2007年03月07日

blogジレンマとゆるい繋がりの可能性

 ちょっと寝る時間が遅くなってきてるので簡単に済ませたいのだけど、また長くなるかもしれない・・。できるだけ短く。

 縮景園を散歩しつつ、「これってビオトープ?」、とか思った。ビオトープとは、

ビオトープ(Biotop、独語)は、バイオトープ(biotope、英語)とも表記し、生物の生息環境を意味する生物学の用語であり、また生物・環境教育の文脈では人工的に作られた生態系を指す言葉である。言葉はラテン語とギリシア語からの造語で、「bio(いのち)+topos(場所)」である。 また人工的に生物群の棲息場所となるよう環境を整備した場所のことを正しくはビオトープ・ガーデンと言うが、この呼称は日本ではあまり浸透していない。

ビオトープ とは 「英biotope 独Biotop」 (biotope) びおとーぷより引用】



 要するに「小さな生態系」とかいうやつだ。この言葉自体に「ロハス」的ななんかイイ感じ臭があるので少し注意しながら使う必要があるのだろうけど、めんどーだしチューボーなので論を進める。

 で、メディア者としては例の「メディアビオトープ」が思い出されるわけだが、


メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする
水越 伸
紀伊國屋書店 (2005/03)
売り上げランキング: 103215


 上記した通り、「なんだか胡散臭いなぁ」、って感じだったので読んでない。っつーか、いままでの水越さんの話をあたらし言葉でコーティングした感じだろうなぁと思ってたので。んで、読んだ人の感想ぐぐったらやっぱそんな感じだったみたい。(ミニコミメディア(alternative media)が云々)

 実際に本を読んでないので批判はしないけど、今回のネタとしては使わせてもらおうかなぁ、と(読まずに

 生態系(eco-system)といえばよいところをわざわざ「ビオトープ」というあたらし言葉を用いているのはなぜか?好意的に解釈するならば、そういう言葉でしか表現できないような新しい事態というか、見過ごされていた事象があるからではないか?どうもこの言葉で表したいのは、「大きな生態系によって小さな生態系が潰されている」、ということらしい。生態系は一繋ぎの仲良しさんではなく、小さなノードとか大きなノード(ハブ)がバラバラに点在しつつネットしている、と。

 ビオトープは人の生活空間の一部に、自然を組み込んでいく場だ。また、小さなビオトープ一ヶ所だけでは成立しない、複数のビオトープがネットワーク化されることが必要とされてもいる。同じように、人工的・歴史的に作られたマスメディアでガチガチに固められた社会の中に、作り手と受け手が分離するのではなく、相互にコミュニケーションしながら、コミュニティを形成していく、小さなメディアのビオトープのネットワークを作っていこう。一つ一つは小さなメディアであり、そのメディアに支えられた小さなコミュニティであっても、それがいくつか集まってネットワークを形成していけば、簡単に消えていくことはない。

読書日記: メディア・ビオトープより引用】


 んで、「バラバラのものの連帯を強めていけばいいんじゃん?」、みたいな感じなんだけど・・・・・・びみょーですよね?(と、ネットワーカーの皆さんに低姿勢に聞いてみる)

 まぁ、こういうことなわけだけど、

ブログ世界はフラットではない---「アルファブロガー」の孤独なセクトが生まれるわけ。(@BigBang)
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2007/02/post_9385.html

 フラットっていうと「フラット化する社会」を想起して、あれはグローバリゼーション(一部のハブの独占)からハブとハブの林立にモデルチェンジした様相を描いている本っぽいのでちょっと「フラット」って言葉を使うのはびみょーな感じだと思うんだけど、まぁ、文脈からして「ノード間が対等の関係にあることという前提」を指していると解釈すると、BigBangさんが指摘されているようにアルファな人とベータな人は住む世界というかスキーマが違うので話が合わないよなぁ・・。

 リアル世界だとそういうこと察して生活してるもんだけど、ネットは顔が見えないし、blogなんかSBMのホッテントリとかニュースサイトとか「2chで見て飛んできますた!」なので文脈なんか断絶されてて、それまでのblog主の主張とか人となりなんかお構いなしだもんなぁ・・(個別エントリは見てもトップページとか過去ログ見る人少ないよね?)

 
ちょうどishさんのところに関連エントリが出てた


なぜコメントの敷居を高くするのか
http://ish.chu.jp/blog/archives/2007/03/post_315.html

交流、直流、コミュニケーション
http://ish.chu.jp/blog/archives/2007/03/post_316.html


 簡略化された言葉が齟齬と誤解を生むということ。そして公開の場でミスリードやディスコミュニケーションの部分だけクローズアップされ伝わっていくということ。その危険性はよくわかる。そういうわけでアルファな人は話に乗ってこない。相手がアクセス数持ってて、相手の言説によって自分のプロパティ(ネットでの評判)が脅かされるなら別だろうけど。「日本のblogは低レベル」で「わたしはアクセス数(アルファかどうか)など気にしていない」とか言いつつもアクセス数は気になるわけだ。(まぁ、仕方がない)

 現在のテキスト主体のネットコミュニケーションというのは「顔が見えないコミュニケーション」ということで情報量が少なく誤解が生まれやすいんだけど、誤解を減らそうと思って言葉を尽くすと長文ということで嫌われる・・。


ネットから長文が消える理由?(@スラッシュドット)
http://slashdot.jp/it/article.pl?sid=07/02/06/1040227


 んで、「分かりやすくまとめる」わけだけど


「わかりやすくまとめる」ブロガーがブログ界隈をテレビ番組化していく(@シナトラ千代子)
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20070206/p1


 そうすると「情報量が少なく誤解が生まれる」ということで堂々巡り。


 スパムとかディスコミュニケーションとかで※欄を開放しないのは分かる。ishさんの場合、マイノリティ的事情もあるし。

 webによるスピード感の加速は場の圧縮をもたらして、タイムラグなどの緩衝材がなくなりコミュニケーションの齟齬が生じやすくなるということ。文脈違うけど「場の圧縮」関連でP.ヴィリリオを想起する。 もしくは「距離近すぎ」ということでこの辺か


コミュニケーション不全症候群
中島 梓
筑摩書房 (1995/12)
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 要は、「短文でも誤解を受けないようなプロモーション技術(コミュニケーション技術)を自然と身に着けているか」(あるいは空気嫁)、ということで、そういうのは百式の田口さんなんかうまそうだけど、あの人たちって広告とかマーケとかそういう人たちだもんなぁ・・。そりゃうまいわなぁ・・

 めんどくさいのでぼくは自分言葉でおーざっぱにまとめていくことにしてるけど。



 で、


 冒頭のビオトープの話に戻ると、そんな感じでネットってリアルワールドの写し絵なのでそんなに簡単に「みんな仲良し〜♪」とかできないんじゃないか?でも、ソーゴリカイというか、他人が何を思ってそういう行動をしたのか、想像する余裕ぐらいは持っておいたほうがよいと思うけど。それは「仲良し」的必要性だけじゃなくて、セキュリティにも関わるし(行動パターンを読む)。っつっても、そんなに簡単にパターン読めるわけでもないだろうけど。

 ビオトープ的な考えがそういう感じで島宇宙のゆるい繋がり(繋がったり繋がらなかったり)を許容するのならありかな、と思ったり。

 「ムリに仲良くならなくてもいい。でも理解はするべき」みたいな距離感としてはこの辺が妥当ではないかと思った






 現在のネットのeco-systemとしては下記リンクの辺りがモデルケースとして考えられているみたい。


The Emergence and rise of mass social media
http://www.socialmedia.biz/2007/01/social_media_go.html

 
 織田さんの解説をパクらせていただこう

1.コミュニケーションは対話であり、一方的な言葉ではない。

2.ソーシャルメディアの参加者は人であり、組織ではない。

3.正直さと情報公開が中心となる価値観である。

4.プッシュではなく、プル。

5.集中ではなく、配信。

Ad Innovator: 今日の解説:マスソーシャルメディアの台頭より引用】




 あとはIBMによる4象限モデルとか
http://www.socialmedia.biz/2007/02/the_coming_medi.html


 前に見たEmergent Media Eco-Systemの焼き直しっぽいし、あくまでモデルなのでそのまま行くかどうかは分からないんだけど、まぁ、いちお記憶にとどめておこう。


--
関連:
上川あやさんの本(@heuristic ways)
http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20070307

※中村中さんの話の続き


「共同体」のイメージ(@小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」)
http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20070306#1173156967

※小田センセからお返事いただいた。「田舎のほうがキチキチした監視があるっていうのは偏見じゃないの?」、と。こういうのは農民蔑視の偏見解除にも役立つな。あと、後段の「共同体の脱構築/再構築」も面白そう





posted by m_um_u at 23:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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