めんどくさい話だしまだ結論出てないところもあるので長くならないように簡潔にメモ的な形で残したい。
以下はメモった部分をそのまま、文章的な整形をあまりせずに貼っておく
society の本来の意味は societas に由来し、人と人との結びつきを意味していた。
ラテン語のこの言葉の原義に宴会などにまつわる儀礼や宗教的な意味があったとしても、
少なくとも17,18世紀にはイギリス・フランスにおいてこの言葉は抽象的な概念となり今日に至る。
この辺りはこのへんでいちおもっかい確かめたり。ラテン語うんたらについては載ってなかった。
<日本では society の訳語として「社会」が当てられた、が、日本における「社会」意識、あるいは、その必要条件としての indivisual などの未発達(ex.個人の論理や意見、よりも肩書を重視する)から「社会」という語が当てられているところには「世間」を当てるのが妥当なのではないか?>、というのはちょこちょこ聞く話。
自分的な感覚としては「世間」も複数の世間があって、それぞれがそれぞれの世間-クラスタに属しているように思う。その中でメジャーとなり社会規範的なものに近くなるようなもの、自分の属している世間に圧力をかけてくるようなものを「世間」という言葉で嫌うのではないか?
本当は日本における「社会」というのはそういった複数の「世間」クラスタの重奏した連なりなのではないか?
そういった漠然とした印象がある。
再び阿部さんの本からのメモ書きに戻る
世間は本来、「世間無常」「世間虚仮」、など
万葉から、江戸、近代に至るまで連綿とネガティブイメージ
仏教用語、
器世間ー自然界の事象
有情世間ー人間と人間の関係
世間は本来、自然界を含む人の世
この辺の感覚はトーテミズムを思わせる。
西欧で世間にあたるのは「world」 ? 「welt」 ?
そこには日本で言う「世間」のようなネガティブイメージはなかった
17世紀中葉には世人 Mankind と同様な意味で使われていた。
その頃の world にはグローバルな広がりとしての世界の意味はなく身近の人々が織りなす世界のことであった。
17世紀以後、欧米では world は public となり公衆、公共性として位置づけられていったが、日本の「世間」は公共性としての機能を果たしながらも、そこに超俗的性格と異界との接点としての無常観を残していた点で、西欧の公衆概念とは異なっている。
その結果わが国の「世間」は、人が作り上げてゆくもの、というよりは運命的に存在しているもの、所与として受け止められていったのである。
「神」を「絶対的なもの」とし、それとの対峙の場面として「告解」があり、それを通じて「個人」がつくられていったということ
この辺の経緯は一つ前のエントリでも少し話した。
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379707101.html
この感覚というのは、不完全とはいえ個人とか自我、自/他の区別が前近代的な人たちよりははっきりしている現代人からするとわかりにくいもののようにおもうし、自分としてもなんかぼんやりなのでなんとなく印象としてイメージするとアリとか動物の感覚に近いのかもしれない。
「私」以前の全体として「世間」との関係のなかで私があり、逆に言うと、共同体全体の関係のなかでしか「自分」を意識する必要がなかった、ということ。
たとえばなにか共同体にとっての事件が起きればそれを中心として記録に留められ語られるけれど、そこでの個人の名前は識別子的な意味しかなく、個人としての人格や内面はまったくとりだたさされない、ということ。
昔の生活だと特にそれぞれの人の生活の違いとかはそんなになく、皆が皆同じように食って寝て生殖してッて感じだったのだろうから、そこで悩むこともなかっただろうし…。
アリの組織構造-自意識、みたいな感じというか。。それよりはまだそれぞれの内省や人格があったようには思うけど、現代人ほどそれを留めて、内省して、「個人」ッて感じでもなかったのだと思う。
このへんの感覚は口頭伝承、声の文化に住んでいる人の感覚と文字の文化に住んでいる人の感覚の違いのようなものも想わせる。
声の文化の人のすべてがすべてそうとは言えないだろうし、声の文化と「個人以前の全体性を中心とした内面」とどのようなつながりがあるのかわからないけど、なんとなくフォルダとして近そう。
そして、共同体よりも近い親密圏なところで「家族」がある。
「家族」の中の自分
家族の範囲
家族と親族の絆、先祖
「家」
E.トッドなんか想わせるけど。
世間 世論 ポトラッチ-kura的な名誉を重んじる → 大義 ←(武力だけではなく霊力
贈与・互酬交換 (←動物のシステム的な意義としてはどのようなものか? 弱者救済 妬みを避けるための「ふるまい」
そういった中では公共性の感覚も違っていた
(⇔ 教会が間に入ることで贈与のセンターになっていった → 教会の変化、知識、信頼性(権力)のネットワークの変化)
ヨーロッパももともとポトラッチ的な贈与交換を基本としていた。なので、そこでは金銭の所有の多寡のようなものはステータスではなく贈与交換でどれだけ他者に振る舞えたかによって共同体内部での地位が決まっていた。そして、共同体内部でより一方的にふるまえるように「弱者へのふるまい」が習慣化していった。強者だとふるまったものが返ってきてしまうので。一方通行でふるまえる弱者が選ばれていった。
「ヨーロッパのボランタリー文化は教会の影響」というようなことが言われ、「では、そもそもその互助精神はどういった機構から生まれたのか?」という命題に対して「人間本来の弱者助けあい」みたいな話が出てくるけれど、そういった価値とは別の、こういった集団的行動の結果だったのではないか?
もちろんこの可能性をもって「人間本来の弱者助けあい精神」の可能性も捨てられないだろうけど。
こういった贈与交換のシステム・風習は貨幣経済への移行に伴い崩れていった。
11cは貨幣経済への移行段階でまだ贈与交換、あるいはポトラッチ的なものが一般的だったみたい。
それが変化していった背景としては教会が中間になったことがある。
それまでは「死後も財産は持てる」という通念から冥銭の慣習があった。すなわち死者とともにお金ももたせていった。そうやってかなりの財が死者に持って行かれていたが教会が間に入り「教会に寄進することで死後の生に祝福をもたらす」という方便を使ったことで教会は莫大な富を得られるようになっていった。
http://bit.ly/ggAWMK
また、市場における貨幣の魔力を仲裁するのも教会であったし、それまで境界的なものとされてきた様々な異人たちを「適切に」フォルダ分けしていったのも教会だった。
その流れの中で、かつてはトーテム的につながっていた「異界のもの」≠「自然のもの」も「文明により開拓する対象」とされ、場合によっては敵や悪として対象化されていったぽい。
つまり、それまでは聖/俗として両義性をもっていた境界のものから聖性だけを教会が奪い取り、俗は穢れ/悪として措定されていった。
この時期、それまでは差別対象でもなかった肉のなめし職人、風車の粉ひき、森の魔女などが差別の対象とされていったみたい。
というより、このときから「悪」や「差別」といった概念が生み出されていったぽい。
このへんの話は「世間への旅」というよりは「近代化と世間」のほうに踏み込んでるか
近代化と世間―私が見たヨーロッパと日本 (朝日新書)
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阿部 謹也
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加えて言うと11c辺りに価値観が変化していった流れの規定要因としては人口変動が考えられる。
中世ヨーロッパの風景 「中世の都市人口」
http://www.ku-rpg.org/column/population.html
ではなぜ、この時期にヨーロッパの人口は増えていったのでしょうか?
その要因として、農業の進展があげられます。
技術的には、三圃農法をはじめ、水車による製紛場・撥土板つき重輪鋤・改良された馬の牽引法(繋駕法)・蹄鉄の使用・唐竿(打穀棒)などが主なものです。
これらの技術は中世初期以前からありましたが、一般にヨーロッパ全土へと広まっていったのは中世盛期のことだと考えられています。
コレに加えてレンズ豆なんかの影響もあって、この時期にヨーロッパの人口が増えた(W.マクニール)。それによって全体の経済規模が高まり、それに対応するために貨幣経済への移行が相関していったのではないか?
そしてその中心の文明の知識ハブになったのが教会だった。
以前のエントリでも言ったように、この頃にキリスト教内部も組織や教えの改革をしていったぽい。
ふたたび「世間との旅」からのメモ書きに戻る
家族(親密圏)
対幻想
個人幻想的な想像空間
→ 中世の想像空間
トーテミズム
論理性ではなく
裁判、円座
口頭伝承
声の文化
繰り返し
タテ社会
教会がセンターとなる以前、「文明」的な論理性以前のヨーロッパ世界では公共性や倫理の感覚も異なっていた。その前段階として、人と世界との関係や観念も。人は社会以前に自然や宇宙とつながっているものだった。それをふつーとして、自分を自然の中に自然に溶け込ませる物語として、現代で言えば妖精的なお伽話とされるようなものが本気で信じられていた。自然、アニミズム的なものを基本としたトーテミズム的な、自然と自分とのつながり。自然の中に先祖が、先祖の中に自分が連綿とつながっているという感覚。
そういった全体とのつながりの感覚を教会が「神」とのそれのみに限定するようになった。
もっといえば神は大義として利用され、実質的には人間中心的な物語(倫理)がこの時点から編まれるようになった。人を中心として「自然は開拓するもの(外)」という感覚。
その中で倫理のよすがやそれに基づいた法的なもの、裁定のやり方も変わっていったのだろう。
「告解」のような形はその結果としてか、あるいは「告解」が形式的に先に出来たから裁定の仕方も変わっていったのかびみょーなところではあるだろうけど。もともとはヨーロッパでもあったかもしれない円座的に討議や裁定の仕方。なん日もかけてそれぞれの思うところを述べていく、繰り返しになっても論理的でなくても、それぞれが納得するまで述べていく、という形はなくなっていったのだろう。
声の文化的な、論理ではなく繰り返し的な、身体的なそれ。
日本的なタテ社会の構造、(表面的には近代的合理性を名乗りつつ)論理よりも場の仲良しイズムや空気を重んじるそれ、はそういった円座的なものと西欧的な論理的なものがみょーに混交して残ったピジン的なものなのかもしれない。
世間ではなく自立として生きてる例
哲学を中心としてすべての学問を修めなければならない
ある哲学者はすべてを学習した後に陶工の仕事に転じた、ある学者は靴直しの技芸に習熟していた。
cf.ヴェイユ
これは「日本では世間を生きているために肩書を重視する」に相当
阿部は「世間というのはフッサールの言っていた『生活世界』に相当するのではないか?」ともいっていた。
それはハーバーマス的には「システム vs. 生活世界」の図式で対峙されたものだった。
しかしこれまでの流れを思うとそういった単純な図式でもないっぽい。
「システム」は政経的な全体合理性(公益性)とし「生活世界」は親密圏の合理性としたとしても、親密圏のほうでも家族や世間の論理があり、それが個人のプレッシャーになっていたりもする。
では個人の位相はどこか?といえば個人は政経的な層にも、あるいは家族や世間的な層にも脚をかけているのだろう。それらの多層の輻輳の中から近代的な個人が生まれている。
そして、それらの多層性のなかから、蓋然的な共同体の暗黙ルールとして「公共性」が作られているのだろうけど、これも社会環境の変化に応じて変化していくのだろう。
そういった公共性の変化、あるいはそれぞれの人が属する世間の位相や変化とマスメディア的なもの(サブカルやヲタコンテンツや映画やインターネットなど)の関係についてもこの辺からうんたらしようかと思ってたけど、
ミリアム・ハンセン「初期映画/後期映画」紹介 | borujiaya
http://www.p-renaissa.jp/borujiaya/?p=865
今日はもう疲れたのでとりあえずここまでで
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関連:
阿部謹也、「世間への旅」からの読書メモ断片 - Togetter
http://togetter.com/li/589127




