ぼくは礼に対しては礼で、無礼に対しては無礼で返す主義なので最初から無礼で返したわけだけどその辺りのことも理解できなかったようだ。(そして思ったとおりinformationもinsightもなかった)
あと、元エントリの人もなんか書いてたみたい(参照)。
こちらの人はまだ「よくわかんないで書いて済まなかった」的雰囲気があるのでマシなんだけど、やはり基本的なことがわかってないようだ。仕方ないけど・・。
あと、なんかずーっと誤解があるようだが(ってか、本サイトを継続的に見てる人なら分かると思うが)、オレ、ニートとかではないんだけどな・・。モチベーションとかスキーマの差で分かるよな、ふつー。・・・まぁいいや
結論というか、最初から分かっていたことだが、彼らは「悪くはない」のだ。ただ、想像力がないだけだし、配慮の気持ちがないというだけ。そして日々、正しく、つつましく(かどうか知らんが)、彼らなりの生活を送っている。彼らが彼らなりの努力で勝ち取ったものを享受している。おそらく平凡だがふつうの一生を送るのだろうと思う。(あるいは一定層の人から見れば「勝ち組」と見られるぐらいの)
それは世間的に見て「正しい」。彼らの言うことも「正しい(間違っていない)」。件のエントリもたとえば酒の席なんかで後輩かなんかに「おまえ、いつまでもニートじゃいかんぞー。オレ見てみろ、てきとーなとこでてきとーに力入れればちゃんときゅーりょー貰えるんだよ。だから、働け、な?」っていうつもりだったのかもしれない。(そして一部の人から見ればそれは共感を呼ぶ)
彼らは間違っていない。、で、あるからこそタチが悪い
彼らが無神経に使う「ニート」だの、「格差ってなに?」だのの言葉(認識)が一部の人をいかに苦しめているか。あるいはこれから苦しめることになるか。彼らは想像できない。道端のアリンコを踏み潰すのと同じように、点字ブロックの上に自転車を止めるように、彼らの<正しさ>は無神経に一部の人の気持ちを害し、生活圏を奪っていく。
「学ばないことは悪だ」とまでは言わない(彼らは忙しいのだから)。しかし、その鈍感さに少しは気づけるようになって欲しい。「彼らの努力」といったものが本当に努力したくてもできない人やギリギリの生活の中で研鑽を積んでいる人の努力に比べたらなんでもないということ。そして、そういった軽い努力に裏打ちされた無神経が一部の人の気持ちを害し、生活圏を奪う可能性があるということ、そういうことに気づいて欲しい。(ex.無神経によって社会保障是正案が通らなかったり、「ニートって言うな」な問題がある)
重ねて言うが、ぼく自身、ここのエントリで書いてあるぐらいの状況は苦労とも思えないような環境で育ってきた
・・前置きが長くなった。以下、セカイ系について。
セカイ系とは、
世界は主人公とヒロインを中心とした主人公周辺しか存在しない設定が基本となる。主人公とヒロインの人間関係・内面的葛藤等が社会を経ずに世界の命運を左右していく。場合によっては主人公とヒロインの関係が世界より上位にある。
セカイ系の作品では、主人公が非常に強いもしくは特殊な能力を持った10代の少年少女であることが多い。そしてその力は世界の命運を左右するほどの力である。作中ではなんらかの事情により全世界規模の危機的状況にあり世界の運命は主人公に握られている。
精神世界や感情と世界とが直結している設定を特徴とするため、登場人物のトラウマが強く全面に押し出される事が多い。個人がそのトラウマを克服出来るかどうかがそのまま世界を救えるかどうかに繋がる。
主人公の認識している範囲が世界の全てとして投影されるためセカイ系と呼ばれる。
1990年代の時代背景の中、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のブームとともにジャンルとして形成される。「エヴァ系」と呼ばれることもある。
端的に言えば、個人幻想・対幻想領域から「社会」をジャンプして「世界」へ一足飛びって感じ。共同幻想からの影響は受けない。もしくはこの辺
セカイ系とは何か
http://iwatam-server.dyndns.org/kokoro/sekai.html
ポイントとして、「身近なこととセカイが直結する」「セカイより自分」「恋愛と相性がいい」、「自己が侵食される」など。
エヴァがその代表例として挙げられるが、「ぼく地球(たま)」なんかもこの辺に入るのではないか?(てか、あっちはニューエイジの影響か)
んで、エヴァだけど。そこでは個々人の葛藤がそのまま世界の命運に繋がるっていう・・なんか「命の格差」みたいなのを感じる設定になっている。てか、ほかの世界が見えていないというだけか。こういう世界観はそのまま視聴者の世界観の投影だったりする。アンノはそれを「物語は主人公の内的世界の投影(閉じられた世界)」という形で表現し、「その殻を破って外に出ろ!」というメッセージを作品に乗せたわけだけど、そのメッセージはうまく伝わらなかった(というか戯画化した)。
それはメッセージの表現方法というか、作品の主題をアンノが消化しきれていなかったのではないか、とも思うのだけれど、今秋の作品ではその辺はクリアしているのだろうか?
『見知った世界における「狭い共感」のみを信じる』という点ではドラマにも通じるようだ。
1億総ヤンキー化 (いちおくそうやんきーか) (@Yahoo Japan)
http://dic.yahoo.co.jp/newword?ref=1&index=2007000144
ここでは『華麗なる一族』や『拝啓、父上様』が例として挙げられててびみょー感漂うけど、「見知った世界の共感のみを信じる」という点では共通するだろう。そういうのは本エントリの前置き部分とも関連してくる。
アニメやマンガへの閉じこもりとテレビドラマに対するそれではユーザー層とかメディア利用の仕方が違う(cf.利用と満足)があるかもしれないが、おーざっぱに言えば同じ感じ。
キータームは「狭い共感」(ぼくらのセカイ)。位相としてはバックラッシュの前線といったところだろうか。(あるいはそういった心性や認識が涵養される場)
で、秋エヴァはそのセカイを超克できるか、というところなのだけれど、その前段階として、個人的にセカイ系と関わっているように思われる作品を3つほど読んだ。まずはこれ
少女ファイト 1 (1)
posted with amazlet on 07.03.15
日本橋 ヨヲコ
講談社 (2006/07/21)
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「セカイ系と関わっている」っていうか一部では「セカイ系そのもの」ってことなんだけど
セカイ系の技法と日本橋ヨヲコ後編(承前)
http://chiba.cool.ne.jp/masaakihamada/nihonbashi.htm
大部分は上記リンク先に書いてあるので深く言及しないけど、印象として、「ネームがやたら熱い」「中高生なのにやたら大人びている」「クラブ活動がセカイの全てだと思っている」、といったことを感じた。体育会系はそうなのかもしれない(クラブ中心で学生生活が短い=就職が早い=大人な世界観になるのが早い?)。そういうのはなんか「ヤンキーは現在を過去としてとらえているから写真をとるのが好きなんです」とか「ハマータウンの野郎ども」とか思い出すけど、まぁ、置く。
それにしても高校を出てそれほど経ってないと思われる20代女史が鬼龍院花子みたいな格好で墓参りに現れるか・・・。そこがセカイ系たる所以なのだろうけど。
まぁ、とりあえず、 ここでは「クラブ」という閉じられたセカイの中で全ての価値観や認識が充足(循環)している。
んで、次
機動旅団八福神 (1巻)
posted with amazlet on 07.03.15
福島 聡
エンターブレイン (2004/12)
売り上げランキング: 61650
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これはセカイ系というよりもポストエヴァとして。
設定としては、「特殊能力を持った若者が集められて特殊ロボに乗って敵と戦う」、ということでエヴァっぽいんだけど、ハードSF的要素も強くて、背景設定がけっこうリアル。中国によって併合(日中安保)された日本が舞台で、国家の威信をかけて最新技術(ロボ)によって模擬線を行っているという設定っぽい(この辺りの背景は説明されていない)。国家の意志に翻弄される沖縄の悲劇にも少し触れているし、全体のノリは自衛隊とか軍事マニアっぽい。
ポイントは「社会とのコミットメント」だけど、「リアルなSF軍事マンガ」という路線を貫徹することでその辺りには触れないという感じだろうか。福島の一連の作品は未だ途中までしか読んでいないのだが、たとえば以下の作品からはこの作家の人間存在(あるいは対他関係)に対する描写力の確かさが伺える
そういった意味では「福神」も社会との関係というより「戦争」と「個人」(あるいは「個人の抱えている葛藤(ドラマ)」)ということが主なテーマとなっていくのかもしれない。だとするとセカイ系的には「トラウマ」との絡みになっちゃうわけだけど、そういうところで落とされてもつまらない・・。いまのところそういった兆候はないようだけど(中国人パイロットに少し見られたけどトラウマとは違う感じ)、さて、どうやってオチをつけるか・・。
んで、最後にこれ
「選ばれた子供が特殊ロボに乗って正体不明の敵と戦い、地球を救う」という設定はモロにエヴァと被るんだけど、あえてこういったスタイルをとることによってエヴァ越えというかエヴァの果たせなかった責任を全うしようという意志が感じられる作品。
「セカイ系の超克」ということで社会へのコミットメントが必要になってくるわけだけど、それぞれのパイロットの大切なものを接点としてエピソードを構成し、社会との関わりを表現することに成功している。「それぞれのパイロットに大切なもの」=「家族(あるいは友人など)」ということで家族(社会)を守るために子供たちは闘う。
ただ、これだけだと非対称的な暴力ゲームに過ぎないのだけれど、「各パイロットは一度、ロボを運転すると死ぬ」という設定を持ってくることによって自分も社会の一部であること(観客席にいるわけではない)いうことを表現すること(読み手に想像させること)に成功している。
また、「ロボが闘うことによって破壊される街への影響」、「敵のロボにも命がある」というテーマの中で、主人公達は社会への想像力(責任)を意識し、葛藤する。(「振り上げたこぶしの、それがどんな影響をもたらすのか」)
「想像力」、「責任」、「自分で背負って自分で処理すること(責任と自信)」、「他者(生命)に対する業と責任(原罪)」、「それを引き受けて生きていくこと」・・・。
これらのテーマが輻輳する中で主題である「ぼくらの(世界)」を考える土台が作り上げられていく。この辺の力量はすごいな、と思った。力量というか鬼頭の誠実さなのかもしれないけど(あとは対他関係への細かい配慮)
鬼頭の対他意識(コミュニケーションへの繊細な配慮)はこの作品からも伺えた
はてな界隈のくねくねは大体詰まっているように思う。
以上がセカイ系について今回見てきたテクスト。いまのところの印象では鬼頭が一番踏み込んでいたように思えた。
で、
こういった作品を受けてアンノはどのようにポストエヴァを描いていくか、ということなんだけど・・やはり嫁さんの影響とかあるのだろうか
アンノ嫁というと現在絶好調の
で、あり
なわけだが、これ以前の作品(「花とみつばち」、「脂肪と言う名の服を着て」など)では、どちらかというと女子のホンネの部分(そのせつなさとか責任とか)に終始していたように思う。それが今作「働きマン」では「社会(労働)」という要素をかなり意識したつくりになっているわけだけど、この辺りの心境の変化というのは(年齢などもあるのかもしれないが)結婚の影響があったのだろうか。「変わる」ということを受け入れるというか、共に歩むというか・・。そしてその先にあるものへの想像とか。
だとすると、ファン心理としてはこの結婚が両者の作品にとってよい影響を与えていることが期待されるわけだけど・・・どーなってるのかなぁ・・。(嫁さん巨大化とかはやめてね)
最後に、「監督不行届」(p143)より
嫁さんは巷ではすごく気丈な女性というイメージが大きいと思いますが、本当のウチの嫁さんは、ものすごく繊細で脆く弱い女性なんですよ。つらい過去の呪縛と常に向き合わなきゃいけないし、家族を養わなきゃいけない現実から逃げ出すことも出来なかった。ゆえに「強さ」という鎧を心の表層にまとわなければならなかっただけなんです。心の中心では、孤独感や疎外感と戦いながら、毎日ギリギリのところで精神のバランスを取ってると感じます。だからこそ、自分の持てる仕事以外の時間は全て嫁さんに費やしたい。そのために結婚もしたし、全力で守りたいですね、この先もずっとです。
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