2007年02月22日

ネット広告費躍進から期待される広告変化とその影響についてのちょっとした懸念

 広告関連でいろいろリンクしたのでエントリしてみる。最初はここから


 ネット広告費、まもなく雑誌抜く規模に--4マス減少のなか大躍進(@CNET Japan)
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20343603,00.htm


 パッと見、「んでもTVの1/5程度か」、って思ってしまったんだけどこれはこれで躍進か(30%成長)。大躍進の理由としては以下のようなものが考えられるらしい

インターネット広告の成長要因としては、ブロードバンド化やYouTube、GyaOといった動画サービスの登場により、動画サービス向けの広告出稿が増加傾向にあることが挙げられる。また、「続きはネットで」という形でテレビCMからネットへ誘導する手法が定着しつつあることから、サーチエンジンマーケティング(SEM)にも注目が集まっている。また、モバイル広告も、携帯電話の契約数増加にともないナショナルクライアントが続々と参入し、35.4%増の390億円規模に成長を遂げた。


・・なんかびみょー感が漂うけど、まぁ、置いといて。神田さんのところにも詳しく載ってた


 ネット広告費、29.3%増の3630億円(@KandaNewsNetwork)
http://knn.typepad.com/knn/2007/02/2933630.html

 広告費全体の構成比が出てて分かりやすい。

広告費に占める構成比は、
テレビ 33.6%
新聞 16.7%
雑誌 6.5%
ラジオ 2.9%
マスコミ4媒体(新・雑・ラ・テ)で59.7%
SP 33.4%
衛星メディア関連544億円 0.9%
インターネット3630億円 6%

インターネットの構成比が6%に達しているところに注目したい。
2005年は4.7%
2004年は3.1%であった。


 今年中に雑誌を抜いて、来年・再来年あたりで新聞と勝負って感じだろうか。って、ネットに広告出す層と新聞に広告出す層は被らないのだろうけど。ガ島さんとこも反応してた


 新聞の広告費ついに1兆円の大台を割り込む(@ガ島通信)
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20070221/1172014628

 
 経由でmediologic.comエントリを見る。


 マス広告がもっと売れなくなるかも知れないことについて、本当の真実は、(@mediologic.com weblog)
http://www.mediologic.com/weblog/archives/001134.html

以前は、多くの企業が作り出すモノは「マス」に向けた商材であり、画一化されたものが多かった。それゆえ、その“マーケット・サイズ”をターゲットにしたときに、これまたサイズのあうマーケティングツールが「マス広告」だったのだ。

で、最近は企業のモノづくりがより細分化されたマーケットや、マスであってもカスタマイズ可能なものが増えてきたのは確かな事実である。それゆえに、「マス」というサイズで行うマーケティングも減ってきたのではないか。

 同様の見解が曽根さんのところにも上がっていた。


 よろしくネット(@うたかたの日々@はてな)
http://d.hatena.ne.jp/soneakira/20070221

映画→テレビ→ネット(?)の変遷に、消費者の進化に

旧態然としたマスメディア並びにスペースブローカー的広告代理店が

ついていけなかった。あるいは既得権益にしがみついたままついていこうとしなかった。

やっぱり広告は消費者が成熟したことによって狭告じゃないと届かない、響かない。

そういう時代になったんだろうねえ。

 
(中略)

大物タレントを呼んできてキャンペーン一発ドーンと打ち上げる、

それよか知恵とかセンスとかわかる人にだけわかってもらえればいいってこと。

ターゲットは性別や年齢でセグメントされるわけじゃなくて。



 同意。(ってか、「テレビCM崩壊」未読です m(_ _)m)


 総合すれば、「マスメディア企業、広告会社の努力不足」、みたいな感じだろうか。努力っていうか勉強不足っていうか・・。


 流れで織田さんのとこにもなんか見解出てないか見てみたけど、関連エントリとして見つけたのは今のところこれぐらい。


 米オンライン広告シェアは2007年に20%に(@Ad Inovator)
http://adinnovator.typepad.com/ad_innovator/2007/01/200720.html


 短いのでそのまま引用させてもらう

調査会社Outsellが発表した調査によると、対象企業1010社が2007年にオンライン広告費を18%増やし、全広告費シェアの20%に達すると予想した。また、Pay-Per-Click(クリック保障型)広告はクリック詐欺の恐れから49%が減らすと答えているという。


 20%か・・。一部の企業だし、環境も違うので一概に言えないけどこういう方向に進んでいくのだろうか。そのときパイの食い合い(「代わりに新聞広告が減った」とか)あったのだろうか。気になるのでTB打ってみよう(期待を込めて)。



 日本の広告環境が変わるとするとその要因としてはどのようなものが考えられるだろうか。やはり大型広告主の意向だろうか。トヨタアメリカの話なんかが思い浮かぶ。


トヨタが米テレビ界に一撃 「印象に残らない番組はダメ」(@NB online)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20060801/107256/

 
 「番組関心度調査」なる新手法(ながら視聴対策っぽい)に対して効果が見られない場合はペナルティ、ってやつ。NBCとの一社契約だし、広告業界全体に対する影響力とか、これを受けてのその後の広告の変化とかよく分かんないんだけどけっこうインパクトがあった事例ではないか。これがネット広告の構成比拡大に利するかといえばびみょーだけど、広告というものをきちんと考えるきっかけにはなったのかも(作るほうも依頼するほうも)。

 
 以上は大体の流れのまとめみたいな感じだけど、ほかに気になったこととしてちょっとセンチメンタリズムみたいなの入るかもしれないけどいちお。


 曽根さんのところの「ターゲットは性別や年齢ではなく知恵やセンスでセグメントしていくべき」、的話を受けてlifeでやってた「学級コミュニティが“マインド”によって構成されている」話をなんとなく思い出した。


 「文化としての受験」についての話の流れで、「ケーオーとかトーダイとか行くのは勉強もそうだけど人脈のためって感じだよね。その人脈がそのまま就職とかに影響していく。だからコミュニティの中の情報っていうのがかなり重要で、そこからハブられることは情報の遮断を意味する」、ってやつ。

 で、「そういうイイ会社とかイイ大学とか行く人々は勉強ができるかどうか以前に同一のマインドみたいなのを前提条件としていて、それがあるからこそ勉強とか就職とかできるのではないか?」、と。そういうマインドというのは最近だと「コミュニケーション力」とかやたら「〜力」という形で形式化され身に着けなきゃいけないものとされてしまいがちだけど、そんなの意識しても見に付けられるものでもないよねぇ(却って焦る)。

 って話だったと思う。要約すれば本田由紀さんの「ハイパーメリトクラシー」ってやつだ(未読)。リンク先では酷評されてるけど(あとで読もう)、「がんばってるのに評価されないで“もっと○○力つけろ!”みたいに言われるのってどうなの?」的指摘には首肯できるものがある。そういう感覚が社会的にもある程度共通しているからこそソフトバンクの例のCMがdisられたのではないか?

 たぶん作った人たちとかこのCMを採用した人たちはそういうグループの中で育ってきた人たちなのだろうから、根本的なところでなぜdisられたのかってことには気づいていないのだろう。そして曽根さんの指摘するようにこれからはセンスや知恵でセグメントしたCM(ある程度マインドを共通する層をターゲットとしたCM)が作られていくのかもしれない。

 マーケティング的な話と文化的影響みたいな話とはレイヤが違うのでどうこう言うわけじゃないけど、やっぱちょっとびみょーな感じはする。


 でも、多チャンネル化状況で詳細にセグメント分けしてCM流せばほかの層にはステルスになって問題なくなるのかも。各チャンネルがコミュニティにアンテナショップみたいになる状況。そういう状況ではまた新たな問題が生じそうな気がするけど、そのときはそのときということで(cf. 暗黙の階層性 / セグメントの明示化)。



--
追記:
全く別の文脈だけど、「新しいメディアの効果による教養の格差という可能性」、についての話でリンクしたのでメモ。


「仁丹」或いは世代の条件(@Living,Loving,Thinking)
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070222/1172164952


ここでは「マスメディアによる想像の共同体 ⇒ メディアによって教養が仕込まれる」を前提に論がすすめられていてベタに正しいと思うんだけど、ぼくが今回のエントリで問題にしたような感じで「教養を中心にメディアが配置される」ようになるとどうなるんだろうか?

「ますます格差が進む ⇒ 各文脈の切断(ディスコミュニケーション) ⇒ 分断統治」的路線も考えられるけど、もうちょっとゆるくなんかないかなぁ・・。


あと、『見知らぬ他者と同時的に経験することの重要性の減少ということ』というコミュニケーションにおけるアウラの消失みたいな話は宮台言うところの「コミュニケーション流動性(代替可能性)」の問題とも通じる。友人とか恋人とか言っても容易にスイッチ可能なので、切られるのを恐れて深くコミットしない。


「他者の歴史を読まない」という問題は「コンテンツの文脈を読めない(あるいは各作品の関連性を重要視しない)」という問題にも通じるのだろうか。









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posted by m_um_u at 21:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | メディアこのエントリーを含むはてなブックマーク
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