言ったように

阿部謹也、2006、「近代化と世間」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/380240593.html

そんなにメモることもなかったんだけどこのエントリ見てしまって改めて「世間」の語彙についての共有知的に「そのまんまメモ」な引用を残しておくのもいいかなあ、ってことで再度エントリ


「世間」ってそもそも最初はどういう意味だったの? | Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2352

井上忠司著『「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)』(P31)

もとはといえば、「世間」は、梵語loka(こわされ否定されてゆくものの意)の訳語であって、「生きもの(有情世間)とその生きものを住まわせる山河大地(器世間)、あるいはこれら二つを構成する要素としての五蘊(五蘊世間)の総称」であった。


「世間」という言葉は「世」と「間」に分解できる。

「世間」の「世」は「時間」のことで、中国では、「遷流」つまり移り変わることという意味だった。たえずこわされ、否定されてゆき、刻々と他のものに転化していく様のことである。


井上忠司著『「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)』(P32)

たえずこわされ、否定されてゆき、刻々と他のものに転化していくがゆえに、「世」とよばれるのである。だが、破壊されるのみであって、なんら本質的なものでないなら、それがひとつの「世」であることはできない。不断の転変に対立し、打ち克ってこそ、ひとつの「世」でありうるのである。さりとて、完全に打ち克って、遷流なき境があらわれたなら、それはもはや真理であって、すでに「世」ではないであろう。


反対に「世間」の「間」は「空間」のことで、原語のlokaは本来「場所」(世界、領域、界などとも訳される)の意味が強かった。この「場所」は物質的なるものにかぎらず、非物質的なるものの世界や場所のことでもある。非物質的な世界とは、例えば仏教でいうところの欲界など人間の現象として存立する状態そのもののことだ。

このように「世間」は空間的な意味を持ちつつ、主として時間的性格でとらえられており、「無常性」を内包していた。


特に世間が人間関係そのものを意味するようになったのは江戸時代からといわれる。憂き世が浮世になり、浮世=世間となったあたり。



「社会」と「世間」の違い | Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2399

「社会」という語は明治の初頭に英語のsocietyの訳語として作られた語で、societyの原義はつまり法と関連して、共存して生きていくための組織その他の集団のこと。

これに対して「世間」というのは以前紹介しましたが、「世」と「間」とに分かれ、「世」は「時間」を、「間」は「空間」を意味します。

つまり、「社会そのもの」を指すとともに、その上に「社会を形成している人々」をも指している語が「世間」であると言えます。


だから、societyの訳語として「世間」があてられなかったのは、世間の方がsocietyより広い意味を持っているからですね。


最後の引用は多分違うんじゃないかな。まあ後述


世間 - Wikipedia http://bit.ly/176jEyW

世間(ローカ)からラウキカ (laukika)、すなわち「世俗」の語がつくられた。ローカ自身には別に悪い意味はないが、迷いの世界として世間を意味する場合が多い。 この場合、世間の「世」とは「遷流」(せんる)の意味で移り変わること、「破壊」の意味で壊れること、「覆真」(ふしん)の意味で真実を覆っていることなどと解釈される。また「間」は「間隔」の意味で、ものが個々別々に差別化されてみられることと解釈される。

このように世間とは、本来一味平等であるものに区別を作って、それにこだわって生活しているから、真実がおおわれ、無常であり、破滅すべきものと説かれる。このように一般に世間といわれている使い方とは違って、仏教では、深い人間的反省が込められている。


世間とは、自分と利害関係がある相手、もしくは将来的に利害関係が発生する可能性がある相手を指す。

@贈与・互酬の関係

A長幼の序

B共通の時間意識

C差別的で排他的

D神秘性

@〜Dの条件を全て満たしている場合、それを世間と称し、人に価値と規範を強制する安定した空間となる。1つでも条件を外していれば、それを空気と呼び、人に価値と規範を強制するのには、不安定である。




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(92)近代化は全面的に行われたが、それが出来なかった分野があった。人間関係である。親子関係や主従関係などの人間関係には明治政府は手をつけることが出来なかった。その結果近代的な官庁や会社などの人間関係に古い人間関係が残ることになった。
 明治10年(1877)に英語のソサイエティが社会という言葉に翻訳され、明治17年にインディヴィジュアルが個人という言葉に訳された。
 しかし訳語が出来ても社会の内容も個人の内容も現在にいたるまで全く実質をもたなかった。西欧では個人という言葉が生まれてから9世紀もの闘争を経てようやく個人は実質的な権利を手に入れたのである。日本で個人と社会の訳語が出来てもその内容は全く異なったものだった。なぜなら日本では古代からこの世を「世間」と見なす考え方が支配してきたからである。それは仏教の言葉であり、サンスクリットのローカの訳語であった。その意味は「壊されゆくもの」というもので、この世は不完全なものであるということであった。この「世間」という言葉は現世だけでなく、あの世をも含む広い概念であった。日本ではこの言葉はかなり俗化され、無常な世という意味で用いられることが多かった。



(93) この言葉の歴史を辿ってみると江戸時代に西鶴の『世間胸算用』などが出て、現在の世間という意味に近くなっているが、明治以降には大きな変化を迎えている。明治41年(1908)に厳谷小波の『世間学』という書物が出されている。小波は独逸学協会学校の出であったからドイツ語が出来、ドイツ語の世界市民 Weltbuergertum の訳語として世間という言葉を用いている。彼は「はしがき」で次のように述べている。
 「『世間学』とは、大学の講座の中にも見ない名だ。それは其の筈、これは此度此書を出すに付いて、新たに案出した名であるもの。其意は読んで字の如く、世間を知るの学である。蓋し世間とは、人間の集合したものを指す。此故に、世間を知らんと欲せば、まず人間を知らざる可らず。人間を知らんと欲せば、まず自己を知らざるを可らず。本書は其辺の消息について、折りに触れ、事に感じて吐いた気炎を、試みに一冊に纏めたに過ぎない。今のこの時節にこの議論、著者が自己を知らざるの不明を、寧ろ表白したものと見られれば、それまで」
 その内容について少しだけ引用すると「日本の社界は人前でおくびや屁をしても平気でいる社界だ。雪隠へ杓子を納れてかき回す社界だ。客の前へおまるを持ち出す社界だ。縁側から子供に小便をさせる社界だ。溝さらいの泥を路傍に置く社界で、大掃除の埃を大道に飛ばす社界だ。―ー而も所謂潔癖の国民が、此らに対しては一向に嘔吐を催さない社界だ。―ー日本の社界は醜業婦を公然貴賓に応対せしめる社界だ」
 このように日本には秩序がないことをあげつらい、欧米の社会の秩序を真似なければならないと主張している。
 世間という言葉は小波によって新しい意味を与えられたことになる。しかし小波の意見には当時は随伴者はなく、明治期の一部洋学者の見解にとどまっていた。世間という言葉は藤村の『破戒』の中では被差別部落の住民を排除したところで成立している社会という意味で用いられており、小波のような理想の社会と理解されていたわけではない。



これにつづけて明治期当時、「世間」という単語が意味していたところが解説される。明治23年の教育勅語では「父母、友人を大切に、兄弟仲良く夫婦仲良く忠孝に励むべし」とはされているが小波の重視したような個人の重視という思想は見られない。

いちお確認しとくと、上記引用してきたように「世間」という言葉は小波なんかによっては西欧のsocietyと同じように使われようとしていた。それにたいして「社会」と同じ音素を持つ「社界」は現在で言うと「世間」と同じ程度の意味を与えられていた、ということ(すくなくとも小波の語用では)。「世間」というか「公共性」の表すところに近いようにおもう。少し前の中国のマナーと似ているから。

しかしその後、明治政府だかなんだかによって「世間≠society」の意味は消えていく。それは「世間」という言葉の定義が曖昧だったせいもある。

「世間」という言葉は、この言葉単独にはそれほど意味がない。いちお語源をたどれば、仏教思想全体の中での「世間=無常」「壊されゆくもの」「越え行くもの」ということ。仏教では物象界のそれは移ろいとして認識し、その執着をまず捨てることが目指されるから。またそこで表される「世間」も「器世間(≠自然)」「有情世間(≠人間関係)」に分かれる。

そういった意味での「世間=無常」だったのだけど、おそらく民衆に「執着を捨てる」という意義、主旨が伝わらなかったので「世間」の語彙の指し示すイメージとして「人間関係」「付き合い」という有情世間のイメージだけが残った。

そして、それ自体は比較の対称のない時代はネガティブでもポジティブでもなく、たまに書物にされるときに出てくるぐらいの言葉だったようだけど、明治期に「西欧に学べ」の風潮の中で society という言葉とそれに関わるゲゼルシャフト的な考え方に触れた知識人たちが日本になかった都市的な人間関係や考え方の集合(ゲゼルシャフト)をテンプレ的に移入したくなったのだろう。

それでシニフィアン的には「世間」とそんなに変わらない領域を指す society というシニフィエにあらたに「社会」という造語を当てポジティブイメージを託したのではないか?

「society が指す領域が日本の『世間』の指すものとそんなに変わらない。単にそれが都市か村落かというだけ」「西欧にも『世間』的なものはあった」という際の論拠としてはスチュアート・ミルの話がある。ミルなんかも当時 society という言葉にそんなに良いイメージがなかったことが伺えるから(「翻訳成立事情」の「社会」の項参照)。その意味は日本における「世間」のそれと近い感じ(liberty の対立語としての society)。

ただ、繰り返しになるけどそれがゲゼルシャフト的な全体性をもつか、あるいはゲマインシャフト的な全体性を持つか、というだけの違い。そして前者の場合はヨーロッパにおける indivisual の立ち上がりが絡む。それは告解における反省を通じた「個人」の内面と人格の形成とその当然化、でもあり、告解の反省とキリスト教的なエートスを基本とした死生観-人生観に基づく都市の住人の常識に基づいた「人間関係」のイメージとなるのだろう。



繰り返し的に要点を言えば、

「『世間』と『社会(のもととなった society)』の指すもの(シニフィアン)は意味的にはそんなに変わらなかったが、明治期に西欧の都市文化をまるごと移入する際に『社会』を造語(シニフィエ)し、「社会」のシニフィアンとしては西欧のゲゼルシャフト(西欧都市における「世間」)をあてることで西欧のゲゼルシャフトをそのまま移入する際に生じる軋轢をそらすためのクッションにしたのではないか?」、ということ。

為政者たちは西欧のゲゼルシャフト的な価値観や思考・行動・コミュニケーション様式、あるいは「付き合い」に関わる態度の全体を文化的先進としてまるごとコピーしたかったのだろうけどそれでは昔ながらの村落共同体的な人情が余ってしまう。

人情的な不満が生じたとき、日本の昔ながらの村落共同体的な「世間」をホンネ的なものとして残しておけば、そういった不満をてきとーに散らすことができるので。たとえば宴会などで。

「社会」と「世間」を分けたことは、タテマエ的には社会(society)的なコードを実践することを薦めつつホンネとしては旧来の世間的なコードに依ってもいいよ?という譲歩でありバッファだったのだろう。しかし、「社会」という言葉をポジティブイメージとして前景化させたことは却って「世間」という言葉とそこに含まれる全体を吟味することなく後景化させることになった。


そして、それが個人と市民、市民と国家の関係にも関わってくる。

(112)島崎藤村の『破戒』の中で主人公の被差別部落出身者は「世間に入れて貰いたい」と述懐している。当時「世間」には被差別部落出身者は入れなかったのであり、「世間」は差別されていない人の集合体とされていたのである。しかし「世間」はまた差別の温床でもある。「世間」はどのような組織にもあり、それは自ずから差別的で排他的な組織となっている。
 しかし明治の初期にはまだ「世間」はそのような性格を明確にもっていなかった。明治政府の成立以後、農村部にすでにあった郷党社会の延長として国家が意識されていた。郷土主義の立場からは都市の無習俗性が批判され、ここで「世間」の問題が初めて意識されたのである。厳谷小波の『世間学』もそれに対する答えのひとつであったが、政府はそれを採らず、郷土との接点としての「世間」を強調したのである。近代都市として生まれながら、日本の都市は天皇との心情的結合を強調されて生まれたために、郷土と変わらぬ伝統的習俗の場として作られたのである。
 こうして「世間」は今もなお義理人情の場として機能し、差別の温床となっている。



西欧における国家幻想は神の代替であり、それは北欧-ケルトあたりのヨーロッパ基層のゲマインシャフトにおけるアニミズム的な神(自然)のイメージとキリスト教的な唯一神のイメージの折衷として人造された近代的な神だったのではないかと思えるけど、日本の場合はキリスト教と文明化を通じた都市民の慣習の変化、ゲゼルシャフトの成長の過程を省いてしまったためいきなりゲマインシャフトと近代的な人造神である「国家」が接続することになってしまった。

そこでなんとなく国家神道なんかを立てて国教としてのキリスト教が果たしてきた役割の代わりをさせようとしたのかもだけど、最近もちょこちょこみてきたように、キリスト教の地力というのは国教としてのローマ・カトリック(教皇庁)が明示的に表していた部分ではなく、むしろ北欧-ケルトあたりのヨーロッパ基層のゲマインシャフトを聖母・聖人信仰などで包み込みつつ善き人々が紡いできた倫理の実践にあるように思えるので。表面的な教皇庁のそれを模しても教皇庁が果たしてた教条的で強権的なアレゲな部分だけがグロテスクに導入されてしまっただけだったのだろう。

そして、そういった背景から日本の近代化において天皇も国家という人造神の根拠とされるべく意味を創造(修正)された。

そういうのはなんとなくナウシカの巨神兵を想わせる。

本来なら骨格だけじゃなくて筋肉の部分も必要だったのに、筋肉の部分を十分につける時間や理を知らなかったため不十分なうちに起動されて溶けていった、のが明治 → 太平洋戦争までの日本だったのだろう。


もちろん、不十分でも十分な威力を持つのが巨神兵だったのだろうけど


あるいは、エヴァという巨神兵-人造神(デミウルゴス)に乗り込むことを要請された運命の子どもたちが天皇だった。そして日本というエヴァンゲリオンは暴走し戦争へと突入していった。





世間という言葉の語源にもあるように、あの辺りはもともとは死生観とつながってくる。

人と人との関係や関係を持つ場、そこでの時間のあり方がそのまま存在に対する認識として生/死の感覚につながっていた。

そして、それにもとづいて倫理というか、その元となるエートスが紡がれていった。


北欧+ケルトにおけるゲマインシャフトな死生観は教会が間に入ることでキリスト教の死生観に変わっていった。

それにより時間感覚も冬至(ユル)を中心とした円環/循環的なものから神の最後の審判をゴールとした直線的なものへ変わっていった。

そのことがどのように人の生き方や存在の了解、理知のあり方に影響していったのか、、それを調べていくのが今のところの課題のひとつ



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関連:
「社」という語の由来から垣間見る日本人のコミュニティ信仰 | Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2276

「社会」の「社」について。「翻訳成立事情」でいちおこの辺確認したけど、「江戸後期 → 明治初期には『社』が流行った」ぐらいな記述だったので特に記さなくていいや(亀山社中とか新聞社とか




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追記:
「society という言葉と 『世間』の指す範囲は違う(ので『社会』という言葉が造られた)」とする見方は「日本は遅れてて西欧に見習え」的なアレが含まれるように思ったのでネチネチと語ってきたんだけど、同じ文脈で、「西欧の個人主義っての出自としてはそんなに素晴らしいものではないし『個人』つてもそこには内面化された規律が絡んでるんだよ」、なメモとして以下を追記しとく。

物語 ドイツの歴史―ドイツ的とはなにか (中公新書)
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(48)この問題の重要性をM・フーコーは次のように説明している。
「個人としての人間は長いこと他の人間達に基準を求め、また他者との絆を顕示することで(家族、忠誠、庇護などの関係がそれだが)自己の存在を確認してきた。ところが、彼が自分自体について語りうるかあるいは語ることを余儀なくされている真実の言説によって、他人が彼を認証することになった。真実の告白は、権力による個人の形成という社会的手続きの核心に登場したのである。」
(『知への意志』渡邊守章訳)



近代的な「自/他」の認識が出てくる以前、人は他人との関係の中で、全体から割り振られた仕事や出来事、役職などによって「自」を説明することはあってもそこから離れた「自」はなかった。

なので、告解を通じて自分の内面に向き合い、社会的役割から離れた自らを意識し、それぞれの人格を磨き、それにもとづいて他者の中にも同様の人格があることを想像するようになったのは近代以降といえる。

大文字の「世間」的なところから抜け出せない日本人や会話のきっかけが少ない人は人と話すときにまず「どちらにお勤めですか?」「何をされてる方ですか?」とか聞くけど、それも村落共同体的な「全体との関係を個人の人格に優先する世間的なコード」ということだから「古臭いなあ」と嫌われても仕方ないところもあるし自分としてもそういうのは得意じゃないんだけど、フーコーが説明するように西欧の個人主義もそういった関係性や規範を内面化しただけなのだろうから完全に権力からは自由ってわけでもないのだとおもう。


なので西欧の個人主義と公共性について考えるときにはその辺には注意したほうが良いのだろうけどなあ、とこの辺見つつおもった

安心社会から信頼社会への移行をグーグルが強制している - アンカテ
http://d.hatena.ne.jp/essa/20080808/p2









タグ:世間 公共性
posted by m_um_u at 12:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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