2007年03月30日

戯画化する教育環境と教育に関する意思決定の分権化について

My education was dismal. I went to a series of schools for mentally disturbed teachers.
-- Woody Allen




Personally I'm always ready to learn, although I do not always like being taught.
-- Sir Winston Churchill




Everything is vague to a degree you do not realize till you have tried to make it precise.
-- Bertrand Russell




Education is what survives when what has been learned has been forgotten.
-- B. F. Skinner, New Scientist, May 21, 1964





 朝、「おはよん」を見ていたら例の「教育再生(?)会議」のことをニュースでやっていててきとーに聞き流してたけど、マジカルワードが登場して鼻が開いてしまった。


ヤンキー先生こと義家氏曰く、

「道徳が必要なんスよ。もう、徳育ってイメージで行けばいいかと」(要約)

関連記事:
道徳、「教科」に格上げ案 教育再生会議分科会が提言へ(朝日新聞) - goo ニュース



・・・うわぁあぁ・・「徳育」って


「徳育」だよ?(間違ってないよなぁ)



 んじゃ、ちょっとぐぐるべ



西田昌司 政論−第4章●「徳育」の精神を教育に


・・うわ、こわっ



 やばい・・こわい。予想以上に怖いもの見つけてしまった。各項目だけ抜き出すけどこんなの↓

 
●徳の頂点は、国のために尽くすこと

●占領政策によって失われた最高の「徳」

●「徳育」の言葉を取り戻す

●社会のルールを教えることが道徳になっている

●自分のちっぽけな人生を公のために生かす

●人生の中に生き生きとしたエピソードを持つ

●偉人の生き方を語って「徳育」を学ぶ

●だらしのない国になってしまった日本

●国とは、我々の歴史の集合体




・・すげー・・。ネタか?ネタじゃないのか?なんだこれ?


自由民主党 全国青年議員連盟会 会長 西田昌司


・・・深く関わらないほうがいいのかな(えーと、たいへんごりっぱなしそうしんじょうだとぞんじあげます m(_ _)m)


 なんか「西部 邁」とか書いてある(参照



 すげーな。個人的に「徳育話材100選」を原作にした吉田戦車の名作を思い出した。



若い山賊
若い山賊
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吉田 戦車
双葉社 (1996/05)
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 吉田がこれを発表したのは1992〜93年なんだけど、すごいなぁ吉田。時代を先走ってたなぁ(さすが戦車だ)。いまだったら「きょーいくさいせーかいぎ」に呼んでもらえるかもしれないぞ?


 まぁ、そんなこんなで、どうやらヨシイエ童話はこういう思想背景があるのね。にゃるほど、それであんなに自信満々なんだ。それで、「戦前の教育全てを否定すべきではない」、とか言うわけだ。ふーん

 いや、やればいいですよ、そんな感じで。どっかの孤島とか戸塚ヨットスクールとかでさ。もしくはもう既に実際にやってるところもありますよ。内藤センセのトラウマのこれとか


いじめと現代社会BLOG - “熱中高校”って、なんだ


 でもね。こんなのぜったいムリじゃん?現代社会に合うわけないじゃん?現代っ子だったら逃げるだろ・・。それを「逃げんな根性なし」って捕まえてムリヤリ思想教育するのって「教育」なの?・・っつーかオレが親だったら絶対学校行かせないね。


 すげー、ありえねー。これ並みにありえねー






 極楽が「ありえねー教師による。ありえねー教育現場に取材した」って設定のドキュメンタリー。これは「フェイクドキュメンタリー」ってジャンルでネタなんだけど、こういうのがネタじゃなくなるのか?(ネタがベタでネドベドでガムベトベトか?)


 んで、「ニポンオワタノカ?」とか思ってたんだけど、そういうことでもなかったみたい。宮台さんのpodcastに救われました。


 「週刊宮台」(「教師の質は低下したか?」、「『教育基本法改正』の本当の目的は?」)によると、今回の「愛国心」教育ってのは煙幕らしい。正確に言うと、「表面上は案が通ったとしても現場レベルでの運用は不可能」、とのこと。以下、順を追って説明する。


 そもそもこういう言説がでてきた背景である「生きる力」やらなんやらの曖昧な概念は1980年の中曽根内閣直属の審議会?(中曽根臨教審)に由来するらしい。それは内閣直轄だったので中教審とかより上のレベルからの決定権をもってた。んで、「生きる力GO!」って感じで「ゆとり教育」の基本目標にすえられていったらしい。

 んで、まぁ、この「生きる力」ってやつで現場の教師達は困ったらしい。だって、「生きる力」ってのが具体的になんなのか指導もなければ、知ってる人もいないし・・。ほんとだったらそういう教育を行う場合、「生きる力」プログラムをインストールした教師に現場総入れ替えするか、現場の教師全員にそのプログラムをインストールしてもらうかしないといけないんだけど、そういうことができなかったらしい(「メディアリテラシー」教育のときと同じだね。あれも「ゆとり教育」の一環にされたんだろうけど)。ぼくは知らなかったけど、宮台さんは「ゆとり教育」懇談会かなんかに参加してたからこういう内情を知ってたんだ、って。

 
 んで、本来の「ゆとり教育」が目指していたものはどういったものだったか?これはよく言う「詰め込み学習(量的教育)」に対するアンチテーゼ的なものだったらしい。「知識偏重なシューサイくん育てても実社会じゃ役に立たないじゃん?」って危機感から「生きる力」(あるいは「良く(能く)生きる力」)を身につけさせるべく、質的教育への転換を図ったっぽい。

 で、「生きる力」で目指していたものが具体的にはどういうのかっていうと、宮台さんによると「生活(あるいは仕事)の中での基本的なコミュニケーション能力+問題解決能力」ということらしい。仕事とか生活のコミュニケーションの中で、交渉相手としぶとく渡り合う(手練手札と創意工夫でこちらの要求を通す)ような力。けっきょく最後っていうか基本はこれだろ、と。当blogの前回エントリ的には後段の(5)に当たるかな


muse-A-muse 2nd: 教養について ver.2.0



 んで、それに加えて、単なる知識偏重の「カンリョー(あるいは事務方)養成プログラム」だけではなく、各学校が所属するコミュニティに求められるような教育プログラムが必要だろう、と。

 例えば、農家とかいった自営業の人が多いところでは関連した経験知や、進んだ知識としての「農学」なんかの教科があっていいはずだし、漁師系のところでは水産系の知識とかあってもいい、と。「それだとギムナジウム(職業訓練校)になっちゃうよ?」って感じだけど、そういうことでもなくて、理想としては「職業訓練校 / ホワイトカラー的教育校」みたいな感じで分けるのではなく、「各校が要請に応じた学科編成をできるようにする(all in one packageではなくモジュール分化?)」って感じみたい。

 あと、各コミュニティが要請するような教員を各校が自由に採用できるようにしないと、いつまでたっても画一(文科省)的な教員しか採れない。この部分も改善しないと。


 んで、そういうことするためには現在の「文科省の一元的命令しか通さないよ(そんで各自治体には文科省の天下りご意見番が行くよ)」システムではダメで、教育システムの編成に関する決定権を分権化して各校に自治を認めなければならない、ということ。


 ちょっとでも教育機関に関わったことがある人(あるいはその内情に触れたことがある人)なら知ってるだろうけど、けっきょく「教育の敵は文科省」なんだよね。「敵」まで言うと語弊があるかもしれない・・・ボトルネックぐらいにしとくか。

 そういうのは前に紹介したこちらの特集でも出てましたね。

バックナンバー - 今、学校で何が起きているのか - nikkei BPnet

 
 そんで、ようやくエントリ上段の「今回の愛国心うんぬんは煙幕」話に戻るけど、こんな感じで現在の教育行政改革の主眼は「分権化」ということらしい。そういうのが分かってる「心ある」議員達は党派を超えてそれを実現しようとしている。それに対して、<「愛国心」教育なんて言っても「ゆとり教育」のときと同じで現場にそれを教えるシステムが整ってない(整える気ない?)からムリに決まってるじゃん>、ってことらしい。




 いや、これで安心しました。皆さん見えないところできちんと働いておられるのですね。



 んでも、ちょっと思うのは、「愛国心」プログラム用に教育システム全体が再編成される可能性ってないんスかね?それやられちゃうとけっこうきついんじゃ・・・・?




 ・・・ひみつ?(しらんけど)





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関連:
muse-A-muse 2nd: 大学教育について(上下分離の必要性など)



ゆとり教育で学力が向上した〜逆風を追い風に変えた京都の教育改革 (イノベーションで切り拓く新市場):NBonline(日経ビジネス オンライン)


※上記してきた感じで「ゆとり教育」自体には罪はなくて、「できるんならやれば?」的なものらしいです。なので、こちらの成功例(?)は成功例として喜ばしいものなのでしょう




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追記(2007.3.31):
あと、面白い話として。開成、灘などからの東大進学率が落ちてきてるそうな。代わりに地方の進学校の率が伸びてきている、と。でも、それは「灘、開成の学力が落ちてきた」からではなく「灘、開成の学生たちが東大進学ということにそれほどの意義を見出さなってきているみたい」ということらしい。いまの世の中見てるとそんな感じはするしね(それなりに一流なとこに入社してもいつリストラされるか分からない。くだらない労働に耐えても将来が約束されているわけではない)。「だったらきちんとした<力>をつけるために留学したほうがいいじゃん」、ということらしい。そして、そんなコたちがキャリアパスとして目指すのはたぶん企業という枠にとらわれないあたらしい仕事の形


essaさんのところで「ホリエモンの裁判みて東大生のモチベーション落ちるんじゃね?」危惧が出てたけど、分かってるコは既に他の方向を向いてるようです。(植木天使も「安心安心」かな?)












タグ:教育
posted by m_um_u at 22:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会このエントリーを含むはてなブックマーク
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