2013年11月06日

「進撃の巨人」のモデルになった都市?の周辺話    中世ヨーロッパにおける巨人、city、village


ついったのTL見てたら「11月9日の世界ふしぎ発見はネルトリンゲンだよ!進撃の巨人の舞台のモデルっていわれてる」みたいなの流れてきたので録画設定ついでにぐぐったらこんなかんじだった


次回「世界ふしぎ発見!」は進撃の巨人ファン必見 “城壁の街”ネルトリンゲン特集、進撃の声優陣も出演 - ねとらぼ
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1311/05/news145.html

「進撃の巨人」の舞台のモデル? ドイツ「ネルトリンゲン」が興味深い - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2137083784778513701


そんでまた自分的にうにょーんとしたのが湧いてきたり。。


番組的には「円形の城塞都市」のおもしろさに焦点を当て「その理由は隕石の落ちた跡地だったから」というところから広げていくのだろうけど、そもそもこの都市はどういういわれのものだったのか?というところが気になってウィキペディアなど見るに



オフネットヘーレンの発掘は、現在のネルトリンゲンの市域には旧石器時代後期から定住者があったことを示している。ネルトリンゲンの市域には、その後のほぼあらゆる前史時代の発掘地が見られる。特に興味深いのはバルディンゲン区の東端近くで、ここには、線帯文土器文化時代、新石器時代、骨壺埋葬文化、ハルシュタット時代、ラ=テーヌ時代の入植者が定住していた。ここには火葬墓地を有するローマ時代の村 (Villa) もあった。

西暦85年頃に市の南に入植地 (vicus) を有するローマ帝国の城が築かれたが、259年から260年に現在の南ドイツがアレマン人によって征服されたことで零落していった。この入植地の名前は、おそらく Septemiacum であったと推測される。このラテン名は、Tabula Peutingeriana によって確かな形で伝えられているのだが、このローマ人入植地が現在のネルトリンゲンを指すものであるかどうかは完全に確定できない。ローマ時代の荘園 (Villa rustica) がホルハイム区で発掘され、見学できる。ローマ時代のネルトリンゲンは全般的に研究がなされている。

ネルトリンゲン - Wikipedia http://bit.ly/176fHab


ここでいうvillaはローマの金持ちの郊外別荘みたいなものだったということらしい

ヴィラまたはヴィッラ(villa)は、本来は上流階級のカントリー・ハウスを意味し、古代ローマが起源だが、ヴィラの概念と機能は時代と共に発展してきた。共和政ローマが終焉を迎えるとヴィラは小さな要塞化された農場の複合家屋となっていったが、中世を通して徐々に再発展し、贅沢な上流階級のカントリー・ハウスとなっていった。現代では、特定の種類の一戸建て郊外住宅を指す。

ヴィッラは本来、古代ローマの上流階級の人々が田舎に建てた家屋を意味した。大プリニウスによれば、ヴィッラにはいくつか種類があった。villa urbana はローマなどの都市近郊の別宅、villa rustica は遠方の領地にある邸宅で、常に使用人を置いて管理させ、季節によって所有者がそこに住むという利用形態をとる。古代ローマの住宅には他に、都市で中流階級以上が住むドムスと下層階級が住むアパートのような集合住宅インスラがあった。ペトロニウスの『サテュリコン』にはローマの様々な住宅が描かれている。皇帝のヴィッラはナポリ湾付近に集中しており、特にカプリ島、Monte Circeo の海岸、アンティウム(現在のアンツィオ)に多い。裕福なローマ人は夏になると避暑のためにローマ周辺の丘で過ごした。

ヴィラ - Wikipedia http://bit.ly/176i5xE



「villaだった」ってことでなんとなくスルーされてるけど、ローマの地方都市の基本はキビタス(civitas)だったはず?
中世の都市はもともとローマの衛星都市「キヴィタス」の名残り起こってきたもの。キヴィタスを中心にその市外に市場を、内部に教会を抱えこれらを中心に都市が編成されていった

(ライン川やドナウ川などの流通を中心に発展していった)都市の構成要素は「壁、門、塔」であった。外敵から都市を守るための壁と門。塔は市庁舎と教会 (cf.ノートルダムなど

代表的都市はキヴィタスを中心に発展していったが、貴族の城砦や修道院の近くで余剰作物や主工芸品を取引する市場集落が発展していった。こういった市場集落はカストルムもしくはブール(ブルグス)と呼ばれキヴィタスの周囲に衛星のように発展していった

キヴィタスやブルグスをはじめとする都市的定住地の住民は「キヴェス」や「ブルゲンセス」といった統一的呼称をもって史料に現れてくる。ブルゲンセス(burgenses)という呼称はブルジョワ(bourgeois)やビュルガー(Burger)の元になっている

中世ヨーロッパの都市世界 - Togetter http://togetter.com/li/170441


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「ブール-ブルガスがブルジョワの語源になってる」ということについての対照(ウラ)はこのへんで↓

burgus とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/burgus



番組的には「隕石衝突の跡地から出来たなめし職人な伝統の不思議都市」という展開にするのかもだけど、本来はこんなかんじで司教座のキヴィタスを中心にその周囲に衛星的にスプロール(ブール)が広がり、そこにブルジョワたちがなんとなく住んでいた、って感じのところ。加えて言うとキヴィタス(中心)以外の生活環境はそんなに良いものでもなかった。


中世の都市はそれほど自由で自治に富んだものではなかった。たとえば11c後半から北フランスからライン地方に生じたコミューン運動は「自由」や「自治」の不可欠のモデルとされることもあるが都市領主からの完全な自由というわけではなく一定の契約に基づいた自由だった

それは都市の領域的平和を目指し「平和の制度」と同義であった。また「身分を超えた水平的連帯」ではなく、その特権は都市内に家屋または土地を持つものに限られていた。少数の有力者層による寡頭政治的性格をもつものであった

既製のコミューンは王権の内部では鎮圧されていたが、軍役の義務との交換にコミューン特許状を王から付与されることで王権により公認され公的制度へと変容していった。コミューン制度は王の保護のもとに封建的階層秩序へと組み込まれていった

中世人、中世の教会人の理念としては都市はイェルサレムがごとくの理想的なものであるべきであった。しかし実際の中世の都市は埃とゴミにまみれ、キヴィタスや市場を中心に建て増されていった無計画なものであったので人口密度も多い生活環境の悪いものであった

中世ヨーロッパの都市世界 - Togetter http://togetter.com/li/170441


まあそんなこというとケチつけてるみたいだけど、番組のノリとして「観光でいってみたい海外の素敵な場所」みたいなので展開するのだろうから、こういう部分の知識はあってもそこには焦点しない、ってだけなのかも。なので今回の知識も「いちお知っておいてもいいけど」ぐらい。


その上でさらにもけもけ紡いでいくと、、
6世紀から7世紀のアラマン人入植地が証明されている。この時代の墓地が3カ所ネルトリンゲン市内で発掘されている。 "Nerdilinga" は898年にカロリング朝の王領として初めて文献に記録されている。レーゲンスブルク司教の統治下でネルトリンゲンは市場町に成長していった。 1215年にネルトリンゲンは皇帝フリードリヒ2世から都市権を与えられ、帝国自由都市となった。この年に最初の市壁が築かれた。その縄張りは現在も街の地図に見て取れる。1219年、ネルトリンゲンの聖霊降臨祭についての最も古い文献上の記録が遺されている。重要な交易路が交差するこの都市は穀物、家畜、織物、毛皮、金属製品の主要な集散地に発展していった。ネルトリンゲンはフランクフルトと並ぶドイツで最も重要な遠距離交易都市の一つとなったのである。

http://bit.ly/176fHab

最初、ローマの衛星的な都市-荘園として形成されたネルトリンゲンはしばらくするとアラマン人に引き渡され、さらに司教座の管轄になったみたい。その経緯で都市としての独立性を保っていたのもあって後に自由都市となっていったのかとおもうけど、ここで詳しく触れられてない「ローマ植民放逐後」とはどのようなものだったか?


西ローマ帝国が崩壊する4世紀から5世紀にかけて、ヴィッラは孤立を強め、周囲に壁を建設して防護するようになった。イングランドでは5世紀に入るとアングロ・サクソン人が侵入してきたため、ヴィッラが放棄されたり、略奪されたり、燃やされたりした。他の地域では貴族や大地主が大規模なヴィッラを修道士に寄贈し、それが有名な僧院の母体になった例がしばしば見られる。そのようにして、古代末期のヴィッラのシステムが中世初期にも保持された。


ローマ帝国以後、ヴィラと言えばイタリアおよびガロ・ローマ文化圏の自給自足型の要塞化した農場を指すようになった。それは村 (village) のように自給自足型の経済で、その住人は法的にはかつての農奴制 (villein) における農奴だった可能性もある。メロヴィング朝のフランク人はその概念を継承し、カロリング朝のフランスもそれを引き継いだが、その後のフランス語では、basti または bastide と呼ばれるようになった。


Villa/Vila は Vila Real や Villadiego といったようにスペインやポルトガルの地名によく使われている。villa/vila は ciudad/cidade ("city") よりも重要度の低い憲章(fuero または foral)のある町を意味する。個人名と関連付けられる場合、villa は「憲章のある町」という意味ではなく本来の「田舎の財産」の意味で使われたと思われる。その後の発展で、スペイン語での villas と ciudades の違いは純粋に敬称的なものになった。マドリードは Villa y Corte と呼ばれ、このヴィラはかつて活動していたコルテスとは無関係と考えられるが、もっと小さい都市であるシウダ・レアル (Ciudad Real) はスペイン王家が ciudad(都市)と宣言したためにこう呼ばれている。


14世紀と15世紀のイタリアで、"villa" は再びカントリー・ハウスを意味するようになり、Villa Caprarola(ファルネーゼ宮殿)のように一族の権力の座を意味することもあったが、一般には季節を楽しむ別荘として都市からあまり遠くない場所に建てられるようになった。

ヴィラ - Wikipedia http://bit.ly/176i5xE

蛇足で言うとこれが vill-age の語源となるみたい。

village は villa と age の合成語で、villa には農奴の意味がありません。むしろ別荘とか田舎の大邸宅の集合が語源です。villein も地主に対してだけの農奴ですが(今は死語)、それ以外には自由人です。

http://bit.ly/1aqCoG5

villa には農奴の意味は無いけれど、villaに住んでいた人たちはもともと農奴だった可能性もある。あるいは自由民であったり、新たに他所から入植してきた可能性も。

でも、そのような含意は消えていったみたい。いまでは villa は郊外のカントリーハウスを指す言葉として使われる、とかなんとか。たぶん日本のよくわかんないアパート名に「villa」ってついてるのもそれを上辺だけ文字ったものなのだろう。



ネルトリンゲンという都市の性格はだいたいそういったものになる。

「元々はローマ貴族の荘園で、ローマ崩壊後は現地人の入植もあったけど司教座に継がれて、それもあって自由都市として独立していった」


では、ネルトリンゲンと「進撃の巨人」との関連というのはどのようなものか?単に、なんとなくいい感じの外観だったのでモデルにしただけなのか?





少し妄想すると「この都市にとっての巨人(外部からの脅威)というのは神聖ローマ皇帝だったのでは?」とか思うわけだけど、そのへんはどうも違うみたい。ネルトリンゲンに都市権を与えたのがフリードリヒ2世ということ。

フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝) - Wikipedia
http://bit.ly/1791a2Y

フリードリヒ2世は最初に選帝候を設定した皇帝としても有名だし、そもそも賢人王として評価される。「王座上の最初の近代人」「中世で最も進歩的な君主」。

皇帝がこの時代に選帝候を設定したのは教皇との勢力争いのために諸侯の後ろ盾が必要だったためだった。その結果として後々、選帝侯の権勢は皇帝の脅威ともなっていったのだけれど、、まあそれは別の話。

ネルトリンゲンが都市としての半独立を勝ち取ったのもこういった経緯のように思われる。

司教座があることで最初から教会側の勢力ではあったネルトリンゲンを都市権を条件に皇帝側に引き寄せたのではないか?そして、ネルトリンゲンはローマに通じる街道にあった。そういった要所として皇帝としてはネルトリンゲンを抑えておきたかったのだろう。

この街道は現在ではロマンティック街道として観光名所とされてるみたい。


ロマンティック街道 - Wikipedia
http://bit.ly/1792brK


バイエルンからローマに通じる街道。実際いい感じの「ヨーロッパ城塞都市」な雰囲気が残ってるみたいで機会があったら見てみたいところ(番組的にも映えるところなので何回か取り上げられてるのだろう。日本のディズニーランドの城のモデルとかもあるし



以上を考慮すると都市権を授かった当時のネルトリンゲンにとって皇帝はそれほど脅威ではなかったように思われる。



そういうのとは別に都市と巨人のお話としてはこんなのもあったり

文庫クセジュの『パリの歴史』Histoire de Paris(Yvan Combeau著、小林茂訳)によると、紀元前3世紀中ごろ、セーヌ河の中のシテ島ile de la Citeに定住をはじめたケルトの部族パリシイ人Parisiiに端を発する。彼らを征服してローマ人が築いた町ルテテイアLuteceがやがてパリシイ人の町Civitas Parisiorumと呼ばれるようになり、それが後にParisに取って変わられた、というのが定説である。ところが、地口、ダジャレの大家フランソワ・ラブレーFrancois Rabelais(1494?-1553)がとんでもない珍説を思いついた。


彼の名を不朽のものにしたのは、民間伝承をもとに生み出された巨人王父子、ガルガンチュアGargantuaとパンタグリュエルPantagruelの年代記である。


ラブレーは若い時に修道院で古典語を学び、後に医学を修めて、自由で開明的な世界観・人間観に立っていたから、神学者たちの旧弊を守る硬直した思想や堕落した修道士たちの偽善的道徳を座視できず、彼らをあからさまに愚弄する内容を著書に盛り込んだ。それが相手を刺激しないはずがない。はたせるかな、『第二の書パンタグリュエル物語』(ややこしいが『第一の書ガルガンチュア物語』よりも先に刊行された)が、発表の翌年、パリ・ソルボンヌ神学部から告発されてしまった。その後の彼は追放処分に耐えつつ、検閲の目をくぐって物語の執筆・出版をつづけたのである。


さて、パリという地名の由来だが、ガルガンチュアが父に命じられ、家来を連れてパリに修行に出た時のことだ。(第17章)巨人に見とれて、野次馬が大勢集まってきた。彼らにつきまとわれて、ガルガンチュアはノートルダム教会の塔の上で休息せざるをえなくなり、眼下の群衆に向かって叫んだ。以下に引くのはSeuil叢書の現代訳である。

 ≪ Je crois que ces maroufles veulent que je leur paye ici-meme ma bienvenue et mon etrenne. C'est juste. Je leur vais payer a boire, mais ce ne sera que par ris. ≫

 「ろくでなしの諸君、ぼくが、諸君に入会金を支払い、ご祝儀[本来は、新来の司教に与えられた祝儀]をはずんでくれるものと、期待してるんですよね。それもごもっともです。よろしい、ではいっぱいふるまってしんぜましょう-----パリだから、おふざけでね。」
 こういうと、彼はブラゲットbraguette(男性のズボンの前につけた袋状の装飾)を外し、空中に向かって勢いよく放尿した。そのため26万418人が溺死した。(宮下注によると、聖書に頻出する人数の数え方のもじり、だという)宮下訳は下線部(以下も同様)に「パルリ」とルビを振っているが、ここが地口であることは明瞭。

  Quelques-uns d’entre eux echapperent a ce pissefort en prenant leurs jambes a leur cou et quand ils furent au plus haut du quartier de l’Universite, suant, toussant, crachant et hors d'haleine, ils commencerent a blasphemer et a jurer, les uns de colere, les autres par ris : ≪ Carymary, caramara ! Par sainte Mamie, nous voila arroses par ris ≫ Depuis, la villes en fut appelee Paris...

 何人かの連中は、早足のおかげで、このおしっこ洪水をまぬがれた。そして、汗だくで、咳もこんこん、唾をはきはき、はあはあいいながら、大学の丘(サント=ジュヌヴィエーヴの丘)の上までやってくると、ある者はかんかんに怒って、またある者は、げたげた笑いながら、あれこれ悪態をつき始めた。
 「くわばら、くわばら。聖母マミヤさま、おふざけから、ぴちゃぴちゃになっちまいましたぜ」と。これがきっかけで、それ以後、この町はパリと呼ばれることとなった...

月刊朝比奈ふらんす語 朝比奈 誼のフランス語にまつわる素敵なお話
http://jp.mon-paris.info/contents/branche/asa0906.html


以前のエントリでも少し出てきたけど巨人(ガルガンチュア)と野人、異界とのつながりというモチーフがフランス(西ヨーロッパ)にはあるみたい。

フィリップ・ヴァルテール、2007、「中世の祝祭」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379285806.html


西ヨーロッパというかインド=ヨーロッパ語族のなかでもケルト系の人たちの中に。そこからするとパリの語源であり、パリにもともと住んでいたパリシィ人たちもケルト人なためガルガンとノートルダム(聖母)の話には縁のようなものがあるのだろう。

いちおパリの歴史を振り返ると、もともとはシテ島の中洲に漁村ができてたけど、そこが河川の航行や交易上の拠点として戦略的な位置を占めるガリアの要所となり、ローマ-カエサルに侵略され、しばらくするとアッティラ征服された。この頃にシテ島にノートルダム寺院、その左岸にカルチェラタン、右岸に経済地域の体勢が整った。この体勢を基本に、ナポレオン三世の区画整理が行われるまではぐちゃっとしたスプロールが「パリ」だった(下水の整備も進んでない臭い街がパリ(@フランス革命時でも)。『この時期までに、パリは木造の建物が密集して並び、ローマ帝国時代の遺構も残る典型的な中世初期の都市となっていた』。「フランス」の原型として落ち着いたのは次のカペー朝の頃。同じフランク親戚であったけど聖マルティンの聖なるケープを大義とした。
http://bit.ly/16WDuib


加えて言うと「シテ」とはもともとキヴィタス(civitas)を意味する。転じて、シテ(city)に住む人々をシトワイヤン → 市民(citizen)。


そこからすると「シテ(キヴィタス)に巨人が来ておしっこをかける」というモチーフはパリの中心に陣取ったローマ以来の司教座を中心とした権力者たちに対するブール(周縁)の人々の代弁といったところだったのだろうか。「(下水の完備されてないおしっこ)臭い街ですかした顔してるんじゃねえ!」 → 「巨人のおしっこでみんな洪水の中、偉そうにしてる奴もおふざけ(par ris)のパリっ子(Parrhesiensパレーシア=嘘付つかない)だッ!」て感じの。



ネルトリンゲンの話に戻れば、民衆の力、あるいは、旧態依然とした既得権力により合理性を説く新勢力が起こってくる、という構図は30年戦争の頃に顕著になる。このときネルトリンゲンは「初めて皇帝側にはっきりとした敗北を喫した地」として歴史に名を刻んでいる。

三十年戦争で歴史の転換点となったのがネルトリンゲン包囲戦とそれに続く1634年に起きたネルトリンゲンの戦いである。この戦いでスウェーデン=プロテスタント軍は初めて皇帝=ハプスブルク軍にはっきりとした敗北を喫したのであった。ネルトリンゲンは勝者に城門を開かねばならなかったが、高額の賠償金を支払うことで略奪行為を免れた。しかし、この都市は包囲戦からその後にかけて飢餓や病気で住民の半分以上を失うという被害を受けていた。さらにその後のスペイン継承戦争でも、近くで起こったヘーヒシュタットの戦いによりこの都市は打撃を被っている。

戦争の後、交易は港湾都市で行われるようになり、ネルトリンゲンは交易中心都市としての機能を喪失した。この時代の沈滞が、中世の風景が現代まで遺された理由である。

1802年にバイエルン選帝侯はこの都市を併合し、これにより帝国都市の地位も失われた。

ネルトリンゲン - Wikipedia http://bit.ly/176fHab

このとき「巨人」として象徴されるものがあるとしたら、それは皇帝や皇帝が象徴する神聖ローマ帝国というアンシャン・レジームだったのだろうけど、皇帝-教皇-教会-選帝侯を始めとした諸侯-有力商人という権力者たちはいずれも一般の民衆にとっては「巨人」に見えたのかも。あるいは、そういった民衆全体の幻想の中にこそ権力という巨人が生み出されていくのかもだけど。




「進撃の巨人」における巨人が何を象徴しているのか?について。

「そんなに考えもなく巨人ブームのゲームの影響を受けてのものだろ」ってついったでつぶやいてたら「| ゜Θ゜)<そうでもないよ。公式ブックではいろいろ背景言ってる」とか言われた。んでもまだチェックしてないんだけど、、

自分的にはあの設定は「クレイモア」のそれにダブる。




「実験的にミュータントを作り限定環境でそれを観察する」というもの。そして「暗闇を覗くものは暗闇に見られている」がごとくギミックとしての巨人や妖魔よりもそれを操る主人公たちの精神内部の怪物性こそが真の怪物だ(なのでそれを統御しなければならない)、って感じの。

「クレイモア」もしばらく読んでないのでその後どうなってるのかわかんないけど、少なくとも上記のようなプロットだと共通してるようにおもった。

なので、「巨人とはなにか?」のほかに「進撃の巨人における世界というのはどういうものとして設定されているのか?」が関心になるわけだけど、「進撃の巨人」も以前に読んでいてそのままになっていたところをTVアニメ版が追い越してしまった。。



まあ、とりあえず今度チェックしとくか
posted by m_um_u at 12:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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