2007年03月26日

スマート化する社会(可能性と課題について)

 宮台さんのpodcastが終わってしまった。けっこう楽しみにしてたのに・・。

 最終回は「インターネット時代のメディア、これからどうなる?」と題してCGM(Web2.0)の可能性と弊害みたいなのとか、あとはもっと進んだ形としてのコンピュータによってスマート化(自動最適化)された生活の利便性と弊害みたいなのについて語っていた。

 宮台さんも攻殻とかブレードランナー(あるいはP.K.ディック?)好きみたいなので安易なフランケンシュタインコンプレックス(テクノフォビア)に落とし込んではいなかったのだけど、結論というか問題提起部分に違和感を感じたのでその辺についてつらつらと書きながら確認してみる。

 CGMの可能性と弊害みたいなのは池田センセのところで引き続きうにゃうにゃやってる「悪意の編集」みたいな話がメインっぽかったかな。つまり、「CGMで勝手にレビューとか辞書とかできるからって悪意を持って誤報撒く人もいるじゃん?」的問題。

 んでも、その部分についてはサラッと答えだしてた。人力の評判システム(評判のアーキテクチャ)によって誤報は駆逐されていくし、あとは技術的アーキテクチャの発達によって悪意の書き込み人はある程度統制できる。この辺りについては本blogでも既に検討したことなのでサラッと流そう(参照)。ちょっとだけ付け加えて言うならビジネス的に解決しちゃえばいいと思う。

 問題はその後、スマート化された社会における利便性と弊害について。


 スマート化というのはいまだったら攻殻機動隊とかイメージしてもらったらいいと思うんだけど、デバイスとネットワークとの連携で街を歩いていているときに当人に必要(合っている)と思われる情報が自動的に表出される、ってやつ。「マイノリティレポート」なんかでも出てたらしい。あと、広告系以外でも例えばRSSリーダー(feed reader)とかHDRによる好みの番組の自動録画、AmazonやiTunesによる「おすすめ」なんかもこれに当たるだろう。あと、もうちょっと進むとこの辺か。



EPIC 2014
http://www.mediologic.com/weblog/archives/000559.html

EPIC 2015
http://www.albinoblacksheep.com/flash/epic



 要するにpersonalised informationを取り込んだ情報最適化のこと。(+ユビキタス環境)


 で、


 こういうのによる弊害としてよく言われるのは「関心のタコツボ化」の問題。つまり「公共的な話題に関心なくなっちゃって、コミットメント意識が薄れ、政治・社会が・・・・(うんぬん)」ってやつ。これは誰が最初に言ったんだっけな?(「サイバーカスケード」で有名になった著者の人かな?) ってことはisedでも既出の話題っぽいけど、めんどうだから参照しないどこう。(「あとで見る」かも)

 んで、まぁ、上記のギロンの場合は「ジャーナリズムの社会的意義」という文脈と結びついて、「社会的関心を持たせるためにジャーナリズムの意義があるのです(社会の木鐸)」的な話になるんだけどそれはちょっと置く。今回はそういう話じゃなかったし。


 今回指摘されていた「最適化によって生ずるかもしれない弊害」は一言で言えば「多様性の消失」ってこと。宮台さんは「不確実性の消失」って言ってたけど同じことかな。つまり、「新しいものを取り入れないシステムは腐ってくよ」って話。こういうのは誰もが経験あることだろうから特に例は挙げないけど、逆に「新しいものって言ったっていいことばかりとは限らないぜ?」って意見もあるかもしれない。その場合も同じことで、一見するとシステムにとって有利に働かない要素の取り込みによってシステムが崩れるとしても、それはそのシステムの寿命というか遅かれ早かれ崩れる運命だったのを早めただけみたいな話。アポトーシスによるシステムの分化(生まれ変わり)として捉えたほうがいいかも。

 そういやアポトーシスって言ったら戸田誠二さんの短編があるな。今回のエントリとは直接関係しないけど、含蓄のある話なので見とくといいかも。


戸田さんのHP
http://nematoda.hp.infoseek.co.jp/

短編いろいろ
http://www2.odn.ne.jp/~cbh42840/comic.html

アポトーシス書評
http://www.h2.dion.ne.jp/~hkm_yawa/kansou/apoptosis.html


しあわせ
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戸田 誠二
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 ちょっと話逸れたけど続けると、最適化の弊害として考えられるのは「システムに流入するはずだった多様性が消失する(あるいは偶然性の機会を逸する)危険性がある」、という話だった。んで、まぁ、仰るとおりで、旅のアナロジーなんか使ってよく言われることでもあるんだけど(例えばこの辺とか↓)


Webマガジンen:管理と自由の微妙で奇妙な関係(阿部潔)



 表題どおり「びみょー」で「きみょー」なんだよなぁ・・。


 「利便性と偶発性はトレードオフなの?」ってこと。そういうのについては、例えばAmazonみたいな便利書店(兼データベース)みたいなもの対して「昔ながらの書店とか古書店には思わぬ本を見る(本に出会う)って楽しみがあるんだよ」っていう言説なんかが思い浮かぶ。そういうのはリアル書店の「一覧性」によってもたらされる体験だと思うんだけど、これも将来的には技術的に解決可能だしなぁ・・。そういう風に考えると利便性と偶発性のイタチごっこみたいなのが考えられるわけだ。(利便性が高まると偶発性が減るので技術的に補完。そうするとまた「偶発性が減った」といわれるので新しいUIを用意して偶発性を補完・・・・以下続く)

 そんな感じで「偶発性って補完可能なんじゃないか?」とか思うんだけどそういうのは本質的じゃなくて・・ まぁ、ばっさり言っちゃうと、「利便性が高まると偶発性が減るっていうけど、そもそもその偶発性ってあったものなの?」とか思う。


 「旅の偶発性」って言うけど、現代社会でそこまで偶発的な旅を楽しんでる人ってどれだけいるんだろう?大部分は旅行パッケージだろうし、旅行パッケージじゃないとしても「イベント」とか「名所旧跡」とかそういうのに終始してるわけだから、「それって偶発性?」とか思う。

 んで、「そういうのに対して一人旅があるんだよ」ってことなんだけど、一人旅にしてもそこで出会うであろう(あるいは出会った)偶発性を意味のあるものとして感じるにはそれなりの知識データベースが必要になる。要するに知識量(あるいは経験知)がそれほどない人は旅に行っても「見てもいないし、聞いてもいない」ということがあるのではないか?

 それがまず1点。



 そういうのに対しては、「んじゃ、知識データベース(cf.教養)が内部化してる人はコンピューティングによる最適化必要ないじゃん?(だから電脳要らない。有害っぽいし)」、って反論が考えられる。

 それはそれで一理あるんだけど、「有害っぽいし」はどうかなぁ、と。


 スマート化(personalize)しても失われないものというか、最適化することによって情報の範囲が広がるということもあるのではないか?例えばRSSリーダー使ってる人ってそれによって「情報管理が最適化 ⇒ personalな情報だけ取るようになって情報量が減った」っていうより、却って情報量が増えたって人のほうが多いのではないか?多いとはいえないかもしれないけど、けっこういるように思う。

 RSSリーダーの使い方としては「全ての情報(チャネル)に目を通すわけではないけど、少しは興味がある情報へのアクセスを確保しておいて、その選択可能性を楽しむ」、っていうのがあると思う。そういう環境にいる人は、リアルワールドで新聞・TV・雑誌・対人関係だけの人よりは遥かに情報への回路が広いことが推測されるし、実際ぼく自身がそうだ。


 「人間の情報摂取量には限界がある」というけど、その部分は技術的に補完できる。(あと、脳資源の有効な活用もできてないし)


 そういうのを考えると「最適化の組み合わせの中で偶発性が失われる」とは一概に言えないのではないか、と思う。


 っつっても、RSSリーダーなんかに登録してる情報が思いっきり「自分の世界の趣味だけ」って人なんかには当てはまらないのだろうけど・・。



 それと並行する形で若年層の関心領域の閉鎖性が最近ちょっと気になっている。セカイ系(は少し洒落だが)に代表されるような狭い関心というか、狭い交友関係・職場・家庭環境の中での価値意識に終始するというかそんなの。先日の教養の話とも関わる

 彼ら(彼女)らはいろんな情報を広く浅く摂取するけど、深くは知ろうとしない。

 では大半の(余暇)時間をなにに当てているのかというとおそらく狭いセカイでの交友関係。そこでは同じ言葉、同じ考え、同じ志向が繰り返され確認されていく。そこには新規性はない。あるのは毛づくろい的なコミュニケーション。(もしくは参照


 こういう書き方をするといかにもそういう行動(毛づくろい)が低級なコミュニケーションって感じで優越目線みたいになる危険性があるんだけど、これはこれ自体環境への適応行動なのかもしれないので、まだ是非を判断できない。こういうコミュニケーションの意義もあるかもしれないし。



 ただ、彼らのような人たちがコンピュータによって最適化された情報環境を体験するようになるとそこから出なくなるというか、その中でも狭いところにとどまっていく可能性というのはあるのかもな、とか思う。いまだとポータルサイトしか利用しない層と毛づくろいコミュニケーションの層は被るだろう。(Yahooとか彼らにとってはmixiなんかも準ポータルかもしれない)



 そういうのは少し頭の片隅に置いといたほうがいいかも、とか思う。




 あと蛇足ながら。ロングテールとかベキ乗則って西垣さん(@情報学環)の縄張りになってるのか?・・・・・・びみょー(いや、西垣さん好きだけど)

 


 スマートっていったらこんなのあったな



スマートモブズ―“群がる”モバイル族の挑戦
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 けっきょくケータイ族の擁護になってたのかどうかよく分かんなかったけど(もっかい読んでみようかな)






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追記(2007.3.27):
書き忘れたけど、宮台さんによると「AIの発達によって、2020年には“考えるコンピュータ”ができあがる」らしい。「考えるコンピュータ」ってのは「最初にプログラムされた行動を超えて、自分で課題を立てて、任意の問題に最適な解を導き出す」コンピュータ。そうなると「それって機械なの?」ってことになる。

で、

それと並行して、最適化に依存した一部の人たちの脳力の弱体化が進み、「それって人間なの?」問題が出てくる、と。


そういうので現段階で進んでる例として「mixi的コメント生成人工無脳プログラム」が思い当たる。

「mixiなどの毛づくろいコミュニケーションは機械のそれと変わらないから自動化したほうが楽じゃん?」な発想から作られたプログラム。口コミマーケティングにも役立つし。一部実装かな?こんなことしてくれるらしい↓


・マイミク登録の人へ紹介文を書く
・マイミクの日記にコメントつける
・日記を書く
・日記へのコメントに返事する



宮台さん、これ知ったら喜ぶだろうなw









posted by m_um_u at 19:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク
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