ぼくは体育会系ではないため、それを克服するために学力で周りを見返そう(黙らせよう)と思った。「スポーツのできる奴と成績のいい奴は一目置かれる」ってやつ。いま思うとほんとの頭の良さなんてのはガッコの成績からでは測れないわけだが、そのときはそれに縋るしかなかった。
その夜、鏡の前で知力を渇望しながら悪魔の問いかけを妄想した、
「力が欲しいか・・?では、望み通り力をやろう。ただし、その代わりにおまえから大事なものを貰っていく。それでも力が欲しいか・・?」
もしも悪魔が現れてこう問いかけてきたのならぼくはその取引に応じよう。それで世界が失われるとしても、元々ぼくの周りに世界なんか存在しなかったんだから、それはそれで構わない。
そのとき、そう思って悪魔との契約を願った。
いま思うとその契約というのは遂行されていたのかもしれない。ぼくは望みどおり(いくらかの)学力を得、その後に続く知力を得た。知力の向上に比例するようにぼくの周りからいろいろな人たちが離れていった。
それは知力のせいだけとは言い切れないだろう。たとえば「空気嫁」的なことがうまくできていれば、そういうことにはならなかったのかもしれない。しかし、どうしても譲れない場面、それを譲ってしまうと二度と戻って来れないような魂の契約に関わる内容については譲ることができなかったし、言わなければ言わないでノイズのようなものが頭に溜まっていく。オブラートにくるんで言えばいいのかもしれないけど、鈍感な人たちはその真意を理解しない。そして大局的にはその先に待ち構える穴のようなものに落ちていく。
それを見過ごせばよいのだろうけど、なんか良心のようなものが疼く。しかし彼ら(彼女ら)はそれを望んでいたのだろう。
「オレが本当のことを言えば、セカイが凍る」
ぼくの周りのセカイは凍り、その関係は断たれていった。ぼくが抜けても彼女たちの関係はまだ続いているのかもしれないけど。そういう風にしてぼくは本当のことを言うのを控えるようになった。
本当のことというのは本質的なこと。辛くても見なければいけない現実のようなもの。でも、彼女たちにとってはそのセカイのほうが大事だったのだろう。小さくて居心地のよいセカイ
そうやって関係を犠牲にして手に入れたはずの力だけれど統制を離れて再現が効かなくなることが多々ある。その力が現れているときと現れていないときの違いは覚醒期と冬眠期のそれに似ている。覚醒期には能く見え、能く聴こえる。「可聴領域が広がる」とかそういうことではなく、少し見たり聴いたりするだけでそのものの概要を理解できるというか、文脈のようなものが理解できる。「あれ?オレなんでこんなこと知ってるんだろう?」って感じで、知覚が梵(ネット)に繋がる。
その感覚が消えてから久しかったけど、最近ようやく復調した。3年ぐらいかかったか。周期的には5年、3年とブレがあるな。多分に外部の環境要因にも依るのだろう。
そして知覚(input)に応じる形で言葉(output)の回路も覚醒する。なんか語彙が増える。あるいは眠っていた語彙が起きてくるのかもしれない。outputの連鎖の中でリズムが作り上げられていくのか・・。
覚醒していないとき(冬眠期)はけっこうしんどい。
自分の言葉が奪われて自分じゃないみたい。思い切り出せない。表現して確認できないのでいろんなものがこんがらがる。そして自信を失っていく。デフレスパイラルみたいに。
あるいは悪魔がそんな感じで人の人生を操って楽しんでいるのかもしれない。ひどい悪魔だ(悪魔だから仕方ないのだろうけど)
覚醒期の知覚を駆使して到る地点のすばらしさは月の輝きにも似ている。程よい緊張感の夜に浮かぶ蒼い月のような、そういう美しさ。
スガシカオにそんな内容の歌がある。(「黄金の月」)。情熱を捨て生活を選んだ男の話。しかし、最後には未来への希望や月への回路も断たれてしまう。あるいはそれが断たれたとしてもいまの生活を選択するという意志なのかもしれないが、逆説的にスガシカオの原点なのかなぁ、って作品。(月への意志と覚悟)
そういえばサンボマスターにも月への思いを歌った歌があった(「月に咲く花のようになるの」)。この作品にはむしろこの曲のほうがふさわしいか
G戦場ヘヴンズドア 3 (3)
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町蔵と鉄男。マンガ嫌いとマンガバカ。正反対の2人が歩むマンガ道の話。
類型というか先行作品としてはこの辺があるか、
このジャンルは「編集王」で終わったと思ってたけど、ここまで熱いものが描けるとは、正直驚いた(ってか泣いた)。
(※以下、思いっきりネタバレで)
鉄男はマンガの天才。しかし、その作品を見た母がショックで倒れたことからしばらくの間ペンを封じていた。自分のマンガを凶器と思って。
町蔵は有名漫画家の父の生き方、家庭を顧みない生き方に反目してマンガを毛嫌いしていた。
そんな2人が出会い、互いの才能に惹かれあうところから物語は始まる。
語られるはマンガ道な主要テーマ、すなわち、「プロとはなにか」、「エンタメ性 / 作家性 」、「想像力そして創造力とはなにか」、「想像力の悪魔」、「作品の'読者"とはなにか」、「表現活動とは何のためにあるのか」、「テクニックを越えて伝えるもの(伝わるもの)とはなにか」・・・。そして本エントリ上段でつらつらと書いてきたようなことも絡む。
ここに日本橋的なテーマ(「自分の中の悪魔に向き合うこと(そうしないと自分に殺される)」、「輝けないもの、輝きを失ったものはどうしたらいいの?」)が絡む。
それぞれについて詳しく触れることは避けるが、通常、多くとも共同作業をしている相方との対他関係で語られることが多いマンガ道のテーマに親子間の愛憎が絡んでくるのは新鮮だった。
町蔵の父も鉄男の父も家庭を顧みずマンガに全てを費やしたために息子達の恨みを買っていたが、そういうのも大きな愛の中に包まれたことだったんだな、ってこと。(※いちお伏字するか)
坂井(町蔵の父)の愛はペンを折った鉄男と、周りとの疎外に悩む息子に向けられていたこと。
そういう伏線が本編のテーマと絡み合って、物語の厚みを増していた。
作品の主要テーマとしてはやはりもっとも強いこのネームに集約されるのだろう。
もしお前がもう一度、オレを震えさせてくれるのなら、この世界で、一緒に汚れてやる。
「エンタメと作家性」のところに掛かってくるのだけれど、それ以外にもいろいろとリンクしているのかもしれない。宮澤賢治の「告別」にもリンクするな。
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
【告別より引用】
そして「編集王」と繋がる。(魂の契り)
最後に戦士たちはG戦場に集いてアリアを歌う。線形の輻輳に応えて天国への扉が開く。「悪魔は仲間を奪うだけではない」というメッセージ。
ラストシーンへ到るシークエンスは「ピンポン」(松本大洋)のそれを髣髴とさせた(「お帰り、ヒーロー」)。ピンポンとの関係で考えると鉄男がスマイルで町蔵がペコなのだろうけど、そう単純なものでもないのかもしれない。父親たちの代からの受け継がれた友情と契約のようなもの。そうするとやはり「編集王(14)」のテーマに還ってくる。
全体的にサンボマスターのこのalbとも被る(cf.「本当のこと」)。
サンボマスターは君に語りかける
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サンボマスター
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そういうわけで脳内音楽はサンボマスターだったんだけど、著者の脳内音楽は戸川純「赤い戦車」だったらしい。
辛酸はだいだいの
It's Not More Red Than My Hard Will
突き上げるあつい想いが描きなぐった血の色の
ペインティングス まるでキューブな自己実現
生きるために生まれたんだと確信する色
重ねて同じ色を塗り続け幾たびになろう
しかして立体化した形状の絵すなわち成就
もしくはG線上のアリアの上に赤い戦車を奔らせたか。
「赤い戦車」は見つからなかったんだけど、とりあえず
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関連;
G線上のアリア(※MIDI 音出ます)
http://classic-midi.com/midi_player/classic/cla_Bach_air_Gstring.htm
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