2013年10月23日

<在る>ことの実感と了解、の話


何でこの体

何でこのかたち



そうか



俺は今はこのかたちをもらってる

この体と刀をもらって生まれてきた



体を使え、と


もらったこの体を使って知れ、と




何を?





その前のもともとの俺を




体が

そういうものだとしたら



体だけじゃなくて

この世のもんすべてがそれを知るためにあって



いや

ものだけじゃなくて


人も  出会う人も

父も母も


すべてそのために出会うのなら





ほんとは誰も恨まなくていい





――そういうことなのか……?
















人がこの世に生まれてきた意味、あるいは自分の在処、居場所や位置のようなものを求めて彷徨うとき、その最初の地点は生まれた場所やルーツということになるのかもしれない。


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熊楠においてはそれは自らの名にトーテミズム的に刻み込まれたものだった。南方(南紀)のある地方の神社から分けられる神木の霊力と連なった名前。「楠の木」と「熊」。

中沢新一によると、そのことに気づいたとき熊楠の中で湧き上がるものがあったらしい。

あるいはその感動は中沢自身の期待と幻想、意味論的な想像空間を熊楠に託した物語であったのかもしれないけれど、本書を通して描かれる「科学的に正しくはないけれど」な意味の空間、自然や世界と自分の実存を結びつける物語のあり方は「生きる意味」という論理的には解けない難問に対するとき、それぞれのひとの跳躍を助けてくれる道具立てのひとつになってくれるのではないか。

文学がそういったものであるように、文学的なリアリティをそのまま自らを囲む自然や世界にテンプレートしたとき、人の生きている空間は無限に拡がっていく。

そこでは年齢や美醜、貧富といった社会的に設定されたマトリックスから脱することができ、永遠を得ることができるのかもしれない。



永劫回帰あるいは輪廻転生という幻想も科学的には正しくないものだけれど人類の共同幻想として伝わってきたもののひとつとしてある。

それを事実(fact)や科学的認識のレイヤーとは別のところにスイッチして考えた時、太古から続く人の営みもその糸の中に織り込まれる。


生老病死愛別離苦、そういった多様な色も、それぞれの人の人生の「意味」として了解されていく。


私たちは影響の受けかたや、ほかに影響を受けることのできる他者や、新しい環境を、自分の力や他人の助力でもって切り開いていく。あるいは切り開けずに倒れる。けれどもそのなかには何かがある、その人の人生にしかない美しいものが、誰にも知られなかったとしても、絶対にあるんだ。


彼らに見えない物語 - 傘をひらいて、空を
http://d.hatena.ne.jp/kasawo/20131022



そのとき「わたしはなぜこんなつらい目にあっているのだろうか?」「(神というものがもしいるのなら)目の前のこの苦しみはなぜあるのだろうか?」という問いに対して少しだけ向き合える回路が開くのかもしれない。

あるいは、そういった辛い体験が輪廻転生のような物語を作り上げたのか。



「自分の現在のあり方は遥かな昔から連なる流れがひとときに現象したものに過ぎなくて、自分は、この名前と体を与えられた身-心は、もっと大きなもののひとつであり、それら(心と体)の現象(事)が私なのだ」、という直観

そこでは生も死も、あるいは「生物が生きている」というそれも、より本質的な現象の二次的な射影に過ぎないのではないだろうか。

癌細胞やアポトーシスへの向かい合い方と同じように



癩病患者の生を見つめるとき、著者にもそんな感慨があったのかもしれない


【第47回】『生きがいについて』(神谷美恵子)後編 |新しい「古典」を読む
https://cakes.mu/posts/4005


傍から見ると痛みのみの生の中で「まだ痛みを感じられる」ということが「生きている」という実感につながっていくような、そういう生のあり方に対して



精神と肉体としての私たちひとりひとりの存在を支える生命の可能性と意味を、その本人の人生のなかで感受することのなかにしか、「生きがい」はない。そしてそれは、「生かされていることへの責務感」として現れる。あるいは人生は、ただ肉体を与えられ受動的に生きるところから、絶望を経て精神に目覚め、その責務の自覚に至るようにできているのかもしれない。そこに達しそうに見えるときに求められるのは、すでに達した人の声援である。

https://cakes.mu/posts/4005


それらはそれぞれの個人的な実感であり、それぞれの人ごとに形を変えて了解されるものであるから言葉では語りにくいものなのかもしれない。




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 そのときである。彼の中になにかの決定的な変化がおこるのだ。観察の行為が、彼の中で意味を変化させていく。彼は森を内側から生き、呼吸するようになる。彼は周囲にひろがる生命の世界を、自分から分離してしまうことができないことを、知るようになる。ほの暗い森の奥にどんな世界が秘められているのか、彼には知ることもできないが、その闇の中に隠されてあるものもまた森であり、彼自身もまた森の一部なのだから、それはもはや分離された外部などではなく、森の奥に隠されたものと彼の生命は、いまやひとつながりになっていることが、深く自覚されるようになる。このとき、森は自分の本質を、観察者の立場を放棄した彼の前に、おもむろに開くのだ。


 秘密儀の宗教は、表象を立てない。なにか本質的なものが、自分の前に開かれてくることを、全身で体験するとき、人々は「何事のおはしますかを知らねども有り難さにぞ涙こぼるる」ような、不思議な感覚につつまれるのだ。それは、言語による表現や解説によるのではなく、神社と神林のトポスがつくりだす、ナチュラルな神秘感だ。



永遠回帰は、選択的欲望の、すなわち力への意志の、対象とはなりえない。それは意志も欲望もなしに、ただ肯定され、ただ是認されるべきものなのだ。意志や欲望の対象となってしまえば、それは再びどこまでもルサンチマン的なものとなるだろう。『これが』

https://twitter.com/N1951_bot/status/392767640575279104



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幸村誠、2013、「ヴィンランド・サガ 13」: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/377651584.html


「運命は決まっているがゆえに自由だ」な話: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/121774176.html


映画系女子がゆく! | 青弓社
http://www.seikyusha.co.jp/wp/category/rennsai/eigakeijyoshi


タグ:実存
posted by m_um_u at 16:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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