2013年10月16日

幸村誠、2013、「ヴィンランド・サガ 13」



読んだので感想、を書くつもりもなかったんだけど別件で読んだコラムが気になったのでそれでリンク的に


【第45回】『生きがいについて』(神谷美恵子)前編|新しい「古典」を読む|finalventの記事、コラムを読むならcakes(ケイクス)
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【第46回】『生きがいについて』(神谷美恵子)中編 |新しい「古典」を読む|finalventの記事、コラムを読むならcakes(ケイクス)
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生きがいについて (神谷美恵子コレクション)
神谷 美恵子
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この本自体はまだ読んでないのであまりうなうなもいえないと思うんだけど、絶望の淵での「なぜ生きなければいけないの?」という問いが今回のヴィンランド・サガのテーマだったなあと改めて思ったので。


このテーマ自体は自分の中ではいちお了解したものとなっているので、それもあって感想を書く気にもならなかったし、今巻をみてもあまりピンとこなかったのだけれど、上記コラムを見て改めてこのテーマを考えてみるのもいいかなあと思ったので。Novalisの件もあるし



自分の中で、「なぜ生きなければいけないの?」「人生の意味ってなに?」、という問いはそれ自体には意味はなくそれぞれの人の情況によって異なってくるものだろうからナンセンスに思っている。こういう問いはなんの障碍もなく人生を楽に送っているうちは出てこないものだろうし、その問が出てくるということはその時点で向かうべきテーマは「なぜ生きなければいけないの?」ではなく「なぜこのような問いがでてきたのか?」「この問いが自分の中で浮かんだ情況を改善するにはどうしたら良いのか?」ということだと思うから。なので、どこまでいっても一般的な解答のないテーゼになるし、大部分の人が抱えるそれ、青年期に出てくるそれは目の前の現実的な問題に対処し、人生のステージが上がっていくことで解決されるように思う。

しかし、そのように目の前の状況から逃げずに立ち向かっていっても残っていく問題、どうしても解決しがたい生の矛盾のようなものがある。


「神はひとを試し魂を強く鍛えるために課題を与えるのだ(われに艱難辛苦を与え給え)」という定型では納得できないような、、それぞれのひとに固有の深い絶望。

そこから逃げても、あるいは逃げようとしても逃げられない深い心の傷のようなもの。



真正面から立ち向かっても対象が巨大すぎて、それ自体がやけっぱちの自傷的なナルシシズムになってしまうような…巨大な絶望とそれへの依存。反照として生や他者に対してニヒリスティックな態度をとってしまうようになるような、そういった甘え。


そのことに気づき、目の前の自分の生を一つ一つ積み重ねることを決めたときに、ひとは大人になっていけるのかもしれない。


自分の半身のような人たちを喪っても、自らや大事な人達に重い障害が課せられていても、それでもなお生きるという意志。



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ゾフィーの死と夜の讃歌
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なおも花々さわに
太古の幹は立ち誇る前の世、
子らは天上の国のため
苦しみと死とを望んだ。

快楽や生が語るにもせよ、
多くの胸は愛に裂けた。

青春の灼熱のうちに
神みずからが姿をあらわし、
雄々しい愛ゆえの若死にに
甘美な生を献げた。
不安や痛みをしりぞけず、
それゆえにわれらに貴い神。



帰郷を引き留めるものは何?



すでに最愛のものたちは憩うて久しい。
その墓はわれらの生涯を閉じ、
今われらは悲しく不安だ。
このうえ求める何とてもなく――
胸は飽和し――世界は空虚だ。


かぎりなく秘密にみちて
甘い戦慄はわれらをつらぬく――
あたかも深い遠(お)ちから湧く
われらの悲哀のこだまのよう。
愛する者らまたわれらを慕い、
憧れの息吹を伝えた。

甘(うま)しき花嫁のもとに降ろう、
イエスのもと、 恋しい人のもとへ――
安んぜよ、愛する者、悲しい者らに
夕の明かりは昏(く)れかける。
ひとつの夢、われらのきずなを断ち、
われらを父のみひざに沈める。



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現実の冷たさや厳しさ、絶望の淵にあるものにとって死の喚び声は甘美な誘いであり救いとなる。

そういった声に誘われているひとを目の前にしてどのような言葉がかけられるのか?




「生きがい」を失っても人間は、自然に生きようとする肉体にひきずられるように生きて行くものだ。ここでは、食欲という欲望が示されているが、性欲も同じであり、肉体のエロス性は死を目指す精神を許さない。  しかし、いかに精神が肉体をうらめしく思うことがあっても、生きがい喪失という危機をのりこえさせてくれるものは、肉体の生命力そのものかもしれないのである。


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自らの意思ではなく肉体が生を選ぶということ。それもあるのかもしれない。


あるいは、自らの意志で選び作り上げていくもの




死を超えるものが欲しい


アルネイズに胸を張って語ることができる

死を超えた救いと安らぎが生者の世界に欲しい



無いなら

作る




兄弟、一緒に来い

ヴィンランドに平和の国を作る


やろう、兄弟

海の向こうに、奴隷も戦争もない国を作ろう





ひとは母という全能感から離れ社会や世界の現実に面したとき、その全能を手放さなければならなくなる。

その代わりに父や社会や世界の律のモデルとして<神>が設定されるのかもしれない。そしてそれが超自我という形で取り込まれるのか


そのとき手放した全能、もうひとつの自分は影となって彷徨うのか、あるいは、その影を生涯の伴侶によせるのかもしれない。


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それらを人造しようとしたのが近代の国家幻想としたとき、トルフィンとクヌートの二人の道は似て非なるものといえるだろう。


そういった大きなテーマを作者がどのようにまとめていくのか期待したい。




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関連:
「ヴィンランド・サガ」の背景メモ (アングロサクソンの良心、キリスト教とゲルマンとか): muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/161667855.html


幸村誠、2011、「ヴィンランド・サガ」10: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/199172708.html


夜を愛し、余すところなく死んで、三位を統べる: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/200174686.html


屈せざるものたち: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/212059486.html



posted by m_um_u at 08:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビューこのエントリーを含むはてなブックマーク
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