2013年11月03日

フィリップ・ヴァルテール、2007、「中世の祝祭」


読み終わったのと前のエントリの補遺的な感じで。マリアや聖人の話で付け足したくなったので


中世の祝祭―伝説・神話・起源
フィリップ ヴァルテール
原書房
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石川雅之、2013、「純潔のマリア(3)」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/378787952.html

日用の糧: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/379141309.html


以前のエントリでも少し触れたけど、聖母マリアや聖人というのはケルトなどキリスト教以前の土俗の信仰をキリスト教が習合したものぽい。

というか、マリアと聖人の話だけではなく、ミトラや北欧神話的な伝承もキリスト教は習合してきた。それはキリスト教だけの話でもないし、大衆の現世利益的な要求に媚びて宗教や大衆を騙して、って話でもないみたい。本書結論から、

 カルナヴァルがインド=ヨーロッパ世界、さらには前インド=ヨーロッパ世界に属すものであり、あいついで諸文明にとりこまれ、継承されたという事実は、今日ではほぼ定説となっている。キリスト教について考えてみれば、初期のヨーロッパの人々の宗教体系に入りこみ、その宗教体系を受け継いでもいる。この事実は、ヨーロッパ世界のキリスト教化を対象とした研究一般では、ほとんど強調されていない。教義や儀礼にかんするいくつかの具体的な点について、キリスト教に改宗した異教徒の宗教上の要請に応えていなければ、キリスト教がヨーロッパで支配的な地位を築くことはなかっただろう。不思議なことに(インド=ヨーロッパの宗教とユダヤ=キリスト教という)二つの宗教のあいだにいくつかの一致する点が存在していたため、ユダヤ=キリスト教はインド=ヨーロッパの宗教を穏やかにとりこむことができたのである。


なので「米国におけるハロウィンって偽りだよね―」っていってもなんかどっちらけな話。もともとキリスト教全体がそういったものだから。こういうのを見てると「日本の宗教とかいい加減だよね―」って話も霞む感じがする。実際、米国のカトリックでも「ハロウィンてアメリカ産のまつりだよね―?」って言ったりするみたいだし(総べてのクリスチャンがそうってわけでないけど、神道や仏教同様)。


本書で展開されていた話のエッセンスはおおまかに言うとそういうことになる。

「キリスト教以前の土着の、ガリア(ケルト)人の宗教-信仰-習俗がキリスト教の祝祭の中に取り入れられていた」、ということ。

太陰太陽暦、つまり月の満ち欠けに従った暦。すなわち新月によって月の前半がはじまり、満月によって後半がはじまる。暦的には閏月を挟むことで月のリズムと太陽のリズムから生じるズレを周期的に調整していた。

イドゥス(新月)が一ヶ月の始まり、カレンダエ(満月)が中頃。


カエサルによって暦は是正され、それに基づいたユリウス暦では受容な祝日はイドゥス(月の13日目から16日目)とカレンダエ(月の初め)に置かれた。

そして、異教の古の祭りと異教の人物を「聖人の日」としてイドゥスとカレンダエの日付に移動させあらたに聖人の名前を冠した。


これらの暦はだいたい12日と40日というブランクをライトモチーフ的なものとする。40日は月の満ち欠けにしたがった暦の単位(一ヶ月と半日)。12日はズレをずらすブランク的な。。クリスマスから12夜など。(土用もそういったものともいえるかもだけど



マリアの話に戻ろう。


前のエントリで少し言ったかもだけど、聖母マリアのイメージはもともと春の生気を妖精や婦人として表したもの。もう少しいえば、春から初夏にかけての生気、エロスを象徴したものといえる。

7月22日は聖女マドレーヌの日、ラテン語ではマグダラのマリア。プロヴァンス地方の黒いマリアの伝承は海の聖女マリア(レ・サント・マリー・ラ・メール)につながる。三人のマリアは聖母マリアの姉妹とされる。三人にはサラという召使がいた。黒人の女性サラはフォークロアでサラセン女と呼ばれる人物に対応する。

いずれにしても彼女たち「聖母」全体に共通する属性は「水」ということになる。


水底の貴婦人


われらの(Notre)貴婦人(Dame)


フランス(フランク人の土地)の中心パリ、その中心シテ島もノートルダムを祭ることから始まった。本書では触れてないけどそれはパリがケルト人の土地だったこととも関わるのかもしれない。
http://bit.ly/1akEk33

プロヴァンスの件にしてもそうだけどパリはキリスト教より以前に「聖母ならば」と許容したのかも。


そして巨人や牛、あるいは牛頭人(ミノタウロス)のイメージ。または熊、鹿、うさぎなどが半獣人の形で現れ異界への門を開く。


モン・サン・ミシェル(聖ミカエルの山)ももともとはガルガンの山だったらしい。「ガルガン(巨人)は山に宝を隠す」という神話的ライトモチーフ。モン・サン・ミシェルの伝説では群れを離れた雄牛を殺したガルガンという牧童をミシェル(ミカエル)が裁く話として伝わっている。シェイクスピアではテンペストの巨人あたりのモチーフか。

あるいは以前のエントリにかければ牛頭天王とスサノオ-蘇民将来の話であり、「牛」ということでいえばミトラと通じてくる。

ミトラ教 - Wikipedia
http://bit.ly/1akENCj

ミトラは現在だとあまり聞こえてこないけどエウロペ(ヨーロッパ)の原初的な話として昔はおなじみだったのだろうし、太陽神信仰としてキリスト教と張っていたみたい。それもあってミトラ的モチーフもキリスト教が吸収したのだろう。もともと冬至とも絡むようだし。そして北欧の冬至-太陽のリズムも吸収した。


終末思想+救世主を求める心性は北アフリカから中東・インド辺り、ユダヤ・ゾロアスター・仏教あたりも含めて共通するもののようだし、そういった間テクストな中から「救世主」の物語が生み出されたのだろう。

終末思想+救世主を求める思考やそれが当時の暦や世界観にまで影響していたことについてはこの辺りに詳しい



ヨーロッパが引きこもっていた当時、ヨーロッパ以外の世界は竜や巨人などの化物のいる土地だったし、歴史は「最後の審判」に向かっていく普遍史だった。ローマへの期待やドイツが第三帝国を名乗ったのもその系譜だろうし。



では、これらを暴いてどう結論づけるか?

「キリスト教もパクリ宗教だからたいしたことない(ヨーロッパ基層、あるいはインド・ヨーロッパ語族の土俗的信仰のほうがえらい)」という話になるのか?



そういうことではないのだと思う。



たとえ最初は大衆的要請に応えてより多くの信徒を集めるために土俗の教えをアレンジして吸収したものだったとしても、それとは別の部分でキリスト者が紡いできたものがあるのだろう。


最近もはてな界隈で宗教についての話題が出ていてすこしチラ見しにいったのだけれど、あいかわらず「宗教=非合理」というレッテルがまずあるようで少し辟易した。彼らはたぶん宗教と現世利益的なまじない-キセキへの期待の違いがわかってないのだと思う。


自分的には宗教とは体系であるし、それは倫理の体系ということだと思っている。


おばあちゃんの知恵袋的な先人の智慧、その中でも倫理の具体例を記した普遍性のある物語に基づいた倫理観の敷衍。そのための体系をつくり、それにもとづいた信仰をし、よりよい生を送ること。

それが宗教を生きるということのように思っている。


倫理というと「正義とはなにか?」みたいな話につながってめんどくさくなりそうだからもうすこし平たく言うと、感情を制御するメソッドということだろう。

それは現代だと文学や心理学、あるいは倫理(倫理学や公共哲学)-法などに分節した領域なのだろうけど、現代人は分節したがゆえに却ってそれを取り入れることができなくなってる面があるような、、全体として生きるべきところを要素に分解したがゆえに却ってそのエッセンスを失ってしまっているところがあるように思ったり。

たとえばそれは「文学は分析するものではなく感じ生きるもの」「人生に正しいも間違いもなく生きるもの」「愛は分析したり一般定義できないもの」ということに近いような…。


それらが分節化されずにパッケージになっていたものが宗教なのだろうし、キリスト教の一般的な部分、研究としての神学以外の部分というのはそういった知恵が受け継がれてきたものなのではないか、と期待したり。


以前こちらのエントリでも記したように

山本義隆、2007、「16世紀文化革命 1」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/229813934.html

現代人の「サイエンス」のディレクトリというのは、専門的に実践科学してる領域以外では、宗教が昔占めていた領域とそんなに変わらないのだろう。その名前が変わっただけで。おそらくエピステーメー自体はそんなに変わらない(作業メモリがそんなに変わらない)。

むしろ、バッファとしての感情部分の制御において宗教という方法をうまく活用できてない人たちはその部分でくじける印象がある。宗教的なものをうまく利用して感情を統御できてないのでなければ(知性的、理性的と思ってる人でも論理性以前に他人に対する感情的好悪でメタに論理の方向性を決めたりすることもあるし)。



キリスト教における三位一体の聖霊の部分というのはそういった土俗の知恵を取り入れたところなのかなあとなんとなく思うけど、、まあこのへんは手に余りそうだからメモしとくだけに留めるか。


http://bit.ly/1a0tpic

http://bit.ly/1a0tpid

http://bit.ly/1a0tmTA

http://bit.ly/lYp1aE

http://bit.ly/1a0tpyC

http://bit.ly/1a0tmTC




そしてぼんやりと神が人に感情を与えたこと、あるいはそのようにして人が生み出されたことについて想うのだ

あるいは霊性とアートの関係とかも



posted by m_um_u at 17:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビューこのエントリーを含むはてなブックマーク
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