2007年04月04日

(地方と)「東京」から考える

 交通論っていうか地域格差とかについて。本blog的には以下のエントリからの続きです。

muse-A-muse 2nd: 地方の交通問題に関して(+地域活性化について少し)


 ちょっと前に東京に行ってきた。主に山手線周りの中心部(※以下「東京」と略記)。今回改めて感じたのは、「東京」というのは異常に電車が多いな、ということ。そして運賃が安い。

 例えば、山手線など秋葉原から新宿への移動で、正確な距離は分からないけど、「20分 / 200円」ぐらいだったか?山手線というのは広島だとアストラムラインというモノレールに相当するように思う。概観が似てるし時速もほぼ同じぐらい。

 アストラムラインも本来ならば市街地と現在終点になっている地点を結ぶ環状線のようなものにされる予定だったんだけど、(地元のバス会社の圧力によってかどうか知らんが)計画が頓挫したまま。まぁ、それは置くとして、アストラムラインの場合、同様の移動距離(本通-大町?)だと300円程度の運賃がかかるように思う。そういうのを考えると、公共交通機関は単体でのpayを狙ったものではなく、お客が運んでった先でお金を落としてくれるから成り立ってるのかなぁ、と思ったり。増田のこのエントリの影響かな


僻地の交通云々


 これ自体は「A列車で行こう!」みたいに鉄道運営会社がインサイダー取引みたいな感じで「鉄道を造った穴を駅ビル+ホテル収益をアップさせてくことで補填する」ってビジネスモデルみたい。なので、鉄道会社に直接還元されているかどうか分かんない東京の公共交通事情について当てはめるのはちょっと乱暴な感じがするけど、本サイトはおーざっぱが持ち味なのでそのままギロンを続けていく。

 ってか、そんな感じで「鉄道運賃以外」のところを当てにしなくても、東京の人口ならば運賃だけでpayできてるのかもしれない。あとは「公共交通機関」ってことで税金免除とかあるだろうし・・。


 そのほかに公共の福祉関連だとそれぞれの区の住民に対して生活インフラの整備が行き届いているように感じた。「行き届いている」っていうか、すこし過剰なぐらいに整備されてるなぁ、と。例えば品川の川沿いの整備された遊歩道とか、東京タワー近くの公園とか、あとは行ってないけど大型緑地帯なんて地方にはまずないもんね。んで、そういう整備がけっこうマイナーな区にも行き届いている、と。

 印象として、「東京」の中ではエース級というわけでもない区が、地方のエース(市街地)と同程度かそれ以上の規模と整備が行き届いているしように感じた。だからこそ、一度東京の暮らしに慣れてしまった一部の人は地方都市のことを小バカにしたような態度をとるのだろう。地方に行く(帰る)ことを「都落ち」と称したり・・。

 しかし、そういった態度というのはしょせんは虚飾に踊らされたものなのではないか?なんつーか、「過剰性に目を奪われて現実が見えてない」、って感じ。ハリボテとカキワリで作られたテレビ局のセットに代表されるような、なんか、魂とか生活のリアルな部分が入ってない感じの・・。

 そう書くと「東京」に対するルサンチマンって感じだけど、その辺のところを仲俣さんがちょうど良い言葉で表してくれていたので借りる


【海難記】 Wrecked on the Sea:「嘘つき」たちによる、「嘘つき」のためのTOKYO案内〜吉田修一論


 「東京というフィクション」ということなのだろう。

 「都会」っていってもほとんどの住民は田舎からの上京者で構成されていて、昔から住んでいる人でも「西東京と東東京は別」って感じで、西東京的な都会感とか一部東の豪華さやセレブ感を味わい尽くすためにはお金が必要で、けっきょくお金がなければ東京にいても「東京」を味わいつくせないっていうか、自分の住んでるところと職場や学校をつなぐだけの毎日。

 いや、地方でも普段は職場・学校と住んでるところを行き来するだけで、間はショートカットって感じなんだけど、「東京」は特にその傾向が強いように感じられた。道を尋ねた人の誰もが「東京」のことを知らないのだ(ex.品川で品川埠頭について尋ねても知らない。日本橋で秋葉原への道を尋ねても知らない)。・・あれはなんだったのだろう? 勝手な推測だと自動化が進みすぎていろんなことに対する意識や想像力が薄れているのではないだろうか?「自動化」というとちょっと前のこのエントリでも出てきた話題だけど、

muse-A-muse 2nd: スマート化する社会(可能性と課題について)


 なんか、真っ先に都民がこういう罠にはまるんだろうな、って。んで、自動化(最適化)に身をまかせすぎて自分がなにか(社会の中でどの位置にいるか)ということが分からなくなってるんだろう。そういうこと感じなくても生きていけるし、そういうこと感じてたら立ち止まってしまって流れに身を任せられないし・・。かと言って、流れに積極的に乗ってフィクションを愉しむということができている人は少数だったり(cf.欲望が欲望を生む)。そしてフィクションを愉しんだり、外からその光に魅せられている人の中でもそれ自体をフィクションとして自覚的にコントロールできてる人は少数だったり。


・・「東京」だけではなくて、それが「都市の生活」というものなのだろうけど・・なんかね。



 まぁ、それはともかく、そういったフィクションを支える東京の繁栄(あるいは充実)というのは公共交通機関とか生活インフラに対する過剰性によって成り立っているように思う。(あと、夜でもライトつけすぎとか)

 「そこまでする必要はないのに」という過剰なインフラ整備によってもたらされる贅沢感(地方に対するセレブ感)。「景観がうんぬん」とかいう程度で大規模な公共工事を計画したり・・。一地方民からすると、なんだかそういった過剰性というのは地方の富を収奪した上に成り立っているように感じられる。いや、「東京のインフラ整備は都民でpayしているのだから、地方は関係ないよ」、っていうのは分かっているつもり。でも、それを可能にする「人口」というのは東京の過剰性に吸い寄せられて集まったわけで、そうするとやっぱ収奪って感じがする。

 「それは東京の魅力であり、地方の自己責任だよ」ってことなのだろうか?その魅力を演出するために必要とした公共工事というのはほんとに東京という一地方の財源だけで賄われてきたのだろうか?

 そんなこと言ってると古くは江戸の開発を基本とした経路依存性の話になってくるわけど、「経路依存性」なら「経路依存性」で東京に人が集まるのは東京という街の機能によるものではない(機能的に説明がつくものではない)ということになるわけだからやっぱりその辺は改善可能なのではないか、と思う。

 「機能的合理性がなく、むしろ機能的には不合理だけど習慣による惰性で東京が商業的中心地になっている」ということであるのならば、都市デザインを考え直してきちんと分散化させればいいのだ。そのほうが資源最適化できるだろうし。そういうことはけっこう言われてるはずだけど・・。

 んで、まぁ、そう考えるとやはり「東京は人口があるから魅力ある街」とかいうのはちょっと表層的なギロンに過ぎないように思う。過剰な集中によるボトルネックもあるだろうし、なによりその「人口」自体、人工(計画)的に集められたものだし。「計画的に集められたもの」であるならば「計画的に分散できる」はずなのだ。東京の人は「東京」だけで考えるのでそういうのは思い当たらないのではないか?

 ふつーに考えて、情報通信技術が発達した現在の環境だったらそんなに集中して仕事をする必要があるのだろうか?「face to faceコミュニケーションのほうが情報量が多い(痒いところに手が届く)」というのは分かるけど、そんなに毎日顔を付き合わせるほどのことか?(週一回のスクーリング程度で充分なのではないか?)それ以外は電子会議で賄えるはずだし・・。それ以外にも細かい部分で失われるところがあるのかもしれないけど、分散したほうが得られるところが多いように思う。「情報通信では運べない(あるいはモジュール切れない)仕事があるんだよ」ってことかもしれないけど、だったらモジュール切れるところだけでも切って、リアルな拠点は分散化すればいいじゃんとか思う。そのほうが快適だろうし。(この辺りは労働論になってくるから別枠か)


 あとは「祝祭とその周辺への消費の集中」ということか。これもやっぱ集中の意義が分からない。仕事のために集まった人が余暇として消費するってことだから、余暇は仕事に従属するのだろう。だとすると仕事の拠点が移れば余暇も合わせて移ることになるよなぁ。それとは別に集中したモールみたいな形はあってもいいかもしれないけど、よく分からん。


 
 あるいは限界点からの進歩というものは一定の過剰性を前提にしないと成り立たないものなのかもしれない。たとえばティッピングポイントを越えるにはカスケードが要るように(あるいは両者は因果関係にはなく、単に閾値を越えるときにカスケードが重なっているだけかもしれないけど、それはちょっと置く)。「最適化された資源はエースに集中投下される」ということか。しかし、で、あるとしてもそれはやはり「過剰」であり、それが「過剰」であるということは他のところは「不足」が生じている可能性があるということ、「東京」の繁栄が地方の犠牲の上に成り立っているものかもしれないということをすこしは意識するべきなのではないだろうか?(※従属理論の応用でちょっと問題ありそうだけど置く)


 少なくとも「<東京>から考える」というときにはその辺のことも意識したほうが良いように思うが。(過剰すぎる言論もどうかと)



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関連:
「東京」 - 「文化系トークラジオ Life」まとめWiki - livedoor Wiki(ウィキ)


「東京」Part2 - 「文化系トークラジオ Life」まとめWiki - livedoor Wiki(ウィキ)




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読んでないし、読む気もないのだがとりあえず参照したレビュー


short hope - 東京から考える


本屋のほんね:東京から考える


っつーか、いままでのギロンを踏まえるとたかが「郊外の流入」にギャーギャー言う都民の感覚が分からん。なにそれ?景観?(アホか)

過疎地の年寄りがどういう暮らししてるのか分かってるのか?


もしくは、各地区がコロニー(ゲットー)化していくことによるモラルやビジネス面への影響を恐れてるのかもしれないけど、それならそれできちんとビジネス面なんかの影響も試算すればいいように思う。子育て日記か?(ってか、東京離れればいいじゃん)

っつーか、やっぱ単に「ジャスコ」が東京さまに入ってくるのが気に入らないのだろう。フラット化による資本の逆流入というやつ。そういう視点はなんかアメリカ一国主義的グローバリゼーション賛美と似てるね。


それとは別に「ファスト風土の来襲による老舗店舗の閉鎖」という構図はイヤなんだけど、これってほんとにファスト風土の影響なのか?(因果ではなく相関ではないか?地上げするわけでもなし)

って、オレの上記エントリの論旨からすると「大型資本の影響力はあるよ」ってことだけど。そうするとやっぱりファスト風土の資本力(吸引力)の危険性を恐れる人々が「東京」の影響力について無自覚に見えるのは不思議。レイヤは・・同じだよなぁ・・。


そういや秋葉原も変わるみたいですね(これはファスト風土の影響じゃないなぁ)


裏新宿(NEW): 5年後のアキバは行政がプレイヤーとして参加している以上、渋谷や中野よりも「新宿化」する可能性が高い



ともかく、秋葉原のおっちゃん達の店舗は貴重だからアレだけ確保できないのだろうか?「IT化」の地味な下支えになってるように思うし(若い技術者の成長のためには安い部品が必要だろう)。で、あるならば公共政策的に考えてもいいのではないか?







posted by m_um_u at 22:44 | Comment(0) | TrackBack(1) | 経済このエントリーを含むはてなブックマーク
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