2007年02月18日

ジャストシステムのブログエディタとかシーサーすごいなとかケータイ時代のコミュニケーションとか

 XML文書編集の未来形!?――ジャストブログを試してみた (@IT)

 って記事に触発されてジャストシステムのブログエディタをインストールして使ってみたんですが・・なんか重くて動かなかった・・。

 ウチのマシンが弱っちいせいなのかなぁ。。

 まぁ、そんなこんなでジャストエディタはなし、と。まぁ、この感じだといまのシーサーは安定してるみたいだし、従来通りブラウザから投稿しても特に不便も感じないですしね。
 
 てか、シーサーのサイト編集は楽ですな。「ブログパーツ編集」
っていうのでドラッグ&ドロップでブログパーツの追加とかできるし・・。いやぁ、便利になったもんだ。

 あとは文字の大きさとか調節できるといいんだけど(もうちょっと大きいほうがいい)。


 これだけだと芸がないので今日聞いたpodcastの感想でも書いときます。

 今日は宮台真司週刊ミヤダイより「携帯電話1人1台時代でコミュニケーションはどう変わった?」ってのを聞きました。

 箇条で要約すると、

「ケータイ」⇒「コミュニケーションの希薄化(代替可能性)」⇒「ハブられないようにするために過剰にベタベタしたコミュニケーションをする(せざるを得ない)」

「ケータイ的視聴様式に合わせたTV番組、映画などの変化」⇒「ケータイをしながらの視聴(集中力が続かなくて伏線をまともに追えない)に合わせて、短いスパンで山場をもってくるような作りに」⇒「つまらない作品の増発」

「家族などかつての“場”にしばられたコミュニケーションの希薄化(ネットやケータイの知り合って間もない人に親身な相談をもちかける)」

「でも、ネットやケータイなどの新たなコミュニケーション様式にも可能性があるのでは?(ex.コテハンという新たな縛り(場)」
 

 だいたいこんな感じでした(一部解釈入ってるけど)。面白いなと思ったのは「仲間内でハブられないようにするために過剰にベタベタしたコミュニケーションをする」ってところ。これは一個前のエントリ(mixiにおけるベタベタコミュニケーション - mixi疲れ)なんかを想起させますね。「せざるを得ない」ってとこがポイントかなぁ、と。

 「ケータイ族に合わせた映画作り」というところではYoshi映画(参照)なんかを思い浮かべたり。見てないのでなんとも言えないけど。

 あとは最後の部分で、「かつての場の縛りが失われた現在、関係やそれに付随した実存が薄れていく中で我々はどのようにして新しい時代に向かい合うべきか」(意訳)みたいな課題に対して、「一見、無法にみえるネット社会にもコテハンみたいな縛りがあるし、その辺りに可能性を見てみても良いのでは?」的な締めはなんかもうちょいな感じでした。電縁の可能性ということだろうけど、やっぱ既存のルールの転用なのかなぁ、と。
 
 mixiの日記のほうには書いたけど、個人的には「ネットの海に溶けろ」的な課題を目の前にしているのでなんとも古臭い(オッサン臭い)結論のように感じました。

 まぁ、本気というわけでもないのだろうけど。

posted by m_um_u at 15:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記このエントリーを含むはてなブックマーク
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