2013年10月10日

ターナー展へ行ってきたよ



上野でやってるターナー展いってきたのでいちお感想。

てか、いってから気づいたんだけどコンスタブルではなかったのだな。。


ジョン・コンスタブル - Wikipedia
http://bit.ly/GPxpYq

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー-主要作品の解説と画像・壁紙-
http://bit.ly/GPxsDy


ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー - Wikipedia
http://bit.ly/GPxN9n


確認的には両者とも18c後半から19c前から中半ぐらいの画家。特に調べもせず勉強不足だったけど「ターナーは印象派への影響」って感じなのな(絵を見つつ逆に印象派から影響を受けたのかと思ってた)。初期は御用画家的に写実中心だったけど、



ターナーにとって転機となったのは1819年、44歳の時のイタリア旅行であった。ルネサンス期以来、長らく西洋美術の中心地であったイタリアへ行くことはイギリスのような北方の国の画家たちにとってのあこがれであり、ターナーもその例外ではなかった。イタリアの明るい陽光と色彩に魅せられたターナーは特にヴェネツィアの街をこよなく愛し、その後も何度もこの街を訪れ多くのスケッチを残している。イタリア旅行後の作品は画面における大気と光の効果を追求することに主眼がおかれ、そのためにしばしば描かれている事物の形態はあいまいになりほとんど抽象に近づいている作品もある[要出典]


http://bit.ly/GPxN9n



この辺りについて、たぶんターナー研究かなんかのひとがいろいろ書いたり史料となるような物証出してるのだろうけど、自分的にはイタリア旅行以前からそういう傾向はあったように感じた。

絵のタイトル忘れたけどどこかの寺院の廊下で窓から差し込む光線を中心に描いていたもの、とか。あるいは早朝の浜辺での空気感とか。

そういうものがイタリア旅行を通じてさらにめざめたのかもしれない。


「オランダの光」でもあったけど、「光」と光を屈曲する水蒸気というのはその場所の全体の雰囲気をつくりだすし、そういったものそのものが存在の基板として感じられるような瞬間がある。

草の上で朝食してる時とかに、そこでおしゃべりしてる内容とか一緒にいる人の姿はぼんやりとしか聞こえなかったり、輪郭としてしか見えなかったとしても、その全体の雰囲気を通じて、自分がそこに在るということを実感できるような瞬間。

ターナーの初期のなんでもないような風景の切り取りはそういった情感を留めておこうとしたもののように思えた。


そして、そういったものをより強く感じられたのがイタリア旅行とそこで感じた光の違いだったのだろう。

光は水面という鏡の照り返しによってより強烈に事物を照らし、それが色彩そのものを変える。それはそのまま存在の実感を変え、生活のリズムや感じ方も変えていくものなのかもしれない。どこかの画家がタヒチに惹かれたように、オランダの画家たちもイタリアの光に憧れた。ダム建設によって湖面ができるまでは。



ターナーのイタリア旅行は年代的にも内容的にもモロにマッキアイオーリとの交流を想像させるし、実際にあったのだろう。


マッキアイオーリ展にいってきたよ: muse-A-muse 2nd
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/140611092.html


ターナー展ではそれについての言及はなかったけど、以前のエントリで少し書いた方に、単なる光や色彩の違いということだけではなく、当時のマッキアイオーリたちの政治的気運や思想に感化され、互いに影響しあったところもあったのかもしれない。もちろんそれ以前のフェルメールほかのオランダの画家や、あるいはハンマースホイなんかも。



そういったものを継ぎつつ、ターナー自身が自分の中から最後に削りだしてきたものはなんだったか?



「きいろ」



ターナーはきいろを好んだという。

緑色よりも黄色を使いたがり、黄色がないような場面でも黄色で表現していった。


そういった逸話はゴッホを思わせる。


「ゴッホは色盲だった(がゆえにああいった突飛な色彩感覚を表した)」という話は確定してないビミョーなアレゲではあるけれど、黄色にこだわった理由は「太陽の光をより純粋に近い形で表せる色」ということではなかっただろうか?あるいは、色を通じてその場の光や雰囲気全体を表せるのが黄色だった、ということだったのではないか?



光(きいろ)で視界が 埋まっていく

(ああ… ひかりが… あふれ…)




そこでは人の肉体も時間もひかりの中に溶ける。


ターナーの後期の作品はそういったものを表そうとしていたように感じられた。








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補遺的に

最近、シュタイナーの本を読んだ。


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教育に関するセミナー的な内容でそんなに難しくもなくスラーっと読める感じの。

全体に通じる趣旨としては、「9歳までの幼年期は感性を中心に、絵画や立体造形、音楽、運動、そういったものを中心に教えなさい。文字は絵を描けるようになってから。まず文字の絵画的成り立ちを認識させ、その上で活字を読ませなさい。概念の習得も具象(身近)から抽象の順で」、というもの。

「文字は図像からできている」というこの辺りはワタリムでやっていたレッジョ・エミリア展を思わせたし、「素描や文字に関する線はフィクションで、実際は色彩から出来上がっている」というような内容は今回のターナー展とリンクするように思われた。

それを後により前面に押し出していったのが印象派と呼ばれるモネほかの作品群であったし、それらは現象学的な認識の話にも通じる。


線や文字も、あるいは遠近法などといった認識も、近代人はいつの間にか認識のベースに入れてしまっていて、それ以前の世界の見え方みたいなのがあるのかなあ、とぼんやりと妄想した。


虫や鳥の目のような、そういった世界の見え方


世界や事象そのものにつながっているような






ワタリウム 「驚くべき学びの世界」展 メモ - Togetter
http://togetter.com/li/140716


タグ:art
posted by m_um_u at 12:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 人文このエントリーを含むはてなブックマーク
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