2007年03月07日

NHK問題(もしくは公共放送論)

 巡回先のいろんなとこで見て「おすすめだよ!」とか書いてあるし、近頃要チェックな武田徹さんだし、なんか曽根さんも読んだみたいなのでこの機会に積読を崩してみた。





 いわゆる「公共放送論」の分野に入るものだけど。メディア者として、これを読む以前のフレームとしては、「NHKの経営問題と公共性の問題を絡めて論じているか?」「その例としてシマゲジをどのように評価しているか?」「衛星放送の決断について触れているか?」「アーカイブの公開については触れているか?」などなどがあったわけだけど・・・・びみょーだった・・。

 でも、一般的には分かりやすかったのかもしれない(・・のかなぁ)。って、やっぱNHK引退者の本からの要約が多かったように感じたけど。NHKの歴史読んでても眠いしなぁ・・。でも、楽しい人は楽しいのかもしれないからあまり言わないどこう。

 
 ぶつぶつ言ってないで内容に触れると、最初はけっこう飛ばしていて期待が持てた。以下、<「公共性」だの「ジャーナリズム」だの軽々しく言う連中は胡散臭い>という文脈から

(p8)メディアの歴史を調べることを仕事のひとつにしている筆者の立場からいうと、「かくあるべし論者」が述べるようにが述べるように、ジャーナリズムが中立公正で、客観的かつ科学的で、しかも市民の味方であったためしなど過去に一度もなかった。ジャーナリズムは常に偏り、常に主観的で、非合理的であった。市民の味方になったように見えた時期があったとしても、それは市民社会とジャーナリズム組織の利害がたまたま一致した偶然の結果にすぎない。「お行儀よくできるのにできなかった」のではなく、はじめから「お行儀よくなどできない」ものとして生まれ育ったのがジャーナリズムだということを、その歴史は如実に物語っている。

(9) そんなわけで「公共性」を口癖のように軽々しく言葉にする人と、「ジャーナリズムかくあるべし」と説教をたれる人は、どうにも信用ならないと思っていたのだが、世の中にはよりにもよってその信用できない二つを揃えて口にしたり、身をもって示そうとしたりする組織がある。それが本書の議論の対象となるNHKだ。


 こんな感じでNHK的公共性の示威行動に対する欺瞞とか警戒を示しつつも、NHKの存在意義は以下のように認めている。

(9-10) NHKこそ日本を代表する、最もエスタブリッシュされたジャーナリズム組織であることに異論はない。約1万2000人(2005年)もの多くの職員が日本全国津々浦々に、そして世界中にと配置され、取材活動を日々くり広げている。NHKほど充実した体制で報道の仕事にあたっているメディア組織は日本で他にない。普段は民放の娯楽番組ばかり見ている人も、災害や有事のときにはNHKにチャンネルを合わせるケースが多いのではないか。それは、「ジャーナリズムだったらNHK」という信頼あってのことだろう。
 その磐石の取材体制は、筆者のように雑誌メディアを主な仕事場としてきた立場からいえばまさに羨望、垂涎の的である。雑誌メディアでジャーナリズム活動をしようとしたらテーマを決めて掘り下げる調査報道型のものを独力でコツコツとやるしかない。取材記者を各地に配置し、事件の発生に備えて常時待機させているわけではない雑誌編集部にとって、事件や事故の現場に発生直後に駆けつけて第一報を送り出すストレートニュース報道はあまりにも荷が重いのだ。
 対してNHKはストレートニュースもできるし、一方で調査報道もできる。それもコツコツどころか、潤沢な予算を使って大規模な取材活動が展開できる。世論調査も企画、実践できる。その取材スケールは雑誌メディアと二回りも、三回りも違う。


 <問題はその機能が十全に発揮されないこと>ということなのだろう。それを妨げる要因として武田さんは、<NHK的経営が公共放送を私有化している>、と論を進める。「公共放送が儲け主義に走るのってどうなの?」ってことだ。で、川崎泰資さんを引きつつシマゲジを槍玉に挙げるんだけど・・・これってどうなんだろう?

 確かにシマゲジに対する歴史的評価というのは、「NHKを私物化して公共放送から儲け主義に走った人物」、ということでほぼ確定しているように思う。NHKエンタープライズのような存在は良い例だ。実際、島は関連著作の中で、「エンタープライズはNHKの未来を乗せた方舟」みたいなことを言っていたように思う。


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 でも、そういうのは多チャンネル化によって電波の有限希少性がなくなり、受信料収入が維持できなくなることへの不安からきたものであって、その決断そのものはあまり責められるものではないのではないかとぼくは思うけど。受信料収入減ったら番組の質が低下するかもしれないわけだし。それに対しては、「経費の不正使用してる部分とかムダな事業計画(ハイビジョンなど)を見直せばいいじゃん?(そもそも儲けすぎ)」、って話もあるけど、やっぱ受信料収入が減っていくというのは公共放送の質に関わるように思う。あと、シマゲジが儲け主義だったとしても、歴代のNHK会長の中ではもっとも経営ということを考えて動いた人物、ということでは評価できるのではないか?それ以外の人は総務やら族議員のロボみたいだし。
(って言いつつも、シマゲジは個人的には付き合いたくないタイプだけど。)


 ちょっと飛ばしたので順を追って説明すると「電波の有限希少性がなくなる」とは、デジタル化によって狭い周波帯域で多くの情報を送信できるようになり(多チャンネル化)、特権的に周波帯域を割り当てられていた放送事業者の価値が薄くなってしまうということ。昔は混信を恐れて詰め込めなかったけど、いまは圧縮技術の進歩でけっこう詰め込めるようになった。

 ここでNHK側としては、「多チャンネル化すると視聴者がNHKに受信料払ってる意味ってあるのかって思いだすんじゃ?」、って思った。てか、近い将来そういう状況が訪れることを見越して、2つの方法で収入を捻出することを思いついた。一つがエンタープライズ、もう一つがハイビジョン。衛星(-国際放送(MICO))もここに入るのかな?・・まぁ、置く。

 エンタープライズのほうはNHKの子会社という形なので、NHKとは分離していて、本来公共放送できないような「モノを売る」ということができる(DVDとかキャラの関連グッズとか)。ハイビジョンのほうは受像機(専用テレビ)を買ってもらうことができる。っつっても、後者は家電(松下?)の領域なのでNHKにどのぐらい入るのか良くわかんないけど。あと、衛星。これは地上波の受信料とは別に受信料を徴収できる。1000円ぐらいのアップでも税金みたいな感じでほぼすべての国民から徴収できるわけだから大きい。実際、衛星放送はそんな感じで収益に寄与した。

 これに対しては民営が「民業圧迫!」「空から衛星のナパーム弾!」とか下品なこと言って非難したけど、けっきょくデフォルト化した。

 ってか、衛星の本当の意義って山間部とかの難視聴地域でもTVが見られるようにすることだったんだけど。そういう状況がちょっとでも改善されただけでも衛星放送の意義ってあったように思う。
(んで、池田センセは「高い金払ってデジタル化するよりも衛星放送で難視聴地域カバーするほうがよっぽいどいいじゃん」って仰ってて全く同感なんだけどこれもちょっと置く)


 全国に遍く電波(サービス)が届けることを「ユニバーサルサービス」って言って、そういうマイノリティなところへカバーのようなことこそ公共放送の使命だと思う。アーカイブの開放というのもこの文脈に絡んでくるように思う。

 アーカイブを求める需要というのは「昔、見た懐かし映像をもう一度見たい」ってことで、そういう「懐かし映像」の好みなんかは個人個人の生きてきた環境に依存すると思う。つまり各好みはニッチなものになるということ。アーカイブを求める市場全体としてはけっこうメジャーかもしれないけど、各番組へのニーズはマイノリティなものになっているので、一気にマス放送するのではなくてオンデマンド形式でやったほうがいいように思うんだけど、そういうのはなかなかやってくれない。「民業圧迫」っていうか、エンタープライズを機能させときたいからだろうけど。(cf.「プロジェクトX売れるわぁ」)


 で、衛星もアーカイブも「マイノリティ向けの儲からないサービス」ということで民営じゃなかなかやってくれないサービスなんだから、公共放送がやるべきということになる。マイナーなサービスを提供し続けるためには潤沢な資金が要る。受信料収入にはいつまで依存できるか分からない。政治的圧力の問題もある。だからこそ、この分野においては経営という視点が必要になる。


 そういう「マイノリティへの貢献」みたいなのとは関係のない部分で「公共放送には使命があるんです!」とか言ってると、具体的じゃない「使命」ということを逆手に取られて「命令放送」だのなんだのギロンが出てくる。ってか、命令放送してもいいかもしれないけど脇道逸れるのでやめとこう。


 「ジャーナリズムへの貢献」というのはこういう側面から見るとひじょーにびみょー。情報の内容は客観的に判断できるものではないので、政府筋が「これはマイノリティの為に必要な情報ですよね?」、って言ったらそうなるかもしれないし(cf.「不偏不党」「客観報道」ってなんなの?)。そういう意味では前掲、武田本の中の以下の記述はびみょーなわけだけど

(185)BBCは国際的な放送事業者として、現在行われている戦争において英国ならびに世界中の視聴者に特別な責任を負っている。そうした多くの人々が正確なニュースと情報を求めて我々を頼りにしているからだ。我々が真実を伝えているという信頼感を視聴者に持ってもらう必要がある。また視聴者は、BBCが不偏不党の分析を提供し、英国やその他の地域で戦争に反対する人々の声を含むさまざまな見解や意見を我々の番組で提供することによって、これらの出来事の理解を助けてくれるとBBCに期待している。

(訳文は、岡本卓 「戦争報道ガイドラインに関する一考察」『放送研究と調査』 2003年10月号による)


 「戦時中に国家に逆らって少数派意見を採用する」というのはマイナーかつ重要だろうなぁ・・。でもなにをもってマイナーとか正義の報道とするかとかなぁ(・・以下循環)


 で、「何をもって公共的に重要なものとするか」ということで「公共性」問題が絡んでくる。

 公共性というのは平たく言えば、「みんなが通る場所においてある皆が使うものだから大事に使いましょ」、ってことだと思うんだけど、そこで「大事に使う」ためのルール作りが重要になってくる。

 「将来的に考えてもこのルールが正しいのだからこのルールに従って行きましょう」とする賢人の教えに従うか、「みんなで使うものだからその都度みんなで話し合うといいよ」という生活者ルールみたいなのに従うか・・。

 マスメディアと公共性関連のギロンでは花田達朗さんの影響が大きかったせいかしばしばハーバーマスが引かれ、そこに依拠したギロンが展開されるように思うけど、これってどうなんだろう・・?


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 確かにそこで言われていることは「正しい」。でも、しっくり来ない。ガチガチの石頭っていうか、なんか古臭い。「正しいけどそれ守るのめんどくせーなぁ」みたいな感じ。端的に言えば教条的に思える。

 武田さんも少し触れていたように、日本(あるいは世界)のジャーナリズム研究は引退記者の根性論(あるいはイデオロギー)みたいな感じで精神的な支柱というかバックボーンのようなものがなかったわけだから世界的に<公共圏(public sphere)>というのが受け入れられ、重宝されていったというのは分かる。でも、なんか・・ね。ハーバーマスの呪いってやつか。

(※ちなみにblogosphereという言葉はこのpublic sphereという言葉に由来するものと思われる。なのでこの言葉には最初から、「仲良くジャーナリズムしましょう」、みたいな意味が含まれているのだろう。sphere=「圏」、「場」。public sphereはドイツ語のエッフェントリッヒカイトの英訳)

 つっても、武田さんはロールズとかローティとか別の文脈も引いてきていて「公共哲学」って感じでこの辺を理論立てようとしているみたいなんだけど、やっぱハーバーマス臭が強いように思う。冒頭で、『ジャーナリズムの公共性にとらわれるのは云々』、と言いつつも自分が一番それにとらわれたギロンの展開をしているように見えた。あと、「経営(ビジネス)=悪」とするような傾向があるように思う。

 全体的に川崎泰資さんのシマゲジ批判に沿って「シマゲジはNHKを私物化していたカネの亡者」論を展開されているように見えたがこれってどうなんだろう?

 憶測だが、たぶん武田さんは、池田センセと林紘一郎センセが繰り広げているような放送・通信事業における「上下分離」の必要性の意義を理解されてはいないのではないだろうか。いわゆる「ソフトとハードの分離の必要性」というやつだが。

 公共性を論じるのも結構だが、それ以前に経営的な部分をしっかりしないと理想は絵に描いた餅になる。理念の重要性は認めるし、ぼくもその位置に立つものだが、それを選択する体力がなければメディア事業者には空理空論として聞き流されてしまう。その意味ではメディア事業者が唱える「公共性」とか言うのは対外向けの煙幕(タテマエ)に過ぎないのだからそこの部分に憤っても仕方がない。端的に言って、彼らが興味があるのはカネであり、カネと理念が揃っていれば「それなんてフィランソロフィー?」って感じでちょうどいいのだ。もちろん話半分という形で聞いてくるだろうけど。ならばそこに乗っかってカネと理念を用意するのが外側から要求する者の態度というものではないか?

 「カネ」って言っても現物のカネではなく「コスト削減」という形でのカネの提示だけど。もうひとつ言えば稼げるプランも必要なのかな(って彼らはネット音痴だから乗ってこないだろうけど)。まぁ、いまのうちにTVのリーチに酔ってればいい。


 そんな日本の放送業界にも変化の兆しがあるみたい。ようやくというかやっとというか・・。

 でも、なくなってしまうとなると少し寂しい感じもする。


 メディア者は業界の様子が変わっていく様にかつて文化人類学者たちが感じたような侘しさを感じる・・のかもしれない。





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♪スガシカオ /  やつらの足音のバラード

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関連:
NHK倒産 ほんとうか(@Jcast)
http://www.j-cast.com/2006/06/18001731.html

※受信料不払いによる不安について

NHK受信料の義務化、国会に法案提出へ(@スラッシュドット)
http://slashdot.jp/article.pl?sid=07/01/10/2032217&from=rss


NHKのFM放送削減がもたらすもの(@JanJan)
http://www.janjan.jp/media/0606/0606120899/1.php

※公共放送としてのNHKがマイノリティの需要を減らそうとしていることについて


NHKがポッドキャストに本格参入(ただし外国語限定)(@スラッシュドット)
http://slashdot.jp/articles/06/03/20/004248.shtml

※<「民業圧迫反対〜!」って言われるのでネットとかできないんだ>とかいう言い訳があるけど、いい加減ラジオ深夜便ぐらいpodcastにしてください

NHK番組のインターネット配信は2007年度にも全面解禁(@スラッシュドット)
http://slashdot.jp/articles/06/05/05/0212215.shtml

YouTube、イギリスBBCの番組クリップなどの提供をスタート(@B3 Annex:)
http://toshio.typepad.com/b3_annex/2007/03/youtubebbc.html

フランス国立視聴覚研究所(INA)がネット公開した番組10万本の衝撃(@B3 Annex:)
http://toshio.typepad.com/b3_annex/2006/05/ina10.html

見逃した番組を楽しめるNHKオンデマンド、2008年内にも開始の見込み(@インターネットウォッチ)
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2006/11/15/13955.html

「NHKオンデマンド」の幻想(@池田信夫blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/d10c9444df72f81e28b6241a19b1fb66

※思った以上にてこずりそう。。「権利処理のためムリなのではないか?」

その原因は、番組のネット配信について著作権の処理ができていないからだ。番組の著作権はNHKにあるが、脚本家、出演者、さらにBGMのレコード会社などにも著作隣接権があり、これらの関係者がすべてOKしないと再送信できない。特にNHKの場合には、ドキュメンタリーで取材した人々の肖像権をクリアしなければ配信しないという独自の基準を設けているため、処理コストは禁止的に高い。たとえば水俣病を扱った有名なドキュメンタリー「奇病のかげに」を再放送するため、この番組をつくったスタッフの取材メモを見て登場人物(ほとんど死亡)ひとりひとりの家族に了解をとったという。これではマイナーなオンデマンド配信では、とても採算はとれないだろう。

池田信夫 blog 「NHKオンデマンド」の幻想より引用】





NHKオンライン「ラボブログ」
http://www.nhk.or.jp/lab-blog/

※「デジタル放送開始」と連動した企画かな?でも、不祥事以降、ネットとの親和性を高めようとする姿勢が見えて好感が持てる。「NHK時計」「ただいま放送中」などのブログツールがある。




半国営放送(@赤尾晃一の知的排泄物処理場)
http://www.akaokoichi.jp/index.php?ID=661

※NHKの命令放送について。『国際短波放送を存続させるならば,公共放送たるNHKとは切り離された組織で運営すればよいのではないか』、との指摘。

社会主義末期のNHK(@池田信夫blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/5111fdc13d7dcaff4501ea23f0c8d5be

※「短波ラジオで命令放送を行わせる」関連。てか、後段の「NHKは現場の士気が過去最低になってる」というところが興味深い

経営陣は知らないだろうが、NHKの現場の士気は、私の元同僚(部長クラス)によれば「入局以来最低」である。「メディアとして新しいことをやろうという空気は、海老沢さんのときより少なくなって、マルチメディア局は解体されてしまった。『構造改革事務局』でやっているのは経理のチェックだけ」というソ連末期のような状況だ。橋本会長は「つなぎのチェルネンコみたいなもんだが、ゴルバチョフさえいないところが絶望的だ」と彼は嘆いていた。

池田信夫 blog 社会主義末期のNHKより引用】




日本の地上波局は、ケーブルテレビを妨害して多チャンネル化を防いだため、視聴率はまだ高いが、それは見かけ上の数字だ。視聴率は世帯ごとに出すので、居間にあるメインのテレビに測定装置が設置されるが(*)、テレビは世帯あたり平均2.5台ある。各部屋にあるサブテレビは、確実にPCや携帯に代替されているのだ。それがNHK受信料を20代の62%が拒否するという数字にあらわれている。

こういう状況で、見ても見なくても受信料を支払うよう義務化するのは、死んでゆくメディアに国費を投入して守るのと同じだ。かつて銀行に投入された数十兆円の公的資金が、古い金融仲介構造を温存し、日本経済の再生をさまたげているように、受信料の支払い義務化はメディアの新陳代謝を止め、YouTubeのような新しいメディアの登場を妨害する。

池田信夫 blog テレビが終わってるのに気づかない人々より引用】




新聞業界来し方行く末
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/34756845.html




※以下2つ、上下分離に関して


NHK国営化の第一歩(@池田信夫blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/e2500b8a269b22fc337693667da0f6a9

NHKが伝送部門の会計分離へ,通信・放送改革の立案者が描く壮大な計画(@ITpro)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20061201/255596/




シマゲジについて。金の亡者みたいに見られるが、MICO(国際メディア・コーポレーション)は金目当てじゃなかったっぽい。たしか世界情報秩序的な考えから「日本の声が外国に届かないのは外交的にまずいのではないか?」みたいな危機感からだったように思う。そういう理念はネット創世記にも垣間見えた。

Joi Itoさんに手伝ってもらって立ち上げた東京万華鏡(Shima Media Network)の理念はそういうものだったように記憶している。

批判すべきはせっかく獲得した資金を有効に使わなかった連中だと思うけど



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追記:
池田センセのとこにもシマゲジに関するエントリがあった


島桂次(@池田信夫blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/s/%A5%B7%A5%DE%A5%B2%A5%B8


ほぼ同意見っぽいのでTB






posted by m_um_u at 00:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク
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