2007年02月24日

最近の格差社会論をめぐる諸々 - 「ロストジェネレーション」から

 以下、1月頭ぐらいにほかのところで書いた日記だけどこれから格差社会関連エントリ上げる前段階として再掲しておく。この後バブルについて軽いメモも上げる予定(もう見ちゃった人はすみません)




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Yesterday I was a dog. Today I'm a dog. Tomorrow I'll probably still be a dog. Sigh! There's so little hope for advancement. 



「なんであなたが犬なんかでいられるのかと、時々思うわ」

「配られたカードで勝負するしかないのさ」




−−Charles M. Schulz




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 格差社会(あるいは労働問題)の関連クリップがたまって見づらくなったのでちょっとまとめておこうかと思う。最初はこれ


 「ロスト・ジェネレーション」について(@海難記)
http://d.hatena.ne.jp/solar/20070104#p1



 朝日新聞で現在やっている特集(「ロスト・ジェネレーション 25〜35歳」)について。「よくいう失われた十年を受けてのロスト・ジェネレーション(=失われた世代)なんだろうけど、それって誤訳なんじゃねぇの?」、と。
(※ちなみに仲俣さんはあとで、「ロスト・ジェネレーション」=「自堕落な」かも、ってことに修正してるけど、この辺は愛・蔵太さんもまとめてたな)

 んで、「"失われた世代”ってよりは"道に迷った世代”としたほうがいいんじゃ」って言ってるんだけど、ここまでで正直何が問題なのかよくわかんなかった。だいたいでいいじゃん、とか思っちゃったわけだが・・。
 ってか、仲俣さんが憤っていたのは変なラべリングでなんかが隠蔽されて変な方向に考え方が誘導されていくことを恐れて、ってことか。で、以下のような問題意識が出てくるわけだ。
いま何よりすべきなのは、「失われた十年」などという軽薄なマスコミ用語によって巧妙に隠蔽されている、(この世代だけでなく私たちすべてにとっての)「失われた」ものの実質を問うことのはずで、私はその第一は「景気」や「豊かさ」ではなく、なによりもまず「知性」であり、それを支える「勇気」だと思う。その欠落がたんなる「景気回復」や「バブルの再来」によって埋め合わされてしまう程度のものなのか、それよりずっと深いところでの「欠落」なのかを見極めないかぎり、これまでも何度も無益に繰り返されてきた、若い世代に対する無責任なレッテル貼りを繰り返すだけだろう。

正社員ではないことを、そのまま「社会からはじき出されてしまった」と表現できる鈍感さにまず呆れる。しかも、それを取材する記者自身は、大手新聞社の正規雇用社員という立場に守られているのだ。「同世代の記者が訪ねた」と言うけれど、もともとの「世代論」が正規雇用か否かを主要な論点としている限り、同じ時代を近い年齢で生きているだけでは同じ「世代」とは言えない、という矛盾にゆきあたることになぜ気づかないのだろう?


・・にゃるほど。「おまえが言うな」、ということか。


 こういう憤りは赤木さんなんかが抱えている問題意識(「プチ既得権益層がフリーターなどのなにも持ってない人々の席を奪っている」みたいなの。この辺)に近いものかも。赤木さんについては(口の悪さからか)厳しい視点で見る人が多いようだけど、武田徹さんのこの日記が最大級のエールになっているように思う。以下ぐわっと引用

 赤木くんの登場もそうした構図の深刻化と無関係ではなかったのだと思う(もちろんそれだけではないのだが)。コンビニで食いつなぐフリーターが固有名でその存在を世間に知られることはない。スガシカオの歌詞に「恋人ではなく家畜だったから名前を覚えなかった」とかいうトンデモないのが確かあったけれど、個体識別する必要がない対象との関係は極端に希薄になる。知らないものに対してひとは限りなく残酷にもなれる。何もしないということが巡り巡って可虐的になっている図式においては、加虐者はその自覚を持たないので極端な話なんら痛みもなしにひとを殺すことだって出来る。
 赤木くんが論壇デビューをしたのは、存在すらしなかった存在が、殺される前に少なくとも一度は可視の領域に出たという意味で価値がある。フリーライターとして埋め草記事を書く駆け出し生活なしに一気に自分のことを書いたのが彼らしい(笑)。その受け皿になってくれた『論座』編集部には感謝している。他の出版社の方々もよろしくねー。
 派手に立ち回った反動か、掲示板などでえらく攻撃されている(笑)が、彼にもっと勉強しろと説教垂れて自己満足しているようなひとは、赤木くんが不可視から可視的な存在になれた価値におそらく気付いていない。

 そういう意味では「失われた」のではなく「消し去られていた(見ないようにされていた)」といったほうがいいのかもしれない。そして、意識的に消し去っていたものとして固定的な楽観論を唱えるプチ左翼を赤木さんとかは批判するわけだけど、このエントリなんかはそういう文脈だったんだろうな。


はてなサヨクと希望の時代(@coochoo the MAGIC)
http://d.hatena.ne.jp/coochoo/20070103/1167849490


 よく全共闘世代とかフランスの68世代とかが現在の既得権益層になってるって批判されるけど、保守系プチ左翼への批判というのも同じ視点なのだろう。
 で、そういう言説に対する反論として以下があがっていた


「若者はなぜ3年で辞めるのか?」を読む(@内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2007/01/04_1225.php


 ウチダ先生は、既得権益層に対して「私から収奪したものを私に返せ!」というような論理を奪還論として話を進めそれを批判しているわけだけど、批判の要旨としてはだいたい以下のような感じ。

私が「奪還論」型の議論(「私から収奪したものを私に返せ!」)を好まないのは、「奪還したリソース」を「戦わなかった人間」に分かち与えることを奪還論は論理的に許容しないからである。
必死の思いで戦い獲ったものをどうして戦わなかった人間とシェアしなければならないのか。

確実にあと20年経てば「老人たち」はいやでもリタイアして、一部の「若者たち」が「既得権益の享受者」の席に繰り上がるからである。
そのとき「元・若者」たちが「いまこそ社会改革のときだ」と呼号して、自分たちに選択的に与えられた既得権益を放棄して、「貧しい若者たち」とシェアするフェアな社会システムの構築を求めるようになるだろうという見通しに私は与することができないからである。


 「けっきょく首がすげ変わるだけじゃん?」、と。で、席を譲らない理由の一つとして「若いときは過剰労働させられてるからその元をとろうとして席を譲らない」、というようなことをおっしゃっている。年をとるまではたらいてきたのは「努力に対して報酬が約束されている」というフェアネスとそれに対する信頼があったからだ、と。

 ・・この辺りはなんかびみょーな感じがするのでちょっと保留だけど(労働の代価が適時に配分されるようになればいいんじゃ?、とかあるし)、ちょうどはてなの質問に現在の過剰労働についての質問が出てたので貼っとこう。


「日本社会の仕事の激務」について
http://q.hatena.ne.jp/1167756850


 さきほどの「若者も席を譲らない老人になる」な話に対して。このエントリがウチダ先生なりの回答になっているのだろうか


私家版・新春放談(@内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2007/01/05_1529.php


 「貧乏なら貧乏でいいじゃん(貧乏ですけれど何か?)」って感じでお互いに助け合いながら暮らしている若者の実例。互助の流れはウチダ先生が若いときから続いてるみたい。

自分が手に入れたものはできるだけみんなで分かち合う。
自分が獲得したコネクションは次にパスする。
自分が切り開いたビジネスチャンスには友人たちを巻き込む。
この原理を30年来律儀に実践してきたという点において、平川くんや私はその語の語源的意味における「コミュニスト」(コミューン主義者)と名乗る資格があるだろう。
フェアな社会を希求することは大切だし、行政に対して弱者支援を求めることもたしかに必要だ。
けれども、その前にまず貧しいもの同士、弱いもの同士で支援し合い、扶助し合うことの方が緊急だろうと思う。

 真のコミュニタリアンってのはこういうのかな、と思ったり。ウチダ先生は一部で既得権益の老害としてとらえられているみたいだけど、こういう意味では冒頭に仲俣さんが批判していた朝日記者よりもはるかにマシだな。



(オチなし)




♪ピーナッツ / 中村一義


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関連:
記者の目:06年に一言 フリーター「奴隷ですから…」(@MSN毎日インタラクティブ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kishanome/news/20061226ddm004070045000c.html



Early Peanuts anthology coming from Fantagraphics (@BoingBoing)
http://www.boingboing.net/2003/10/13/early_peanuts_anthol.html


いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント(@amazon.co.jp)



声優に子役、コカイン中毒と苦労続だった 【ファーギー】(@海外エンターテイメント専科)
http://www.actiblog.com/juri/11041









posted by m_um_u at 12:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・時事このエントリーを含むはてなブックマーク
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