2007年03月27日

春と修羅

心象のはいいろはがねから

あけびのつるはくもにからまり

のばらのやぶや腐植の濕地

いちめんのいちめんの諂曲〔てんごく〕模様

(正午の管楽〔くわんがく〕よりもしげく

 琥珀のかけらがそそぐとき)

いかりのにがさまた青さ

四月の気層のひかりの底を

唾〔つばき〕し はぎしりゆききする

おれはひとりの修羅なのだ

「春と修羅」より引用】


 

 自分の知が一部の人を惹きつけること、それに対する自分の対応というか、その責任のようなことを時々思うことがある。

 ぼくの知なんてのはしょせんは薄っぺらなもので、でもそれなりの広がりを持っているから一部の人は惹きつけられるんだろうか。あるいは同じ感性を持った人が自分の知の先のようなものを見て惹かれるのか。

 同時に、そういった知とか感性のようなものは違うセカイに属する一部の人にはひどく鼻にかかるようでそれなりの迫害を受けてきたけど、そういうのはやっかみのようなものだからということで処理できてきた。(それなりに恨みもしたが)

 でも、同族の親しみというか、なにか特別の好意のようなものを寄せてくれる人に対して、ぼくはいつも少し一線を引いた態度をとってきたような気がする。惹きつけるだけ惹きつけておいて、相手がその線を越えそうになると引いてしまうような・・そういう小ずるさ。

 相手がその線を越えようとしていたのかどうかはっきりと確かめたことはないし、自惚れのようなものかもしれないけど、いま思うとそういうことが何度かあったように思う。

 そのとき引いてしまったのはほかの人を見ていたり、ほかの道のようなものに興味があったからのように思う。ぼくは未だ知力も精神力も経済力も未熟だったし、なによりも早く成長したかった。だから彼や彼女たちの気持ちを知っていて無視していたところがあったのかもしれない。もう一つは三角関係のようなものもあったような気がするけどよくわからない。


 「未熟だから応えられない」というのはいま思うと言い訳に過ぎなくて、そういう言い訳をそろそろやめるべきなのかなぁと思っていたけど、またしてもなんか地雷を踏んでしまったのだろうか・・・。


 ぼくの責任もあるのだろうが、その他いろいろな要因も考えられる。その部分は相手の精神の問題だろう。でも、そのことを薄々感づきながらその辺りの気遣いができなかったのはぼくの責任。


 映画「ゆれる」のことを少し思う。



 同じ地点で同じように雨に濡れればよかったのだろうか?


 ぼくは一緒に濡れるよりは傘を差し出してしまうタイプなのでよく分からないが、そういうのが必要なこともあるのかもしれない。


 もしくは私的な部分を完全に排除すれば良かったか・・?


 
 それもやろうと思えばできるのだけれど、なんか卑怯な気がしてできない。客観性を盾にした超然たる正しさのようなものはなんか偽善のようなものを感じて。でも、そういう偽善の意識というのも所詮は個人的な罪悪感に過ぎないのだから、その部分は個人的に処理して偽善を貫いていくべきなのか・・。



 あるいはそういった非対称的な問題ではなく、同じセカイに住んでいるということが問題なのかもしれない。

 同族嫌悪というかエディプスコンプレックスというか・・・後者の場合、単にぼくが殺されればいいだけのことだけど、そうは言いつついざとなったら怖気づくのだろうか・・(精神的な意味での踏み絵を用意されて)。


 
 同族嫌悪というか、同類は共生できないのかということについて、これを読み返してみた



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 同じ道を行く場合、なんらかのコンプレックスとか相手に対して常に緊張感や不安をもってなくてならなくなり心の休まるときがないのかもしれない。「いずれは別れてしまう」という不安を常に抱えるような。

 
 あるいは共生ということはなくても、距離が近ければ相手に対してなんらかのプレッシャーを感じさせることになるのかもしれない。


 大きな星が自らの重力でその身を潰してしまうように、引力で相手を引き寄せてしまうように、ぼくらは惹かれあい潰しあってしまう。(そしてブラックホールが発生する)




 だからある程度の距離をとったほうがいいのか





 あるいは、そういったところに拘泥せず、一人、けもの道に帰るべきなのか・・?



 通い慣れた道だし、それ自体はどうということはないが、やはり少し寂しい。



 修羅の道に入ることで人並みの幸せを捨てることになるのはあの契約のときに覚悟したことだから、それ自体は仕方ない。少し寂しいけどそういうものだろう。でも、それが誰かに悪影響を与えるのだとしたら・・その辺りのことが少し気掛かり。というか、それ自体が自惚れなのかもしれないが。



 春の陽気につられて少し気が緩んでいたか・・。




 ぼくは徳のようなものを積むべきなのかもしれない。

 それがなにかは未だよく分からないけど、知によって人を傷つけることがないような、人の心を慮って一線を引いたり越えたりできるようなそういうもの。





 ジョギングをしていたら灰色の雲が出ていた。美しくはないけれど落ち着く雲。 わさびらむねをズブロッカで割って飲みながら宮澤賢治のことを少し思った。







posted by m_um_u at 20:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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