2013年11月08日

「世間」と「個人」と「告解」あたりの話



【第36回】『タテ社会の人間関係』(中根千枝)|新しい「古典」を読む
https://cakes.mu/posts/2647

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書 105)
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「縦社会の人間関係」は読んだんだけどこうやって他人様のレビュー見ると印象違うものだなあ、とか。

要約すれば、<日本的「縦社会」の特徴とは、命令系統の合理性がはっきりとしない=組織の関係線を表せばピラミッド型の木構造になるのだが、こういった木構造で当然とされるトップの責任と決定権の合意が無視されガバナンスが曖昧に。現場においてはいちおう最上位のオーダーに従う形にはなっているが、実際は1ホップの上司への忠誠が第一となり、その上司を介した間接的にオーダーに従う形となる>、みたいなの。

つまり、ホンネとタテマエ、でありホンネの部分が「場の空気への協調」「論理以前の仲良し主義」ということになる。(「私は無実だが、世間を騒がせたことは申し訳ないと思っている」≠「わたしは首相だが吉田所長とは直接の交友があった(指揮系統の最高責任者であったが東電にわたしの指揮が届くとは信じていなかった)」)



こういった話は別件の「日本人は言ってることとやってることが違う」「言葉を介した合理的なコミュニケーションの了解が成り立たない」「そのウラにある非明示的な了解が暗黙に重んじられる」ってことで山本七平の空気話とか連想させるわけだけど、これと同時に「世間」とか「信頼」とかをおもった。


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山岸俊男さんのこの新書はちょこちょこネットで言及されるのを見る。直近でもTLで見かけたし放射脳問題に対して同書を介した視点はどうなるかな?って試してなかったので。あるいは食品偽装と安全神話うんたらについていちおこの辺もっかい見てもいいかなってことで。

「日本酒に防腐剤」うんたらでも思ったんだけどああいうのも「もやしもん」における「化学調味料を目の敵にする人がいるけどすこしの化調を利用するのは人類の英知なんだ」みたいな樹教授の言葉を思い出せば偽装食品の話題て阿呆らしいのだが。。 >カニカマ>精進料理>形と調味料で騙すことが料理技術ということだし。

そういうのと別に「高い金を払ってるのに『騙された』」がまずあり、ぢつは「高い金を払ってるのに」って部分は後付な理由で「騙された」の感情部分の先行があり、その部分も合理的・論理的に問い詰めれば後付的な理由に過ぎず、まずもって『騙された』があるだろう。

放射脳のあれと同じで過剰な安全神話があり、「わたしたちの周りは完全な安全と信頼で包まれている」ってのが「騙された」なのだろうけど、それを突き詰めていくことは却って自分たちの周りを無駄に不安にすることでしかないと思うんだけど。

社会学の文脈でよく言われる、「近代の都市に住むようになった人たちは『誰々がつくった○○だ』がはっきりとわかる顔の見える空間=ゲマインシャフトから出てしまい、お金をメディアにしたゲゼルシャフトに暮らすようになった。そこでは顔が見えないことの不安、サービスはどへの信頼の担保をお金が代替している信頼性に委託するんだけど、仮の信頼をヴァーチャルするようになったため一度その信頼が崩れると一気に不安になる」、を思い出す。

そこで「安全」と「信頼」の話がつながり、「安全(不安)を気にする以前に信頼を築くような」うんたらって話になると思うんだけど、、まあとりあえず本書を図書館で予約。


安全神話な話に日本的な「特殊」をポイントするならそこに「世間」が絡むのだろうしなにをもって「信頼」のよすがとするか、というところも他の国や社会とはすこし違ってくるのだろう。そして「世間」をドライブしてるのがマスメディアであり、マスメディアは、「世論を代弁してるだけだ」、という。

阿部謹也さんの世間話は「学問と世間」うんたらで読んだけどけっきょくそれほど印象に残ってないな。「ああ、日本の世間嫌いなんだなあ」って感じで。

でも今回頭に浮かんだのは少し前に山本太郎議員が園遊会で天皇に手紙をちょくで渡した件についてTLでやたら騒いでるのをみて「…世間」って思ったからか。今回だけのことでもなく放射脳うんたらについても、あるいは文月メイさんのママ歌がどうこうにしてもマスメディアやTL上のオピニオンリーダー、あるいはTL全体が涵養するアジェンダが思ったより人の関心になるんだなあ、とか。

論理的に突き詰めれば自分の生活とはそんなに関わりなかったり、関わりあったりしても論理的に会話すればすぐに終わるような事柄だけど、それを井戸端会議的にグダグダと噂のような話を続ける。。だから「世間話」って感じなのだろうけど。話自体に合理性や論理性はそれほど求められてなくて、その話を共通話題としてそのアジェンダ内部での規範とそれに属する言表をとることによって世間様に紛れるための識別子を獲得する感じの。まあ当人たちはそんなこと思ってなくて真剣に「社会問題だ」ッて感じみたいだけど。毛づくろいコミュニケーションの延長的な。。


「『リアル-マスメディアな世間』から『リアル-マスメディア-SNSな世間に』」あたりでこの本も読んでみようかと思ったけどさすがにけっこう人気だったので今回は見送った。いちお予約したけど




input/output だけの単純な構造としてみた場合、同調圧力(外部からのinputの圧)を嫌がる人がちが同時に承認欲求(外部からの賞賛というinput?)を求めるのはなんか変な感じ。まあ両方ともまずoutputがあって、それに対して当人が「要らない」とおもうフィードバックが来た時には「同調圧力だ!」って叫んで、当人に望ましいフィードバックが来た時には承認欲求が満たされるのか。でも両方とも「世間」とその規範の中での話のように思うけど、フィードバックがより合理的(あるいは先進的)と思える規範に近いときは「是」として受け容れやすいので「世間」(あるいは同調圧力)て感じにくいのかも。両方とも世間で、古いか新しいかの違いだけのようにも思えるけど



閑話休題



そんな感じで「論理以前の場のコード(あるいは識別子)獲得」に対する疑義とその生態について改めて見直したくなった + ヨーロッパの中世うんたらの周辺知識からのその辺りの話を見たくなったので「「世間」への旅」をとりあえず借りてきた。もう一冊は予約。



「論理以前に仲良し主義先行する空間の生態と是非」、あるいは、仲良し主義≠感情先行としてそのことの合理性や論理性に対する是非、みたいなの。



とはいっても日本人特殊論はあれげになりやすいので、少し立ち止まって「外国人も論理以前に感情先行するよ?」と想像するに、彼らの場合、最終的にベタッとしてないってとこがポイントなのかなあ…一度論理的な話し合いで合意したものはあとをひかない、というか…。まあ、感情的でDQNな外国人もいるだろけど。



「世間」の話をしつつも的を射ない、単に自分の日頃のうっぷんを晴らすために日本人特殊論からの日本人批判の言説を借りてきてそこに乗っかってるだけの人の話は大体にしてそれが「世間」だけに終始してその対称としての「個人」の話にまで及ばない。

世間の話が出てくる場合は西欧的個人主義への着目、「西欧の個人主義とはなにか?」「どういった背景から立ち上がっていったか?」という話の流れが筋のように思うけど、そういうのはない。「世間イヤ → だったら個人でちゃんと考えれば?」のはずなんだけど…。

阿部さんの話だとその辺ははっきりしていて「西欧の個人主義の立ち上がり、原点は12世紀」ということから始まる。「12世紀、ラテラン公会議でカトリックに告解が義務づけられてから」


ラテラン公会議 - Wikipedia http://bit.ly/1abGKV1


>ラテラノ公会議ではなぜユダヤ人に差別服を着用させることに決まったのですか?

差別感情があったのでしょう。

>もし、ユダヤ人とキリスト教徒を区別するのであれば、 ユダヤ人に無理やり強制するのではなく、 キリスト教徒の方が差別服を着用すればよいのではないでしょうか?

当時はそんな風に考えられなかった。多数派の少数派迫害。

>ラテラノ公会議は何が目的で開かれたのでしょうか?

目的は 正統信仰の保護、十字軍国家の支援、俗人による聖職者叙任権への介入の排除、異端の排斥、新たなる十字軍の編成であった。公会議自体はその壮大な規模とは裏腹に、討議というより、教皇の提出した教令に印鑑を押すだけ、承認するだけの役割しか果さなかった。

http://bit.ly/1abH8mp

背景はまだ調べてないけど、フリードリヒ2世が関わった第4回ラテラノ公会議の様子を伺うと「教皇庁とその周辺の腐敗×叙任権闘争」の結果ぽい。これ以降、告解や聖体がうんたらな話で教皇庁(ローマ=カトリック)を中心としたドグマ化が強化されたのだろう。

この時期は12世紀ルネサンス → 大学の立ち上がりということでもあるけど、第三身分の中でもお金を持っていた商人層が台頭してきた時期でもある。その関係で(教会からスピンアウトするように)大学も建設されていったのだろうし、メディチのような第三勢力的なものも立ち上がっていったのだろう。そしてボルジアも



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あるいはそれ以前にヴェニスの繁栄が商人勢力の台頭の背景にあったのかもだけど

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そこは今回は触れないとして、、



おそらく、そういった勢力均衡とパワーバランスの変化のなかから「システムの中で自由に思考できるコマ」の割り当てが増えていった。それが封建諸侯、選帝侯、商人勢力などの新たな台頭であったのだろうし、結果としてのキリスト教教義の教条化だったのだろう。おそらくこの辺りであらたに歴史も修正→構築されたのだろうし。

異端審問が同時期から発生していること、あるいは異端をめぐる粛清がされはじめたことなどもこの辺に関わるのだろう。

中世における異端審問の数が増え始めた契機として、1022年にフランスのオルレアンで起きた、異端者の処刑事件がある。この事件が起きた際、オルレアンの会議に召集されたブルージュ大司教のゴーズランは、スペインのビック司教オリバに対し、異端の発覚を憂う手紙を書いている。その後、11世紀中盤までに異端発覚の報告が17件を達し、急増している。その後、11世紀後半には異端発覚の数が沈静化したものの、12世紀に入ると再び急増を始めた[2]。

12世紀に「中世の異端審問」と呼ばれる最初の異端審問が始まったのは、南フランスにおいてカタリ派がその影響力を拡大したことが直接の契機であった。先に述べたようにしばしば異端問題は政治問題であり、地域の領主たちが治安を乱すとして個別に地域内のカタリ派の捕縛や裁判を行っていたが、そういった従来の方法をまとめた形でだされた1184年の教皇勅書『アド・アボレンダム(甚だしきもののために)』(ルキウス3世)によって教会による公式な異端審問の方法が示された。そこで定められた異端審問は各地域の司教の管轄において行われていた。司教たちは定期的に自らの教区を回って異端者がいないかを確かめるというものだった[3]。

異端審問 - Wikipedia http://bit.ly/1abJp0M


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佐藤賢一: オクシタニア(あらすじ・感想等):時代小説県歴史小説村
http://bit.ly/1abIA8g

ただ、異端審問=魔女狩り、というわけではないようだけど


以前のエントリでも述べたように、魔女狩りは教会の異端審問以前に民衆自身によって行われていたし、

石川雅之、2013、「純潔のマリア(3)」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/378787952.html

かつて「魔女狩り」といえば「中世ヨーロッパにおいて12世紀のカタリ派の弾圧やテンプル騎士団への迫害以降にローマ教皇庁の主導によって異端審問が活発化し、それに伴って教会の主導による魔女狩りが盛んに行われるようになり、数百万人が犠牲になった」のように語られることが多かった。しかし1970年代以降、さまざまな研究によってこのようなステレオタイプな見方は覆されることになった。特に有名なノーマン・コーン(Norman Cohn)とリチャード・キークヘファー(Richard Kieckhefer)の研究によれば、魔女狩りはスイスとクロアチアの民衆の間で始まり、やがて民衆法廷という形で魔女を断罪する仕組みがつくられたという。異端の追求は行っていても、魔女裁判には長く関与していなかったカトリック教会が異端審問を通して魔女狩りとかかわりを持つようになるのは15世紀に入ってからのことである。これは1384年と1390年にミラノの異端審問所に、魔術を用いた容疑で訴えられた二人の女性に対して、異端審問所ではこの種の訴えを裁くことはできないという判断が出されていることからもわかる。

http://bit.ly/1abJfqh


阿部さんの本の記述から伺うにキリスト教の中での神判のそれに近い印象がある

(56-57) 六世紀から十二世紀にかけて告解のマニュアルが各地で作られていきますが、それによりますと個人は司祭の前で自分が犯した罪を告白し、自分の性行為のあり方だけでなく、迷信や呪術との関わりについても詳しく告白しなければならないのです。妻とともに風呂に入り、妻の裸体を見ただけでパンと水だけで過ごす一週間の食材を果たさなければならいのです。夫婦であっても性交の体位から回数、性交が許される時期などについて厳しい規定があったのです。そのほか家を建てるときや結婚式を行うときに吉日を選ぶ習慣も異教的なものとして否定され、それらが個人の罪として個人が贖罪すべきものとされているのです。このマニュアルは『贖罪規定書』といいますが、そこではこのようないわゆるアニミズム的なものがすべて否定され、モノの中に宿る霊の存在も否定されています。いいかえればこの時点でヨーロッパにおいては我が国の天皇制を可能にした状況が駆逐されたといってよいでしょう。
 問題はそれだけではないのです。かつては性関係のような証人のいない問題に関して争いがあった場合、わが国の盟神探湯(くかたち)のようにまっ赤に焼いた鉄を握らせたり、熱湯の中に手をつけさせたり、手足を縛って水の中に沈め、火傷をせず、水に沈んだ場合は無罪とする裁判の形がありました。それは何日もかかる大げさな儀式で、不貞をはたらいたと訴えられた女はこのような形で自分の無実を晴らさなければなりませんでした。ヨーロッパではこの形の裁判を神判あるいは神明裁判とよんでいます。人間には証明不可能な問題に神が直接介入して真実を明らかにすると考えられていたからです。


なので、ラテラノ公会議によって告解が義務付けられて公式化し、神判という「非文明」的で「非合理」的な野蛮が後景化していったことは結果的に良かったのかもしれない。あるいは、「野蛮」という形で後景されたものたちがストレスで噴出したのが12世紀以降の魔女狩りの加熱の背景であり、神判の内容と異端審問における魔女狩りのそれが似ていることの理由となるのかもしれない。

そして、このような告解の形式の中から内省が為されることが習慣づけられ、結果的にヨーロッパにおいて個人と人格の形成がされていった。

(57-58) ところが1215年のラテラノ公会議で神判は禁止され、その後ヨーロッパでは急速に衰えてゆきます。しかるに神判は日本では十七世紀まで行われており、起請という形ではその後も長く存続しています。ヨーロッパと日本のこの違いをどのように説明したらよいのでしょうか。同時に同じ会議で成人男女は少なくとも一年に一回は告解をしなければならないということが義務づけられたのです。告解は性に関わる罪を含めて自分が犯した罪を司祭の前で自ら語るという形で自己批判をする形式です。神判が否定された後の裁判の主流は拷問による自白におかれ、近代裁判の証人調べへの道がつけられることになるのですが、それも皆こうした出来事と深く関わっていたのです。国家と教会が手を携えてこのような告解の形式を個人に課し、個人の内面を縛ろうとしたのです。しかしそのことによって皮肉なことに個人が自分の行為を反省したり、何よりも重要なことは個人が自分の行為を自ら語る機会が公的に形成され、それによって個人が自らを自覚する機会が公的に作られることになったのです。いわばこの頃にヨーロッパにおける個人と人格の形成の端緒があったといえるのです。


阿部さんの「西欧個人の形成における告解の役割」話のウェブソース ↓

西洋において個人主義がいつ始まったのか、学生時代には、このようなことは考えたこともなかった。 阿部謹也は、11世紀以前のヨーロッパは基本的に日本と異なった社会をつくっていたわけではないと考えている。 残念ながら、11世紀以前のヨーロッパ社会を厳密に考察していないので、阿部謹也もこの点では自信を持って断言しているわけではないが、こと、個人主義という点では、11世紀以前にはそれは存在していなかったのだ。 ヨーロッパにも、11世紀以前には個人は存在していなかった。 日本的な世間のしがらみに左右された社会生活を送っていたのだ。 では、個人はいつ、何故、出現したのか。 1215年にラテラノ公会議で、すべての成人男女は年に一回は告解をしなければならないと定められたことが、その端緒であった。 この辺りは、キリスト者でない人たちには理解し難い。 罪を一人の人間として告白すること(私もキリスト教徒ではないので想像でしか言えないのだが)、それも当時は大衆の面前で告白することは、自ずと個人の意識を醸成させたであろう。 逆に日本的な社会では、罪を個人を前提としていない連帯責任としてしまうことになる。 このような社会では個人は集団の中に埋没している。 ところで、ラテラノ公会議以前から、個人を生む土壌が作られていた。 8、9世紀頃、フランク王国のカール大帝はキリスト教の教義と合致したかたちでフランクの社会を変革していこうとした、と阿部謹也は言う。 国家が大衆に対して罪の意識を芽生えさせようとしたのである。

http://blogs.yahoo.co.jp/gnosis_xx/44686861.html

さて、作田は中世という語で表される時期をとくに限定する必要はないといっているが、今野国雄『ヨーロッパ中世の心』では、個の覚醒というものを12世紀においている。「ヨーロッパ的個性は近代になってから、自由、平等、人権などが声高に叫ばれた時期にでき上がったものではなく、いわば中世のさなかである12世紀にその形成の出発点がある、と考えるのが適当であると思われる。」と述べている。  そしてその動機としてあげるのは、まず説教活動である。当時のヨーロッパ社会は商工業が発達し、物や人の交流も盛んになり、聖地巡礼者も増え、活性化流動化が進んだが、これらを背景として、異端の拡大があった。異端者には巧みな巡礼説教師が多く、教会も説教の重要性をはっきり認識した。そのための修道会もつくられ、『例話集』と呼ばれる手引き書も12世紀以後たくさんつくられた。これらの説話的説教集には、注目すべき点は、抽象的で漠然とした教義や信仰の話は避けられていて面白い具体的な事実や個人を登場させていることである。氏の引用からグレーヴィチの言葉を孫引きさせてもらえば、そこにあるのは、「中世初期のような受動的なミサへの参加ではなく、神へのより直接的な対応、神と信者との私的な関係である。聖人、キリスト、聖処女、天使が出現するのは例外なく個人に対してであり、個人との間に1対1の関係を取り結ぶのである。」これは、さきの作田の指摘にあるプロテスタンティズムの内面的倫理性とはやや異なるものの、神と個人との関係という図式が興味を惹く。さらに、説教のなかには、外部にとらわれぬ個人の意識を喚起しようとする説話もあり、今野氏はその代表的な例もあげている。  しかもそれにとどまらない。説教はそのあとの告解と深く関わるが、この頃から告解は個人単位で行われるようになったという。それまでの告解は特定の日に集団でおこなわれ、司祭の読み上げる告解文を信者たちが一緒に唱えて悔悛する形がとられていたが、各個人が自分の心と直接向き合う形になったのである。13世紀のはじめ第4回ラテラノ公会議で年一回の個人の告解が義務づけられると以後教会でひろく行われるようになり、氏の表現を借りれば、「信者はここでも個としての自己を発見せざるをえないようになった」のである。  氏はさらに、11世紀末から12世紀にヨーロッパで新しい愛の観念が発見されたことに言及する。単なる男女の結合ではなく、いわゆる「至純の愛」(フィナモール)がおもに吟遊詩人たちによって歌われたのである。フランスの宮廷風恋愛の諸作品はよく知られているが、南ドイツでは庶民の愛の歌がたくさん集められた『カルミナ・ブラーナ』を氏は紹介している。愛というものが、もっとも個人的な男女の営為であるとすれば、このような愛を通じて個人に目覚めるというのは当然のことである。12世紀前半の歴史的に有名なアベラールとエロイーズの悲恋にも触れたのちに、氏はこう結んでいる。「こうして見ると、12世紀にヨーロッパは個に目覚め、愛に目覚めたということが実感として理解されるのではないかと思う。」

http://bit.ly/1dREML1



告解の意義、「それが『主体』や『個人』を形成するのに具体的にどのような機能をしたのか?」についての心理機構面からの影響について知りたくなったのだけど、その部分についてはぐぐってもでてこないみたい。「告解の意義」とか「やり方」みたいなのはなんとなくあるけど。それは武術で套路とか型の意義ややり方は説明するけど「それが運動生理学かなんか的にどのように作用するか?」についての説明は難しいのと似たようなものかもしれない。

でも、自分的にはなんとなく「正直に話すこと(話せること)」というのがポイントなのかなあとか思う。

「正直に話す担保として『赦し』があらかじめ設定されてること」「それによって正直に話すことで『世間』的価値とは違うものについて反省する機会が得られる、ということ」

そうだとするとこのへんの機構は日記とかと似てるけど。そういうの以外にもなんかあるんかもしれない。


そして「正直に話す」ということが冒頭で言った「機構全体への(タテマエではない)信頼」だろうし西欧におけるロゴスへの信頼(信奉)あたりの感覚なのかなあ、とか。


ゆるしの秘跡は、罪をゆるす恵みの手段としてイエス・キリストが定めた通常の方法で、使徒とその後継者に罪をゆるす権能を授けられたとき、教会の中にゆるしの秘跡を制定した、とされている。その本質的要素は、聖霊のはたらきのもとに回心する人間の行為(痛悔・告白・償い)と、キリストの名によって罪のゆるしを与え、償いを定める司祭のゆるしである。ゆるしの秘跡を受けるためには、悔い改めと回心が不可欠で、そのうえで罪の告白と償いが必要になる。また、大罪を犯した場合には、赦される為にはこの秘跡が不可欠となる。

http://bit.ly/1dRFMPl


(司祭は、信者の上に両手を延べて、唱えます)

全能の神、憐れみ深い父は、御子キリストの死と復活によって、世を御自分に立ち帰らせ、罪のゆるしの為に聖霊を注がれました。神が、教会の奉仕の務めを通して、あなたに、ゆるしと平和を与えてくださいますように。私は、父と子と聖霊の御名によって[十字架の印]あなたの罪をゆるします。

(信者) ア-メン

http://bit.ly/1dRFHv1



「一年に一回の告解」、告解の火曜日(マルディ・グラ → 太った火曜日)はもともとはケルトの2月のイニシエーション(インボルク)だった

石川雅之、2013、「純潔のマリア(3)」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/378787952.html

その文脈からすれば「告解の秘蹟」とされているものの当然感にはやや違和感がもたげるのだけれど、以前にも言ったように、それとは別の部分、キリスト教の良き信者たちが紡いできた倫理の体系と、その実践の最たるものの一つとして告解が象徴されるのだろう。

告解そのものに神秘的な力はないのかもしれないけれど、それを実践していくことで心理的に救われることは実際にあったのだろうし、そこでの祈りや回心の積み重ね、善き心が積み重ねられたということ自体がキセキのように思える。

そして「赦す」「人に対して開く」ということの有り難さも


聖霊やら三位一体やらは依然としてよくわからないけど、そのあたりのことなのかもしれない。

フィリップ・ヴァルテール、2007、「中世の祝祭」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379285806.html


土俗のものをただ潰すのではなく宥和していくこと、新しく出来た教条的なものの罪も赦すこと。

赦すのでもなく忘れるということ

あるいは

「赦す」のでもなく「忘れる」のでもなく「そういうもの」として流れていく、ということ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/221532065.html


そういう機構は、論理だけでは人の心の中には落ちてこなくて、そういった意味では理性だけの問題ではないのだろう。そこで「宗教」という言葉でパッケージされている心理カウンセリングや倫理の古法のようなものが活きてくるのかも

フィリップ・ヴァルテール、2007、「中世の祝祭」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379285806.html



西欧の近代のキセキは理性―論理―科学を人の情動と分離し駆動させることに成功したことだったのだろうけど、


山本義隆、2007、「16世紀文化革命 1」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/229813934.html

キリスト教と理性: モナド日記
http://bit.ly/17cvQel



それは同時に一部の人に科学や理性万能といった傲慢と誤解を招くことになった。

「理性教」と呼ばれるもの


4.フランス革命(理性教)の副産物──社会主義教(T)
http://bit.ly/17cvKTQ

マリアンヌとコロンビア、国家の擬人化、理性教というカルト: 極東ブログ
http://bit.ly/17cvTqm




「フランス革命やその源泉となったブルジョワを中心とした百科全書的な啓蒙主義、理性主義、平等思想は現在でなぞらえたら社会主義的な教条主義の暴走であり、オウムのカルトのようなものだ。ルソーや理性を信奉するカルト」

その辺りの感触というのは日本だと忠臣蔵の再解釈辺りのそれに近いのかもしれない。

忠臣蔵の場合は人情讃歌に対する批判なのに対してフランス革命の場合は一見理性的と思われたものが理性教だったっていう転倒はあるけど、




「フランス革命=単なる暴力革命」についてはこのへんで見ていこう


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関連
その気持ちを救うのは....: muse-A-muse 2nd
http://bit.ly/fj7Wqv

日用の糧: muse-A-muse 2nd
http://bit.ly/17cwbNX



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